06 極悪バニーと戦慄の魔法少女
青コーナーから、まずは戦慄の魔法少女が登場した。
《アトミック・ガールズ》と『ティガー』のロゴがプリントされた、白と黄色のスポーティーな魔法少女ウェアの、鞠山選手である。眠たいカエルめいた顔ににんまりとした笑みをたたえつつ、歴戦の魔法少女は本日も得意のバトン芸で観客たちをわかせていた。
続いて赤コーナーから、極悪バニーが姿を現す。こちらも魔法少女ウェアと同じロゴがプリントされた、白いレオタードと黒いロングスパッツの姿だ。セミロングの髪は金色に染められた部分だけが二つに結われて、垂れ耳のウサギめいたヘアースタイルになっている。朋友たる多賀崎選手が敗北してしまったためか、その造作の整った顔には普段以上の気迫が感じられた。
こちらの両名に『マッド・ピエロ』のイリア選手を加えた三名は、古きの時代から『コスプレ三銃士』として大きな評判を呼んでいた。若手選手、中堅の壁、元王者のトップファイターと、キャリアや戦績はそれぞれ異なっていたものの、若手の灰原選手が台頭したことでコスプレファイターにいっそうの注目が集められたわけであった。
しかしまた、鞠山選手と灰原選手はこれが初の対戦となる。
若手の選手が実力をつけたならば中堅の壁たる鞠山選手と対戦するのが通例であったが、間に《カノン A.G》にまつわる騒乱をはさんでいたためか、たまたま対戦の機会に恵まれなかったのだ。そうして時間が過ぎたことで、今では両名ともにトップファイターという扱いであった。
言うまでもなく、瓜子にとってはきわめて馴染みの深い両名である。
まあ、個人的な交友関係は脇に置いておくとしても――瓜子としては、三年という短いキャリアの中で二度までも対戦した貴重な面々でもあった。
瓜子はそれらの試合に、すべて勝利している。
なおかつ、出稽古や合宿稽古でもさんざん手を合わせているので、彼女たちの力量はしっかりわきまえているつもりであったが――ただし、今日の勝負の行く末については皆目見当もつかなかった。
(何せ、典型的なストライカーとグラップラーの対決だもんな。どっちが得意のフィールドに持ち込めるかで、結果が変わってくるってことだ)
灰原選手は豪快なインファイトと軽妙なるアウトファイトを同じレベルで体得した、かなり厄介なストライカーとなる。
いっぽう鞠山選手も独特のアウトファイトを得意にしているが、本領はグラウンド勝負だ。以前は組み技が甘いと評されていたものだが、ここ最近はタックルの切れ味も増していた。
そして、灰原選手は二十歳を越えてからジム通いを始めた遅咲きのファイターであり、鞠山選手は十年以上も前から《アトミック・ガールズ》を支えてきたベテランファイターとなる。外見も経歴もファイトスタイルも、何から何まで似たところのない両者であった。
『第八試合! ストロー級、五十二キログラム以下契約! 五分三ラウンドを開始いたします!』
レトロなマジシャンのような衣装を纏ったリングアナウンサーが、朗々たる声を響かせる。
おたがいに人気投票のベストテンにあがる人気ファイターであるため、会場の声援もこれまで以上の熱をおびていた。
『青コーナー。百四十八センチ。五十二キログラム。天覇ZERO所属……まじかる☆まりりん!』
鞠山選手はミニスカートのような飾り物をつまんで、優雅に一礼した。
『赤コーナー。百五十六センチ。五十一・九キログラム。四ッ谷ライオット所属……バニーQ!』
灰原選手はきつく眉を吊り上げたまま、肉感的な両腕を振り上げた。
そうしてレフェリーのもとに招かれたならば、上と下から視殺戦を開始する。鞠山選手は余裕しゃくしゃくのにんまりとした笑顔で、灰原選手はやっぱり怒っているかのような顔つきだ。多賀崎選手の試合がなければ、灰原選手もにやにや笑っていたのではないかと思われた。
瓜子にとっても親しくなった者同士が対戦するというのは、決して珍しい話ではなくなっていたが――それにしても、今回ばかりはずいぶん奇妙な心地であった。二年前のゴールデンウィークの合宿稽古で面識を得たメンバーというのは、瓜子にとってもっとも親しい相手であるのだ。そのメンバー同士で対戦するというのは、そうそうありふれた話ではなかったのだった。
(……まあ、あたし自身はこのお二人やオリビア選手と対戦してるんだけどさ)
だからきっと彼女たちも瓜子と同じように、邪念なく向き合っているのだろう。どれだけプライベートで仲良くなっても、試合には関係ない。そうでなければ、瓜子たちはうかうかと親交を深めることもままならないのだ。
それにしても、やっぱり外見からして両極端な両名である。
灰原選手はファイターらしからぬ端整な容姿と色っぽい肢体を有しており、鞠山選手は個性的な顔立ちとずんぐりした体形をしている。それで片方はバニーガールで、片方は魔法少女だ。こんなに素っ頓狂な組み合わせは、それこそ鞠山選手とイリア選手の一戦以来であるはずであった。
鞠山選手は頭身が低いためか、八センチという数値以上の身長差に感じられる。しかしそのぶん、肉厚で頑丈そうに見えるのは鞠山選手のほうだ。灰原選手もユーリに次ぐぐらい肉感的なプロポーションをしていたが、くっきりと腰がくびれているためか、鞠山選手の前では細身に見えるぐらいであった。
レフェリーがグローブタッチをうながすと、鞠山選手は優雅な仕草で右の拳を差し出す。灰原選手はそれを平手で荒っぽく叩いてから、フェンス際まで退いていった。
そうしてついに、試合開始のブザーが鳴らされる。
大歓声がわきあがる中、灰原選手はウサギのように、鞠山選手はカエルのように、それぞれぴょんぴょんとステップを踏み始めた。
「……よし。灰原も、落ち着いてるみたいだな」
左肩に氷嚢をくくりつけられた多賀崎選手が、低い声でつぶやく。
勝負を焦った灰原選手がいきなり乱打戦でも仕掛けるのではないかと危惧していたのだろう。瓜子が見る限りでも、灰原選手の足取りに焦りは感じられなかった。
両名ともに大股で勢いのあるステップワークという点は一致しているが、やっぱり印象はずいぶん異なっている。足の短い鞠山選手は歩幅で距離を稼いでおり、体勢もいくぶん前屈みである。それに対して、灰原選手はカモシカのような足で躍動感のあふれるステップを見せていた。
灰原選手は、どちらかというとマリア選手に近いタイプであろう。
しかしまた、打撃技と組み技に同じだけの比重を置いているのは、鞠山選手のほうだ。斯様にして、アウトスタイルといっても各人でそれぞれ似た部分と似ていない部分を含んでいた。
二人がたがいに大きくステップを踏んでいるため、なかなか打撃の交換には至らない。
とりわけ灰原選手は、鞠山選手のタックルを警戒しているようだ。テイクダウンを取られたら、たとえ一本負けをまぬがれたとしても、ラウンドの終了まで下になってしまう危険が生じるのである。鞠山選手と対戦する人間は、常にその危険を想定しながら戦わなければならないのだった。
(でも、灰原選手の打撃技だって、それと同じぐらいの脅威なはずだ)
瓜子は出稽古ばかりでなく、つい四ヶ月前の対戦でもその事実を思い知らされていた。本番の試合で向き合った際の灰原選手は、とてつもない迫力と威圧感を有しており――それで瓜子も、かつてないほどの集中を強いられることになったのである。一ラウンド目で試合が終了したのは、それだけの集中力を引き出された結果であった。
よって、鞠山選手も同じだけのプレッシャーを感じているはずである。
だからこそ、うかつに相手の間合いに踏み込めないのだろう。手足の短い鞠山選手にとっては、いっそうシビアな戦いになるはずであった。
鞠山選手も灰原選手も時おりジャブやフックを繰り出すが、どちらも牽制の攻撃である。
そうして接触しないまま一分ほどの時間が過ぎると、歓声にも焦れたような気配が入り混じり始めた。
それで動いたのは、鞠山選手である。
これまで以上に大きく踏み込んだ鞠山選手は、そのまま豪快な右ローに繋げた。
灰原選手はどっしりと足を踏まえて、その右ローをかわさずに受け止める。
そして、カウンターの右ストレートを射出した。
あまり筋肉は目立たないが、太い棒のように力強い灰原選手の右腕が真っ直ぐのばされて――鞠山選手の顔面を撃ち抜いた。
クリーンヒットと呼ぶに相応しい、深い当たりである。リーチの差と当て勘の鋭さが、それだけの攻撃を成功させたのだ。まだ蹴り足を戻していなかった鞠山選手は、もんどりうって倒れ込むことになった。
灰原選手は、そのまま相手にのしかかろうとする。
だが――鞠山選手がぱっくりと両足を開くと、慌ててバックステップを踏んだ。鞠山選手が元気であるならば、たとえ上を取れてもグラウンド戦は危険であるのだ。
しかし、灰原選手が距離を取っても、鞠山選手は立ち上がろうとしない。
すると灰原選手は果敢に踏み込んで、宙に上げられた鞠山選手の足を蹴りつけた。
鞠山選手は足をおろして、わずかに半身を起こすと、尻をマットにつけたままじりじりと前進していく。
灰原選手は勢いよく距離を取ると、さっさと立てとばかりに右腕を横合いに振り払った。
レフェリーが割って入り、鞠山選手に『スタンド!』と命じる。
鞠山選手は灰原選手を焦らすように、ことさらゆっくり立ち上がった。
「さっきのダメージが残ってるのか、油断を誘ってるのか……相手が鞠山さんだと、判断もつかないな」
また多賀崎選手が、低くつぶやく。
瓜子もウォームアップに励みながら、モニターから目を離すことができなかった。
そうして試合が再開されると――灰原選手が、猛然と躍りかかった。
これはブラフではなく、ダメージが残っているものと判断したのだ。灰原選手らしい、覚悟のある決断であった。
まずは左手で、ショートアッパーを繰り出す。
相手の組みつきを警戒しての、いい攻撃だ。しかし鞠山選手は組みつくどころか、覚束ない足取りで後退していた。
それを追いかけて、灰原選手は右のストレートに繋げる。
鞠山選手は頭部をガードしたが、その勢いに押されて背中をフェンスにぶつけることになった。
灰原選手は一定の距離を保ちつつ、左右のフックとアッパーとボディブローのコンビネーションを披露する。
顔への攻撃はすべて防がれたが、ボディブローはクリーンヒットした。
鞠山選手が苦しげに身を折ると、灰原選手は膝蹴りのモーションを見せかけたが、途中で右フックに切り替える。やはり、組みつきを警戒しているのだ。遠めの間合いから攻撃を振るっているのも、それに起因するようであった。
自分の拳は届くが、相手の拳は届かない。そんな間合いである。
よって、自分の攻撃もやや浅めになってしまうが、そのぶん組み技には対処しやすい。直情的な灰原選手も、この近年でこれだけクレバーに戦えるように成長していたのだった。
いっぽう鞠山選手は、防戦一方である。まだ前屈みの体勢であるため、今にもくずおれてしまいそうだ。
そんな鞠山選手に、灰原選手は豪快な攻撃を叩きつけていく。フックばかりに頼らずに、ショートアッパーを交えるのが素晴らしい判断であった。これだけ有利な状況でも、組みつきへの警戒は忘れていないのだ。
レフェリーは、真剣な眼差しで様子をうかがっている。
このままでは、レフェリーストップも遠くないだろう。それぐらい、灰原選手の攻撃は迫力に満ちていた。
すると――鞠山選手が、いきなり横合いに飛びのいた。
前屈みの体勢であったため、いっそうカエルじみた挙動だ。そうして頭からマットに跳び込んだ鞠山選手はごろごろと転がった末、仰向けの体勢で両足を開いた。
両方のまぶたが腫れあがり、平たい鼻から血がしたたっている。
しかし、それでもなお、鞠山選手はにんまりと笑っていた。
灰原選手は、迷うような顔を見せたが――けっきょく、近づくのではなく遠ざかった。それを見て、レフェリーは鞠山選手に『スタンド!』と命じる。
鞠山選手は、のろのろと立ち上がった。
もはや芝居をする余力はないだろう。鞠山選手は、深いダメージを負っているはずであった。
そうして試合が再開されると、灰原選手は勢いよく突進する。
すると鞠山選手は、灰原選手の横合いにスライディングしながら、腕をのばして足を引っ掛けようとした。
かつてイリア選手との試合でも多発した、寝技に持ち込むための奇襲技だ。灰原選手が慌ててその手を回避すると、マットにすべりこんだ鞠山選手はまた仰向けの体勢で足を開いた。
会場からは、ブーイングの声が巻き起こる。
やはり観客は、打撃戦から逃げる姿勢をよしとしないのだ。たとえルール内の行為であっても、それが揺るぎない事実であった。
そうしてレフェリーが三度目の『スタンド!』を命じると同時に、ラウンド終了のブザーが鳴らされた。
一ラウンド目は、完全に灰原選手のものである。
ただし、ラッシュを仕掛けた灰原選手は肩を大きく上下させており――鼻血を垂らした鞠山選手は、にんまりと笑っている。残り二ラウンド、まだまだ予断は許せないようであった。




