02 骨休め(下)
アミューズメント施設に到着したのちは、予定通りにめいっぱい遊ぶことに相成った。
何せ平日の朝方であったため、店内はきわめて閑散としている。きっと店のスタッフたちも、このような時間に団体客を迎えるとは想定外であったことだろう。それが女性ばかりの七名連れとあっては、なおさらであった。
午前の九時過ぎに到着して正午になるまでは、ひたすらボーリングとボルダリングである。ボルダリングというのは無数の突起物を頼りにして壁を這いのぼるというロッククライミングを模した遊戯であり、瓜子にとっては初めてのチャレンジであったが、なかなかに楽しいものであった。
そこでもっとも力を見せつけたのは、鞠山選手に他ならなかった。ほとんど垂直にそそりたった壁を、ひょいひょいと危なげなく這いあがってみせたのだ。それは何だか壁を這う虫を連想させるような姿であり、灰原選手に「気色わるーい!」と叫ばせていたものであった。
「これは全身の筋力とバランス感覚に加えて、もっとも正しいルートを選択する判断力が試される競技なんだわよ。低能ウサ公には、いささか高度かもしれないだわね」
「あたしだって、速攻で登ってみせたじゃん! それじゃあもっぺん勝負して、びりっけつは罰ゲームね!」
そうして登頂までのタイムが計測されると――僅差で優勝となったのはメイ、準優勝は鞠山選手、第三位が灰原選手という結果に落ち着いた。瓜子はちょうど真ん中の四位で、以下は蝉川日和、小柴選手と続き――高橋選手が最下位になってしまった。
「なーんだ。一番でっかいミッチーがビリになっちゃったのー? 手足が長けりゃ有利だろうに、だらしないなー」
「いやいや。これはきっと、身軽なお人のほうが有利ですって。あんまりおかしな罰ゲームは勘弁してくださいよ?」
「ふっふっふ。そいつは後でのお楽しみね!」
灰原選手の言う「後で」とは、正午を迎えてのランチタイムであった。そちらの施設はフードコートも充実していたので、そこで昼食をとることになったわけであるが――そこに名物の激辛ピラフというものが存在したのだった。
見た目はケチャップライスのようであるが、その赤みはハバネロソースのそれであるらしい。高橋選手は根性を見せて半分ぐらいは一気に食べてみせたが、そこでテーブルに突っ伏すことになった。
「……すみません、タップです。これ以上は、耐えられません」
「あはは! 頑張ったミッチーには、ホットティーのご褒美だよー!」
「……鬼ですか、灰原さんは?」
「いやいや、違うって! 熱いものを飲むと、辛み成分が溶けて楽になるんだよ!」
高橋選手は猜疑心に凝り固まった面持ちでホットティーをすすり、「本当だ」と目を丸くすることになった。
瓜子たちも残りの激辛ピラフを自ら口にして、その効能を確認する。そんな子供じみた行いも、楽しく思えてならなかった。
「……それにしても、こんなご馳走を目の前にするのは、ほとんど拷問ッスねー」
そんな言葉をこぼしたのは、蝉川日和である。事情を知らない小柴選手が、不思議そうに蝉川日和のしょげた顔を振り返った。
「拷問って、なんのお話ですか? そういえば、蝉川さんはあんまり食べてないみたいですね」
「あたしは週末、試合なんスよ。だから、減量の真っ只中なんスよね」
「週末……ああ、もしかしたら、《G・フォース》のアマ大会ですか? わたしの後輩もエントリーしてますよ」
すると、讃岐うどんをすすっていた鞠山選手がうろんげな視線を突きつけた。
「あんたはそんなにウェイトがかさんでるんだわよ? リミットまで、あと何キロ落とすんだわよ?」
「リミットまで、あと一キロちょうどッスね。朝もミルクと目玉焼きしかいただいてないんで、腹がぺこぺこッス」
「アマチュア選手が四日で一キロはキツいだわね。前日にドライアウトするつもりなんだわよ?」
「はあ。いちおうジョン先生の指示通りに落としてるんスけど……」
「プレスマンのコーチが指導してるんなら、心配ないだわね。あんたは黙って、指示に従ってればいいだわよ」
「わかってるッスよー。だからこうして、ガマンしてるんスからー」
蝉川日和は礼儀正しいが、だいぶん人懐っこい本性も出てきたようだ。まだ挨拶しかしたことのなかった小柴選手や鞠山選手とも交流が深まったようで、何よりであった。
「他の人間は試合まで間があるんで、気楽なもんだわね。一番近いのは《フィスト》のうり坊だけど、問題はないんだわよ?」
「ええ。自分は調整期間でだいたいカタがつきますから、減量に関しては気楽なもんっすよ」
「そーいえば、この中で試合が組まれなかったのは、魔法老女だけだったっけ? その後もけっきょく、オファーはなし?」
「その無礼な呼称がわたいのことだとしたら、変動はないだわよ。……タイトルマッチで負けた人間に、そうそう出番は回ってこないだわよ」
「あー、そっかー。古傷つついちゃって、ごめんねー」
「どうせあんたも数ヶ月後には仲間入りだから、気にすることはないんだわよ」
「ふーん! あたしは絶対、うり坊にリベンジしてみせるもんねー!」
瓜子としては、なかなか表情の選択に困る場面である。しかし、そうしてあけっぴろげに語れるのが、灰原選手と鞠山選手の美点であるのだろう。だいたい、そういった話を深刻にとらえる顔ぶれであったならば、こうして一緒に遊ぼうという話にもならなかったはずであった。
「みなさんって、ホントに仲良しッスよねー。その端っこに加えてもらえて、あたしも嬉しいッス」
蝉川日和が無邪気に笑うと、鞠山選手は「ふふん」と鼻を鳴らした。
「もし今日の集まりにサキがいたら、あかりんも参加するかどうか思い悩んだかもしれないだわね。それでもきっと最後には、うり坊への執着がまさるんだわよ」
「だ、だから、おかしな表現をしないでくださいってば! 別にわたしも、そこまでサキさんを意識してるわけじゃありませんし……」
「その繊細さはあかりんのチャームポイントなんだから、気にする必要はないんだわよ。鋼のハートをしてなければ、対戦相手と試合のひと月前に遊ぼうとは考えないんだわよ」
「そうっすよね。自分はメイさんと対戦しますけど、エキシビションなら問題ありませんし。本気のスパーなら、道場でもさんざんやりあってますもんね」
メイも平穏な表情のまま、「うん」とうなずく。その姿に、灰原選手が「あはは」と笑った。
「昔のメイっちょなんて、顔をあわせる相手を全員にらみつけるような感じだったのにねー! 人間、変われば変わるもんだなー!」
「灰原選手、昔のお話をほじくるのはやめておきましょうよ」
瓜子はメイのために掣肘の声をあげたが、本人は「かまわない」と言っていた。
「本当のことだから、しかたない。それに、ヒサコ、悪気がないこと、理解したから……僕、我慢する」
「我慢って何さー! 今はこんなに可愛らしくなったんだから、昔のことなんて気にしなくていいって!」
灰原選手は気安くメイの頭を小突こうとしたが、それはウェービングで回避される。灰原選手は「ちぇっ」と苦笑してから、空振りした腕を頭の後ろで組んだ。
「あー、楽しいなー! マコっちゃんたちも、これぐらい楽しくやってるといいんだけどなー!」
「あっちは人生をかけた大一番の真っ只中なんだわよ。……IQ不足のピンク頭やセンシティブな美香ちゃんに囲まれて、常識人のマコトは苦労が絶えないだわね」
「うーん! それに後は、沙羅と沖縄娘と不良女なんだもんなー! 沖がいなくなっちゃうのは、マコっちゃんにとって痛手かも!」
「敗退したのが一美ちゃんだけなら、まだダメージは少ないんだわよ。残りの四戦も日本陣営が勝てるように祈るばかりだわね」
やはりどうしても、話題は『アクセル・ロード』に流れがちである。
すると、小柴選手がしみじみと息をついた。
「でも、『アクセル・ロード』に選ばれたってだけで、ものすごい話ですよね。まったく今さらの話なんですけど、番組が始まってからいっそう痛感させられました」
「あー、わかるわかる! SNSとかネットニュースとか、けっこうな騒ぎだったもんねー! 今日の朝も、沙羅と沖縄娘のことが速攻で記事になってたもん!」
「はい。猪狩さんや桃園さん以外の女子選手が記事になるのを、わたしは初めて目にしました」
「え? じ、自分もっすか?」
「そうですよ。最近は猪狩さんが勝つたびに、ネットニュースになってるじゃないですか」
「あと、うり坊が表紙の雑誌とかが出たときもねー! 毎日なんかしらで、うり坊の水着姿を拝んでる気がするもん!」
「そ、それは言いっこなしっすよ」
すると、手持無沙汰でフランクフルトの串をいじっていた蝉川日和が「ほへー」とおかしな声をあげた。
「猪狩さんのグラビア活動って、そんなニュースになるほど騒がれてるんスかー。大したもんッスねー」
「いっつも、すごい騒ぎじゃん! あんた、うり坊のファンのくせに、そんなこともチェックしてないのー?」
「そりゃあもちろん、猪狩さんのグラビア活動が話題になってることは承知してるッスけど……なんか、身内の水着姿がさらされてるみたいな心地で小っ恥ずかしいから、あんまり目に入れないようにしてるんスよね」
「それでいいんすよ! どうか蝉川さんは、ずっとそのままでいてください!」
「あはは! でももうコンビニの雑誌コーナーなんて、すっかりうり坊だらけじゃん! これじゃあ視界に入れないほうが大変なんじゃないのー?」
「だからそれは、言いっこなしですってば……」
瓜子自身、書店やコンビニの雑誌コーナーには目を向けないように心がけているさなかであるのだ。撮影地獄の日々が始まってから、はやひと月半――今ではその成果がおもいきり人目にさらされている頃合いであったのだった。
「でも、猪狩さんのモデル活動と『アクセル・ロード』の相乗効果で、すごく女子格闘技に注目が集められてるような感じがします。それって、すごいことだと思いますよ」
そのように語る小柴選手は、とても真剣な眼差しになっている。しかしそんな眼差しも、瓜子にはたいそうな圧力に感じられてならなかった。
「千駄ヶ谷さんのお言葉が正しかったってことなんすかね……なんか、人身御供になった心地っすよ」
「オーバーだわね。そんなことより、あんたたちはこれだけ注目されても恥ずかしくない試合をするのが最重要課題なんだわよ」
椅子の上にふんぞりかえって、鞠山選手はそのようにのたまわった。
「確かに今は、かつてないほどに注目が集められてるように感じられるんだわよ。でもそれは、『アクセル・ロード』に招かれたメンバーとうり坊の水着姿のおかげなんだわよ。これでしょっぱい試合を見せたら、ピンク頭が無能だった時代に逆戻りなんだわよ」
「えー? マコっちゃんたちは『アクセル・ロード』に呼ばれたんだから、その時点ですごいじゃん!」
「だから、そっちに呼ばれた八人だけが優秀で、残りの選手はザコ扱いされる危険が否めないんだわよ。注目を集めたんなら、それに見合う勇姿を見せつける必要があるんだわよ」
そう言って、鞠山選手は底光りする眠たげな目を瓜子のほうに向けてきた。
「特にうり坊は、注目を集めてる張本人なんだわよ。ここでしょっぱい試合を見せたら、これまでの連勝記録が台無しになる危険があるんだわよ」
「押忍。自分は最初っから、試合内容で勝負するつもりっすよ」
瓜子がそのように応じると、鞠山選手はにんまり微笑んだ。
「その意気なんだわよ。わたいに勝っておきながら、だらしない姿を見せることは許されないんだわよ」
「なんだよ、さっきから偉そうにさー! 自分は試合が組まれてないからって、好きにプレッシャーをかけてくれるよねー!」
「ふん。大一番を終えたわたいは、つかの間の休息なんだわよ。来年には、あんたたちを踏み台にして返り咲いてやるんだわよ」
「ええ。それに猪狩さんも、来月のアトミックはエキシビションですもんね。その分は、わたしたちが盛り上げてみせます」
小柴選手がきりりとした面持ちでそのように宣言すると、高橋選手も静かに闘志をみなぎらせながら「そうだね」と応じた。
「次の大会の主役はアトム級のメンバーと小笠原さんだろうけど、あたしだって出稽古の成果を見せつけるつもりだよ。御堂さんたちが留守にしてる中、恥ずかしい姿は見せられないからね」
そのように語る高橋選手は、香田選手との試合が組まれているのだ。それは引退した来栖舞と兵藤アケミの代理戦争という論調で、ひそかに注目されているのだという話であった。
かたや灰原選手は中堅選手との調整試合であり、小柴選手はトーナメント戦の準決勝でサキと対戦という大一番であり――それぞれ質は異なれど、決して負けられない試合が控えているのだった。
「……それじゃあ、自分たちの目標も決まりましたね」
そう言って、瓜子はメイに笑いかけてみせた。
「たとえエキシビションでも、本選に負けない盛り上がりだったって、そんな試合を目指すことにしましょう」
「……僕、最初から、そのつもり」
メイは静かな表情を保ちつつ、ただ長い前髪の陰にある双眸に一瞬だけ火のような気迫をみなぎらせた。
「でも、ウリコと試合できなかったら、すごく残念。どうか、怪我には気をつけてほしい」
「はい。まずは《フィスト》で勝利してみせます」
たとえ遊びのさなかであっても、やはり瓜子たちがもっとも熱くなれるのはこういう場面であるようであった。
『アクセル・ロード』で死力を尽くしているユーリたちに恥じないように、残された選手たちも死力を尽くすのだ。そういう思いを共有できるからこそ、瓜子はいま目の前に集まっている人々をかけがえのない存在だと思えるのだろう。そして別の場所でも、同じ思いを抱いているたくさんの人々がいるはずであった。
「それじゃあそろそろ、午後の部の開始なんだわよ。ボーリング、ボルダリングときて、次は何だわよ?」
「ひさびさに歌いたいから、カラオケにしよー! あんまり体力を使っちゃうと、夜の稽古がしんどいしさ!」
「甘いだわね。カラオケだったら、肺機能を鍛えるんだわよ」
そうして熱い語らいは終了し、楽しい遊びの時間が再開されることになった。
しかしきっと、いちいち遊びの内容をトレーニングに結びつけなくとも、こういった交流は選手の士気を高めてくれることだろう。そんな想念にひたりながら、瓜子も心置きなくカラオケに興じる所存であった。