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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
24th Bout ~Re:boot Of The Pretty Monster~
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04 グラップリング・スパー

 千駄ヶ谷との対面を終えた一行は、ようやくトレーニングルームに移動することになった。

 瓜子は心身ともにどっぷりと疲れてしまったが、まずは稽古に集中しなければならない。ユーリにとってはこれが稽古始めであったし、瓜子たちは三日後に試合を控えている身であったのだ。更衣室からトレーニングルームまでの短い道のりで、瓜子はめいっぱい気持ちを引き締めることにした。


 そしてその道行きで、道場内は驚嘆のざわめきに満ちあふれてしまう。

 ざわめいているのは、ついさきほどユーリに温かい笑顔と言葉を投げかけてくれた男子門下生たちだ。その際には隠蔽されていたユーリの美貌とプロポーションと純白の髪が、あらわにされたのである。ユーリはそのざわめきの理由をあまり正しく理解できていない様子で、ぺこぺこと頭を下げながらトレーニングルームを横断した。


「よう。ずいぶん長いこと、更衣室にこもってたみたいだな。千駄ヶ谷さんに、説教でもくらってたのかい?」


 先行していた女子選手の面倒を見ていた立松が、笑顔で振り返ってくる。稽古中は妥協を許さない立松でも、このときばかりは周囲の門下生たちを叱りつけようとはせず、ユーリに対しても温かい眼差しであった。


「ついに、稽古の再開だな。桃園さん、くれぐれも無理だけはするんじゃないぞ?」


「はぁい。どうぞよろしくお願いいたしますぅ」


 そのように応じるユーリは、肉感を増した肢体が期待ではちきれんばかりになっている。そんなユーリを見ていると、厳しく引き締めた瓜子の心がたちまちゆるんでしまいそうだった。


「それじゃあまずは、ウォームアップだな。それが済んだら、こっちに合流しな」


 立松が見守っていたのは、メイと蝉川日和の立ち技スパーである。二人は早い時間からフリーであったが、ユーリのお迎えではなく稽古に励むことを選んだのだ。その心意気には、瓜子も感心するばかりであった。


 現在は自由稽古の時間であり、サイトーもまだ姿を見せていないので、蝉川日和もこちらに合流することになったのだろう。各種の防具と8オンスのグローブをつけた立ち技スパーであったが、期待の新人たる蝉川日和もメイには翻弄されっぱなしであった。


「そら、もっとリーチを活かすんだよ! どたばた追いかけたって、メイさんは捕まえられねえぞ! 足を使う前に、頭を使え!」


 立松がそのようにがなりたてると、ストレッチをしていたユーリはたちまちとろけるような笑顔になった。


「ああ……立松コーチの力強いお言葉も、懐かしい限りであるのです。リューク殿の優しいご指導もありがたい限りだったけれども、やっぱりちょっぴり物足りない思いもあったのだよねぇ」


「あはは。ジョン先生も優しいっすけど、やっぱり立松コーチの大声は恋しくなっちゃうっすよね」


「もー、どいつもこいつもドMだなー! ま、気持ちはわからなくもないけどさ!」


 そうしてウォームアップを終えた瓜子たちは、汗だくのメイたちと合流した。

 メイは汗だくでも平然としているが、蝉川日和はマットにへたり込んでしまっている。メイとマンツーの稽古というのは、過酷さの極みであるのだ。ただしその分、得難い経験を得られたはずであった。


「セミカワちゃん、だいじょうぶぅ? 今日から一緒に、よろしくねぇ」


 ユーリがそのように声をかけると、蝉川日和はぜいぜいと息をつきつつ、にぱっと笑った。


「ど、どうも……よろしくお願いします……ユーリさんとご一緒できる日を、心待ちにしてたッスよ……」


「うん。ユーリもだよぉ。立ち技はまだまだへっぽこだから、お手柔らかにお願いねぇ」


「あはは……何を言ってるんスか……ユーリさんのバケモノっぷりは、過去の試合で拝見してるんスから……そんな笑顔にはだまされないッスよ……」


「うにゃあ。だますだなんて、人聞きが悪いのですぅ」


 ユーリはふにゃふにゃと笑い、蝉川日和ものほほんと笑う。

 すると、愛音が肉食ウサギの形相で進み出た。


「蝉川サン! あなたはまだ、これがユーリ様と二度目の対面であるはずなのです! それでどうして、そのように打ち解けた空気をかもしだしているのです?」


「え……? どうしてって言われても……ユーリさんは、感じのいいお人ッスから……」


「そんなことは、愛音だって承知しているのです! でも、愛音がユーリ様と和やかにお言葉を交わすには、ほとんど一年がかりであったのです!」


 愛音が子供のように地団駄を踏むと、ユーリのほうがあわあわと慌ててしまった。


「ム、ムラサキちゃん、どうぞお気を確かに……これはきっと、ユーリの責任なのでしょうから……」


「……何故なのです? ユーリ様は、蝉川サンのようなお人を好ましく思うのです? 愛音は……そこまで至らない人間であるのです?」


 愛音がじんわり涙を浮かべてしまうと、ユーリもいっそう慌ててしまう。

 そこで、瓜子が声をあげることになった。


「邑崎さん、それは以前にも説明されたでしょう? ユーリさんは、自分に好意を抱いてくれるお相手のほうが苦手なんすよ。相手を幻滅させちゃうんじゃないかって、尻込みしちゃうんすよね」


「……蝉川サンは、ユーリ様に好意を抱いていないのです?」


「好意を抱いてないことはないっすけど……蝉川さんは、もともとユーリさんにどういう印象を持ってたんでしたっけ?」


「はあ……なんだかムダに色気がむんむんで、あんまり近づきたくないなーって思ってたッス」


 ようやく呼吸の整ってきた蝉川日和はそんな風に言ってから、大慌てで手を振った。


「あ、そ、それは、プレスマンに入門する前の話ッスよ? 猪狩さんにお話を聞いてからは、早く会ってみたいなーって思ってたッス!」


「こんな具合に、もともと蝉川さんはユーリさんに無関心だったんすよ。そういうお相手のほうが、ユーリさんは気楽におつきあいできるっていうだけのことです」


 そしてさらに、蝉川日和は瓜子に憧れていた身であり――それが、ユーリの好感を最大限に引き上げたのである。しかしまあ、それは言わぬが花というものであった。


「まったく、しょうもない娘どもだな。そんな話は、稽古の後に――」


 と、そのように言いかけた立松が、瓜子たちの背後を透かし見た。


「ああ、ようやく戻ってきやがったな。そっちはどんな風に話がまとまったんだ?」


 瓜子たちが背後を振り返ると、そこには三名の姿があった。ジョンとリューク氏とビビアナである。


「はい。やっと父たちに連絡がつきました。予定通り、しばらくはこちらのお世話になろうかと思います」


 赤ら顔のリューク氏が笑顔で答えると、立松も「そうかい」と不敵に笑った。


「お世話になるのは、こっちのほうだろうけどな。レムさんも卯月の野郎も、ずいぶん気前がいいじゃねえか」


「あはは。あっちも人手は充実してますし、やっぱりユーリさんに目をかけているのでしょうね」


 そのように言ってから、リューク氏はユーリを振り返った。


「しばらくの間、ぼくたちはこちらでコーチングを受け持つことになりました。ユーリさんは見飽きているでしょうが、どうぞよろしくお願いします」


「えーっ! お二人も、道場で稽古をつけてくださるのですかぁ? それはカンゲキのイタリなのですぅ」


 ユーリは、子供のように瞳をきらめかせた。ついさっき立松に比べたら物足りないなどと言っていたものの、それはあくまで言葉のあやとなる。リューク氏とビビアナがどれだけ立派な指導者であるかは、瓜子もこの数ヶ月で何度も聞き及んでいた。


「多賀崎さんたちも、今さら紹介の必要はないよな。リュークもビビアナさんも指導者としては一流だから、ぞんぶんに可愛がってもらいな」


「はい。よろしくお願いします」


 多賀崎選手はかしこまって一礼し、灰原選手は「よろしくー!」と笑みを振りまく。それと相対するリューク氏はやっぱり穏やかな笑顔で、ビビアナは仏頂面だ。


 そしてそこに、新たな人影が近づいてきた。

 金色に染めた短い髪に、男のようにごつごつとした顔と、筋肉質の身体――天覇館の、鬼沢選手である。彼女も五月大会を終えてから、プレスマン道場の出稽古に参加した身であった。


「おー、こげん時間からけっこうなメンツがそろうとーね。うちもさっさとバイトば切り上げた甲斐があったばい」


「あ、鬼沢選手、お疲れ様ですぅ。先日はお見舞い、ありがとうございましたぁ」


 ユーリが屈託のない笑顔を届けると、鬼沢選手もにやりと笑った。


「あんたが今日から復帰するって聞いて、うちも楽しみにしとったんばい。……相変わらず、バケモンのごたー乳ば下げとーね」


「いやーん。セクハラはご勘弁なのですぅ」


 鬼沢選手がユーリの胸もとに手をのばそうとすると、ユーリは身を引きつつ肢体をくねらせる。両者はかつてお見舞いの場でも、同じようなじゃれあいを見せていたのだ。

 すると、そのさまを初めて目にした愛音が、今度はもじもじしながら発言した。


「あの……ユーリ様は、鬼沢選手とも仲良くされているのです?」


「えー? ユーリごときが仲良しさんを名乗るのは、キョーシュクのイタリだにゃあ。でも、鬼沢選手はお優しくてお強いからねぇ」


「あんたに言われたっちゃ、嫌味にしか聞こえんばい。あんたはそん乳に負けんぐらいんバケモンやけんな」


「いやーん。お胸は関係ないのですぅ」


 鬼沢選手もまた、ユーリを雑に扱うことで親睦が深まったようであるのだ。なおかつ彼女は灰原選手や鞠山選手のように意地悪な発言もしないので、いっそうユーリと相性がよかったようである。また、鬼沢選手が外見よりも遥かに善良な人柄であることは出稽古の期間で知れていたので、愛音もこのたびは正面切って文句をつけられない様子であった。


「それじゃあ、鬼沢さんもウォームアップな。こっちもいい加減、稽古を始めるぞ。……桃園さんは、何から始めたい?」


「ユーリはもう、なんでもウェルカム状態なのですぅ」


「だったらまずは、寝技のスパーかな。得意なもんから始めて、じっくりエンジンを温めることにしよう。ジョン、悪いけど蝉川をよろしくな」


「ウン。ユーリは、またアトでねー」


 ということで、ジョンと蝉川日和が離脱して、残るメンバーで寝技のスパーに取り組むことになった。

 瓜子、ユーリ、愛音、メイ、灰原選手、多賀崎選手、鬼沢選手――いまだ午後の四時にもなっていないのに、ひどく充実した顔ぶれである。しかも、立松の他にリューク氏とビビアナまで居揃っているのだから、コーチ陣も豪華きわまりなかった。


「まずは俺も、桃園さんの調子を確かめておかんとな。ビビアナさん、桃園さんのお相手をお願いできるかい?」


 立松の言葉をリューク氏が通訳すると、ビビアナは無言のまま進み出た。長い黒髪をひっつめた、すらりと背の高い南米生まれの女性だ。かつてはMMAの選手であったが網膜剥離のために引退し、現在はレム・プレスマンのチームでサブトレーナーの任を負っている。柔術のほうは現役で、そちらは黒帯の腕であった。


「立松コーチ。この一本だけ、あたしたちも見学させてもらえませんか?」


 多賀崎選手がそのように提案すると、立松も快諾した。瓜子とメイと愛音はつい三日前に山科医院で稽古をともにしていたが、それ以外の面々はビビアナの力量もユーリの回復具合も目にしていないのだ。それは関心をかきたてられて然りであった。


(……みんなきっと、びっくりするだろうな)


 そうしてユーリとビビアナは、膝立ちの体勢からグラップリング・スパーを開始した。

 組み手争いは、さすがにビビアナのほうが上をいっている。そうしてユーリが引き倒されて、ビビアナがその上にのしかかろうとすると――ユーリの肉体が凄まじい勢いで躍動して、ビビアナの身を跳ね返した。


 ブリッジの一発で、ビビアナの身体は浮いてしまう。そうして脇から腕をのばしたユーリが相手を横合いに引き倒すと、今度はビビアナが身をよじってそこから逃れようとした。

 しかしユーリは白い大蛇のようにのたうって、それを追いかける。やがてユーリの指先がビビアナの右手首をひっつかみ、逆の手で左腿を抱えあげると、ビビアナの身がマットにねじ伏せられた。


 サイドポジションを奪取したユーリは相手の脇腹に膝をのせて、ニーオンザベリーの体勢を取る。

 それと同時にビビアナは腰を切って、半身を起こそうとした。

 ユーリはすぐさま身を伏せて、ビビアナの上半身にのしかかる。しかし一秒と停滞することなく、今度は上四方の方向に動いた。


 ビビアナもそれに合わせて腰を切り、なんとかサイドポジションの角度をキープする。ユーリは上四方のほうが厄介であることを、この数ヶ月間で思い知らされているのだ。

 するとユーリは身をよじり、袈裟固めの形を取ろうとする。

 ビビアナは両足を振り上げて、強引にユーリの首をからめ取ろうとした。


 ユーリはすかさず身を伏せて、相手の足をすかしてみせる。

 すると、その重心移動を利用して、ビビアナがするりとユーリの拘束から脱出した。


 ビビアナは背後から、ユーリにつかみかかる。

 それで背中を取られないように、ユーリはすぐさま反転した。さらに、両足で相手の右足をはさみこみ、下になりつつハーフガードのポジションを取る。そしてそこでも止まることなく、相手の左足をも捕獲しようと試みた。


 ビビアナはビビアナで、右足を抜こうとする。ユーリが足を開いている間は、ビビアナもマウントポジションを狙えるのだ。

 もちろんユーリはそれを阻止するべく、片手で相手の腰を押している。そしてうねうねと両足を動かして、執拗に相手の両足をからめ取ろうとした。


 すべてが流れるような動きであり、一瞬の停滞も見られない。

 それは、ユーリと鞠山選手の――あるいは、ユーリと卯月選手のグラップリング・スパーを思わせる流麗さであった。

 その後も両者は何度となく上下を入れ替えて、あっという間に三分の時間が過ぎ去った。


「よし、そこまで。……いや、驚いたな。ビビアナさんも大したもんだけど、桃園さんもまったく負けてないじゃないか」


 立松は、心から感心している様子であった。多賀崎選手も灰原選手も、それは同様である。ただひとり、ウォームアップの最中であった鬼沢選手だけがにやにやと笑っていた。


「そんアイドルちゃんな、バケモンやけんな。北米ん合宿所でん、寝技では誰も太刀打ちできんやったばい」


「いや、それは俺も承知してるんだが……半年以上も入院してて、いっそう腕が上がってることに驚いてるんだよ」


「やけん、バケモンなんやろうばい。うちは最初から、寝技で仕留めることはあきらめとーばい。勝負は、立ち技や」


 鬼沢選手は四月の終わりまで、地元の博多で過ごしていた身となる。その期間はユーリの病状など知るすべもなかったので、瓜子たちとは異なる心境であるのだろう。

 しかし瓜子たちは、ユーリがどれだけ苦しい闘病生活を送っていたかを知っている。実際にそれを目の当たりにしたのは瓜子のみであったが、ユーリがどれだけ痩せ細り、生命の危険にさらされていたか――その過程を、リアルタイムで聞き及んでいたのだ。


 しかしユーリは、これまで以上に強くなっている。

 リューク氏たちを迎えた三ヶ月半ていどで数々の技術を磨きなおし、さらにはウェイトアップしたぶんパワーも増しているのだ。柔術黒帯のビビアナと互角の勝負ができるというのは、生半可な話ではなかったのだった。


「うーん、エツラクのイタリでございましたぁ! ビビアナさん、ありがとうございましたぁ!」


 膝立ちの体勢に戻ったユーリは、ビビアナの両手をつかみ取る。ビビアナはあくまで仏頂面であったが、その黄褐色の頬は満足そうに紅潮していた。


「それでは、お次はどうしましょう? 立松コーチ、ご指導お願いいたしまする!」


 そんな風に声を張り上げるユーリは、心から幸せそうな笑顔である。

 ただその眠たげにとろんとした目には、ついにプレスマン道場での稽古を再開できた喜びに涙が浮かべられていたのだった。

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