05 後半戦
ユーリの復帰の挨拶が終了したならば、興行の後半戦である。
出番の近くなってきた瓜子はサキとともに再度のウォームアップに励みながら、それらの試合模様を拝見することになった。
最初の出番は多賀崎選手で、対戦相手はマリア選手だ。
直近の戦績で考えると、魅々香選手に敗れた多賀崎選手とオリビア選手に勝利したマリア選手という組み合わせになる。しかし何にせよ、この階級のトップファイター同士によるしのぎ合いという図に違いはないはずであった。
しかしまた、運営陣が目をかけているのは多賀崎選手のほうなのだろう。多賀崎選手は《フィスト》の王座戴冠という実績を作ったし、この近年で飛躍的に実力を上げたひとりであるのだ。その力量は、沖選手との連戦および『アクセル・ロード』の内容で証明されていた。
いっぽうマリア選手は、どちらかというと下降気味の状態であった。この近年では沙羅選手や瓜子に敗れ、『アクセル・ロード』も負傷欠場した魅々香選手の代役であり、なおかつすぐさま宇留間選手に敗れた身であった。《レッド・キング》のほうでは好成績を残しているものの、それ以外の舞台では長らく勝ち星に恵まれていなかったのだった。
そんなのぼり調子であった多賀崎選手が魅々香選手に敗れ、下降気味であったマリア選手がオリビア選手に勝利した。それで運営陣は、あらためて両者の力量をはかるべく今日の試合をマッチメイクしたものと思われるが――その勝負は、一ラウンド目から混戦模様であった。
「マコっちゃんは、ゼッコーチョーだからねー! 相手がマリアでも、どーってことないさ!」
ウォームアップに取り組んでいた灰原選手はそのように述べていたが、最初に大きな苦境を迎えたのは多賀崎選手であった。多賀崎選手はアウトファイターたるマリア選手に対して自らもアウトスタイルで臨んでいたが、マリア選手はその躍動感あふるるステップワークで一気に距離を詰めると組み技の攻防を仕掛けて、そこから強烈なスープレックスにまで繋げてみせたのだった。
その際に、多賀崎選手は左肩からマットに叩きつけられた。
そしてそれ以降は、左のパンチをいっさい打てなくなってしまったのだ。おそらくは、肩に深刻なダメージを負ったのだろうと思われた。
それでも多賀崎選手は一ラウンド目をしのぎきり、二ラウンド目で逆襲した。左のパンチは使えないまま、凄まじい勢いでラッシュを仕掛けて、右フックをクリーンヒットさせたのだ。
マリア選手はダウンをして、多賀崎選手は寝技の攻防に持ち込んだ。寝技でも左腕がうまく使えず苦労していたが、しかし最後までポジションを譲らず、そのラウンドのポイントをものにしてみせた。
おたがいにひとつずつのポイントを分け合っての、最終ラウンドである。
こちらでも、両者は気迫のこもった姿を見せつけた。序盤はおたがいにステップワークを駆使して、それから打撃の交換に組み技の攻防と、もてる力のすべてを振り絞って勝利を目指したのだ。ユーリの挨拶で熱気が沸騰していた客席にも、また盛大な歓声が吹き荒れていた。
そうして最後まで混戦のまま、最終ラウンドは終了してしまう。
最終ラウンドは、ポイントのつけようもないほどの激闘であった。多賀崎選手は左腕を使えないまま、そこまでの接戦に持ち込んでみせたのだ。
だが――判定の結果は2対1で、マリア選手の勝利である。
マリア選手は、試合場で再び涙を流すことになった。そして控え室では、灰原選手が「ちっくしょー!」と悲嘆の雄叫びをあげていた。
「最初に左肩を痛めてなかったら、ぜーったい勝ってたのにー! 左腕を使えなくても互角の勝負ができたんだから、地力はマコっちゃんのほうが上のはずだよー!」
「勝負にたらればは禁物だろーがよ。そもそもスープレックスをくらったのは、手前の責任なんだしなー」
サキが冷ややかに言い捨てると、灰原選手は「うるさいやーい!」と地団駄を踏んだ。
しばらくして、多賀崎選手が控え室に戻ってくる。多賀崎選手は穏やかな面持ちであったが、左肩には氷嚢がテーピングで固定されていた。
「脱臼まではしてないけど、ちょいと靭帯を痛めたかもしれない。あんたの試合を見届けたら、病院に向かうことにするよ」
「えーっ! だいじょーぶ? あたしのことはいいから、さっさと病院に行っちゃいなってば!」
「そんな数十分やそこらで、結果は変わりゃしないさ。いいからあんたは、さっさと出陣しな」
おろおろとしていた灰原選手はいきなり両手で自分の顔をひっぱたくと、「わかったよー!」と雄叫びをあげた。
「魔法老女なんて、ソッコーで沈めてみせるから! ほんのちょっとだけ、待っててねー!」
「鞠山さんは、そんな甘い相手じゃないだろ。余計なことは考えないで、試合に集中しな」
そうして灰原選手の陣営は控え室を出ていき、モニター上では高橋選手と鬼沢選手の一戦が開始される。そちらをちらちらと気にしながら、ユーリは眉を下げつつ多賀崎選手に呼びかけた。
「ユーリは多賀崎選手が勝利したものと思っておりましたぁ。やっぱり判定決着って、切ないものですねぇ」
「ラウンド中に仕留められなかったのは自分の責任なんだから、文句はつけられないさ。それよりあんたは、きっちり猪狩のフォローをしてやりな」
「はいぃ。お怪我が治ったら、またお稽古をお願いいたしますぅ」
「はは。試合直後にあんたとのスパーなんて想像したら、余計に気が滅入っちまうよ」
多賀崎選手は穏やかに笑っていたが、その目にはいくぶん寂しげな色がにじんでいた。多賀崎選手は三月の魅々香選手との一戦でも名勝負を繰り広げていたが、戦績の上では連敗となってしまったのだ。どれだけ充足の思いがあっても、口惜しさと無縁でいられるわけはなかった。
(今年しょっぱなの調整試合や《フィスト》の防衛戦では勝てたけど、『アクセル・ロード』でも青田さんに判定負けだったもんな。それが全部2対1のスプリットっていうのは、実力が互角だったっていう証拠なんだろうけど……だからこそ、紙一重で勝てなかった悔しさが残っちゃうよな)
そんな思いを噛みしめながら、瓜子もモニターに向きなおった。
そちらでは、多賀崎選手とマリア選手に負けない熱戦が展開されている。高橋選手も鬼沢選手も前回のトーナメント戦において、小笠原選手をぎりぎりの場面まで追い込んだ猛者同士であったが――それがフロックでなかったことが、すでに序盤から証明されていた。
高橋選手も鬼沢選手も天覇館に所属するストライカーであるが、ファイトスタイルはまったく異なっている。高橋選手はMMA流に洗練されたスタイルであり、鬼沢選手は突進力を活かしたインファイターであるのだ。
ただし、鬼沢選手がただの勢いまかせの選手でないことは、『アクセル・ロード』の段階で明かされている。出稽古で手を合わせた瓜子も、それを十分に承知していた。彼女は人一倍の闘争心にあふれているが、それでも決して熱くなりすぎることはなく、試合の流れを読む冷静さにも不足していなかった。
いっぽう高橋選手は、完成度の高いストライカーだ。基本はやっぱりインファイトであるが、逃げる相手を追いかけるのも上手いし、乱打戦でもむやみに相手の攻撃をくらったりはしない。そして、過酷な減量をやりとげたことで動きの鋭さが格段に上昇して、いっそう隙のないファイトスタイルを確立させていた。
また、体重を落としたことで容姿が来栖舞に近づいたため、最近では「第二の来栖舞」などという呼称も定着しつつある。
本家の来栖舞に比べると、組み技と寝技はそこまでのレベルに達していなかったが――しかし、こと打撃技の技術に関しては、全盛期の来栖舞を思わせる迫力が存在した。
そんな両名が、ケージの中央で果敢に打ち合っている。
かなり近距離の乱打戦だが、おたがいクリーンヒットは許していない。相手の攻撃はしっかり手足でガードして、おたがいに同じだけの手数を出しているのだ。どちらの攻撃も迫力に満ちているため、会場にはいっそうの歓声が吹き荒れていた。
高橋選手は時おり組み技も仕掛けるが、鬼沢選手はそれを跳ね返して打撃戦を再開させる。鬼沢選手は寝技を苦手にしているが、そのぶんテイクダウンディフェンスには磨きをかけているのだ。高橋選手にも、それを打ち砕けるだけの技量は備わっていなかった。
結果、危険な打撃戦が延々と展開される。
一ラウンド目が終わっても、二ラウンド目が終わっても、試合の様相に変わりはなかった。クリーンヒットを防いでも、防御に使った両名の手足はモニター越しではっきりわかるぐらい赤や青に変色していた。しばらくは日常生活に支障が出るほどのダメージが溜まっているのではないかと思われた。
「実力が拮抗しすぎて、試合が動かねーなー。あと一手でも隠し玉がありゃー、それで勝負が決まりそうだ」
故障を抱えた左膝を入念にストレッチしながら、サキがそのように言いたてた。
そして、最終ラウンドも三分が過ぎた頃――ふいに、新たな局面が訪れた。高橋選手が、弱々しい仕草で後ずさったのだ。
とりたてて特別な攻撃をもらった様子はないので、スタミナの消耗を思わせる弱々しさである。鬼沢選手は驚異的なスタミナでもって、それを猛然と追いかけようとした。
その身が、ころんとマットに倒れ込む。
高橋選手が、出足払いを成功させたのだ。それは柔道の技であり、天覇館においては柔道技の習得にも余念がないとされていた。
高橋選手はサイドポジションを獲得して、袈裟固めの形から強烈なパウンドを叩きつける。きっと先刻の弱々しい挙動は、出足払いを狙うための演技であったのだ。そうとしか思えないほど、高橋選手の攻撃は勢いに満ちていた。
鬼沢選手が死に物狂いで暴れると、べったりと身を伏せてポジションをキープしつつ、小刻みに肘を当てていく。堅実で、効果的な攻撃であった。
そのままじわじわと時間が過ぎていき、残り三十秒になったところで、鬼沢選手は何とか脱出を果たす。しかし、力まかせで逃げたために、相応のスタミナを消耗させてしまっていた。
高橋選手は、ここぞとばかりにラッシュを仕掛ける。たとえグラウンドで有利なポジションを取っていたとしても、最終ラウンドのラスト三十秒とは思えない勢いと迫力であった。
鬼沢選手も何とか手を返そうとするが、こちらは完全に勢いを失ってしまっている。その弱々しい攻撃をしっかりガードした上で、高橋選手は的確に攻撃を叩き込んだ。
いつレフェリーストップをかけられてもおかしくない様相であったが――その前に、ラウンド終了のブザーが鳴らされた。結果は2対1で、高橋選手の勝利である。
「ふん。引き出しの数で、勝負がついたな。じゃ、出陣すっか」
「あ、サキさん、頑張ってください。試合は拝見できませんけど、サキさんの勝利を信じています」
「はぁい。ユーリちゃんも、以下同文なのですぅ」
「先輩様への激励で手ぇ抜くんじゃねーよ、脱色肉牛野郎」
サキは目にも止まらぬ右ジャブでユーリの鼻先の空気を切り裂いてから、控え室を出ていった。それを追いかけるのは、ジョンと柳原と愛音だ。
しばらくして、高橋選手の陣営が凱旋してくる。瓜子たちがお祝いの言葉を投げかけると、高橋選手は汗だくの顔で「ありがとう」と微笑んだ。
「泥臭い内容になっちゃったけど、なんとか勝ちを拾えたよ。やっぱり鬼沢ってのは、大したやつだね」
「押忍。自分たちは日替わりで、高橋選手と鬼沢選手の強さを体感してましたからね」
「これであたしも心置きなく、あいつと一緒に稽古できるわけだね。プレスマンで顔をあわせる日が楽しみだよ」
そのように語る高橋選手の左右では、来栖舞や魅々香選手も和やかなを面持ちをしている。瓜子が懇意にさせてもらっている人々の中ではひときわ強面の三名であるのだが、とても温かな空気が感じられた。
ここ近年、天覇館はすっかり勢いをなくしてしまったと囁かれていたが、前回の興行では魅々香選手が戴冠したし、高橋選手も鬼沢選手もこれだけの強さを見せつけた。これは、来栖舞の引退を補って余りある勇躍なのではないかと思われた。
(まあ、MMAはあくまで個人競技だけど……チームあっての競技でもあるからな)
そんな思いを込めて、瓜子は天覇館の面々に笑顔と拍手を送ってみせた。
そんな中、モニターではついに稀代のコスプレファイター同士による一戦が繰り広げられようとしていた。




