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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
24th Bout ~Re:boot Of The Pretty Monster~
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ACT.3 《アトミック・ガールズ》七月大会 01 入場

 ユーリが退院してから、三日後――七月の第三日曜日である。

 その日は、《アトミック・ガールズ》七月大会の当日であった。


 本日は、ユーリもともに会場へと向かっている。協議の末、ユーリには瓜子のセコンドとして働いてもらうことになったのだ。

 さらにユーリは、観客を相手に復帰の挨拶をすることになった。山科院長に相談した上で、ついに公の場で姿をさらすことになったのである。瓜子としては気がもめてならなかったが、ユーリ当人はけろりとしていた。


「うり坊ちゃんもご存じの通り、ユーリはお客さんを相手にキンチョーすることはないからさぁ。たとえどれだけ大ブーイングをいただこうとも、ゲンシュクに受け止める所存なのでぃす」


 ユーリはそのように語っていたし、お客の前に立てなければ試合やライブを行うこともできないのだ。瓜子としては、非常用のプロテインを携えながら見守るしかなかった。


 そうしてプレスマン道場の一行は、二台のワゴン車で会場を目指すことになった。

 瓜子たちも同乗を願ったため、一台のワゴン車では定員オーバーになってしまったのだ。なおかつそれは、サキや愛音たちも便乗した結果であった。


「ま、余所のジムや道場では、これが普通の光景だろ。事故か何かで選手の到着が遅れたら、そいつは道場が管理責任を問われるんだからよ」


 立松は鼻歌まじりにワゴン車を運転しながら、そのように言っていた。

 本日出場するのは、瓜子とサキとメイの三名となる。セコンド陣は、立松、ジョン、柳原、サイトー、ユーリ、愛音、蝉川日和というフルメンバーに、リューク氏とビビアナまで加えられている。これで掛け持ちをすることなく、ひとりの選手に三名のセコンドを割り振れるわけであった。


「みんなで移動って、楽しいよねー! お祭り気分が加速されちゃうなー!」


 そんな元気な声を響かせたのは、灰原選手である。《フィスト》の二月大会以降、灰原選手と多賀崎選手も同乗するのが通例となったのだ。それでもぎりぎり二台のワゴン車で収まったのは、幸いな話であった。


 ニット帽で目立つ頭を隠したユーリは、瓜子の隣でずっとにこにこと笑っている。灰原選手と同様に、遠足に向かう子供のような無邪気さだ。瓜子の視線に気づいたユーリは、いっそう楽しそうににぱっと笑った。


「今日の興行は、楽しみだねぇ。うり坊ちゃんたちが出るだけで楽しさに不足はないのですけれども、豪勢なカードがずらりだもんねぇ」


「そうっすね。今回は、かなり気合が入ってるように感じられます」


 本日もプロファイターによる本選は十試合であったが、そのすべてにトップファイターがからんでいたのだ。


 第一試合は、小柴選手と若手の実力選手。

 第二試合は、武中選手と中堅選手。

 第三試合は、沖選手と中堅選手。

 第四試合は、オリビア選手と時任選手。

 第五試合は、メイとマキ・フレッシャー選手。

 第六試合は、多賀崎選手とマリア選手。

 第七試合は、高橋選手と鬼沢選手。

 第八試合は、灰原選手と鞠山選手。

 第九試合は、サキと濱田選手。

 そして第十試合は、瓜子と亜藤選手によるタイトルマッチであった。


 前半の三試合はいずれも調整試合となるが、片方がトップファイターであることに変わりはない。そして、サキと対戦する濱田選手も連敗を重ねているので、格下扱いの調整試合と言えないこともなかったが――しかしそれでも、濱田選手は二代前の王者であるトップファイターだ。調整試合でそのような相手をぶつけられるのは、ある意味で過酷な話であった。


 とにかく第四試合以降は、誰でも目をひかれそうな一戦ばかりである。とりわけメイなどは、無差別級のマキ・フレッシャー選手をぶつけられることになってしまったのだ。メイは対戦相手に深手を負わせて長期欠場に追い込むことが多かったため、いまだにパラス=アテナの運営陣は扱い方を考えあぐねている感があった。


「それに、無差別級の目ぼしい選手は、みんなバンタム級に移っちまったからな。それでこんな時代錯誤のマッチメイクを目論むことになったんだろうよ」


 パラス=アテナから申し出を受けた当初、立松などは苦い顔をしていた。軽量級と重量級の選手をぶつけるマッチメイクなど、安全性を問われる昨今では時代に逆行していると言わざるを得ないのだ。しかしメイ本人が快諾してしまったため、こうして決行されることになったわけであった。


(プレスマンに入門してから、メイさんは数えるぐらいしか試合を組んでもらってないもんな。どんな相手でも、試合をしたいと思うのが当然だよ)


 しかしまた、メイをプレスマン道場に勧誘したのは、他ならぬ瓜子である。それで瓜子も長きにわたって、忸怩たる思いを抱いていたのだ。


 だが、そんな瓜子の懸念はつい先日、盛大に晴らされることになった。

 これはまだ部外秘であるが、十月に行われる《アクセル・ジャパン》において、メイにも声がかけられたのである。


 それはおそらく、メイがかつて参戦していた《スラッシュ》という団体が《アクセル・ファイト》に吸収合併されるという背景があってのことなのだろう。ほんの三年ほど前まで、メイは《スラッシュ》の軽量級王者として君臨していたのである。《スラッシュ》の他なるトップファイターものきなみ《アクセル・ファイト》に出場できるようであるのだから、メイも実力に不足はないと見なされたのだろうと思われた。


(逆に言うと、あたしなんかはそのメイさんに二回も勝つことができたから、運営陣のアンテナに引っかかったのかもな)


《アクセル・ファイト》はこの十月の日本大会で、ついに女子ストロー級を発足させるのである。そこで白羽の矢が立てられたのが、瓜子とメイであったのだ。瓜子たちは、それぞれ海外の強豪選手を相手取る予定になっていた。


 ただし、その情報が解禁されるのは八月になってからである。今ではプレスマン道場のコーチ陣とユーリにだけ明かされているので、卯月選手から前情報をもたらされていた瓜子も多少ながら重荷から解放された気分であったが、他なる女子選手たちとも早く胸襟を開いて語らいたいものであった。


「おー、見えてきた見えてきた! やっぱ車移動は、快適だなー! プレスマンのみんなには、ほんと感謝だよー!」


 と、灰原選手の元気な声が瓜子を現実に引き戻した。本日の会場である『ミュゼ有明』が近づいてきたのだ。


「あ、ピンク頭は知らないだろうけど、駅前にこーんな馬鹿でっかいうり坊のポスターが張られてたことがあったんだよー! あれは、ド迫力だったなー!」


「なんですとー! それはユーリも見逃せないのです!」


「い、いつの話をしてるんすか! もう何ヶ月も経ってるんですから、あんなもんはとっくに撤去されてますよ!」


「あれって、冬のセールの広告だったもんねー。ほらほら、馬鹿でかさは伝わんないかもしんないけど、可愛いっしょー?」


 と、三列目のシートに収まっていた灰原選手が、携帯端末を差し出してくる。その画面を目にしたユーリは「わーい!」とはしゃいだ声をあげた。


「かわゆいかわゆい! そのお写真は、初めて見たのです! できれば画像を送っていただきたいぐらいなのです!」


「あんたのへぼいケータイじゃ、表示できないっしょ! ま、うり坊の水着画像なんて次から次へとお披露目されるんだから、そのうち見飽きるだろーさ!」


「や、やめてくださいよ! ていうか、どうしてそんなもんを写真に撮ってるんすかー!」


「いつも以上の騒がしさだな。そら、到着したぞ」


 ワゴン車は、いつしか駐車場に到着していた。

 瓜子はどっぷりと疲れながら、降車する。それに続いたユーリは、会場を見上げながら「うわあ」と瞳を輝かせた。


「こちらの会場は、めっちゃひさびさなんだよねぇ。ひさびさすぎて、いつ以来なのかも思い出せないぐらいだよぉ」


「あ、そういえば去年の今ぐらいまでは、もっと大きな会場か小さな会場の両極端だったんすよね。ユーリさんが最後に出場した七月大会は……たしか、『恵比寿AHEAD』でしたっけ」


「うん! 鞠山選手との楽しい楽しいグラップリング・マッチの思い出は、今もなおユーリのお胸にくっきりと焼きつけられているのです」


 そんな風に語りながら、ユーリは子供のようにはしゃいでいる。ユーリのそんな姿を見ていると、瓜子もつい目頭が熱くなってしまい――そして、ユーリの後から車を降りた愛音は、本当に涙をこぼしてしまっていた。


「愛音もそれは、同様であるのです。あの日のユーリ様は、女神のごとき輝かしさであられたのです」


「えへへ、ありがとぉ。……そんでもってムラサキちゃんは、プロデビューの日だったよねぇ。うり坊ちゃんもサキたんも出場してて、あの日も幸せいっぱいだったにゃあ」


「ユ、ユーリ様は、愛音の試合などを覚えてくださっていたのですね……」


 と、愛音はいっそうの涙をこぼしてしまう。

 運転席から降りた立松は、苦笑しながらその肩を小突いた。


「桃園さんはどこに出向いても懐かしいもの尽くしだろうけど、お前さんにはセコンドの仕事があるんだからな。しっかり励んでくれや」


「押忍なのです! 荷物をお運びするのです!」


 愛音は涙をぬぐいながら、荷物の搬出に取りかかった。

 隣のスペースでは、ジョンや柳原たちも同じ行いに励んでいる。九名ものセコンドが参ずるというのはなかなかない話であったので、出場選手たる瓜子にはいっそう手を出す隙がなかった。


 そうしてこちらが出発の準備を整えていると、新たなワゴン車がやってくる。

 そちらの車体にプリントされていた赤い星のロゴマークが、瓜子の胸を躍らせた。それは、赤星道場のワゴン車であったのだ。


「よう! そっちもご到着かい! 桃園さんは、おひさしぶりだな!」


 運転席から現れた大江山軍造が、豪放な笑顔を向けてくる。

 そして、後部座席から降りてきたのは、赤星弥生子と大江山すみれとマリア選手の三名であった。


「みなさん、お疲れ様です。先日は遠いところを、わざわざありがとうございました」


 赤星道場の面々を山科医院にお迎えしてから、まだ十日ていどしか経っていない。赤星弥生子は、いまだ前髪の下に白い包帯を巻いたままであった。


「そちらも、お疲れ様。猪狩さんが王座を防衛する姿を、控え室で見守らせていただくよ」


 まずは赤星弥生子が、穏やかな眼差しでそのように告げてくる。その凛々しいたたずまいが、本日も瓜子の胸を温かく満たしてくれた。


「今日は弥生子さんがセコンドにつかれると聞いて、お会いできるのを楽しみにしていました。つい先週にもお会いしたばかりですけど……今年はこれで、ようやく三回目ですもんね」


「うん。しっかり怪我が治るまでは、セコンドの業務からも身を引いていたからね」


「あ、はい。それは自分のせいなんですから、こんな呑気な言葉はつつしむべきなんでしょうけど……」


「試合中に負った怪我で、申し訳なく思う必要はないはずだよ。私も猪狩さんとお会いできて、嬉しく思っている」


 そう言って、弥生子はゆったりと微笑んでくれた。

 すると、瓜子の背中に重くて温かくてやわらかい物体がのしかかってくる。そして、誰よりも白い腕が瓜子の首にからみついてきた。


「弥生子殿! ユーリからも、お礼のお言葉を申し述べさせていただきたく思うのです! 先日は、お見舞いありがとうございましたっ!」


 言うまでもなく、その物体の正体はユーリである。耳もとで大声を出された瓜子は、鼓膜がどうにかなってしまいそうだった。


「ユ、ユーリさん。お礼を言うなら、身をつつしんでくださいよ。そんな態度は、失礼でしょう?」


「うり坊ちゃんの温もりを求める気持ちと弥生子殿に対する感謝の念は、どちらも二の次にできなかったのです! オメヨゴシ、失礼であるのです!」


「いや。桃園さんもいっそう元気になったようで、何よりだよ」


 赤星弥生子は、くすりと声をたてて笑い――そしていきなり恭しい仕草で瓜子の手を取ると、手の甲すれすれに唇を近づけてきた。


「こんな風にすると、一年前の撮影風景を思い出してしまうね」


「にゅわー! まさしくこれは、うり坊ちゃんを奪い合う図の再現であるのです!」


「ちょ、ちょっと。弥生子さんまで、何をしてるんすか?」


「すまないね。二人の幸せそうな姿に、私もあてられてしまったようだ」


 赤星弥生子は楽しげに目を細めつつ、瓜子の手を解放した。

 そんな瓜子たちの横合いでは、灰原選手に腕を抱かれた多賀崎選手とマリア選手が相対している。本日は、こちらの両名が対戦するのだ。


「マリア、今日はよろしくね。勝っても負けても、恨みっこなしだ」


「はーい! これがひとまずの決着戦ですからねー! わたしも全力で挑ませていただきます!」


 両者はこれが、三度目の対戦となる。一度目は瓜子がプレスマン道場に入門するより前の話で、そのときはマリア選手の勝利。二度目はちょうど二年前で、瓜子が初めてメイと対戦した四大タイトルマッチ――結果は、多賀崎選手の勝利である。一勝一敗の戦績で、これがいちおうの決着戦になるわけであった。


「それじゃあ、控え室に向かうとするか。俺たちは赤コーナー陣営だろうが、他はどういう割り振りだかな」


 立松の号令で、三組の陣営が会場を目指した。

 その道中で、ユーリはガーゼのマスクまで装着する。会場内には設営や物販のアルバイト人員がひしめいているので、復帰の挨拶をするまでは盗撮に気をつけるようにと、千駄ヶ谷から厳命されていたのだ。


 そうして関係者用の出入り口から入場して、控え室の割り振り表を覗き込んだ灰原選手は「よっしゃー!」とガッツポーズを作った。四ッ谷ライオットの両名は、プレスマン道場と同じく赤コーナー陣営であったのだ。


「では、またのちほど」と、赤星道場の一行は通路を逆側に進んでいく。

 瓜子たちが赤コーナー陣営の控え室に向かうと、そこにはたくさんの見知った人々が待ちかまえていた。


「あっ! プレスマンにライオットのみなさん、お疲れ様です!」


 その中からまず声をあげてきたのは、《NEXT》のホープにして今やトップファイターでもある武中選手であった。ラフなショートヘアーを明るく染めた、いつでも元気で朗らかな女性だ。瓜子や灰原選手に笑みを振りまきつつ、その目はすみやかにユーリへと向けられた。


「そちらが、ユーリさんですよね? わたしはビートルMMAラボの、武中と申します!」


「あ、どうもどうもぉ。おうわさは、かねがねうり坊ちゃんからうかがっておりますぅ」


 武中選手もそれなりに古い時代から《アトミック・ガールズ》に参戦していたが、瓜子たちとご縁が結ばれたのはユーリが渡米した直後であったのだ。ユーリはちょっぴりよそゆきのイントネーションで挨拶をしつつ、ぺこりと頭を下げた。


「武中選手は、兄上様がベイビーのリュウさんのお友達であられるそうですねぇ。リュウさんには、いつもお世話になってますぅ」


「あはは。リュウさんのことで、あたしが頭を下げられる理由はないですけどね。でも、ユーリさんのことはずっとリュウさんからお聞きしていたんで、お会いできる日を楽しみにしていたんです。今日はどうぞよろしくお願いします」


「はぁい。こちらこそですぅ」


 と、ユーリはそこでようやくニット帽とマスクに手をかけた。

 そこから現れた美しい素顔に、武中選手は「わっ」と身をのけぞらせる。そして、横合いから眺めていた灰原選手も「おー?」と目を剥いた。


「どしたの、それ? 昨日はそんな頭じゃなかったじゃん!」


「はいぃ。昨日の夜、アキくんから救援物資が届けられましたもので……取り急ぎ、使ってみた次第ですぅ」


 ユーリは相変わらず、純白の髪である。しかし、頭頂部から前髪に流れるひとふさだけ、ピンク色に染められていたのだ。


「ユーリさんはまた髪をピンクに染めるかどうか、アキくんに相談してたんすよ。でもアキくんはこの髪を染めちゃうのはもったいないって言って、部分染めを提案してくれたんです」


 そのイメージ図案とピンク色のカラー染料が、マンションのポストに届けられていたのである。稽古後の夜更けにその作業を手伝ったのは、もちろん瓜子であった。


「ど、どうでしょう? 珍妙なことはありませんでしょうか? 灰原選手はヘアメイクにも造詣が深いようにお見受けいたしますので、ご意見をうかがいたかったのです」


「いやー、悪くないんじゃない? これならピンク頭って呼んでも、ぎりぎり許されそうだしねー!」


「それなら、よかったですぅ」


 ユーリはほっとしたように、息をつく。

 瓜子はそこで、口をはさまずにいられなかった。


「ユーリさんは、灰原選手や鞠山選手が呼び方に困ってることも気にしてたんすよ。それもあって、アキくんに相談を持ち掛けたわけっすね」


「う、うり坊ちゃん! そんなお話は、お耳汚しでありますので……」


「でもべつに、隠すことはないじゃないっすか。そういう話は、きちんと伝えておくべきだと思いますよ」


 すると、灰原選手が「むわー!」と自分の頭をひっかき回した。


「だから、あたしのココロを揺さぶるなっての! あんた、あたしのカラダでも狙ってんのー?」


「い、いえいえ。灰原選手もお見事なお肌とプロポーションですけれども、べつだんユーリの好みではありませんので……」


「おーっ! 今度は、ケンカを売るわけだ! 好きにココロを揺さぶってくれるねー!」


「あんたが勝手に取り乱してるだけだろ」と、苦笑を浮かべた多賀崎選手が灰原選手の頭を引っぱたく。すると、我に返った武中選手があらためて身を乗り出してきた。


「ユ、ユーリさんって、ほんとにオーラがすごいですね! リュウさんたちが夢中になるのも、わかっちゃいました。まあもちろん、ユーリさんのすごさはあたしも理解してるつもりだったんですけど……本人を目の前にすると、やっぱりインパクトがすごいです!」


「うにゃあ。お恥ずかしい限りですぅ」


 ユーリは本気で照れ臭そうに、肉感的な肢体をよじった。武中選手は余所のジムの所属選手なれどもリュウと懇意にしている相手であるので、距離感をつかみかねているのだろう。蝉川日和のようにすぐさま打ち解けられるほうが、ユーリとしては稀なことであるのだ。


 そうしてこちらが騒いでいると、他の面々も近づいてくる。天覇館の高橋選手と、そのセコンドたる来栖舞に魅々香選手、玄武館のオリビア選手、それにちょっとひさびさとなる沖選手である。沖選手とは瓜子も挨拶を交わすていどの間柄であったが、彼女もまたユーリと『アクセル・ロード』でご一緒した間柄であった。


「桃園くん、お疲れ様。一美も挨拶をしたいそうなんだが、いいだろうか?」


「あ、はいぃ。沖選手は、おひさしぶりでございますぅ」


「うん。来栖さんから、お見舞いの話は聞いていたよ。本当にすっかり元気になったようで、何よりだったね」


 沖選手はいつも厳格な面持ちをした、寡黙な人物だ。しかし、ユーリを見つめる眼差しは、とても穏やかであった。


「あたしは《フィスト》のほうに出てたけど、アトミックはこれが復帰戦だ。『アクセル・ロード』で痛い目を見た人間も、このしばらくでのきなみ復帰できたから……あとは、あなたの復帰戦も楽しみにしているよ」


「はぁい。沖選手も、どうか頑張ってくださいねぇ」


 沖選手は「うん」とうなずいてから、多賀崎選手に向きなおった。


「多賀崎さんは、また大一番だね。あたしも早くトップ戦線に返り咲けるように、死に物狂いで追いかけるよ」


「ええ。沖さんだったら、すぐですよ。というか、沖さんの実力は、あたしが一番よく知ってますから」


 多賀崎選手は沖選手に連勝した上で、《フィスト》の王座を戴冠した身であったのだ。

 なおかつ沖選手は、『アクセル・ロード』においても一回戦目で敗退した立場となる。同じ立場である鬼沢選手は《アトミック・ガールズ》に参戦すると同時に王座決定トーナメントに抜擢されていたが、本日の沖選手は中堅選手を相手にした調整試合となる。沖選手はベテランファイターで腰に故障を抱えているし、多賀崎選手に連敗する前から負けが込んでいたので、運営陣も慎重に取り扱おうとしているのだろう。


 しかし瓜子は、沖選手が『アクセル・ロード』の敗退後のインタビューで静かに闘志を燃やしていた姿を忘れられずにいた。彼女は数年にわたって連敗を重ねながら、いまだ闘志を失っていないのだ。


 そして、トップファイターとして認められるなり鞠山選手に敗北してしまった武中選手も、魅々香選手に敗北してしまった多賀崎選手も、瓜子に敗北してしまった灰原選手も、マリア選手に敗北してしまったオリビア選手も、それぞれ闘志を燃やしている。その内の何名が本日の興行で勝利できるかは神のみぞ知るであったが、とにかく控え室には彼女たちの熱情があふれかえっており――それがひそかに、ユーリを幸福な心地にさせているようであった。

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