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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
23th Bout ~Our life~
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03 祈り

 若手バンドのライブステージに続いて第三試合も終了したならば、お次は瓜子の出番である。

 彼女が挑むのはキックルールのエキシビションマッチであったが、ルールそのものはキック団体の公式ルールとほとんど変わらない。ただ異なるのは、時間切れになっても判定をつけずに引き分けとする、という一点のみであった。


 試合時間は三分二ラウンドで、ダウンはひとつのラウンドにおいて三回まで。10カウントでKO負けというのも、公式ルールと同様だ。ただもちろんエキシビションマッチであるため、どちらが勝利しても戦績には勘定されない取り決めになっていた。


「前にメイっちょとやりあったときと、おんなじような感じだねー! でもあのときは、何回ダウンしてもオッケーだったんだっけ?」


「ああ。それに、グローブも軽い6オンスだったね。今日は普通のキックの試合で使われるような8オンスのグローブだから、猪狩もゲンコツの硬さを半分がた封印されるわけだ」


 四ッ谷ライオットの両名が、そのように語り合っている。場所はまたもや、二階席の通路である。この距離であれば控え室のモニターのほうが観戦しやすいぐらいであったが、やはり現場には現場ならではの熱気というものが存在するのだ。それで、間もなく出番を控えているあかりも、けっきょくこの場まで参ずることになったのだった。


 眼下では、すでにプレスマン道場の陣営が入場を始めている。そちらに送られる声援というのは、今日一番であった。たとえエキシビションマッチであろうとも、瓜子にはそれだけの期待がかけられているのだ。急遽ピンチヒッターをお願いした《NEXT》の運営陣も、きっと胸を撫でおろしていることだろう。


 ただやっぱり、あかりはグローブの大きさが気になってしまう。稽古では見慣れた姿であったが、やはり瓜子の体格だと8オンスのグローブも大きく見えてならないのだ。《アトミック・ガールズ》で使用されるオープンフィンガーグローブなどは4オンスなので、それよりも倍の質量であるわけであった。


 グローブが大きくなればなるほど、パンチの威力は軽減されて、パンチスピードも遅くなる。とりわけ瓜子は拳の硬さと小回りのよさを武器にしているため、これは小さからぬハンデになってしまうはずであった。


(まあ、相手は格下の選手だから、いいハンデになるのかもしれないけど……猪狩さんは、来月にタイトルマッチを控えてるのになぁ)


 しかもこれは戦績にも反映されないのだから、瓜子が出場するメリットなどなきに等しいだろう。

 しかし瓜子は、かつてユーリも出演していたこちらのイベントが成功することを願っており――そして何より、試合に対して意欲的であるのだ。遠目にも、その小さな身体からはいつも通りの闘志がみなぎっているように感じられてならなかった。


 そんな瓜子がケージに上がったならば、赤コーナーから対戦相手が入場してくる。

 こちらは《NEXT》の中堅選手だが、キックの世界でも実績を積んでいるという。そして、久子の対戦相手と同じように、大物食いをして名をあげようという気迫がみなぎっていた。


 なおかつ、そちらの選手は瓜子よりもひと回りは大きく見えてしまう。今回は急遽参戦となった瓜子に減量の負担をかけないよう、五十五キロのキャッチウェイトで試合が行われるのだが――瓜子は平常体重でも五十五キロに届かないので、その点でも相手が有利になっているようであった。


 リングアナウンサーが選手名をコールしたのち、両者はレフェリーのもとで向かい合う。

 瓜子は本日も、《アトミック・ガールズ》公式の試合衣装を纏っていた。それはきっと、《アトミック・ガールズ》の看板を背負っているという気概の表れであるのだろう。たとえエキシビションマッチであろうとも、王者たる彼女が余所の選手に敗れれば、名前に傷がついてしまうはずであった。


「さー、どうなるかなー! 中堅ていどの相手だったら、やっぱ秒殺かなー!」


「でも、グローブの重さは無視できないと思うよ。まあ一番重要なのは、タイトルマッチの前に怪我をしないことだけどね」


 久子と真実がそのように語らう中、試合開始のブザーが鳴らされた。

 慎重に進み出る瓜子の前に、相手選手が躍り出る。そして、遠い距離から右のハイキックを繰り出した。


 瓜子は鋭いバックステップで、その攻撃を回避する。

 すると、相手選手は遠い位置からぶんぶんと左右の拳を振り回した。いかにも強引な仕掛けであるが、有無を言わさぬ迫力に満ちている。体格の利を活かして押し潰してやろうという気迫がみなぎっていた。


 しかし瓜子も、かつては《G・フォース》でランキング一位であった力量である。

 瓜子は鋭いステップで相手の攻撃に空を切らせると、アウトサイドから右ローを叩きつけた。

 そしてすぐさま、左のレバーブローに繋げる。そちらはガードされてしまったが、相手はいくぶん左足を引きずりながら後ずさることになった。


 重いグローブのせいでパンチスピードはいくぶん鈍っていたが、足にはなんの防具も装着していないのだ。瓜子の硬い脛でローキックをクリーンヒットされた相手選手は、その一撃で小さからぬダメージを負ったはずであった。


 それでも瓜子は逸ることなく、じわりと距離を詰めていく。

 相手選手はスイッチをして、左のハイを繰り出した。きっと、痛んだ左足を軸足にしたくなかったのだろう。そして、大振りな技で瓜子を近づけまいとする弱気が垣間見えていた。


 ダッキングでその左ハイをかわした瓜子は、半歩だけ踏み込んで、右足を振り上げる。いくぶん前蹴りに近い軌道の、ミドルキックである。

 相手はすかさず、ボディをガードした。あんな硬い脛で腹を蹴られるのは御免だという恐怖心に駆られてのことだろう。

 しかし、瓜子の蹴り足は途中で軌道を変えて、より高みに舞い上がった。


 中段から上段に変化する、ブラジリアンキックである。

 相手は五センチほど長身であったが、瓜子の足の甲は難なく相手の下顎を蹴り抜いた。


 相手選手は、糸の切れた人形のようにくずおれる。

 レフェリーは「ダウン!」と宣告したのち、すぐさま両腕を交差させた。遠目にも、相手選手が意識を飛ばされたことは明白であった。


『一ラウンド、三十五秒! 猪狩瓜子選手のKO勝利です!』


 リングアナウンサーのアナウンスによって、会場はいっそうわきかえる。

 そしてこちらでは、久子が「やったやったー!」と飛び跳ねていた。


「やっぱ、秒殺だったじゃん! 最近のうり坊は、キレッキレだねー!」


「ああ。パンチは効果的じゃないと見切りをつけて、足技を主体にしたのかな。……何にせよ、大したもんだよ」


 真実は感心しきった様子で、息をついている。

 すると、久子が笑顔であかりに向きなおってきた。


「あたしもうり坊も秒殺で勝っちゃったけど、あかりんの相手はトップファイターだからねー! 焦らずじっくり仕留めちゃってよ!」


「激励してるんだかプレッシャーをかけてるんだか、判断に迷うところだわね。あかりんは、こんなデリカシーのないウサ公に惑わされるんじゃないだわよ?」


「はい。わたしは、大丈夫です」


 誰が相手でも秒殺を狙うなど、まったくもってあかりの流儀ではない。というか、秒殺などというものは狙って達成できるものではないのだった。


(わたしはいつも通り、全力で挑むだけだ。恥ずかしい結果にならないように、頑張ろう)


 その後は十五分間のインターバルであったので、控え室に退却する。

 すると、すぐにプレスマン道場の陣営も凱旋してきた。試合を終えた瓜子は、いつも通りの無邪気な笑顔だ。


「ったく。アタシはたった三十五秒のために、せっかくの日曜日を潰されたってわけだなー。かえすがえすも、アホくせー役割だぜ」


「本当に申し訳ないっすね。あとはライブと小柴選手の試合で心を満たしてくださいよ」


 気分が上々であるためか、サキの毒舌に対しても瓜子は満面の笑みである。仏頂面で瓜子の頭を小突くサキの姿まで含めて、微笑ましい構図であった。


 インターバルの十五分間で、瓜子も慌ただしくシャワーをすませる。この後は、『ベイビー・アピール』の出番であるのだ。着々と出番の迫っているあかりも、そちらのステージは肉眼で見届ける所存であった。


 あかりはもともと、『ベイビー・アピール』ほど激しい楽曲は好んでいない。しかし、『トライ・アングル』に魅了されることで、彼らの魅力を思い知らされたのだ。今では『モンキーワンダー』と『ワンド・ペイジ』に次ぐぐらい、彼らのステージも好ましく思っていた。


 だが――何より魅力的に思うのは、やはり『トライ・アングル』のステージである。

 七名のメンバーが織り成す演奏と、ユーリの歌。そこから生じる爆発力というものは、いかなるバンドでも替えがきかないのだった。


 いざ『ベイビー・アピール』のステージを拝見すると、そんな思いがますます募ってしまう。

 彼らは彼らだけでも、十分に魅力的だ。きっと世間には、『トライ・アングル』より『ベイビー・アピール』を好ましく思う人間も存在するのだろう。しかし、あかりの心は『トライ・アングル』ならではのサウンドを求めてやまなかった。


「……せっかく『ベイビー・アピール』と『ワンド・ペイジ』が顔をそろえてるのに、コラボ企画なんかは考案されなかったんだわよ?」


 楽曲の合間に花子がそんな疑念をぶつけると、瓜子は笑顔で「はい」と応じた。


「下手におたがいのステージにお邪魔すると、ユーリさんも登場するんじゃないかって期待させちゃう恐れがあるから、そういう演出は取りやめたそうです」


「なるほどだわよ。ワンドとベイビーだったら、そんな期待をくつがえせるぐらいのステージを披露できそうだわけど……ま、メンタルの問題もあるんだろうだわね」


「ええ。ユーリさん抜きの七人で集まるのは、練習だけで十分だって仰ってましたよ」


 そのように答える瓜子は、やっぱり幸福そうな笑顔だ。

『ワンド・ペイジ』や『ベイビー・アピール』の面々がユーリを気づかってくれることが、嬉しくてならないのだろう。あかりとしても、ユーリの存在しない七名のステージなど、決して目にしたいとは思わなかった。


(でも……桃園さんが退院したら、また『トライ・アングル』のステージも観られるかもしれないんだ)


 そんな風に考えると、あかりの胸がひそかに高鳴っていく。

 他の人間はどうだか知らないが、あかりはファイターとしてのユーリよりもシンガーとしてのユーリにより強く心をひかれているのかもしれなかった。


(そもそもわたしは、桃園さんより猪狩さんのほうがすごいファイターだと思ってたし……それより前は、桃園さんを見下してたぐらいだもんなぁ)


 ユーリごときにプロ選手が務まるのならば、自分にだって不可能ではない――あかりにとっては、それがプロファイターとしての出発点であったのだ。

 瓜子たちと出会って二年が過ぎた現在も、あかりはその一点だけはひたすら押し隠している。本年のゴールデンウィークの合宿稽古では尊敬する小笠原朱鷺子に「どうしてMMAに挑んだのか?」と質問されたが、やっぱり真情を打ち明けることはできなかったのだ。花子や久子などはもっと無遠慮にユーリのことをこきおろしていたものであったが、小心者のあかりにはとうてい真似できなかったのだった。


(そんなことで猪狩さんや小笠原先輩に嫌われちゃったら、もう立ち直れないし……そもそも、桃園さんを見下してた自分が恥ずかしくてたまらないよ)


《アクセル・ファイト》の顛末で世間の評判を落としてしまったユーリであるが、その実力は本物である。あかりは容姿や人間性やファイトスタイルまでひっくるめて瓜子の存在に心酔していたが、化け物のような強さという意味においてはユーリのほうが先に開花していたはずであった。


 ただ――ユーリはすでに、半年以上も表舞台から姿を消している。

 彼女の化け物めいた強さは、あかりの記憶からじわじわと薄らぎ始めていた。ファイターとして間近に試合を見守り、出稽古や合宿稽古でその力を体感しているあかりでさえ、この有り様であるのだ。世間の人々などは、それ以上に記憶が薄らいでいるはずであった。


 しかしあかりも『ベイビー・アピール』のステージを観ると、ユーリの不在が痛いほど実感できてしまう。

 今ならまだ、ユーリの余熱というものが世間にも残されているはずだ。ファイターとしても、シンガーとしても、ユーリの復帰を強く望んでいる人間は山ほど存在するはずであった。


 そしてそこには、瓜子の尽力も影響しているのだろう。

 ユーリの相棒として知られる瓜子がファイターとモデルの両面から活躍しているために、ユーリの面影もいっそう濃く残されているのだ。


 だが、このような状況が長引けば、今度は逆の効果が生まれてしまうかもしれない。

 ユーリの存在が瓜子の存在に塗り潰される恐れだって、存在するのである。その顕著な例が、《JUFリターンズ》における赤星弥生子との一戦であった。


 あの一戦は、あまりに鮮烈すぎた。

 それは、《アクセル・ファイト》の悪い印象を払拭して、格闘技界を盛り上げると同時に、ユーリの存在を薄らがせる要因も孕んでいるはずであった。


 極端な話、このような状況があともう数ヶ月も続けば、世間の関心は瓜子に固定されてしまうかもしれない。ユーリは過去の存在として忘れ去られて、誰もが瓜子にばかり注目するような――そんな事態にもなりかねないのだ。


(そんなことになったら……猪狩さんは、耐えられないに違いない)


 だからあかりは、ユーリが一刻も早く復帰することを祈っている。

 ユーリ本人のみならず、瓜子のためにそう祈っているのだ。そして、二人は一心同体のようなものであるのだから、瓜子のために祈ればユーリの幸福な行く末にも直結しているはずであった。

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