02 開演
『NEXT・ROCK FESTIVAL』が、ついにスタートした。
その開幕を飾るのは、『モンキーワンダー』と『まじかる☆まりりん』のライブステージである。あかりはプレスマン道場や四ッ谷ライオットの面々とともに、その華々しい姿を見守ることになった。
あかりたちがたたずんでいるのは、二階席の通路である。
こちらの会場は一万人以上の観客を収容できる規模であるが、今回もチケットはソールドアウトであったという。名だたるロックバンドの力もあって、それだけの人気を博することがかなっているのだ。客席を埋め尽くした人々は、『モンキーワンダー』と『まじかる☆まりりん』に惜しみない声援を送っていた。
「ふふん。魔法老女もいいかげんMMAからは手を引いて、音楽活動に専念すりゃいいのにねー」
そんな憎まれ口を叩きながら、久子はうずうずと身を揺すっている。彼女はもともと『ベイビー・アピール』のような激しいサウンドを好んでいるようであったが、今では『モンキーワンダー』の軽妙なるサウンドもすっかりお気に召しているようであった。
いっぽうあかりは、最初から『モンキーワンダー』のファンである。あかりが大好きだった漫画作品がアニメ化された際、主題歌を担当したのが『モンキーワンダー』であったのだ。あかりはそこから過去にさかのぼって、すべてのアルバムをコンプリートした身であった。
『モンキーワンダー』は、明るくポップな楽曲と、早口のメロディアスな歌が売りである。アニメ作品とタイアップする以前から、アニソンめいた曲調であったのだ。ネットの界隈では「あんなのロックじゃない」という口さがない意見も飛び交っているが、あかりにとってはジャンルの区分けなどどうでもいい話であった。
本日の『モンキーワンダー』と『まじかる☆まりりん』は、赤と黒の衣装で統一している。両陣営のミーティングによって、そのように決定されたのだ。いつもパステルイエローである『まじかる☆まりりん』がシックな赤黒の魔法少女ウェアに身を固めているのが、なんとも新鮮でならなかった。
それに彼女は、歌声も魅力的だ。彼女の歌声は異様に甲高く、それでいて錆びた金属のようにざらついており、鼓膜を乱暴に引っ掻かれるような心地であるのだが――それが妙に、クセになるのである。それに、自主製作でCDをリリースしているにせよ、まぎれもなくメジャーアーティストである『モンキーワンダー』と対等の勝負ができるというのは、大した話であった。
あかりは心から、花子のことを尊敬している。
彼女は十数年にわたって活躍するプロファイターであると同時に、魔法少女カフェを経営するオーナーであり、投資家であり、インディーズのミュージシャンであり、動画チャンネルの管理人でもあるのだ。さらにはイラストの技量もアマチュア離れしているし、集団の場ではリーダーシップを発揮できるし、どのような場でも他者への気づかいを忘れないし――要するに、あかりとは正反対の存在であった。
「やっぱり鞠山選手は、すごいっすね。バンドのみなさんとも、呼吸はばっちりみたいです」
瓜子もまた、心からの笑顔でそのように言っていた。
その可愛らしい笑顔に、あかりはつい胸をときめかせてしまう。彼女はいつでも魅力的であったが、今日はその魅力が倍増していた。
(猪狩さんは、何かいいことでもあったのかな。……まさか、彼氏ができたとかじゃないよね?)
もちろん彼女ぐらい魅力的であれば、いつ恋人ができてもおかしくはない。というよりも、彼女が独り身であるほうが、むしろ不思議なぐらいであった。
しかし、年頃の女性にとって、恋愛というのは大きな比重を占めるものであろう。もしも瓜子に恋人ができたら、自分たちとは疎遠になってしまうかもしれない――あかりはいつでも、そんな不安を抱えていたのだった。
そんな中、『モンキーワンダー』と『まじかる☆まりりん』のステージは終わりを迎える。
ここからは、あかりたちもウォームアップの時間であった。
「さー、最初の出番は、あたしだね! みんな、ライブに夢中になって、あたしの試合を忘れないでよー?」
久子の出番は第二試合、瓜子は第四試合、あかりは第六試合という予定であった。《アトミック・ガールズ》ではなかなかありえない話であるが、急遽の出場となった彼女たちは格下の選手が相手であり、トップファイターを相手取るあかりが最後の出番となってしまったのである。
久子の陣営は入場口へと向かい、あかりと瓜子の陣営は控え室に戻る。ただし、八試合中の五組は男子選手であったため、女子選手の三組には小ぶりの専用控え室が準備されていた。
運営陣のはからいで、《アトミック・ガールズ》を主戦場にする三組は同じ青コーナー陣営に割り振られている。この時間は、あかりと瓜子の陣営が独占できるのだ。ただ、二組の陣営だけでもなかなかの賑やかさであったため、あかりがこっそり瓜子に呼びかける機会は得られなかった。
「皆の衆、お疲れ様だわよ。わたいのステージで、心のウォームアップも万全なんだわよ?」
と、魔法少女の扮装のまま、花子までもがやってきた。わずか三十分のステージで汗だくの姿であるが、メイクはきっちり整えられている。魔法少女としては決して隙を見せることのない彼女であるのだ。
「鞠山選手こそ、お疲れ様です。今日も最高のステージでしたね」
瓜子が真っ先に声をかけると、花子は得意そうにずんぐりとした胴体をそらした。
「わたいはいつでも絶好調だわけど、今日は『モンキーワンダー』もいつも以上にノリノリだったんだわよ。ずっとレコーディングでスタジオにこもってたから、ステージの熱気に飢えてたんだわね」
「あ、『モンキーワンダー』のみなさんもレコーディングだったんすね。ワンドとベイビーのみなさんも、ひさびさのライブだって大はしゃぎでしたよ」
「それなら、期待大だわね。わたいはのんびりくつろぎながら、そのはしゃぎっぷりを堪能させていただくだわよ」
「あはは。よかったら、自分たちの試合も見守ってくださいね」
そのように答える軽妙さも、普段以上であるように感じられる。明らかに、瓜子はいつもよりも昂揚しているようであった。
あかりはその理由が気にかかってならないが、やはり人前では問い質すこともできない。そうしてひとりでもじもじしていると、花子が眠たげなカエルのような目を向けてきた。
「あかりんは、何を身もだえてるんだわよ? わたいたちのステージで、発情のスイッチでも入ったんだわよ?」
「は、発情なんてしていません。あんまりおかしなことばかり言わないでください」
「あかりんをからかうのは、いまやわたいのライフワークなんだわよ。でも今は、試合に集中するべきだわよ?」
やはり花子は、あかりの動揺などお見通しであるのだ。あかりは心も定まらないまま、「はい!」と背筋をのばすことになった。
そんな中、モニターでは第一試合が始められている。若手の男子選手の一戦だ。ただこの大きなイベントに抜擢されるだけあって、どちらも気合は十分であった。
そちらの試合が赤コーナー陣営のKO勝利で終了すると、久子の入場が開始される。こちらのイベントは現在の《アトミック・ガールズ》ほど試合衣装の規制が厳しくないために、本日の彼女は白いレオタードに黒のロングスパッツという、バニーガールそのものの姿であった。
客席は、これまで以上の大歓声だ。久子は三月の試合でタイトルマッチに敗れてしまったが、人気が落ちた気配はない。彼女はそれだけの実力と、そして恵まれた容姿を兼ね備えているのだった。
(……あらためて、ファイターとは思えない色気だなぁ)
彼女は四月ぐらいから、グラビアアイドルとしての活動を開始した。その成果は、先月あたりから書店やコンビニにて開示されていたのだ。彼女はきわどいビキニ姿で、数々の情報誌や漫画雑誌などの表紙を飾っていたのだった。
なおかつ瓜子のモデル活動も、相変わらず世間を席巻している。そちらは水着姿ばかりではなく、最近ではファッション誌やさまざまな企業の広告などでも猛威をふるっていた。健康食品やスポーツ飲料、果てには携帯端末などの広告でも、彼女の愛くるしい画像が採用されているのだ。撮影の現場で笑うことが苦手であるという彼女はおおよそクールな面持ちであったが、それはそれで普段とは異なる魅力が満ちあふれていた。
(いっぽう灰原さんは、色気ばっかり売りにしてるけど……それだって、大したもんだよなぁ)
多賀崎真実や四ッ谷ライオットのコーチ陣を引き連れた久子は意気揚々と花道を踏み越えて、ケージに上がり込んだ。
赤コーナー陣営から登場したのは、《アトミック・ガールズ》には出場経験のない《NEXT》の中堅選手だ。同じく《NEXT》を主戦場にする武中キヨよりも戦績はふるわないという話であるので、はっきり格下と言えるだろう。それでも彼女は大物食いをするべく、全身に闘志をみなぎらせていた。
だが――結果は一ラウンド五十七秒、久子のKO勝利である。
なんの文句もつけようのない、秒殺勝利だ。瓜子とのタイトルマッチでは一ラウンドで敗れてしまったが、やはり彼女の実力は本物であった。
「へっへーん! ひさびさの試合だったからじっくり楽しみたかったけど、あたしが強すぎて秒殺になっちゃった!」
控え室に凱旋してきた久子は、立派な胸もとをそらしながらそんな風に言っていた。そんな言葉を吐いても憎めないのは、持って生まれた愛嬌のおかげであろう。瓜子や花子ほどではないにせよ、彼女も十分に光り輝く存在のひとりであった。
そうして二試合目が終わったならば、ライブステージの時間となる。そこで出番となったのは、最近名をあげてきた新人のロックバンドであった。
リハーサルを拝見した限り、あまり趣味に合う感じではなかったので、あかりたちは控え室でウォームアップを継続する。手早くシャワーを浴びた久子は濡れた頭をタオルでかき回しながらモニターを覗き込み、「ふーん」と鼻を鳴らした。
「本番も、リハの印象とあんまり変わらないみたいだねー。やっぱ、そうそうかっちょいいバンドなんて転がってないのかー」
「失礼きわまりないウサ公だわね。新人バンドにモンキーやベイビーやワンドのレベルを求めるのは、酷ってもんだわよ」
「あー、そのお人らのおかげで、あたしもすっかり目が肥えちゃったのかなー! あのナントカっていう陰気くさいバンドなんかは、趣味に合わなくっても見ごたえがあったんだけどねー!」
「『ザ・フロイド』は、全国ツアーの真っ最中なんだわよ。ついでに言うと、『オーギュスト』はヨーロッパツアーの真っ最中だわね」
花子のそんな言葉に、久子はきょとんと目を丸くした。
「えーと、『オーギュスト』って、あのピエロ女のダンスユニットでしょ? ヨーロッパって、なんの話?」
「『オーギュスト』は三人編成になってからのライブ動画がバズって、海外人気が炸裂したんだわよ。それであっちのプロモーターから、ヨーロッパツアーを打診されたわけだわね」
「えーっ! すっげーじゃん! あいつら、いつの間にそんな成り上がってたのー?」
「今年に入ってから、怒涛の勢いなんだわよ。まったく、無知なウサ公だわね」
花子はそのように語っていたが、プレスマン道場の陣営も四ッ谷ライオットの陣営も、等しく目を丸くしていた。花子ほどあらゆるジャンルにアンテナをのばしている人間は、そうそういないのである。あかり自身、花子から聞いていなければ『オーギュスト』の去就などまったく耳に入っていなかったはずであった。
「ちぇー! すっかりこっちに顔を出さないと思ってたら、本業のほうで大成功してたのかー! なーんか、悔しいねー!」
「ふふん。能無しのウサ公は、嫉妬と羨望にまみれる姿がお似合いだわね」
「そーじゃなくってさ! 『トライ・アングル』のほうがカッコいいのにピエロ女のほうが先に売れるなんて、悔しいじゃん!」
あかりは思わず息を呑んで、瓜子のほうをうかがってしまった。
しかし瓜子は、きょとんとした顔である。そしてその顔には、すぐさま屈託のない微笑が浮かべられた。
「別にそんな、悔しがる必要はないんじゃないっすかね。『オーギュスト』はダンスチームで、『トライ・アングル』はロックバンドなんですから」
「でもさー! 『トライ・アングル』だって『アクセル・ロード』で映像を使われたりしてたじゃん! もしピンク頭が元気だったら、北米ツアーのお誘いとか――」
「おい」と、多賀崎真実が久子の頭を小突いた。
久子はうろんげに眉をひそめてから、速やかに慌てふためく。
「あ、いや、別にその、ピンク頭のせいで売れるチャンスを逃したとか、そーゆー話じゃなくってさ!」
「それ以外に、どういう解釈があるんだわよ? これはうり坊の鉄拳制裁が炸裂するだわね」
「うり坊、ごめーん! ぶってもいいから、あたしのことキラいにならないでー!」
久子が瓜子の肩をつかんでがくがく揺さぶると、瓜子はいっそう和やかに「あはは」と笑った。
「別にそんな話で、怒ったりしませんよ。灰原選手の仰る通り、『アクセル・ロード』で映像を使われて以来、『トライ・アングル』の海外人気はすごいんすから」
「あ、そーなの? でも……それならいっそう、チャンスを逃しちゃったんじゃ……」
「チャンスって、海外進出とかそういうお話っすか? ユーリさんはもちろん、メンバーの方々からもそういう声はあがってないっすね。海外人気のおかげでデジタル音源の売れ行きが飛躍的に上がったみたいですから、それだけで十分なんだろうと思いますよ」
「そうだわね。だいたいピンク頭は、ファイターが本業なんだわよ? 本業と副業の両方で海外進出なんて目指したら、身がもたないんだわよ。ワンドやベイビーのメンバーだって、海外進出を目指すならまず自分たちのバンドでと奮起するはずなんだわよ」
花子は腕を組んでそっくり返りながら、そのように主張した。
「ピンク頭もワンドもベイビーも、まずは本業の充実を目指すべきなんだわよ。そんなメンバーが寄り集まって、本業に負けないぐらいの盛り上がりを見せるっていうのが、副業のユニットとしては理想の形なんだわよ。『トライ・アングル』は、まずまず理想的なシステムを構築してるだわね」
「ありがとうございます。鞠山選手にそんな風に言ってもらえるのは、何より心強いっすね」
瓜子が天使のような笑顔を、花子のほうに向ける。
そっくり返っていた花子は、いっそうまぶたを下げながらその笑顔を見返した。
「うり坊は、いつになくご機嫌なんだわよ。何かいいことでもあったんだわよ?」
「ええ。実は、そうなんです」
瓜子がそのように答えたので、あかりは思わず息を呑んでしまった。
そんなあかりの内心も知らず、瓜子は無邪気な笑顔で言葉を重ねる。
「ユーリさんがもう三週間ぐらい熱を出してないってお話は、みなさんにもお伝えしたでしょう? それで……今月いっぱい様子を見て、このまま容態が安定しているようだったら、退院に向けて最後のステップに進もうっていう話になったんです」
「なるほどだわよ。それはうり坊も顔がにやつくわけだわね」
「はい。今日のイベントが終わったら、みなさんにお伝えしようと思ってたんすけど……どうしても、内心がこぼれちゃいました」
そのように語りながら、瓜子はますます輝くような笑顔になっていく。
その笑顔を見やりながら、あかりはがっくりと肩を落とすことになった。
(そっか。だから猪狩さんは、ずっとにこにこしてたのか……恋人でもできたんじゃないかだなんて、下衆の勘繰りだったなぁ)
そうしてあかりがひとり嘆息をこぼしていると、ひたひたと近づいてきた花子がこっそり耳打ちしてきた。
「まあ、こんなことだろうと思ってただわよ。あかりんの取り越し苦労だっただわね」
「え? な、なんのお話ですか?」
「わたいの口から、それを言わせるんだわよ?」
あかりは自分が抱えていた疑念について、花子には何ひとつ打ち明けていない。
しかしやっぱり、花子はあかりの心情などすべてお見通しであったのだった。




