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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
20th Bout ~Separation autumn -October-~
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04 決勝戦

 蝉川日和が勝利した準決勝戦から一時間ほどが経過して、さまざまな階級の王者が決定されたのち、ついに女子中量級の出番が巡ってきた。

 蝉川日和はその少し前からウォームアップを始めていたが、いくぶん左足をかばっているように見受けられる。しかし、その顔には闘志がみなぎったままであった。


「試合が始まれば、アドレナリンでこんな痛みも吹っ飛ぶッスよ! 絶対にKOで勝ってみせますね!」


「KOにこだわる必要はねえが、決勝戦は三ラウンドだ。アウトファイターを相手にそこまで引っ張られたら、スタミナ不足のお前さんは不利になるだけだからな。初回から、飛ばしていけ」


「頑張ってください、蝉川さん。ギアを上げながらも、熱くなりすぎないように」


「相手は蝉川サンよりコンパスがあって、ローを得意にしているのです。くれぐれも、ディフェンス重視なのです」


「はいッ! おまかせあれッス!」


 青いヘッドガードとグローブを装着して、蝉川日和は三度目のリングに出陣する。

 いっぽう相手はこれで四試合目であったが、いずれも一ラウンドKO勝利であったため、スタミナにも問題はないようだ。そしてヘッドガードの下の顔は、いかにも楽しそうににこにこと笑っていた。


「そういえば、二階堂さんは大江山さんの同窓生なんすよね。蝉川さんも含めて、この世代にはクセモノが多いみたいです」


「……それは彼女たちと同世代である、愛音への当てこすりなのです?」


「はい。一番厄介なクセモノは、邑崎さんだと思いますよ。もちろん、選手としての話です」


 瓜子たちがそんな言葉を交わしている間にルール確認が終了し、決勝戦が開始された。

 二階堂ルミはこれまで通り、力強いステップでリング内をサークリングする。

 そうして蝉川日和が突進すると、すぐさまアウトサイドに逃げて、右のアウトローを叩きつけてきた。

 蝉川日和はきっちりと足を上げてカットしたが、足先が流されている。やはり二階堂ルミのローは、細田選手よりも強烈であるようだ。


 二階堂ルミは蝉川日和よりも四、五センチぐらいは長身で、おまけに肉づきがいい。身長でまさっている上に、肉厚の体形であるのだ。当日の計量であるのだから大幅なリカバリーは望めないとすると、あとは骨格や筋肉の質の問題であるはずであった。


(蝉川さんだって、そこまで華奢なわけじゃないのにな。アマチュアであそこまで身体が仕上がってるってのは、それだけで大きな武器だよ)


 瓜子のそんな感慨もよそに、二階堂ルミは力強いステップワークで蝉川日和を翻弄している。そうして遠い距離から、左右のローを飛ばしてくるのだ。これはまさしく、マリア選手を彷彿とさせるファイトスタイルであった。


(でもこれは、MMAじゃなくキックだからな。マリア選手ほど厄介ではないはずだぞ)


 マリア選手が怖いのは、接近戦において組み技を得意にしている点である。それで対戦する人間には、いっそうの慎重さが求められてしまうのだ。

 しかしキックの試合であれば、組み技やスープレックスを恐れる理由もない。蝉川日和もまた不屈の闘志で左足の痛みをこらえて、二階堂ルミに追いすがろうとしていた。


 その甲斐あって、両者の距離はじわじわと詰まりつつある。八角形のケージよりも四角いリングのほうが、逃げる相手をつかまえやすいという面もあるのだ。蝉川日和は愚直な前進によって、ついに相手をコーナーに追いつめた。


 すると――蝉川日和よりも早く、二階堂ルミのほうが拳を射出する。

 サウスポーから繰り出される、右のジャブだ。それは正確に蝉川日和の顔面をとらえ、それで動きが止まった間隙を見逃さずに、二階堂ルミはするりとコーナー際から脱出してしまった。


「くそっ。パンチの技術も、なかなかじゃねえか。……怯むな! 手を出していけ!」


 蝉川日和は、決して怯んだりはしていないだろう。ただ彼女は距離をつかむのが得手であるため、当たる見込みのないパンチは出さない傾向にあるのだ。彼女はスタミナに難があるので、無駄打ちを抑えられるというのは大きなメリットであった。

 しかしまた、蝉川日和はこの試合でまだ一発の攻撃も出せていない。つまり、いまだ一度として自分の間合いまで踏み込むことができていないのだ。やはり、前足のダメージが彼女の機動力を削ってしまっているようであった。


「一分経過なのです! 残り半分なのです!」


 蝉川日和は決死の形相で、前進を再開する。

 しかし、左右のローに右ジャブまで追加して、二階堂ルミは接近を許さなかった。試合が長引くごとに、彼女の技術の高さがあらわになっていくようだ。


「……蝉川、手を出せ! いいから、手を出せ!」


 サイトーのアドバイスが、これまでと異なる響きを帯びた。

 そのわずかなニュアンスを読み取ったのか、あるいは素直なだけなのか――蝉川日和は、届かない距離から右フックを繰り出した。


 左ローのモーションに入っていた相手は、慌てて距離を取る。当たる距離ではなかったが、その拳の勢いに気圧されたのだろう。蝉川日和のパンチというのは、それだけの迫力を有しているのだ。


 その後、蝉川日和は左右の拳を出しながら前進した。

 そのおおよそは横殴りのフックであるため、なかなかの迫力だ。それで二階堂ルミは、下がるいっぽうになってしまった。


(なるほど。手を出すことで、相手の反撃を封じたのか)


 しかしこれは、諸刃の剣である。パンチの空振りというのは、著しくスタミナを削るものであるのだ。さまざまなタトゥーに彩られた蝉川日和の身は、あっという間に汗で光ることになった。


 しかし、パンチの勢いも追い足の勢いも止まらない。

 すると二階堂ルミも、再びコーナーに詰まることになった。数十秒前と、同じ展開である。


 二階堂ルミは、右ジャブを繰り出した。

 蝉川日和は、左フックを繰り出した。


 命中したのは、相手の攻撃だ。蝉川日和は、まだ間合いの外から手を出していたのだった。

 しかし蝉川日和の拳も、相手の鼻先をかすめている。

 それで相手も、とっさに足を使うことができなかったのだろう。

 蝉川日和はさらに踏み込み、今度は当たる位置から右拳を繰り出した。それも、脇腹を狙ったボディフックだ。


 蝉川日和は、やはり当て勘がいい。相手がどこを防御しているかを瞬時に判断し、もっとも効果的な攻撃を出すことができるのだ。

 結果、そのボディフックはクリーンヒットした。逆の脇腹であればレバーブローとなって、ダウンぐらいは奪えたことだろう。


 二階堂ルミは身を折りつつ、長い両腕で相手を突き放そうとする。

 それを振り払うようにして、蝉川日和は左フックを繰り出した。今度は、右テンプルにクリーンヒットだ。

 二階堂ルミはぐらりと倒れかかったが、コーナー際であったためロープに寄りかかる体勢になる。その腹に、蝉川日和は右のボディアッパーを叩きつけた。さらに、左のフックと右のフックだ。


 レフェリーは両者の間に割って入り、スタンディングダウンを宣告する。

 蝉川日和はニュートラルコーナーまで下がりながら、ぜいぜいと息をつく。

 二階堂ルミはカウントフォーでファイティングポーズを取り、それと同時にラウンド終了のホイッスルが鳴らされた。


 瓜子はエプロンサイドから椅子を出し、チーフセコンドであるサイトーだけがリングに上がる。ほとんど倒れ込むように座った蝉川日和は、愛音が背後から差し出したドリンクボトルからむさぼるように水分を補給した。瓜子は氷嚢で、ダメージを負った左足のアイシングだ。


「ちっとばかり後手になっちまったが、確実にダメージを与えたぞ。お前さんも、スタミナは残されてるだろうな?」


「はい……ばっちりッス……」


「よし。次は手を出さずに距離を詰めろ。必要だったら合図を送るから、そうしたらまた間合いの外からでも手を出せよ。足のほうも、問題ねえか?」


「はい、たぶん……ちょっと感覚がないッスけど……」


 蝉川日和は息も絶え絶えであったが、その顔の闘志はまったく減じていない。その首筋に氷嚢をあてがいながら、サイトーは「よし」とうなずいた。


「相手のダメージの加減で、こっちの攻め手も変わるからな。しんどくても、耳をすませておけよ。チャンスがあったら、このラウンドで決めてやれ」


 一分間のインターバルは、あっという間に終了してしまう。

 セコンド陣は速やかにリング下に下り、第二ラウンド開始のホイッスルが鳴らされた。


 表面上、相手は元気なようである。

 さすがに笑ってはいなかったが、表情もにこやかなままだ。ただし、真っ当な人間である限り、その身には小さからぬダメージが蓄積されているはずであった。


(でも、蝉川さんもスタミナの限界が近い。たぶん勝負は、このラウンドだろう)


 対角線のコーナーからは、赤星弥生子が二階堂ルミに指示を送っている。

 その言葉に従ったのか、二階堂ルミは一ラウンド目と変わらぬ力強さでステップを踏み始めた。

 いっぽうこちらは、愚直な前進だ。左足のダメージもものともせず、蝉川日和は頭から突進した。


 二階堂ルミは、右ジャブで迎え撃つ。

 蝉川日和はそれをブロックして、さらに近づいた。

 二階堂ルミは足を使うが、ローは出せずにいる。ダメージかスタミナの影響で、そこまでのゆとりがないのだろう。これは、大きなチャンスであった。


 相手の背中がロープに近づくと、蝉川日和は大きく踏み込みながら右腕を振りかぶる。

 すると――二階堂ルミは逃げるのではなく、前進した。相手の身に密着する、クリンチだ。

 ただし、こちらの大会ルールにおいて、クリンチの状態から許されるのは一度の膝蹴りのみである。そして二階堂ルミはその膝蹴りすら出そうとしなかったので、すぐにレフェリーからブレイクを命じられることになった。


 リングの中央で、試合は再開される。

 そうすると、同じ現象が繰り返された。可能な限りはステップワークで距離を取り、距離が詰まったら密着して攻撃を潰す。キックのアウトスタイルでは常套手段であったが、これは厄介な展開であった。


「ふん。ダメージが抜けるまでの、時間稼ぎだな。……蝉川、手を出していけ!」


 相手陣営がどこまでこちらの状況を把握できているかは不明なれども、蝉川日和はガスアウトの一歩手前であるのだ。このまま二ラウンド目をしのがれてしまったら、勝利の確率は激減してしまうはずであった。


 蝉川日和は残されたスタミナを振り絞り、手を出しながら前進する。

 そうすると相手の右ジャブももらってしまうことになるが、この際はディフェンスよりもオフェンスを重んじるしかなかった。こちらのダメージが溜まる前に、相手により大きなダメージを与えるのだ。


 二階堂ルミの足取りに、乱れが生じる。

 赤星弥生子も、こちらに負けないほど声をあげていた。

 すると、二階堂ルミは足を止め、その場で左ミドルを繰り出した。

 フックのモーションでがら空きになっていた蝉川日和の胴体に、左ミドルがクリーンヒットする。


 しかし蝉川日和は身をひねっていたために、レバーだけは直撃されずに済んだ。

 それでも胴体をおもいきり蹴り抜かれたのだから、地獄の苦しみであっただろう。スタミナが尽きかけていたのなら、なおさらだ。


 蝉川日和は、前のめりに倒れ込んでいく。

 しかしその左足がぐっとマットを踏みしめて、横殴りに左腕を振りかぶった。

 体勢は崩れかけているのに、サイトーのライジングフックを思わせる迫力だ。


 二階堂ルミは蹴り足を戻しつつ、その攻撃をガードしてみせた。

 それは素晴らしい反応速度であっただろう。

 しかし、蝉川日和はすぐに次の攻撃を出していた。

 地を這うような、右アッパーである。

 それもまた、サイトーのカミカゼアッパーを思わせる迫力でうなりをあげ――完全に無防備であった二階堂ルミの下顎を、真下から撃ち抜いてみせたのだった。


 二階堂ルミは、背中から倒れ込む。

 蝉川日和は、ほとんどそれに抱きつくような格好で、前のめりに倒れ伏した。


 レフェリーは一瞬だけ迷ってから、そのまま「ダウン!」を宣告する。二階堂ルミはもちろん、蝉川日和も左ミドルをもらっていたため、両者ダウンと見なされてしまったのだ。

 サイトーは、仁王の形相でエプロンのマットを叩いた。


「立て! 根性みせろ! 引き分けなんざで、満足すんな!」


 蝉川日和は生まれたての小鹿のようにぷるぷる震えながら、身を起こした。

 そうして肩を上下させながら、レフェリーに向かってファイティングポーズを取る。

 レフェリーはファイブカウントまで数えたのちに蝉川日和の拳をつかみ、余力のほどを確かめてから、両腕を頭上で交差させた。


 が、アナウンス係は試合結果を発表できずにいる。レフェリーがどのような裁定を下したのか、外面からはうかがい知れなかったのだ。

 それを説明するために、レフェリーは蝉川日和の右腕を持ち上げた。


『二ラウンド、一分五十三秒。青、蝉川選手のKO勝利です』


 そのアナウンスを聞き届けてから、蝉川日和はへなへなとへたりこんだ。

 そしてそのまま腹部を抱え込み、「うー」と弱々しいうめき声をもらす。確かに彼女は、左ミドルのダメージでダウンをしていたようだ。


 なんとも締まらない結末であったが――ともあれ、蝉川日和はそうして《G・フォース》アマチュア全日本選手権の関東ブロック予選大会を優勝で飾ることがかなったのだった。

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