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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
24th Bout ~Re:boot Of The Pretty Monster~
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ACT.1 Last step 01 選ばれし精鋭たち

 その日の朝――瓜子は、目覚まし時計のアラームが鳴るよりも早く目を覚ますことになった。


 もとより寝起きは悪いほうではないが、今日はひときわ頭が冴えている。それで瓜子が早々に身を起こすと、そのかたわらではメイが安らかな寝息をたてていた。


 ここは、瓜子の寝室である。かつてはサキが寝室として使っていた、六畳の和室だ。瓜子はサキから受け継いだ煎餅布団を使用しており、メイがくるまっているのはキャンプ用の寝袋であった。


 そんな寝袋では安眠できないのではないかと、瓜子はかつてメイに忠告した。それでも彼女は新たな寝具を購入することなく、半年以上にわたってこちらの寝袋を使い続けていた。


(……これだけ寝相がよかったら、寝袋でも問題ないってことなのかな)


 メイはいつも、横向きに眠っている。そうして寝袋ごと丸くなったその姿は、芋虫か胎児であるかのようだ。そして、普段は張り詰めている顔も赤ん坊のように安らいで、瓜子を朝から幸福な心地にさせてくれるのである。


 そうして瓜子が本日も幸福な気分にひたっていると、メイのまぶたがゆっくりと開かれた。

 淡い褐色の睫毛に覆われた黒い瞳が、ぼんやりと瓜子の顔を見上げてくる。そののちに、メイは黒い頬に血の気をのぼらせた。


「……ウリコ、どうしていつも、寝ている僕を見ている?」


「すみません。メイさんの寝顔って、ついつい見とれちゃうんですよ。……でも、メイさんが先に起きたときなんかは、やっぱり自分の寝顔を眺めてるじゃないっすか?」


 メイはごにょごにょと口もとを動かしたが、うまい反論の言葉を見つけられなかったようで、赤い顔のまま半身を起こした。


 瓜子がこの十ヶ月ばかりの時間を無事に過ごすことができたのは、間違いなくメイのおかげであろう。メイがこうして毎日泊まり込んでくれたからこそ、瓜子は孤独感に苛まれずに済んだのだ。かつては北米の合宿所に、現在は病室に閉じ込められているユーリのことを思うと、申し訳ないほどのありがたさであった。


「……ウリコ、すごく楽しそう」


 と、メイがぽつりとそんなつぶやきをもらした。

 そのように語るメイ自身も、とても和やかな面持ちである。瓜子と二人きりの場では表情のゆるみがちなメイであったが、それにしても普段以上の柔和な面持ちであった。


「まあ、ウリコの気持ち、理解できると思う。僕も、ユーリに会えること、とても楽しみ」


「ええ。ついに、退院に向けて最後のステップですからね」


 瓜子は逸る気持ちを抑えながら、煎餅布団の上に立ち上がった。

 そうすると、壁に飾ってあるイラストがちょうど目の高さになって、瓜子の視界を埋め尽くす。かつて山寺博人の秘密の伴侶たる円城リマからいただいた、ユーリの肖像画――ユーリの病室に飾られている瓜子の肖像画と対になる作品である。


 この肖像画もまた、これまで何度となく瓜子の心を救ってくれた。

 瓜子は周囲にいてくれるさまざまな存在に救われながら、今日という日を迎えることになったのだ。そのありがたさを強く噛みしめながら、瓜子は寝袋から這いずりだしたメイに笑いかけてみせた。


「それじゃあちょっと早いけど、朝食の準備をしましょうか。万が一にも遅刻なんてしたら、ユーリさんをガッカリさせちゃいますからね」


 そうしてついに、その日が始まった。

 七月の、最初の日曜日である。五月の下旬から劇的に容態が回復したユーリは、ついにこの日から退院に向けた最後のステップに突入することに相成ったのだった。


                ◇


 朝食を済ませた瓜子とメイは、マンションを出て三鷹の駅へと向かう。そこからさらに向かうのは、新宿プレスマン道場である。

 本日は日曜日であるので、道場自体は休館日だ。シャッターを閉められた道場の前を通りすぎて駐車場まで歩を進めると、すでにそこには見知った人々が集結していた。


「おー、来た来た! おっはよー! うり坊もメイっちょも早かったねー!」


 まずは、いつでも元気いっぱいの灰原選手がぶんぶんと手を振ってくる。

 その周囲に立ち並ぶのは、プレスマン道場の精鋭と瓜子が懇意にしている女子選手の一団であった。


 プレスマン道場からは、立松、ジョン、柳原、サイトー、サキ、愛音。

 外部の女子選手は、灰原選手、多賀崎選手、小笠原選手、鞠山選手、小柴選手、オリビア選手。これに瓜子とメイを加えて、総勢十四名の大所帯であった。


 この十四名は、これから山科医院に向かうのである。

 その目的は、もちろんユーリのお見舞いであり――そして、ユーリがこれだけの人間と接触しても不調をきたさないかどうかを見定めるための確認作業であった。


「何度も何度も言うようだけれども、とにかく現在の桃園さんは精神状態が肉体に強く影響を与えてしまうようだからねぇ。退院の前に、あれこれ確認しておく必要があるのだよ」


 二週間ほど前、山科院長はのんびりとした笑顔でそんな風に語っていた。


「何より心配であるのは、他者との接触だ。まあ、リューク氏やビビアナ氏と接触しても問題は見られなかったから、むやみに心配する必要はないのかもしれないけれど……まったく見知らぬ相手より、見知った相手との接触のほうが精神的な負担は大きいかもしれないからね。とりわけ桃園さんは、他者とのコミュニケーションが苦手であるという話だからさ。だから、段階的に他者と接触してもらい、心身に不調が生じないか確認しておきたいのだよ。もしも病院の外で昏睡状態に陥ってしまったら、それこそ取り返しのつかない事態に陥ってしまいかねないからね」


 そうして協議の末に選抜されたのが、この顔ぶれとなるわけである。

 人々の反応は、さまざまだ。まったく普段通りであるのはサキや鞠山選手ぐらいで、おおよその人々は昂揚しており――その中でも、愛音などは気合が入りすぎて肉食ウサギの形相になってしまっていた。


「それじゃあとにかく、出発しようか。こっちが先導するから、鞠山さんはついてきてくれ」


「了解だわよ。こっちが病院送りにならないように、安全運転を心がけるだわよ」


 これだけの人数でも、二台のワゴン車で事足りるのだ。立松が運転するのは道場の専用車、鞠山選手はもちろん自前のワゴン車である。サキたちがプレスマン号に乗り込んだので瓜子もそれに続こうとすると、たちまち灰原選手が背後から抱きついてきた。


「ストーップ! うり坊は、こっちに乗ってよね! うちらはプレスマンの人たちほど事情をわきまえてないんだから、行き道であれこれ聞かせてもらわないと!」


「そうっすか? 最近の話は、きっちり共有できてると思いますけど……」


「いーからいーから! うり坊の隣は、メイっちょとコッシーに譲ってあげるからさ!」


 しかしこの人数では、最低でも一名はプレスマン号に乗る必要が生じる。そこで名乗りをあげてくれたのは、ひそかにジョンと交流を深めているオリビア選手であった。

 こちらの助手席には小笠原選手が乗り込み、瓜子は二列目でメイと小柴選手にはさまれ、三列目には灰原選手と多賀崎選手が収まる。そうして二台のワゴン車は、いざ山科医院に向かって出発した。


「小笠原選手も、わざわざありがとうございます。今回は、このためだけに来てくださったんすか?」


 小笠原選手は五月の王座決定トーナメントで優勝を果たしたのち、地元の小田原に帰還したのだ。長身である小笠原選手は背もたれの上から笑顔を覗かせて「いやいや」と手を振った。


「せっかくだから、また七月大会まで本部道場のお世話になろうと思ってさ。幸い、あっちは指導員の手が足りてなくて、邪魔がられることはないんだよ」


「あ、そうなんすか。それじゃあまた、出稽古にも?」


「うん。あとで相談させてもらおうと思ってたよ。やっぱりMMAの出稽古に関しては、こっちのほうが充実してるからね」


 そんな風に言ってから、小笠原選手はさらに笑った。


「とまあ、アタシの近況報告は後にして、まずは桃園のことを聞かせてもらおうか。灰原さんも、うずうずしちゃってるみたいだしね」


「べっつにー! ただ、マコっちゃんがうずうずしちゃってるからさ!」


「はいはい。あたしはあんたほど照れ屋さんじゃないんでね」


「照れてないし! あたしはそこまで、ピンク頭と仲良くしてたわけじゃないしねー!」


 それもまた照れ隠しの発言であることは、明白である。瓜子はとても温かい心地で口火を切ることになった。


「でも別に、そこまでつけ加える話はないと思うんすよね。灰原選手は、何か疑問でもあるんすか?」


「そりゃー、あるっしょ! ピンク頭は、いつぐらいに退院できる見込みなの? カラダのほうは、もう問題ないんでしょ?」


「はい。五月の終わり頃から発熱することはなくなって、内臓の機能も完全に回復しました。とにかくひたすら食べまくって、危ない輸液に頼らなくなった恩恵っすね。脳波とかも定期的にチェックしてますけど、そっちは頭蓋骨の骨折が完治してからまったく異常はないそうです」


「ふんふん! だったらもうその時点で退院させてくれてもよさそうなもんなのにねー!」


「そうっすね。でも以前にお話しした通り、ユーリさんは正月早々に熱を出すことになっちゃったんすよ。どうもそれは大晦日に観た《JUFリターンズ》の試合が原因だったみたいなんで……それでまずは、そっち方面の刺激に耐性があるかどうか確認されることになったんです」


 そちらの確認作業のために、瓜子は《アトミック・ガールズ》の試合映像を山科医院に持ち込むことになった。ユーリが不在の間に開催された、昨年の九月から今年の三月までの試合映像である。そして本日は、昨日発売されたばかりである五月大会のDVDも持参していた。


「それが、二週間前のことっすね。幸いなことに、どれだけ試合映像を観賞してもユーリさんがエキサイトして熱を出すことにはなりませんでした。ただ、食欲だけがいっそう上昇しちゃったみたいです」


「それでついに、あたしらの出番ってわけだね。あいつが興奮して熱を出したりしないか、確認が必要ってわけだ」


 そのように語りながら、多賀崎選手は低く笑い声をこぼした。


「でも、あたしらなんかが熱を出す理由になるのかねぇ。大好きでたまらない猪狩が相手なら、ともかくさ」


「そ、そんなことないっすよ。みなさんだって、ユーリさんにとっては大事なお相手なんですから」


「ふふん。それに、プラスだけじゃなくマイナスの要因まで鑑みてのことなんだろうだわね。わたいたちの存在がストレスになって熱を出す可能性なら、十分にありえるんだわよ」


「そ、そんなことはないですってば。ただ、ユーリさんは集団行動が苦手なもんで……やっぱり、大勢の人間に囲まれると負担になる危険があるって話なんすよね」


「それで? わたいたちは、負担にならないように身をつつしむべきなんだわよ? それとも逆に、プレッシャーを与えるべきなんだわよ?」


「そこは、普段通りでお願いします。要するにこれは、メンタル面のリハビリみたいなものなんで……みなさんとこれまで通りに接することができるかどうかを確かめる必要があるんです」


 そして瓜子は、慌てて言葉をつけ加えることになった。


「それであの、ユーリさんは本当にみなさんのことをお慕いしてるんですけど……その反面、人づきあいが心底から苦手なんです。万が一、ユーリさんが熱を出すことになっても、決してみなさんのことを疎んでいるわけではないので、それだけは誤解しないでいただけますか?」


「あいつがどれだけぶきっちょな人間なのかは、あたしらだって思い知らされてるさ。そんなに心配そうにする必要はないよ」


 と、多賀崎選手が優しい声でそのように応じてくれた。


「それに、どうでもいいと思ってる相手なら、興奮することもストレスを感じることもないんじゃないかな。現に、病院に詰めてるトレーナーとやらは問題なかったんでしょ?」


「そ、そうですよ。もしもこれで桃園さんが熱を出したとしたら……むしろ、わたしたちを大切に思ってくれているっていう証拠になるんじゃないですか?」


 小柴選手もおずおずと微笑みながら、そんな風に言ってくれた。

 それだけで、瓜子は思わず涙ぐみそうになってしまう。するとすかさず、鞠山選手が「ふふん」と水を差してきた。


「それじゃあ熱を出さなかったら、わたいたちは有象無象に認定されたっていう証拠になるわけだわね。これは結果が楽しみだわよ」


「そ、そんなことは言っていません! 猪狩さんが、誤解しちゃうじゃないですか!」


「運転席のシートを揺さぶるんじゃないだわよ。あかりんには、自殺願望でもあるんだわよ? これはとんだヤンデレさんなんだわよ」


 魔法少女の師弟コンビの愉快なやりとりに、瓜子はつい「あはは」と笑ってしまう。


「ユーリさんがどんなにみなさんを大切に思っていても、会うたびに熱を出していたら日常生活もままならないんです。だからこそ、こうやって段階を踏んで確かめることになったんすよ」


「うんうん。プレスマンの面々と一緒に第一陣に選ばれるなんて、光栄な限りだね」


 と、小笠原選手がまた笑った横顔を覗かせてくる。


「よくよく考えると、これは最初の合同合宿の顔ぶれだもんね。二年来のつきあいってやつが、決め手になったのかな?」


「はい。赤星道場や天覇館の方々も考えたんすけど……そちらはまた別の日にお願いすることになりました」


「あー、ミッチーなんかはライブイベントでもツルんでたけど、仲良くなったのは去年からだったっけ! ま、あっちもミミーや来栖サンとご一緒したいだろうしねー!」


 と、灰原選手は弾んだ声をあげる。きっと、第一陣に選ばれたのが嬉しいのだろう。言葉は素直でないのに感情は剥き出しであるので、それがまた瓜子の目頭を熱くさせてやまなかった。


「でも……それなら、僕、みんなより、つきあいは短い」


 瓜子の隣で、メイがもじもじと身を揺する。

 瓜子は「何を言ってるんすか」と笑顔を届けることになった。


「短いって言っても数ヶ月の話ですし、そもそもメイさんはプレスマン道場の門下生じゃないっすか。毎日顔をあわせていたのに、つきあいが短いも何もないでしょう?」


「そーそー! それに、なんべんもお泊まりした仲じゃん!」


「……それ、ユーリ、いない間の出来事」


「あー、そっか! アレはピンク頭の試合を観るためのお泊まり会だったっけ!」


 灰原選手はけらけらと笑ってから、瓜子のシートを揺さぶってきた。


「ところで、あたしの質問がスルーされっぱなしなんだけど! けっきょくあいつは、いつになったら退院できるわけ?」


「それはまあ、今後の結果しだいですけど……熱を出すとしたら、当日か翌日ですからね。こうやって一日置きにお見舞いをお願いして、何も問題が起きなかったら……最短で十日から二週間ていどの見込みだそうです」


「二週間かー! だったらぎりぎり、アトミックの七月大会に間に合うねー! あいつもナマで、試合を観たいんじゃない?」


「はい。それでいっそう興奮して、もりもり食事を食べていましたよ」


 そんなユーリの姿を思い出して、瓜子はけっきょく涙ぐんでしまった。

 ユーリが山科医院に転院してから、半年と少し――ついに、ようやく、退院の目処が経ったのだ。どれだけ期待しすぎまいと自制しても、瓜子の心は激しく昂ってやまなかった。


 それに、瓜子は半年前から毎日ユーリと顔をあわせているが、『アクセル・ロード』に参戦した多賀崎選手を除く面々にとってはユーリが渡米して以来の再会となるのだ。あれは九月に入ってすぐの話であったから、実に十ヶ月もの日が過ぎ去っているのである。


 十ヶ月――瓜子がそれだけの期間ユーリと引き離されていたら、とうてい我慢がならなかっただろう。かえすがえすも、瓜子に面会を許してくれた山科院長の取り計らいには感謝するばかりであった。


(ユーリさん……もうすぐ、みなさんに会えますからね。きっと今頃はベッドでのたうち回ってるでしょうけれど……きっと大丈夫だから、思うぞんぶん楽しんでください)


 そうして十四名の精鋭を乗せた二台のワゴン車は、遥かなる山科医院を目指して高速道路に突入したのだった。

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