07 episode6-4 新たな展開
敗者のインタビューにおいて、トレーニングルームにひとり座したエイミー選手は、がっくりとうなだれてしまっていた。
『わたしは、努力が足りていなかった。もっともっと、日本人選手について研究しておくべきだった。自分の驕りと慢心を、心から恥ずかしく思う。イーハンにばかり気を取られていたわたしは、きっとこの場に立つ資格がなかったのだろう。……わたしは、ゼロからやりなおす。そして絶対に、今日の雪辱を晴らしてみせる』
それから画面は、シンガポール陣営のダイニングに切り替えられる。
そこに映し出されるのは、イーハン選手とヌール選手のみだ。
『まさかこっちの陣営が、たった二人しか残されないなんてね。まあ、最後にはわたしが優勝するんだから、過程なんてどうでもいいんだけど……これじゃあシンガポールのレベルが低いと思われかねないよね』
『……あなたが優勝するならば、そのように思われる心配もないのでは?』
『あはは! あなただって、優勝を目指してるんでしょう? シンガポールで強いのはわたしひとりなんて結果にならないように、せいぜい頑張ってよね!』
二勝六敗という残念な結果に終わりながら、イーハン選手はあくまで朗らかであり、ヌール選手は沈着であった。
そうしてしばらく両選手のやりとりが続けられてから、画面は日本陣営のダイニングに切り替えられる。そちらでは、沙羅選手が小ぶりのビール瓶を掲げていた。
『とりあえず、一回戦終了お疲れさん。脱落者が二人で済んだんなら、まあ上出来やろ』
こちらには、六名の選手が残されている。沙羅選手、多賀崎選手、魅々香選手、宇留間選手、青田ナナ――そして、ユーリだ。
これはおそらく、後半戦の試合当日の夜なのだろう。ユーリは試合映像と変わらぬ痛々しい姿で眠そうな顔をしていたし、魅々香選手は右肘をテーピングでがちがちに固められている。やはり腕ひしぎから無理に逃げた影響で、古傷を抱えた右肘を痛めてしまったようだ。
『理想は八人全勝だったけど、さすがにそこまで甘くなかったね。沖さんや鬼沢の分まで、あたしらが踏ん張ろう』
多賀崎選手がそのように言いたてると、意見は真っ二つに割れた。
『そない言うても、次からは日本人同士で潰し合いやで?』
『そうですね。MMAは個人競技なんだから、個人の勝利を目指すべきでしょう』
『あたしは最初から、そのつもりだよ。国なんて関係なく、誰とも馴れあうつもりはないね』
『で、でも……やっぱりこれだけの日本人選手が勝ち残れたのは、とても心強く思います』
『そうですねぇ。ユーリもとっても嬉しいですぅ。……ふわーあ』
そんなやりとりを聞いているだけで、瓜子はまた涙ぐんでしまいそうだった。
ユーリの呑気さも、多賀崎選手の実直さも、沙羅選手の人の悪さも、魅々香選手の謙虚さも、青田ナナの頑なさも――この際は、のほほんとしていながら意見の合わない宇留間選手の人柄も、瓜子にとっては嬉し涙を誘発する一因となりえた。
だが――そこに、重々しいナレーションがかぶせられてくる。
『六勝二敗という見事な戦績を残し、わきかえる日本陣営。確かに彼女たちは、素晴らしい結果を残すことができた。しかし――勝利と引き換えに栄光への道を失う人間が、この中にひとりだけ存在したのだった』
瓜子はハッと息を呑み、灰原選手が「えーっ!」と怒声を張り上げた。
「何それ! どーゆー意味だよー! まさか、マコっちゃんの勝利にケチをつける気じゃないだろーねー!」
その答えは、すぐさま示されることになった。
翌朝、魅々香選手が合宿所を出て、ひとりでワゴン車に乗り込む姿が映し出されたのだ。
『「アクセル・ロード」に参加した選手は、試合で負けるまで合宿所を出ることが許されない。ただひとつ――大きな怪我を負った選手は、病院で診察を受けることが許されていた』
魅々香選手はキャップを深くかぶって、目もとの表情を隠している。
その右腕は、アームホルダーで吊られていた。
そして画面が、診察室と思しき場所に切り替えられる。
右腕のレントゲン画像を指し示しながら、初老の男性医師がしかつめらしく語り始めた。
『右肘の内側側副靱帯が損傷し、剥離骨折を起こしています。全治三ヶ月の重傷ですね。……医師として、こちらの負傷が完治するまで試合は許可できません』
魅々香選手は深くうつむいたまま、無言である。
試合を欠場することになったのは、魅々香選手であったのだ。
こちらのリビングでも、高橋選手たちは言葉を失ってしまっていた。
画面は速やかに、合宿所のトレーニングルームに切り替えられる。
卯月選手によって魅々香選手のリタイアが告げられると、ユーリが『えーっ!』と大声を張り上げた。
『せっかく勝ったのに、もう試合をできないんですかぁ? ……そんなの、魅々香選手がお気の毒ですぅ』
そんな風に語りながら、ユーリはぽろりと涙を流した。
これは決して、演技ではない。ユーリは演技で涙を流せるような人間ではないのだ。
よって瓜子も、こらえていた涙をこぼすことになってしまった。
『……これは、わたしの力が足りていなかった証拠です。どうかみなさんは、最後まで悔いのないように頑張ってください。わたしは、日本で応援しています』
ユーリに負けないぐらい可愛らしい声で、魅々香選手はそう言った。
彫りが深くて陰影の濃いその顔は、何の表情もたたえていない。ただ、その引き締まった頬にひと筋だけ涙がこぼれ落ち――それで瓜子は、いっそうの涙をこぼすことになってしまった。
『栄光への道は、決して平坦なものではない。彼女たちは盟友の不幸によって、それを思い知らされることになった。しかし、それだけの困難を乗り越えた者だけが、《アクセル・ファイト》で栄光をつかみ取れるのである』
そんなナレーションとともに、モノクロの映像が流される。おそらくは過去の『アクセル・ロード』において負傷欠場となった選手たちの姿であろう。ある選手は涙を流し、ある選手は床に突っ伏し、ある選手は怒りにまかせて病室の壁を殴りつけ――番組としては必要な演出であったのかもしれないが、瓜子としては胸が悪くなるばかりであった。
そして画面は朝日に照らされる合宿所の外観に切り替わり、日時の経過が表現される。
その次に映し出されたのは、両陣営の選手とコーチだけがたたずむ試合場の様子であった。全員が、トレーニングウェアの上から赤と青のタンクトップを着込んでいる。
魅々香選手のリタイアからそれなりの時間が経過したようで、ユーリはいつもの呑気な面持ちに戻っていた。他の面々も、普段通りのたたずまいだ。
そして扉の向こうから、運営代表のアダム氏が登場する。
『お待たせしました! 本日は、二回戦目のカードを発表いたします!』
アダム氏は、本日も元気いっぱいの様子である。
『そしてその前に、まずはこの選手を紹介いたしましょう! 負傷欠場となったミカ・ミドウの代わりにリザーブ要員として参戦することになった、日本陣営のニューウェーブ……マリア・ハネダです!』
アダム氏が登場したのと同じ扉から、マリア選手が姿を現した。
首から下は、赤を基調とした赤星道場のトレーニングウェアである。
しかしその顔は、いつもの青いレスラーマスクですっぽり隠されている。マリア選手はアダム氏のかたわらまで進み出てから、そのレスラーマスクを無人のケージへと投げ入れた。
『マリアです! みなさん、よろしくお願いします!』
マリア選手は日本語でそのように挨拶をしてから、同じ内容を英語で繰り返した。
そして画面は、マリア選手の紹介映像に切り替えられる。
『マリア・ハネダ。彼女は伝説の覆面レスラー、アギラ・アスールの娘であり、現在も北米で活躍する人気レスラー、グティ・アレハンドロの異母妹である』
画面には、覆面をかぶったアギラ・アスールと素顔で微笑むグティの姿がそれぞれ映し出される。
『古き時代には、彼女の父と兄もMMAにチャレンジしていた。彼女が受け継いだのは、プロレスラーではなくMMAファイターとしての血脈である。父親ゆずりの身軽さに、兄にも負けないパワフルなファイトスタイル。優雅なステップワークと強烈なスープレックスを武器に、マリア・ハネダは日本のマットで確かな結果を残している。参加選手の負傷欠場によってつかんだこのビッグチャンスを、彼女は活かすことができるだろうか』
『出場するからには、もちろん優勝を狙います! 日本もシンガポールも関係なく、ケージで向かい合った相手に全力で挑むだけです!』
マリア選手が高橋選手にしなやかな左ミドルを叩きつける映像を背景に、元気な声が響きわたった。これは《アトミック・ガールズ》の無差別級王座決定戦における、リザーブマッチの模様である。彼女は十キロ以上も重い高橋選手から三度のダウンを奪い、TKO勝利を奪取してみせたのだ。
『こちらのマリア・ハネダを加えた八名で、二回戦目の組み合わせを決定いたしました! 今から、その内容を発表いたします!』
画面が試合場に戻されて、アダム氏がそのように宣言する。
すると、にこやかな表情をしたイーハン選手が発言を求めた。
『その前に、陣営はこのままで進められるのですか? わたしはまったくかまいませんけど、日本の方々は対戦相手と同じ場でトレーニングを積むことになってしまいますよね?』
『はい! 本来であれば各陣営の人数をそろえてから、試合の組み合わせを決定します! ですが今回は試合までの日取りにゆとりがなかったため、先にカードを決定して、希望者に移籍してもらうという形を取ることになりました!』
『なるほど。日本人同士の対戦となる二組の中から、それぞれ一名ずつがこちらに移籍してくるわけですね。誰が移籍してくるのか、楽しみです』
何やら説明的な会話であるので、これは台本なのかもしれない。
まあ、瓜子にとってはどうでもいい話だ。それより気になるのは、二回戦目の組み合わせであった。
『それでは、発表します! 第二回戦、第一試合は……青、チハナ・ウルマ! 同じく青、マリア・ハネダ!』
初っ端から、瓜子は息を呑むことになってしまった。
マリア選手は初回から、とんでもない暴れん坊である宇留間選手を相手取ることになってしまったのだ。
歴戦のアウトファイターであるマリア選手と非常識の権化たる宇留間選手がやりあったら、いったいどのような結果になるのか――瓜子には、想像もつかなかった。
『続いて、第二試合は……赤、ヌール・ビンティ・アシュラフ! 青、シャラ・カモノハシ!』
沙羅選手は、鬼沢選手に完勝したヌール選手が相手であった。マレー系で、どこかベリーニャ選手を思わせるたたずまいの、謎めいた選手である。
『続いて、第三試合は……青、ナナ・アオタ! 同じく青、マコト・タガサキ!』
多賀崎選手は、青田ナナとの対戦だ。
《フィスト》における、バンタム級王者とフライ級王者の対決である。まだ瓜子の身にしがみついていた灰原選手の腕が、ぎゅっと力を込めてきた。
『そして、最後の第四試合は……赤、イーハン・ウー! 青、ユーリ・モモゾノ!』
ユーリはシンガポール陣営のナンバーワン選手、イーハン選手である。
このマッチアップにどのような意味や期待が込められているのか、瓜子にはさっぱり見当もつかなかった。
『第二回戦の組み合わせは、以上の結果になりました! よって、第一試合と第三試合に選ばれた四名の中から、二名に陣営を移っていただきたく思います!』
『だったら、話が早いね。あたしとマリアがそっちに移って、それでおしまいだ』
青田ナナが、ぶっきらぼうに言い捨てる。
カメラが切り替えられて、アダム氏のアップとなった。現地ではそれぞれの言葉が通訳されながら会話が進められているはずだが、通訳のシーンはカットされて映像が繋ぎ合わされているのである。
『あなたとマリア・ハネダが、移籍を希望するのですか?』
『ああ。うちの道場は、この卯月ってお人と因縁を抱えてるからね。陣営を移れるなら、それが一番さ』
『なるほど! チハナ・ウルマとマコト・タガサキも、異存はないですか?』
『ええ。異存はありません』
『わたしもです。わたしは英語もポルトガル語も喋れないので、こちらの陣営のままのほうがありがたいですね』
宇留間選手の言葉は字幕でそのように表示されていたが、沖縄語の肉声のほうでは明らかに『ブラジル語』と口にしていた。
『それでは、ウヅキとジョアンはいかがでしょう?』
『はい。本人たちが希望しているのなら、何も異存はありません』
『私も、異存はありません。国の区別なく、公平に指導するだけです』
そうして、話はまとまった。
日本陣営に残留するのは、ユーリ、多賀崎選手、沙羅選手、宇留間選手の四名である。マリア選手とはいきなり陣営が分かれることになってしまったが、彼女の無邪気さを苦手にするユーリには幸いな結果であるのかもしれなかった。
そうして青田ナナとマリア選手は青いタンクトップを脱ぎ捨てて、赤いタンクトップを身に纏う。それからあらためて、四人対四人で向かい合う姿が映し出されて――それで、番組は終了であった。
「……ミミーは残念だったね」
灰原選手がしょんぼりした声で呼びかけると、高橋選手は「ええ」と力強く応じた。
「でも、こればっかりはしかたありません。相手は海外のトップファイターで、しかも一階級上の選手だったんですからね。それに勝っただけでも、御堂さんは立派なもんですよ」
そんな風に言ってから、高橋選手は拳で自分の膝を殴りつけた。
「一番悔しいのは御堂さん本人なんだから、あたしが泣き言なんて言ってられません。……御堂さんはすぐに復帰して、また大暴れしてくれるはずです」
「うん! ヒマができたら、ミミーも一緒に遊ぼーね! ……そうだ! 今の内にメッセージを入れておこーっと!」
灰原選手は慌ただしく携帯端末を取り上げて、メッセージを打ち込み始めた。
瓜子は、気持ちがまとまらない。負傷欠場となったのがユーリでなかったのは幸いな話であるが――かといって、魅々香選手の心情を思いやらずにはいられなかった。
(でも、高橋選手の言う通りだ。一階級上の外国人トップファイターに勝つなんて……あたしで言ったら、ヌール選手やユーシー選手に勝つようなもんなんだからな。それも初めての海外で、十ヶ月ぶりの試合で……こんなにすごい話はないよ)
瓜子がそんな思いに沈んでいると、蝉川日和が「ところで」と声をあげた。
「ユーリさんは、シンガポールのナンバーワン選手に当てられちゃったッスね。これも何か、運営陣の思惑があってのことなんスか?」
「そんなもんは、運営陣にしかわからねーよ。ただ……もう片方のマレー女がプロレス女にぶつけられたってことは……どっちが勝っても損のねーようにって思惑なのかもなー」
サキがそのように答えると、蝉川日和は「損ッスか?」と小首を傾げた。
「ああ。こいつは国別対抗戦なんだから、二回戦目でシンガポール陣営が全滅したら、ちっとばっかり興ざめだろ。かといって、ここまで勝ち進んだ日本連中にも穴はねー。乳牛と沖縄女は測定不能だし、プロレス女はノーダメージの完勝、地味めの二人は優勝候補の一角を崩して、メキシコ女は途中参加で体力的に余裕があるしなー」
「もー! マコっちゃんまで、地味あつかいしないでよ! ……で、どうしてピンク女と沙羅が選ばれるわけ?」
「運営陣としては、ツラのいい乳牛とプロレス女が勝ち上がるのはありがてーんだろ。こいつらに負けてシンガポール陣営が全滅するなら、あきらめもつくって判断じゃねーか?」
「あー、そーゆ―ことか―。……でも、どうしてピンク頭のほうに一番強そうなやつを当てられちゃったんだろ?」
「そりゃー乳牛を優遇してねーとアピールするためじゃねーか? マレー女も同レベルの実力に思えてならねーけど、あっちはネームバリューが足りてねーからなー」
サキの言葉には、強い説得力が感じられる。
しかし、運営陣の思惑などは、どうでもいいことだ。どのような理由があるにせよ、ユーリがシンガポール陣営のナンバーワン選手を相手取るという事実に変わりはなかったのだった。
(でも、試合をできるだけ幸せなことだ。どうか頑張ってください、ユーリさん。……魅々香選手や沖選手や鬼沢選手の分まで)
そうして瓜子はユーリの勝利を祝福すると同時に、すぐさま次なる試合への期待と不安を抱え込むことになってしまったわけであった。




