05 episode2-2 『アクセル・ロード』の歩み
青田ナナのプロフィール紹介を終えた後は、トレーニング風景と残りの選手のプロフィール紹介である。
日本陣営は沖選手、宇留間選手、沙羅選手の三名、シンガポール陣営はルォシー選手とロレッタ選手の二名だ。
沖選手は古くから知る相手でありながら、瓜子はほとんど個人情報を持ち合わせていない。彼女は現在フィスト・ジムでコーチの仕事を手伝いつつ、あとは派遣のアルバイトで食いつないでいるとのことであった。
いっぽう戦績に関しては、瓜子も重々わきまえていたが――そちらで紹介されていたのは、かつて《フィスト》のフライ級王者であったことと、グラップリングの大会で優秀な成績を収めているというポジティブな内容が多かった。
「そりゃーこいつが落ち目だなんてことを、大々的に告知する理由はねーだろうがよ? 出場選手は全員強豪だって話にしねーと、盛り上げようがねーんだからな」
沖選手は、赤星弥生子が辞退したために繰り上がりで選出された補欠の立場であったのだ。しかしそれは内部機密であったため、瓜子も口にすることはできなかった。
そして次には、宇留間選手のプロフィール紹介である。
それは、なかなかに興味のそそられる内容であった。
まず、彼女が格闘技に目覚めたのは、去年の話であったらしい。それで彼女はすぐさま《フィスト》の全日本アマチュア選手権で優勝を果たし、プロデビューするに至ったのである。
それまでの彼女が、何をやっていたかというと――小学生の頃は陸上競技、中学生の頃にはバスケとバレー、高校生の頃はサッカー、テニス、機械体操と、クラブ活動を転々としていたのだそうだ。それで呆れたことに、おおよその競技で好成績を収めていたとのことである。
『ただ、団体競技が肌に合わないってことがわかりました。それで高校時代のテニスや機械体操では、全国大会まで行けたんですけど……どうもわたしは飽きっぽいもんで、長続きしなかったんですよね』
彼女がそのように語るのを、瓜子は字幕で確認した。彼女の沖縄語を聞き取るのは不可能であると、先週の段階で理解したのだ。
『それで高校を卒業した後はやりたいことも見つけられなかったんで、ひたすら走ったりしてました。そうしたら、ちょっと遠いところに住んでる空手家のお爺さんと巡りあったんです』
そのご老人は、かつて沖縄空手の道場を開いていた人物であった。現在はそちらの道場もたたんでいたが、心身の鍛錬をするために、ひとりで稽古を続けていたのだそうだ。
彼女はその姿に「かっこいい」と感銘を受けたのだそうである。
ただ、ご老人の側にその熱意を認められることはなかった。彼女が魅了されたのはあくまで空手の攻撃の型であり、それはご老人の追い求める武道精神にそぐわなかったらしい。
『君にはもっと適性のある格闘技があるのではないかな』
そのような助言を受けた宇留間選手は、手近な道場やジムを見て回ることになった。ボクシング、キックボクシング、伝統派空手、フルコンタクト空手――と、さまざまな場所を見て回ったあげく、フィスト・ジム沖縄支部に辿り着いたのだそうだ。
『まあ要するに、一番自由に暴れられるのがMMAだったんですよね。寝技とか組み技には興味ありませんけど、今のところは負けてないんで問題ないと思います』
どうやら彼女はフィスト・ジムにおいても、打撃の大技の練習ばかりに明け暮れているらしい。MMAの正しい技術の習得には興味がなく、ただ豪快な技で相手を叩きのめすのが楽しいというスタンスであるようだ。
「あー、あたしも昔は、そんな感じだったッスよ。まあ、あたしの場合はストレス発散するために、合法的に喧嘩をしたかっただけなんスけど」
蝉川日和は悪びれる様子もなく、そんな風に言っていた。
しかしまあ、彼女がそのようなスタンスであったのは中学時代までで、現在も十八歳という若年である。いっぽう宇留間選手はすでに二十二歳という年齢であるのだから、いっそう業が深いように思えてならなかった。
「ま、こんなやつはマコっちゃんたちの敵じゃないっしょ! 寝技や組み技の稽古もしないで、トップ連中に勝てるわけないもん!」
「それでもこいつの大砲をくらったら、誰も立ってはいられないだろーぜ。こんな大馬鹿と対戦する人間は、ご愁傷様だな」
そうして日本陣営の大トリは、沙羅選手である。
沙羅選手はユーリと同じように、芸能活動もピックアップされていた。やはりモデル活動も可能なぐらい容姿の端麗な選手というのは、運営陣にとっても魅力的であるのだろう。日本陣営のプロフィール紹介がユーリで始まり沙羅選手で終わるというのも、何やら象徴的であった。
それで、沙羅選手のプロフィールであるが――彼女は芸能活動と選手活動だけで生計を立てていた。収入のメインは芸能活動であるが、プロレスというのはMMAよりも試合間隔が詰まっているため、それなりのギャラを確保できるのだそうだ。
『つまり、ウチはアトミックのチャンピオン様やのに、MMAの収入が最下位ってわけやな。こっちでは、ウチの活躍に見合ったギャラを頂戴したいもんやね』
たとえ北米の地にあっても、沙羅選手のふてぶてしさは健在であった。
なおかつユーリにとっても、沙羅選手は最大のライバルのひとりである。過去に勝利したのはもう二年半も前の話であるし、沙羅選手はドッグ・ジムでさらなる実力をつけたはずであるのだから、まったく油断はできなかった。
(まあ、油断できる相手なんて、他にも存在しないんだろうけどさ)
それを証明するかのように、シンガポール陣営の紹介も開始される。
ルォシー選手は、ムエタイの世界で数々の輝かしい栄冠を手にしていた。MMAに転向した後もロレッタ選手に惜敗したのみで、『優勝候補のひとり』とはっきり紹介されている。それにやっぱり裕福な生まれ育ちで、朝から晩までトレーニングに明け暮れているのだそうだ。
そうして十六名の大トリは、北米から移住したロレッタ選手である。
彼女こそ、まごうことなき大富豪の娘であった。紹介用の映像ではプールつきの豪邸や自家用クルーザーなどがお披露目されて、灰原選手を大いに憤慨させることになった。
「別に、大金持ちの家に生まれついたのは、こいつの責任じゃないけどさ! でも、こーゆーやつには絶対に負けたくないよねー!」
「はん。どこかの黒タコも、耳が痛いんじゃねーのか?」
「えー? メイっちょはいいんだよ! お金持ちでも、すっごく頑張ってるもん! それに、裕福なのを鼻にかけてる感じもしないしさ!」
それはもちろんメイは養子の身であるのだから、養父の裕福さを誇る気持ちにはなれないことだろう。貧しい家族のために断腸の思いで実家を離れたことを考えれば、なおさらである。
それはともかくとして――ロレッタ選手は、上流階級のセレブリティーというキャラクターを前面に押し出しているらしい。どこのジムにも所属しないまま、自宅の立派なトレーニングルームに専属のコーチを雇い入れて、独自にトレーニングを積んでいるのだ。なおかつ食事は専属の栄養士とシェフがタッグを組んで、毎日最高級のものをお出ししているとのことである。
『シンガポールの最強選手は、わたしだよ。イーハンもエイミーも、わたしの敵じゃない。このトーナメントで、それを証明してみせるさ』
そのように語るロレッタ選手はビキニ姿でビーチチェアに掛けており、背後には豪邸のプールが映し出されている。
しかしそれよりも瓜子が目をひかれたのは、かたわらの小さなテーブルに置かれた存在である。そこには《アトミック・ガールズ》のDVDが山積みにされていたのだった。
『もちろん日本陣営についても研究させてもらったけど……はっきり言って、レベルが低いね。きっと一回戦目が終わる頃には、シンガポールの選手しか残ってないよ。たぶん日本人っていうのは、肉体的にも精神的にもMMAに向いてないんじゃないのかな。《アクセル・ファイト》で日本人の王者が存在しないのが、その証拠でしょ』
そんなコメントを聞かされて、灰原選手は再び「むぎーっ!」と怒り狂っていた。
しかし、このていどのトラッシュ・トークはご愛敬であろう。瓜子はそれよりも、わざわざ日本から《アトミック・ガールズ》のDVDを取り寄せるロレッタ選手の熱心さに警戒心をかきたてられてやまなかった。
そうしてプロフィール紹介が終了した後は、若干のトレーニング風景と選手間の交流などがお披露目されて――それで番組は終了であった。
今回は、ユーリの出番も控えめであったように感じられる。
ただ、稽古中のユーリは、とてもいきいきとしているように思えた。瓜子にとっては、それが何よりの喜びであった。
「いやー、今回もあっさり終わっちゃったッスね。でも、試合の放映が楽しみッス」
「そーだね! でも、実際にはもう一回戦目が終わっちゃってるってのが、やっぱりおかしな気分だなー! それをちまちま二試合ずつ放映してくなんて、じれったくてしかたないよ!」
「番組を二ヶ月ばかりも引っ張るには、そうやって尺を稼ぐしかねーんだろ。運営陣にとって、『アクセル・ロード』ってのは《アクセル・ファイト》の大会を盛り上げるためのプロモーション活動なんだからよ」
時計の時間を気にしながら、サキはそのように言いたてた。
「そもそも《アクセル・ファイト》が爆発的にヒットしたのは、この『アクセル・ロード』の恩恵なんだとよ。そのうまみが忘れられねーもんだから、こうして頻繁に企画を立ててるんだろーぜ」
「んー? 《アクセル・ファイト》って、初っ端からものすごく話題になってたって話じゃなかったっけ? 世界中に格闘技ブームを巻き起こした、火付け役なんでしょ?」
「一発目は、そりゃー話題になっただろうさ。でもそれは、バーリトゥードを基本にしたバイオレンスな試合内容と、それでも無傷でトーナメント戦を優勝したジルベルト柔術のインパクトだ。そいつが一段落した後は、しばらく沈下してたって話だなー」
「沈下って、なんで?」
「試合内容が、バイオレンスすぎたんだよ。設立当時の《アクセル・ファイト》なんざ、目潰しと噛みつきと金的しか禁止されてなかったんだぞ? おまけにグローブの着用は任意だから、どいつもこいつも素手の殴り合いだ。そんなルールで無事でいられるのはバーリトゥードが得意な柔術家だけで、他の試合では負傷者が続出したんだとよ」
なんだか、いつぞやの格闘技講座を彷彿とさせる流れである。サキも帰り支度を始めつつ、なかなか言葉を止められないようであった。
「で、当時はボクシング界の連中が《アクセル・ファイト》を敵視してた。格闘技の花形をこんな野蛮な喧嘩マッチに奪われてたまるもんかと、奮起したわけだな。それであちこちに圧力をかけて、《アクセル・ファイト》の興行を開けないように画策したって評判だぜ」
「えー? 圧力って、どうやって?」
「こんな野蛮な競技は禁止するべきだって、政治家連中まで巻き込んだらしいな。それで実際、過半数の州ではMMAの試合が禁止になったんだよ。ニューヨークなんざ、つい最近まで禁止の法令が継続されてたぐらいだしなー」
「へー、ひどい話だね! それで、どーなったの?」
「まずは、ルールの改正だ。スポーツとしての安全性を確保するために、階級制の導入とグローブ着用の義務化、それに細かいルールも設定された。グラウンド状態で頭を蹴るなだの、後頭部を攻撃するなだの、肘を縦に落とすなだの、アタシらにもお馴染みの現行ルールだな。それで、MMAの野蛮なイメージを払拭しながら……起死回生の一手として、『アクセル・ロード』を企画したんだよ」
そこでサキは、舌打ちを差し込んだ。
「電車を一本のがしちまったな。次は終電だから、あと十分でぜってーに帰るぞ」
「わかったわかった! いいから、キリのいいとこまで語っていってよ!」
「北米のテレビ番組ってのは、番組ごとに視聴の権利を買い取るペイパービューが主流だ。《アクセル・ファイト》もそっちの視聴料ででっけー稼ぎをあげてたが、そいつも下火になってきた。そこで、『アクセル・ロード』を無料チャンネルで放映するって手に出たんだ。あっちはリアリティ番組の本場だから、こいつが大ウケした。で、『アクセル・ロード』でMMAに引き込まれた連中が金を出して《アクセル・ファイト》の試合を視聴するって寸法だ。もしも『アクセル・ロード』を企画してなかったら《アクセル・ファイト》も途中でぶっ潰れてたんじゃねーかって評判だぜ」
「へー! へー! 『アクセル・ロード』って、そんな歴史があったんだー! マコっちゃんたちがそれにお招きされたなんて、今さらだけどワクワクしちゃうね!」
「そいつはマジで、今さらすぎんだろ。……ま、そんなわけで、『アクセル・ロード』は今でも《アクセル・ファイト》の目玉イベントだ。『アクセル・ロード』で優勝したやつはもちろん、途中で敗退したやつものちのスカウトされたりしてるしな。それで《アクセル・ファイト》は女子部門を設立したが、バンタム級はアメリアとかいうアメリカ女の独壇場だし、フライ級はどいつもこいつもパっとしねーから、ここらでドカンと盛り上げてーって目論見なんだろーな」
「そんな話を聞かされたら、ますますワクワクしちゃうね! トーナメントで優勝できなくても、スカウトされるチャンスがあるの?」
「そりゃーあるだろ。ま、六ケタ契約は無理だとしても、そいつはスカウトされた後のふんばり次第だろーしな」
「六ケタ契約? って、何?」
「『アクセル・ロード』が売りにしてる、正式契約ってやつだよ。年間六ケタのファイトマネーを約束するって契約だな」
「六ケタっていうと、一、十、百……十万円? あ、いや、十万ドルで、一千万円かー! すっげー!」
「そいつが、最低保証だな。人気選手にのぼりつめりゃあ、そいつが何倍にもふくれあがるんだろーよ」
そう言って、サキはぴしゃんと自分の膝を叩いた。
「よし、帰る。おめーらは、せいぜい女同士でたわむれてろや」
「あ、帰り道は気をつけてねー! 転んでケガとかしないでよー? あかりんは、打倒サキで燃えまくってるんだから!」
「あんなコスプレタコスケは、秒殺してやんよ」
そうして立ち上がったサキは、ついでのように瓜子の頭を小突いてきた。
「ずいぶん静かだと思ったら、まだ余韻にひたってやがるのかよ。あんな映像で幸せ気分とは、ずいぶん安い女だなー」
「やだなぁ。そんなんじゃないっすよ」
瓜子はそのように答えたが、実のところ胸の中身はユーリの面影で埋め尽くされていた。ピンクの頭を汗で湿らせながら稽古に励んでいたユーリの姿が、いつまでも瓜子の内に居座っているのである。これが眠りに落ちるまで継続されることは、すでに先週の段階で証明されていた。
「それじゃあサキさん、お気をつけて。今日もお疲れ様でした」
「ばいばーい! 理央っちにもよろしくねー!」
「明日もご指導、よろしくお願いするッス!」
「サキ、無事な帰宅、祈っている」
四人で玄関まで見送ると、サキは面倒くさそうに手を振って出ていった。
そうしてリビングに戻ったならば、こちらは寝支度の開始である。明日もメイを除く三名は、朝から仕事であったのだった。
「あのさー! その内みんなで予定を合わせて、お泊まりの次の日に休みを入れようよ! そしたら、朝からじっくり遊べるじゃん!」
持参したバッグから着替えやスキンケアの道具を引っ張り出しつつ、灰原選手がそのように言いたてた。
が、メイや蝉川日和は反応が薄い。
「……僕、遊ぶ、よくわからない」
「あたしはできるだけ、休みを増やしたくないんスよねー。道場の月謝も追加されたから、けっこう生活費がピンチなんスよ」
「ノリが悪いなー! うり坊と遊べるチャンスなのに、あんたたちは嬉しくないの?」
「……ウリコとは、トレーニング、充実してるから」
「あ、あたしは猪狩さんを尊敬してるッスけど、一緒に遊ぶとかは恐れ多いッス」
「ダメだこりゃ」と肩を落とす灰原選手に、瓜子が笑いかけてみせる。
「自分は千駄ヶ谷さんにスケジュールをおまかせしてるんで、調整のしようがないんすよね。でも、もともと空いてる日だったら、フリーです。もし灰原選手が予定を合わせてくださるんなら、よろしくお願いします」
「えー、ほんと!? あたしと遊んでくれるの!?」
「はい。午後の五時まででしたら。やっぱり夜は、稽古をしたいっすからね」
「わーい、やったー! そしたら、あかりんやオリビアも誘ってみよっかー!」
すると、メイと蝉川日和がもじもじとしながら身を寄せてきた。
「……やっぱり、僕も参加したい」
「あ、あたしもお願いしていいッスか?」
「えー? 最初っからうり坊も誘うって言ってんのに、その手の平返しは何なのさ!」
「いや、なんか、猪狩さんの楽しそうなお顔を見てたら、しんぼうたまらなくなっちゃって……でも、あたしみたいな新参者はお邪魔ッスか?」
「そんなことはないっすよ。よかったら、みんなで遊びましょう」
やっぱり瓜子も、少なからず人恋しい心地であったのだろうか。
ユーリぬきで遊ぶというのは、罪悪感を刺激されてならなかったのだが――それでも灰原選手のお誘いは、魅力的に思えてならなかったのだ。それに、自分たちで企画しない限り、しばらくは試合の打ち上げぐらいでしかはしゃぐ機会を作ることはかなわなかったのだった。
(ごめんなさい、ユーリさん。日本に戻ってきたら、どこか遊びにいきましょうね)
遠きラスベガスのユーリへと思いを馳せながら、瓜子はピンク色のリストバンドを撫でさする。
そうしてその日も賑やかに、女子選手四名のお泊まり会が敢行されたのだった。