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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
24th Bout ~Re:boot Of The Pretty Monster~
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ACT.2 復活の日 01 帰還

 七月の第二木曜日――記念すべき、ユーリの退院の日である。

 その日の瓜子は、また立松の運転するワゴン車で山科医院に向かうことになった。さすがに公共の交通機関を使って一時間もの帰路を辿るのは支障があったので、立松の親切に甘えることになったのだ。


「今日は休館日でもないのに、本当にすみません。このお礼は、いつか必ずしますので」


「水臭いことを抜かすんじゃねえよ。門下生の世話を焼くのは俺たちの仕事だし、こんなもんは手間の内にも入らねえさ」


 そんな風に答える立松は、瓜子に負けないぐらい浮き立っている様子である。それがまた、瓜子をいっそう幸福な心地にしてくれた。


 車内は、瓜子と立松の二人きりである。愛音は午後一番で外せない講義があったため、泣く泣く断念することになったのだ。それでも夕方には道場で会えるのだからと、瓜子も精一杯なだめた身であった。


「それにしても、桃園さんは本当に稽古にも参加するつもりなのか? 退院初日ぐらいは、大人しくしておいてもいいように思うがなぁ」


「あはは。でもユーリさんは、病院でも毎日七時間ぐらいは稽古してたみたいですからね。体調的には問題ないんでしょうし……稽古を我慢するほうが精神衛生上よくないんだと思いますよ」


「根っから練習の虫だな。そんな話も、懐かしい限りだぜ」


 そうしてプレスマン道場の専用ワゴン車は、山科医院に無事に到着した。

 退院の喜びで体調を崩したりはしていないかと、瓜子は胸を騒がせながら玄関口をくぐる。本日も、無機的な女子事務員のたたずまいに変わりはなかった。


「お疲れ様です。桃園さんは、病室でお待ちです」


 何もおかしな言葉がつけ加えられなかったことにほっとしながら、瓜子は立松とともに病室を目指す。そして、病室のドアをくぐると――私服姿のユーリが、ベッドの脇の椅子に座していた。


 これは先日、瓜子が退院の日に備えて持ち込んだ衣服である。オーバーサイズのカットソーにスウェットパンツという、ユーリの持ち物の中ではもっともラフな装いであったが、現在のウェイトでも問題なく着られそうなものを選んだ結果であった。


 瓜子たちが入室すると、ユーリは瞳を輝かせながらぴょこんと立ち上がる。

 ご主人を出迎えるゴールデンリトリバーのようなたたずまいだ。ユーリのそんな姿に、瓜子はさっそく涙ぐんでしまった。


「お待たせしました。帰りましょう、ユーリさん」


「うん! ……立松コーチもたびたびご面倒をおかけしてしまい、キョーエツシゴクなのですぅ」


「かまいやしねえさ。他の連中なんざ、この役目を羨ましがってるぐらいだろうぜ」


 立松は、なんだか初孫を迎えた好々爺のごとき笑顔である。立松がこういった笑顔をユーリに向けるのは、きわめて珍しいことであった。


「じゃ、さっそく出発するか。荷物は、それだけかい? 俺が車まで運んでやるよ」


「いえいえ! ただでさえご迷惑をおかけしているのですから、これ以上のお手間はかけさせられないのです!」


 ユーリは慌てふためきながら、キャリーバッグの取っ手をひっつかむ。かつて北米の合宿所に持ち込んだ荷物はあらかたマンションに引き取ったので、こちらは入院中に購入した下着やトレーニングウェア、瓜子が届けた試合映像のDVD、『トライ・アングル』の音源を聴くためのデジタルオーディオプレーヤー、それに愛音や灰原選手がお見舞い品として持ち込んだ雑誌類などである。さらに、瓜子の肖像画は額縁ごと大きなシーツにくるまれて、キャリーバッグにくくりつけられていた。


 そしてユーリは、壁に立てかけてあった筒状の物体にも手をかける。裏面を鞠山選手のイラストで埋め尽くされた《アトミック・ガールズ》の巨大フラッグだ。そちらも肖像画と同じように、今朝がたまでユーリの姿を見守ってくれていたはずであった。


「これで準備はオッケーなのです! ……あ、いえいえ! これで本当にオッケーなのです!」


 と、ユーリはつばと耳当てのついたニット帽を深くかぶる。たとえ車の移動でも、多少は人目をはばかる必要があろうという判断だ。


 そうして三人で玄関口を目指すと、そこには山科院長とユーリ専属の看護師が顔をそろえていた。これだけ毎日通いつめながら、瓜子がお世話になったのはこちらの両名と受付の女子事務員のみであった。


「やあやあ。僕たちも、見送らせていただくよ。なんだかんだで、半年以上のおつきあいになってしまったからねぇ」


「はいっ! みなさんには、どれだけ感謝しても追いつかないのです! こんなユーリの面倒を見てくださって、どうもありがとうございましたっ!」


 ユーリはかぶったばかりの帽子を脱いで、純白の頭を深々と垂れる。

 山科院長も看護師も、やわらかな笑顔だ。瓜子もまた、そちらに頭を下げずにはいられなかった。


「自分からも、お礼を言わせてください。今日まで、ありがとうございました。今日という日を迎えることができたのは、すべてみなさんのおかげです」


「うんうん。それに、猪狩さんもね。猪狩さんの尽力なくして、この結果はなかったはずだよ」


 そう言って、山科院長はいっそう柔和に微笑んだ。


「桃園さんが転院してきたのは十二月の半ばだったから、退院までまるまる七ヶ月はかかったわけだよね。毎日お見舞いに来てほしいとお願いしたのは僕だけれども、まさか本当に一日も欠かさず来てくれるだなんて、想像もしていなかったよ。君さえ一緒にいてくれれば、桃園さんはきっと大丈夫だ。これからも、桃園さんをよろしくね」


 瓜子は目もとににじむものをぬぐいながら、「はい」ともういっぺん頭を下げてみせた。

 すると、受付カウンターに座していた女子事務員も起立して、無機的な面持ちのまま一礼してくる。


「みなさん、どうかお元気で。ですが、週に一度の定期健診はお忘れなく」


「はぁい。その節は、またよろしくお願いいたしますですぅ」


 そうして瓜子たちは、病院の外に出た。

 ユーリは瞳をきらめかせながら、晴れわたった青空を仰ぎ見る。七月も半ばに差し掛かり、日差しはいよいよ夏めいていた。

 そして瓜子は、そんなユーリの姿にまた胸を熱くしてしまう。ユーリが外の世界に立って、満身に日差しを浴びているのだ。それこそが、瓜子が七ヶ月も前から実現を夢見ていた光景であったのだった。


「今年は梅雨明けも早くて、幸いだったな。まさしく退院日和じゃねえか」


 立松も感慨深げにつぶやきながら、ワゴン車のキーを取り出した。


「じゃ、出発するか。そういえば、リュークたちはどうしたんだ?」


「あ、リューク殿とビビアナ殿は午前中のお稽古を完了させてから、お帰りになられましたぁ。あとは不要になったサンドバッグやらマットやらを処分したのちにホテルをチェックアウトして、そのままプレスマン道場に向かわれるそうですぅ」


「そうか。空港に直行したんじゃないんなら何よりだ。あいつらにも、まだまだお礼を言い足りてないからな」


 和やかに語らいながら、一行はワゴン車に乗り込んだ。

 立松の取り計らいで、瓜子とユーリは中列のシートに収まる。そうしてワゴン車が車道に出るなり、ユーリが瓜子に向きなおってきた。


「うり坊ちゃん。……本当に、ありがとうねぇ」


「え? 何に対するお礼っすか?」


「うん。さっきの院長先生のお言葉が、頭から離れなくってさぁ。……七ヶ月間、一日も欠かさず病院まで来てくれるなんて、ジンジョーならざる苦行だもんねぇ」


 ユーリは雪の精霊を思わせる静かな微笑みをたたえている。

 ただその目には、透明の涙が浮かべられていた。


「うり坊ちゃんの大切な人生を、そこまで犠牲にしてもらっちゃって……ユーリは、おわびのしようもないのです」


「やだなぁ。そんな水臭いこと言わないでくださいよ。……自分が同じ状況だったら、ユーリさんだって同じ苦労を背負ってくれるんじゃないんですか?」


「うん……それは揺るぎない事実でありますけれど……」


「だったら、おわびなんて言いっこなしです。自分はただ、ユーリさんにお会いしたかっただけですしね」


「うにゃあ。そんな天使のような笑顔で、ユーリのハートを射抜かないでほしいのです」


 すると、運転席から「おいおい」という苦笑をはらんだ声が聞こえてきた。


「そういう話は、家に戻ってからにしてくれよ。なんか、新婚夫婦の睦言を盗み聞きしてるような気分になっちまうからよ」


 瓜子は赤面の至りであったが、それでも幸福な気分のほうがまさっていた。

 そしてユーリも瓜子の顔を見つめたまま、ずっと幸福そうな笑顔であったのだった。


                 ◇


 しばらくして、ワゴン車は三鷹のマンションに到着した。

 道場に向かう前に、ひとつだけ片付けるべき案件があったのだ。瓜子たちが車を降りると、立松はウィンドウを開けて笑顔を送ってきた。


「それじゃあな。疲れが出るようだったら、無理をするんじゃないぞ? 道場まで出向くのが明日や明後日に持ち越されたって、誰にも文句は言わせねえからさ」


「あはは。立松コーチは、もう再会の喜びをご満喫してますもんね」


「そういうこった」と大らかな笑みを残して、立松の運転するワゴン車は走り去っていった。

 瓜子はユーリとともに、マンションの門をくぐる。その際にも、ユーリは瞳をきらめかせながら息をついていた。


「これは実に、十ヶ月ぶりの帰参になるのだねぇ。なんだか前世の故郷に辿り着いたような、マカフシギな気分だよぉ」


「十ヶ月も家を空けるなんて、なかなか体験できる話じゃありませんもんね。でもきっと、すぐに慣れますよ」


 カードキーでオートロックのガラス扉を開き、無人のロビーを踏み越えて、エレベーターに乗り込む。その間、ユーリはずっとそわそわと身を揺すっていた。

 目指すは、505号室だ。いつでもあまり人気のないマンションであるので、この際にも他の住居者とすれ違う事態には至らなかった。


 そうして505号室に到着したならば、再びカードキーで開錠する。

 そして瓜子は先に玄関口へと踏み込み、正面からユーリと相対した。


「ユーリさん、おかえりなさい」


 ユーリは「うみゃあ」とおかしな声をあげるなり、両手の荷物を放り出して瓜子の身を抱きすくめてきた。


「うり坊ちゃんは、おいたがすぎるのです。せっかく退院できたのに、心臓が爆散してしまいそうなのです」


「それは失礼いたしました。でも自分だって、気持ちを持て余しちゃってるんすよ」


 瓜子はユーリのやわらかい背中をタップしたが、なかなか解放してもらえなかった。

 本当に、ユーリは瓜子に対する人肌アレルギーが解除されたのだ。その事実が、また瓜子の胸を揺さぶってやまなかった。


(ユーリさんは、本当に大変だったから……神様が、ひとつだけでもご褒美をくれたのかな)


 そうして瓜子の身を三十秒間ほど圧迫してから、ユーリはようやく身を離した。

 その白い面には、喜びと羞恥の思いが等分に浮かべられている。


「うにゅう。うり坊ちゃんと思うさまスキンシップできるのはエツラクのイタリなのですけれども……エツラクすぎて、加減がわからないのです。うかうかしていると、ふたりはあっけなく一線を越えてしまうのではありませんでしょうか?」


「いやいや、その一線は守りましょうよ。自分はユーリさんが大好きですけど、恋愛感情ではないんですからね」


「そのダイスキというパワーワードに、ユーリはまたハートをかき乱されてしまうのです!」


 そうして瓜子とユーリはくすくす笑い合ってから、ようやく玄関の先に踏み込んだ。

 まずリビング兼トレーニングルームを目指すと、ユーリはまた「うわぁ」と瞳を輝かせる。本日に限っては、瞳を輝かせていない時間のほうが短いぐらいであるのかもしれなかった。


「すごいすごーい! 何もかも、ユーリの記憶にある通りだー! 十ヶ月も経ってるのに、なんにも変わってないんだねぇ」


「自分の生活スタイルも何ひとつ変わってないんで、部屋模様が変わる理由もないんでしょうね」


「ふみゅふみゅ。たとえモデルさんとして空前絶後の人気を獲得しても、おうちの過ごし方は変わらないということだねぇ」


「余計なことを言う人は、おしおきです」


 瓜子が髪を引っ張ると、ユーリは「いたーい!」と嬉しそうに悲鳴をあげた。

 しかるのちに、ユーリの寝室を目指す。そちらのドアを開いたユーリは、今まで以上に驚嘆した声をあげた。


「わあ、ユーリのお部屋がぴかぴかだぁ! 床が、床が見えているのです!」


「そりゃあまあ、ユーリさんの部屋を何ヶ月もほったらかしにしておいたら、何が繁殖するかわかったもんじゃありませんからね。定期的に掃除してたんすよ」


 ユーリはズボラである上に持ち物が多かったため、普段は足の踏み場もなかったのだ。それを清掃するには、まず部屋中にあふれかえった衣服や雑誌や小物類をひとまとめにする必要があったのだった。

 それらの物資が壁際に山積みにされているため、狭苦しいことに変わりはない。それでも整理整頓すれば、これぐらいはさっぱりするのだ。しかしまあ、部屋の主が帰ってきたならば、崩落も時間の問題であった。


「うり坊ちゃんは毎日お見舞いをしてくれながら、ユーリの帰る場所まで準備してくれてたんだねぇ」


 ニット帽を外したユーリは純白の髪をきらめかせながら、再び瓜子に抱きついてきた。

 やわらかい腕が瓜子の身を拘束し、ボリュームを増した胸もとがぎゅうぎゅうと押しつけられてくる。瓜子は幸福な気分のまま、圧死してしまいそうであった。


「ユーリは、身もココロもとろけてしまいそうなのです……そしてこのまま、うり坊ちゃんと一体化してしまいたいのです……そうしたら、さぞかし凶悪なファイターが誕生するのではありませんでしょうか?」


「おっかない想像をさせないでくださいよ。そんなもん、弥生子さん以上の大怪獣じゃないっすか」


「あはは。悪いとこ取りしたら、史上最弱のプリティファイターが誕生してしまうけれどねぇ」


「自分でプリティとか言っちゃうユーリさんのふてぶてしさには、感服しますよ」


「にゅふふ。うり坊ちゃんの要素が半分混入するだけで、プリティ指数に申し分はないのです」


 こうして会話を重ねるごとに、ユーリの物言いは軽妙さを増していくようである。本来のユーリはもっともっとふざけた物言いであったのだから、まだまだ本調子ではないのだろうが――それでも、瓜子の幸福な気持ちに変わりはなかった。

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