04 さらなる交流
それからユーリは、隔日ペースで新たな客人を迎えることになった。
最初のお見舞いののちも心身の不調に見舞われることはなかったので、着々とリハビリ計画を進められることになったのだ。
お見舞い客の第二陣は、天覇館の関係者となる。来栖舞、魅々香選手、高橋選手、鬼沢選手――さらには送迎役として、再びの鞠山選手と小柴選手だ。来栖舞や魅々香選手などは寡黙な気性であったため、鞠山選手が気詰まりにならないように配慮してくれたのだろうと思われた。
その際にも、問題が生じることはなかった。瓜子が肉眼でユーリと鬼沢選手の交流を見届けるのは初めての体験であったが、そちらも想像以上に友好的な様相であった。
「何ね、半年以上も入院してたくせに、前より元気そうやなあ。少しでも心配して損したばい」
「あはは。どうも恐縮ですぅ」
鬼沢選手は豪快な笑顔であるし、ユーリもにこやかな面持ちである。もちろん旧知の面々と比べれば多少は他人行儀であったが、それでもユーリとしては珍しいぐらい打ち解けた雰囲気であった。
「それにしても、高橋選手は様変わりしましたねぇ。五月大会の試合映像でも、びっくらこいてしまったのですけれど……なんだか、来栖殿の妹君みたいですぅ」
「あはは。あちこちの人に色んなことを言われたけど、それは一番嬉しい言葉だね」
そのように応じる高橋選手は、確かに来栖舞とよく似た容姿に変わり果てていた。大幅な減量に取り組んだことにより、顔立ちや骨格の相似があらわになったようであるのだ。ただ彼女は、来栖舞と比較にならないぐらい大らかな気性であった。
「それにしても、桃園くんが元気そうで安心した。選手としての復帰も、心待ちにしている」
来栖舞本人は、いつも通りの厳粛なたたずまいでそのように言ってくれた。
魅々香選手は、そのかたわらでひっそりと息をひそめている。これもまた、いつも通りと言えばいつも通りの姿であろう。それでもユーリが王座戴冠についてお祝いの言葉を申し述べると、「あ、ありがとうございます」と貴重な笑顔を覗かせてくれた。
その二日後に参上したのは、赤星道場の面々である。
ただし、コーチ陣は多忙であったので、参上したのは赤星弥生子、大江山すみれ、青田ナナ、マリア選手、レオポン選手、六丸、是々柄――そして、二階堂ルミと蝉川日和の両名となる。最後の二名はユーリと初対面であったが、山科院長がさらなる刺激を求めて了承してくれたのだった。
「わーっ、すごいすごい! ホンモノのユーリちゃんだー! やっと会えましたねー! うち、『トライ・アングル』の大ファンなんですよー!」
「ちょっとちょっと、二階堂さん。あたしらはオマケなんスから、ちょっとは遠慮しておきましょうよ」
直情的な蝉川日和も、二階堂ルミと同席する際には常識人としての一面が発露する。そんな彼女に、ユーリは実に温かな微笑を向けた。
「あなたが、セミカワちゃんなんだねぇ。やっとお会いできて、ユーリも嬉しいですぅ」
「え? あ、いや、その、あたしなんて、そんな大層なアレじゃないんスけど……な、なんでそんな優しい目で、あたしを見るんスか?」
「あはは。うり坊ちゃんに憧れて入門するコがシュツゲンするなんて、ユーリにとってはとびきり嬉しい出来事だったからねぇ。ついつい顔とココロがゆるんでしまうのですぅ」
そんな言葉を聞かされると、瓜子まで取り乱してしまいそうだった。
「あ、弥生子殿もおひさしぶりですぅ。この前の《レッド・キング》では勝利されたそうで、おめでとうございますぅ」
「ありがとう。……大晦日の試合は、如何だったかな?」
「えへへ。アレはちょっと刺激が強すぎて……次の日の朝に、お熱を出すことになっちゃったんですよねぇ」
「うん。猪狩さんからも、そう聞いていた。あれは私にとっても、桃園さんとの試合と同じぐらい忘れられない一戦だったからね」
そのように語る赤星弥生子は普段通りの沈着さを保ちつつ、とても優しげな眼差しであった。
ちなみに彼女は二週間ほど前の試合で額を十針縫うほどの手傷を負い、頭に包帯を巻いた姿である。この場においては、ユーリよりも痛々しい姿であった。
「それにしても、ユーリちゃんは色気がパワーアップしたなぁ! 瓜子ちゃんと一緒にグラビアを飾る日が楽しみだよ!」
「レオポン選手! 余計なことを言うと、退場してもらうっすよ!」
「あはは。でも、それもまぎれもなくユーリの悲願のひとつですのでぇ」
そうして瓜子たちが騒いでいると、マリア選手が青田ナナの腕を引っ張りつつ進み出た。
「でも本当に、お元気そうで安心しました! わたしたち三人は、ひときわ頑張らないといけない立場ですからね!」
「はにゃ? それはつまり……」
「わたしたちは三人とも、宇留間さんに長期欠場に追い込まれた身ですからね! わたしとナナちゃんは無事に復帰試合を飾れたので、次はユーリさんの番ってことですよ!」
マリア選手はおひさまのように笑いながら、そのように言いたてた。
「何せ宇留間さんはさっさと引退しちゃいましたから、リベンジすることもできません! だったらわたしたちはめいっぱい活躍することで、あの頃の宇留間さんより強くなったって証明するしかないんです! ちょっと不純な動機かもしれませんけど、頑張る理由になるならかまわないですよね!」
「……そうでありますねぇ。ユーリにとっても、宇留間選手というのは決して忘れてはならない存在でありますので……シリョクを尽くして頑張りたいと思いますぅ」
ユーリは眉を下げつつも、笑顔でそのように答えていた。
すると、青田ナナは不機嫌そうに「ふん」と鼻を鳴らす。
「そんなことより、あんたは完全にバンタム級の体格だね。今後は、それでやっていくつもり?」
「はあ……そのあたりのことは、退院してからコーチのみなさまと相談するつもりであるのですけれど……」
「バンタム級ならあたしが相手、フライ級ならマリアが相手だ。どっちにせよ、あんたにでかい顔はさせないよ」
もとより青田ナナは、ユーリと友好的な関係ではない。
しかしそれは友人ならぬ立場として、最大限の激励になったことだろう。ユーリはむしろマリア選手に対するよりも澄みわたった面持ちで、「はい」と答えていた。
すると、ずっと端のほうで山科院長のことをにらみつけていた是々柄が、ふいにユーリのもとへと進み出る。
「その魅惑的なお肉を落としちゃうなんて、もったいないっすよ。まずはあたしにマッサージさせてもらえないっすか?」
「にゅわー! それはご勘弁なのですー!」
「こら、ぜーさん。桃園さんに無用のストレスを与えてはいけないよ」
赤星弥生子が凛々しい面持ちでたしなめると、是々柄は遠視用の眼鏡で巨大化した目をぎょろぎょろと瞬かせつつ「ふん」と鼻を鳴らした。
「あたしらは普段通りに振る舞って、ユーリさんに適度なストレスを与えるべしってお話だったじゃないっすか。……ま、あたしとしてはユーリさんの治療が大失敗に終わって、誰かさんの面目が丸つぶれになったほうが愉快なぐらいっすけどね」
「ぜーさん。たとえ冗談でも、そのような言葉は口にするものじゃない」
「ふん。これだって、あたしにとっては普段通りの振る舞いってやつっすよ」
やはり是々柄も、普段よりはご機嫌ななめであるのだろう。
そうして赤星弥生子がいくぶん眉を下げながら振り返ってきたので、その口が開かれるより早く瓜子は笑ってみせた。
「それぐらいのブラックユーモアはサキさんや鞠山選手で耐性ができてるんで、大丈夫っすよ。ね、ユーリさん?」
「うみゅ。ユーリとしては、うり坊ちゃんと弥生子殿の仲睦まじいやりとりのほうが、よほど空腹案件であるのでぃす」
「え? そ、それも冗談っすよね?」
「にゃっはっは。もちろん本音をひそませたブラックユーモアであるのでぃす」
ユーリは無邪気に笑いながら、甘えるような目つきで瓜子を見つめている。そんな目つきでそんな言葉を吐かれると、瓜子もどのような顔をするべきか判断に迷うところであった。
ともあれ、赤星道場の関係者とも温かい賑やかさの中で過ごすことができた。
そしてまた二日後の土曜日――そこで参上したのは、千駄ヶ谷および『トライ・アングル』の面々である。
「うわー! なんだよ、そりゃ! 色気が爆増してんじゃん!」
「それに、その髪! 地毛なのかい? 色っぽさだけじゃなく、カリスマ性まで爆あがりだな!」
タツヤとダイは、子供のようにはしゃいでいた。
十ヶ月のブランクなど、いっさい感じさせない気安さだ。瓜子としては、その一点が何より嬉しくてならなかった。
「でもマジで、すげえ変わりようだなぁ。身体のほうは、もう大丈夫なのかい?」
リュウが感じ入った面持ちで問いかけると、ユーリは「はぁい」と気恥ずかしそうに応じた。
「今のところ健康面は問題なしと、オスミツキをいただいておりますぅ。ただ、お歌のほうは実際に歌ってみないとわからないのですけれど……」
「ふふん。ウェイトアップしたんなら、声量だって増すんじゃねえかなぁ。スピーカーが吹っ飛んじまわないか、心配になっちまうよぉ」
そのように語る漆原も、以前の通りのへらへらした態度だ。いい意味で、彼らは同情に類する思いを抱いていないようであった。
「でも本当に、驚きました。身体のほうも、すごくお元気そうですね。格闘技のほうで復活できたら、『トライ・アングル』のほうも是非お願いします」
誰よりも誠実な西岡桔平がそのように呼びかけると、ユーリはたちまち目を泳がせた。
「そ、それはありがたきお言葉なのですけれど……ユーリは本当に、『トライ・アングル』に戻ることを許されるのでしょうか……?」
「なに言ってんだよ! 許すも許さねえもないだろ!」
「そうだよ! できることなら、今すぐライブしてえぐらいさ!」
「俺たちは、ずっとユーリちゃんの復帰を待ってるんだよ。瓜子ちゃんからも、そう聞いてるだろ?」
「じゃないと、せっかくの新曲も台無しになっちまうしなぁ」
『ベイビー・アピール』の面々が矢継ぎ早に言葉をあびせかけると、ユーリはあどけなく微笑みながら涙をこぼしてしまった。
「ありがとうございましゅ……退院できたら、お歌のお稽古も頑張りますので……」
「まずは、本業の格闘技を頑張ってください。俺たちは、焦らずに待っていますからね」
西岡桔平はゆったりとした笑顔でそのように言ってから、ずっと無言である『ワンド・ペイジ』のメンバーたちを振り返った。
「ほら、お前たちもきちんと気持ちを伝えておけよ」
「あ、いえ。ぼ、僕は口下手ですから……と、とにかく、復帰の日をお待ちしています」
陣内征生は、存分に目を泳がせてしまっている。まあこれも、いつも通りと言えばいつも通りのことだ。西岡桔平は苦笑して、最後のひとりに目を向けた。
「ほら、ヒロも。ずっと黙ってたら、二時間の面会なんて――」
「うるせえな。話しかけるんじゃねえよ」
山寺博人は険悪な面持ちで、西岡桔平の言葉をさえぎった。
長い前髪の向こう側で、その目が爛々と燃えている。それに気づいた瓜子は、慌てて声をあげることになった。
「ど、どうしたんすか、ヒロさん? 何か怒ってるんすか?」
「だから、話しかけるなって……あ、おい。ここにギターは置いてねえのか?」
「ギ、ギター? 病院にギターなんて置いてないっすよ」
「サンドバッグがあるなら、ギターがあったっておかしくねえだろ。だったら、静かな場所に案内しろ」
と、山寺博人がいきなり瓜子の腕をつかんできたので、タツヤとダイが「おいおい!」と詰め寄ってきた。
「お前、どさくさまぎれで瓜子ちゃんにさわるなよ!」
「今はユーリちゃんのお見舞い中だろ! こんなときに、どこに行こうってんだよ?」
「うるせえな。そいつを見てたら、メロディが降りてきたんだよ。手前らのわめき声で消えちまったら、どうしてくれるんだ?」
「そいつ」というのは、もちろんユーリのことである。
山寺博人はぎらぎらと目を光らせながら、ポケットから携帯端末を引っ張り出した。
「とりあえず、歌メロだけでも録音する。静かな部屋に案内しろ」
「い、いや、静かな部屋って言われても……」
「それなら、病室がいくらでも空いているよ。君、ご案内を」
山科院長の指示に従い、看護師が「はい」と進み出た。
瓜子の腕を解放した山寺博人は、さっさとリハビリ室を出ていってしまう。その背中を見送ってから、西岡桔平はユーリのほうに向きなおった。
「お見舞いの最中に、失礼しました。まあ、それだけヒロもユーリさんに夢中ってことです」
「ははん。今度はユーリちゃんのビジュアルにイメージをかきたてられたってわけかぁ。まあ確かに、それだけのインパクトはあるよなぁ」
漆原はにやにやと笑いながら、千駄ヶ谷のほうを横目で見る。
「焦るつもりはねえけど、こっちもできるだけ準備を進めておいたほうがいいんじゃねえかなぁ? うかうかしてると、ユーリちゃんはすぐにまた北米に引っ張り出されちまうかもしれないしよぉ」
「……はい。ユーリ選手の体調を鑑みながら、可及的速やかに対処いたします」
そんな具合に、『トライ・アングル』との面会も他の日に負けない賑やかさであった。
さらに二日後の月曜日――今度は瓜子とメイと愛音の三名だけで山科医院を訪れることになった。数々の面会を経て、本当に最後のステップに突入したのだ。その目的は、ユーリと稽古で手合わせすることであった。
「肉体的には、もう殴り合いをしても問題ないコンディションだからねぇ。あとは、気心の知れた相手との肉体的接触を確認しておく必要があるわけさ」
山科院長のそんな提案に従って、瓜子たちはリハビリ室でユーリとの稽古に取り組むことになった。
さらにこの日は二時間という時間制限も取っ払って、半日をともに過ごすことが許されたのだ。これで問題が生じなければ、本当に退院へのカウントダウンが刻まれるわけであった。
そして、その結果――異常事態は、生じなかった。
ユーリはこれまで以上の食欲に見舞われることになったが、大量の食事を摂取することで事なきを得たのである。
「桃園さん、おめでとう。もうこちらで確認できる項目はないから、あとは実際に外に出てみるしかない。週に一回は検査のために来院してもらうことにして……明日の午後に、退院ということにしよう」
山科院長にそう言ってもらえたのは、七月の第二水曜日――このミッションを開始してから十一日目のことであった。
その言葉を聞くユーリは、澄みわたった笑顔である。いっぽう瓜子は、どうしようもなく涙をこぼしてしまった。
「ユーリさん……本当に……本当に、おめでとうございます……」
「うん……これもみんな、うり坊ちゃんのおかげだよぉ。もちろん、たくさんの人たちのおかげでもあるんだけど……最初にユーリをこっちの世界に引っ張り戻してくれたのは、うり坊ちゃんだからねぇ」
そう言って、ユーリは横合いから瓜子の身を抱きすくめてきた。
その温もりとやわらかさと力強さに陶然としながら、瓜子はなけなしの理性をかき集める。
「ユ、ユーリさん。むやみに、さわらないほうが……それで体調を崩しちゃったら、元も子もありませんし……」
「いやいや。それで熱を出すようだったら、退院を考えなおさないといけないからねぇ。かまわず、続けてくれたまえ」
山科院長は、鷹揚に笑っている。
するとユーリは、いっそうやわらかく、かつ力強く、瓜子の身をぎゅっと抱きしめた。
「院長先生……これは、リハビリにも実験にもならないようであるのです……」
「うん? それは、どういう意味だろう?」
「うり坊ちゃんを、ひしと抱きしめても……悪寒も吐き気もやってこないのです……」
「おやおや」と、山科院長は愉快そうに笑った。
「僕や看護師が相手では、相変わらず鳥肌まみれになってしまうのにね。猪狩さんに限っては、アレルギーが解除されたというわけかな」
「はい……実は前々から、そうじゃないかと思っていたのです……でも、確認するのがちょっぴり怖かったのです……」
震える声で語りながら、ユーリは瓜子のこめかみに頬ずりをしてきた。
すると、その箇所が熱く濡れてくる。ユーリもいつしか、涙をこぼしていたのだ。
ユーリは以前にも、瓜子に対する人肌アレルギーが解除されたことがあった。しかしそれは、もう三年も前の話であり――そして、ほんの数ヶ月しか継続しなかったのだった。
「ユーリは、もう大丈夫だよ……たとえうり坊ちゃんが殿方と恋に落ちても、結婚しても、赤ちゃんを生んでも……ユーリの気持ちは、変わらないから……」
「……今のところ、そんな予定は皆無っすよ」
瓜子もまた止めようもなく涙をこぼしながら、首に巻かれたユーリの腕に指先をあてがった。
そうして瓜子とユーリはいつまでも涙をこぼしながら、この瞬間の幸福と喜びを分かち合うことになったのだった。




