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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
18th Bout ~Intense summe Ⅱ~
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02 ルーツ

『トライ・アングル』の面々と合流した一行は、昨日に負けない賑わいでイベントの最終日を満喫することに相成った。

 本格的にライブが開始されるのは午前の十一時からであったので、それまでは屋台や売店のブースを散策する。噂に聞いていた森の中のステージでアコースティックの演奏を垣間見ることもできて、瓜子としては大満足であった。


 そして十一時からはタツヤたちのおすすめするバンドのステージであったが、その三十分後には小さなほうのステージで、メイが観たがっていたアフリカ音楽の演奏が開始された。それで一部のメンバーは、メインステージの客席を抜けてそちらを拝聴することになった。そちらに加わったのは、プレスマン道場の五名と『ワンド・ペイジ』の三名である。


「俺たちも、けっこうこっち系の音楽は好きなんです。メイさんとは趣味が合うのかもしれませんね」


 社交家である西岡桔平は笑顔でそのように声をかけていたが、人見知りのメイはごにょごにょと口もとを動かすばかりで、何も答えようとしなかった。


 そちらの演奏を堪能した後は、また合流して屋台のブースに突撃する。この時間帯は食堂も満席であるし、お祭り気分を堪能するには屋台のほうが都合がいいという面もあった。


「あたしも桃園も、減量とは無縁のウェイトだったのが幸いだったね。もし御堂さんが参加してたら、何を食べるかずいぶん悩んだかもしれないよ」


 多賀崎選手はジャンク感の強いホットドッグを頬張りつつ、笑顔でそのように言っていた。


「そういえば、多賀崎選手もウェイトにゆとりはあるんすか? 普段は六十キロ手前ぐらいをキープしてるってお話でしたよね」


「うん。六十一キロぎりぎりを目指そうかって案もあったけど、やっぱりやめておいた。ずっと安定してたウェイトに手を加えると、調子を乱す危険もあるだろうと思ってさ」


 そんな風に答えてから、多賀崎選手はプラカップのうどんをすすっているユーリに目をやった。


「で、桃園のほうは平常五十八キロをキープしてるそうだね。やっぱり、鞠山さんのアドバイスが利いてるのかな?」


「はぁい。まりりん殿との対戦でひさびさに五十六キロまで絞ってみたら、想像以上にくるくると動けましたのでぇ。『アクセル・ロード』もその方向で挑むことになりましたぁ」


「ああ。二回戦目以降であんたとぶつかることになったら、死んでもグラウンド戦は回避してみせるよ」


 多賀崎選手が勇ましい面持ちで笑いかけると、ユーリは楽しそうな笑顔でそれに応えた。そしてそのさまを見守っている瓜子も、ついつい微笑をこぼしてしまったわけであった。


 そうして腹ごしらえをした後は、また観戦チームと休息チームで別行動だ。

 音楽関係者と能動的なメンバーは観戦に臨み、瓜子はユーリとともに休息する。常にこちらと行動をともにしているのは、メイと愛音、そして千駄ヶ谷である。


 千駄ヶ谷は、事あるごとに携帯端末をチェックしている。

 おそらく気象予報を確認しているのであろうが、瓜子は自分からその内容を問いかけることを自粛していた。どのような話を聞かされても絶対の安心を得ることはできそうになかったし、状況が悪化すれば嫌でも知らされるだろうと思い、瓜子はひたすら天に祈ることに決めたのだ。


 昨日はおおよそ快晴であったのに、本日はずっと灰色の雲によって天が閉ざされている。時おり雲が流れて日が差し込んできたり、あるいはふいに小雨がぱらついてきたりと、まったく不安定そのもであった。であれば、気象予報に一喜一憂するのも気力の無駄遣いとしか思えなかった。


 そうして瓜子たちがくつろいでいると、一度だけファンの集団に取り囲まれる事態に至った。その卓越したプロポーションと関係者用のリストバンドによって、ユーリの正体が露見してしまったのだ。

 千駄ヶ谷の采配により、その場ではサインや写真撮影が許されることになった。ただしユーリはすかさず薄手の手袋を装着し、素肌の握手だけは回避していた。モデルのユーリは野外で指先を傷つけないように心がけているのだと思ってもらえれば幸いなところである。


 そして――もののついでとばかりに、瓜子までもがサインや撮影をせがまれることになってしまった。ユーリの熱烈なファンというものは、瓜子の存在を認知している人間が多いのである。

 唯一の救いは、そこで「次の試合も頑張ってください!」だとか「アトミックの試合は毎回チェックしてます!」だとか、そんな言葉をいくつもかけられたことであろうか。その場に集った人々の多くは、瓜子のことを『トライ・アングル』のマスコットガールではなくひとりのファイターとして認識してくれていたのだった。


(そりゃあまあ、ファイターとしてのあたしを知らなければ、『トライ・アングル』の特典でやたらとしゃしゃり出てくるわけのわかんない小娘に過ぎないもんな。そんなもんに、サインをせがむわけがないか)


 そうして瓜子は、何名もの相手と写真を撮り、つたないサインを贈ることになった。このような場に色紙を持ち込む人間はいないので、おおよそはその身のTシャツなどである。それが『ジャパンロックフェスティバル』や出演バンドのグッズTシャツであったりすると、自分などのサインをしてしまっていいのだろうかと恐縮してしまう瓜子であった。


 そして、そんな騒ぎが十五分ほども続くと、千駄ヶ谷がにわかにサービスタイムの終了を告げた。


「そろそろ移動を始めなければなりませんので、失礼させていただきます。またのちほど、どこかでお会いできたら幸いです」


 千駄ヶ谷の冷徹な声音には、見知らぬ人間をも黙らせる迫力が備わっている。それで瓜子たちは、無事にその場を離脱することがかなった。

 休憩エリアには次々と人間が押しかけていたので、千駄ヶ谷もこれではキリがないと判じたのだろう。そうしてあてどもなく人混みの中に踏み入った千駄ヶ谷は、鋭い眼差しを瓜子に向けてきた。


「猪狩さんはキャップをかぶっておられますが、サングラスまでは装着しておりませんでした。あるいは猪狩さんのほうが先に人目を引いてしまい、それがユーリ選手の素性を露見させることになったのやもしれませんね」


「ええ? こんな人混みの中で、自分が人目を引くことはないと思いますよ。それよりも、やっぱりユーリさんの芸能人オーラが原因じゃないっすかね」


 ともあれ、瓜子たちは別なる休憩スポットを探索することになった。

 その行きがけで、小さなステージにおける演奏をいくつか遠目に拝見する。民族音楽のブースではインド風のエスニックな演奏が披露されており、メイが心を引かれたようであるのでしばし足を止めることにした。


 そののちに、目当てのステージの観戦を終えたグループと合流したり、また違う組み合わせで分離したりと、せわしなく人員が入れ替わっていく。各所のステージでは一時間ごとに新たなアーティストが演奏を開始するため、それにあわせてこちらのメンバーも入れ替わるわけであった。


 そうして移動と休息を繰り返していると、あっという間に午後の三時である。

 セカンドステージで、『モンキーワンダー』の演奏が開始される刻限だ。


 本日はまだちらりと挨拶をしただけの『モンキーワンダー』の面々がステージに登場し、ポップな楽曲を披露する。何度かイベントをご一緒する内に、瓜子もいくつかの曲を記憶に留めるようになっていた。

 ステージ前の空間にはぎっしりと人が詰めかけて、大盛況である。

 そんな中、ライブが折り返しぐらいに差し掛かったところで、強い雨が降り注いできた。

 雨具の装着が間に合わず、瓜子たちもずいぶん濡れてしまう。そしてステージ前に押しかけた人々は荷物を広げることも難しいようで、みんな濡れねずみで歓声を張り上げていた。


『あはは。こんな雨も、野外イベントの醍醐味だよね! あたしたちだって汗だくだから、気にせず盛り上がっていこー!』


 ヴォーカルのみよっぺこと定岡美代子は元気いっぱいに観客たちを煽り、次なる曲目を披露する。ステージにはしっかりと屋根が張られているため、このていどの雨であれば支障はないのだ。しかし瓜子はポンチョを叩く雨足の強さに、いよいよ大きな不安を抱くことになってしまった。


 心なし、風も強まってきたようである。

『トライ・アングル』の演奏開始時刻は午後の七時であるので、残された時間は三時間半ていどだ。果たしてそれまで、天気はもってくれるのかどうか――答えは、神のみぞ知るであった。


 雨は同じ勢いのまま三十分ばかりも降りそぼり、『モンキーワンダー』の演奏終了とともにおさまった。

 芝生の下では、地面がぬかるんでしまっている。雨具の下もしっかり濡れそぼってしまったため、なかなかの不愉快さであった。


「ユーリさんも、濡れちゃいましたね。いったんホテルに戻って、着替えますか?」


「ううん。べつに寒くはないし、このままでいいのです」


 ユーリはにこりと、笑顔を返してくる。

 しかし瓜子は安心できなかったため、ユーリのかけているサングラスをずらして、その目もとを覗き込むことにした。


「にゅにゅ? これは如何なるプレイでありましょうか?」


「いや、無理して笑ってるんだったらフォローしようと思ったんすけど……そういうわけではないみたいっすね」


「うみゅ。ユーリもうり坊ちゃんを見習って、まな板の鯉であるのです」


 ユーリは元来、ふたつの感情を持ち合わせることが苦手な人間である。それでこの場を楽しむために、不安の感情を封印することになったのだろう。ユーリを励まそうと思っていた瓜子のほうこそ、逆に励まされた気分であった。


「ステージの一時間前には準備を開始しますので、残る自由時間は二時間となります。どうぞ心残りのないように、こちらのイベントをご満喫ください」


 千駄ヶ谷のそんな言葉に従って、瓜子たちはメインステージに向かうことにした。そちらでは、『トライ・アングル』の面々と演奏を終えたばかりの『モンキーワンダー』が注目する海外アーティストの出番であったのだ。瓜子は名前も知らないバンドであったが、彼らの熱意にひかれてその場に立ちあうことになった。


「こいつらもけっこういいトシなのに、これっぽっちもパワーダウンしねえよな!」

「この前のニューアルバムなんて、遊び心も満載だったもんな! ったく、しぶといジジイどもだよ!」

「あはは。こんな場所でジジイ呼ばわりしてたら、ファンにつるし上げをくらっちゃいますよぉ」


 タツヤやダイや原口千夏は、子供のようにはしゃいでいた。

 陣内征生は銀縁眼鏡の奥で瞳を輝かせており、山寺博人さえもが妙に張り詰めた感じにステージを凝視している。

 そうして瓜子のかたわらに陣取っていた西岡桔平が、こっそり新情報を与えてくれた。


「ご存じの通り、うちとベイビーさんは音楽の趣味がずいぶん掛け離れているんですが、このバンドだけは最高だっていう意見で一致してるんですよ。俺たちとベイビーさんを繋ぐ、唯一の共通項かもしれませんね」


 そんな言葉を聞かされてしまっては、瓜子も本腰を入れて観戦しなければならなかった。

 スクリーンで確認する限り、そこそこご年配のメンバーたちであるようだ。外国人の年齢というのは今ひとつ判然としないのだが、まあ四十歳を下回ることはないだろう。それでいて、上半身は裸であり、ごてごてとしたタトゥーをさらしているメンバーも見受けられた。


 そうしてヴォーカルの男性がつたない日本語で『コンニチハー』と挨拶をして、大歓声の中、演奏が開始される。

 その一曲目も、やはり瓜子が耳にしたことのない曲である。

 だけど何となく、『トライ・アングル』や『モンキーワンダー』のメンバーが好ましく思う理由はわかったような気がした。この派手派手しい演奏は『ベイビー・アピール』に、胸がざわつくような切迫感は『ワンド・ペイジ』に、それでいてキャッチーで明るい空気も入り混じるところは『モンキーワンダー』に通ずるものがあるように思えたのだ。


 もちろんそれは、ずぶの素人である瓜子の、まったく無責任な感想に過ぎない。

 ただ、それほどさまざまな要素を詰め込んでなお破綻しないこのバンドは、まったく大したものであると思えたし――とにかく彼らは、パワフルであったのだ。それは何となく、海外の強豪ファイターを思わせる貫禄であったのだった。


(そういえば、きっとロックバンドだって海外が本場なんだろうからな。ヒロさんたちは、こういうバンドに憧れたり手本にしたりして、バンドのプレイヤーを志したのかもしれない)


 もともと瓜子は、ルーツをさかのぼるということに重きを置いてはいない。キックの源流が空手であるらしいだとか、MMAの源流が日本の総合格闘技やブラジルのバーリトゥードであるらしいだとか、そういう知識を身につけても、深く研究しようとはしてこなかっのだ。


 瓜子が格闘技を志したのは、リアルタイムで視聴してきた試合の影響である。さらに決定打となったのは、《アトミック・ガールズ》におけるサキの試合であり――それはたかだが、六、七年前の出来事であったのだった。


 しかし《アトミック・ガールズ》が誕生したのは、先達の活躍や労苦があってこそである。《レッド・キング》を始めとするさまざまな団体が総合格闘技の礎を築き、そこにブラジリアン柔術の選手を招聘する《JUF》が大々的な格闘技ブームを巻き起こし――その末に、《アトミック・ガールズ》が生まれたのである。


 極端なことを言えば、赤星大吾が《レッド・キング》を立ち上げていなければ、最初の局地的な格闘技ブームが発生することもなく、《JUF》も《アトミック・ガールズ》もこの世に生まれていなかったのかもしれない。


 そして赤星大吾ばかりでなく、大江山軍造や青田芳治や、大和源五郎や犬飼拓哉や、レム・プレスマンやアギラ・アスールや、グレゴリ・パチュリアやイワン・バラノフなどが《レッド・キング》を盛り上げていなければ――そしてそののちに、赤星卯月やジョアン・ジルベルトや、ゴードン・ロックハートやマテュー・ドゥ・ブロイや、キリル・イグナーチェフやレイ=アルバなどが《JUF》を盛り上げていなければ――やはり、《アトミック・ガールズ》は誕生せず、瓜子がファイターを志すこともなかったのかもしれなかった。


 だから、何だという話ではない。

 ただ、瓜子やユーリたちだって、後世に運命を繋ぐためのピースに他ならないのではないか、と――瓜子は唐突に、そんな思いに至ったのだった。


(あたしにはよくわからないけど……このバンドがいなかったら、『ワンド・ペイジ』や『トライ・アングル』だって生まれてなかったのかもしれないんだもんな)


 瓜子は昨日からかつてないほどのさまざまな音楽に包まれたために、そんな感傷的な思いを抱えてしまったのかもしれなかった。

 でも別に、何がどうでもかまいはしない。ただ瓜子は、人波の向こうで力強い演奏を披露する見知らぬ人々に、心からの敬意を贈りたかった。

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