04 夜の休息
『ワンド・ペイジ』のステージを見届けたのちは、またグループに分かれて行動することになった。
正直に言って、瓜子やユーリなどはもう初日のイベントを終えたような心地であったのだが、各所のステージではこれから本日のメインとも言えるバンドが登場する時間帯であったのだ。過半数のメンバーはそちらのライブ観戦に出向き、残りのメンバーが休憩エリアでくつろぐという格好であった。
女子選手の一行でライブ観戦に出向いたのは、日中にもアクティブに動いていた灰原選手、多賀崎選手、オリビア選手、鞠山選手、小柴選手、高橋選手に、サキを加えた顔ぶれである。ただし、おおよその人間がメインステージに向かうのに対して、サキが向かったのは千名規模の小さなステージであった。なんでも、サキが以前から好んで聴いていた和楽器バンドが出演するのだそうだ。
そしてやっぱり本職の方々には見逃せないステージが多いらしく、音楽関係者で休息を選んだのは山寺博人と漆原の二名のみであった。『モンキーワンダー』の面々も鞠山選手たちと語らいながら、メインステージに直行だ。この頃には、ようやく小柴選手も敬愛するバンドの面々とおしゃべりを楽しめるようになっていた。
ということで、休憩エリアに腰を落ち着けたのは、瓜子、ユーリ、愛音、メイ、小笠原選手、千駄ヶ谷、漆原、山寺博人の八名のみとなる。音楽関係者がおおよそ出払ってしまったためか、日中よりも少数精鋭という風情であった。
「でも、メイさんなんかも音楽にはあんまりご興味がなさそうっすよね。やっぱり今回は、ユーリさんたちの壮行会のために参加してくれたんすか?」
瓜子がこっそりそのように問いかけると、メイはいくぶん迷うように小首を傾げた。
「音楽、興味がないことはない。明日の昼は、観てみたいグループが出演してる」
「あ、そうだったんすか。ちなみに、なんていうバンドっすか?」
「バンドじゃなくて、アフリカ音楽のグループ。たぶん、瓜子は知らないと思う」
それは確かに、『ワンド・ペイジ』にしか興味を持っていなかった瓜子には計り知れない存在であるようであった。
ただ千駄ヶ谷いわく、そういったマニアックな音楽まで網羅しているのが、『ジャパンロックフェスティバル』の醍醐味であるらしい。国内外の有名ロックバンドばかりでなく、民族音楽やテクノやアコースティックの弾き語りなどなど、ジャンルを問わずに一堂に会するのが、他のイベントにはない最大の特色なのであろうと思われた。
「そういえば、DJブースなんかはオールナイトで盛り上がるらしいっすね。自分なんかには、とてもついていけそうにありません」
「そりゃあアタシだって、一緒だよ。二時間もライブを堪能できたら、もうおなかいっぱいさ。花さんや灰原さんはともかく、多賀崎さんも元気だよねぇ。アタシだったら、そうまで割り切って楽しむことも難しいかな」
そんな風に言っていたのは、小笠原選手である。その明るく強く光る目が、瓜子の隣でちゅるちゅるとドリンクをすすっているユーリのほうに向けられた。
「まあ、明日ステージに立つ桃園なんかは、それ以上の気合なんだろうけどさ。割り切りに関しては、アンタの右に出るものはないんだろうね」
「はぁい。心置きなく北米に出立するためにも、明日のライブで完全燃焼したいところでありますねぇ。今もなお、心の中では台風が到来しないように祈りたおしている次第でございます」
「うん。アタシも『トライ・アングル』のライブを楽しみにしてるよ」
ユーリに笑顔を返してから、小笠原選手はさらにその向こう側に陣取っている愛音へと視線を巡らせた。
「ところでさ、邑崎はメンタルにも問題なさそうだね。いつもはうるさいぐらいにユーリ様ユーリ様って騒いでるけど、べつだん寂しいとかは思わないのかな?」
「それはもう、ユーリ様と三ヶ月もお会いできないのは、無念な限りであるのです。でもそれ以上に、愛音はユーリ様の躍進を願っているのです」
と、愛音はぎらりと両目を光らせて、肉食ウサギの面持ちとなった。
「ユーリ様ほどの実力であれば、《アクセル・ファイト》でご活躍するのが当然であるのです。ユーリ様の輝ける未来に比べれば、愛音の物寂しさなどちっぽけなものであるのです」
「なるほど。どれだけ憧れの存在でも、それが普通の反応なのかもね」
と、小笠原選手が優しげな眼差しでユーリと瓜子を見比べてくる。
瓜子たちも自然に振る舞っているつもりであるのだが、その胸中にはどれだけの激情が渦巻いているものか、きっと小笠原選手には察知されてしまっているのだろう。しかし瓜子はそれを恥じることなく、小笠原選手に笑顔を返してみせた。
「ま、アタシはもうじきオルガと対戦だろうし、邑崎なんかはアトム級のトーナメントだもんね。期待してるから、頑張りなよ」
「はいなのです! 今ならばサキセンパイにおしりを蹴られる心配もないので、愛音は必ずや優勝するものと宣言させていただくのです!」
「へえ。サキにも負ける気はないんだね。嫌味でも皮肉でもなく、アンタのその図太さは最大の強みだろうと思うよ」
「はいなのです! 犬飼京菜も大江山すみれも、何するものぞであるのです!」
愛音はたいそう鼻息が荒かったが、それもファイターとしては重要な資質であろう。もちろんサキを敬愛する瓜子も、愛音の言いように気分を害することはなかった。瓜子とて、いつかサキに勝利したいという強い気持ちを隠し持っている身であるのだ。
瓜子はふっとリラックスした気持ちで、頭上の星空を見上げやる。
さきほど一瞬だけにわか雨がぱらついたが、こちらが雨具の準備をする前にやんでしまった。そして今は、月も星もくっきりと輝いている。やはり都心に比べると、星空の美しさが段違いであった。
そこから視線を下界に戻すと、そこには人の熱気が満ちている。やはり多くの人々はライブ会場に出向いているのであろうが、こちらの休憩エリアにも数百名ていどの人間が集っているようであった。
こちらは川べりのエリアであり、いくつかの屋台が出されている。もう少し先に進むとアウトドア・シアターなる名目で、大きなスクリーンに日本の古い映画が上映されていた。ライブ観戦に疲れた人々が心身を休めるためのエリアであるのだ。
これも千駄ヶ谷情報であるが、会場内にはキャンプエリアというものも存在して、入場客の数多くはそこにテントを張っているのだそうだ。
また、森の中にも小さなステージが築かれていたり、ゴンドラで移動する先にもイベントスペースが設けられていたり――瓜子が想像していたよりも、これは遥かに大規模でさまざまな趣向が凝らされたイベントであったのだった。
(そんな大がかりなイベントの最終日に、二番目に大きなステージで、けっこういい時間帯にステージを任されるなんて……『トライ・アングル』は、本当にすごいなぁ)
瓜子がそんな風に考えていると、喧噪の気配がどやどやと近づいてきた。
そちらに目をやると、馴染み深い面々がはしゃぎながら接近してくる。灰原選手と多賀崎選手、リュウ、タツヤ、ダイという組み合わせの五名である。
「お疲れ様です。もう観戦は終了っすか?」
「ああ! 他の連中は、そのままセカンドステージに向かったみたいだな! でも俺たちは、オルタナ系はジャンル外だからさ!」
『ワンド・ペイジ』のステージから一時間が経過して、セカンドステージでも本日のトリにあたるバンドの演奏が開始されたのだ。瓜子は名前も知らなかったが、海外の著名なオルタナティブ系バンドという触れ込みであった。
「ワンドの連中は、ああいうのが好きそうだよな! 山寺は観にいかなくていいのかよ?」
「あ、ヒロさんはさっきから仮眠中です。……でも、起こしてあげたほうがいいんすかね?」
「瓜子ちゃんがそんな大サービスをする必要はねえよ! 俺らにまかせとけ!」
そうしてタツヤたちが大騒ぎすることによって山寺博人は目を覚まし、地獄のように不機嫌そうな顔をしながらも、両足を引きずるようにしてセカンドステージへと出向いていったのだった。
馬鹿でかいビールの紙コップを携えていたタツヤたちは、空いたスペースに陣取って何度目かの乾杯である。それを横目に、瓜子は四ッ谷ライオットの両名を迎えることになった。
「お二人も、お疲れ様でした。さすがにぶっ続けでライブ観戦は疲れたでしょう」
「そーでもないけど、海外のバンドはよくわかんないからさ! うり坊たちと、おしゃべりを楽しみに戻ってきたの!」
灰原選手も、いい感じに酩酊しているようだ。そして、多賀崎選手の逞しい腕を恋人のように抱え込んでいるのが、なんとも微笑ましかった。
「暑苦しいから勘弁してくれって、なんべんも言ってるんだけどね。悪いけど、猪狩が肩代わりしてくれない?」
「うり坊とは九月からいちゃいちゃするから、今はマコっちゃんといちゃつく時間なのー!」
と、瓜子が答えるより早く、灰原選手がいっそう強い力で多賀崎選手の腕を抱え込む。多賀崎選手は苦笑しながらも、無理にそれを引き剥がそうとはしなかった。
「ね? アタシは邑崎もこういうテンションになるのかなって、そういう想像をしてたわけよ」
「なるほどなのです。でも、灰原選手と同列に考えられるのは、いささかならず不本意であるのです」
小笠原選手と愛音は、こっそりそんな言葉を交わしている。
何にせよ、人が増えれば増えるだけ、瓜子の胸は温かくなるばかりであった。
「やっぱり前日から参加させてもらって、大正解でしたね。ユーリさんも、楽しんでますか?」
「うん、もちろぉん。お外でのんびりくつろぐっていうのは、なんとも新鮮な心地だなぇ」
そんな風に言いながら、ユーリはさきほどの瓜子のように星空を見上げた。
夜になってサングラスを外したため、ハットのつばの下で垂れ気味のとろんとした目がきらきらと輝いている。それは頭上の星空に負けないほどの、明るいきらめきであった。
「……やっぱりアメリカって、星の位置とかも違うのかにゃあ」
「さあ、どうなんでしょうね。そもそも自分は、日本の星座の配置とかもよくわかってないっすけど」
「それはユーリも同様であるのです。夏の大三角形って、アレかしらん」
瓜子もユーリの視線を追ってみたが、やはり確たることは言えなかった。すべての星が盛大に瞬いているため、何が何やら判然としないのだ。
「ユーリはよくわからんちんなのですけれども、夏の大三角形っていうのが天の川伝説のアレなのでせう? 織姫さんと彦星さんは一年にいっぺんしかお会いできないなんて、お気の毒な話ですよにゃあ」
「はい。たった三ヶ月で再会できる自分たちは、ラッキーっすよね」
「にゃはは。さすがに一年間は、ユーリの忍耐が持たないだろうにゃあ」
そんな言葉を語りながら、ユーリの横顔は無垢なる微笑をたたえている。
今は瓜子も、星空よりユーリの笑顔を見ていたい気分であったが――その反面、ユーリと同じものを見つめるというのも、決して悪い気分ではなかった。
瓜子が『JUFリターンズ』に挑むのも、それと同じような心境であるのかもしれない。
ユーリは瓜子の先を歩いているが、瓜子はその肩越しに広がる光景――《アクセル・ファイト》との正式契約というものを、視線の先にとらえているのかもしれなかった。
(もしも二人とも《アクセル・ファイト》で試合をできるようになったら、ますます一緒にいられる時間は減っちゃうかもしれないけど……同じ日に試合が組まれたら、一緒に飛行機に乗ることだってできるもんな)
そんな動機で格闘技に臨むのは、不純であるのだろうか。
しかし瓜子は自分の気持ちをごまかすことなどできそうになかったし――その根源にあるのは、ユーリと一緒にMMAを楽しみたいという思いであるのだ。それは今や瓜子を支える大きな柱の一本であるのだから、今さら否定のしようもなかったのだった。
「なーにを二人で世界を作っちゃってんのさー! 今はみんなで楽しむ時間でしょー!」
と、灰原選手が瓜子の腕にからみついてきた。
ようやく多賀崎選手が解放されたのかと思って目をやると、逆側の腕は多賀崎選手を捕らえたままである。そうして灰原選手は、酒気に染まった顔に白い歯をこぼした。
「よく考えたら、腕は二本あるんだもんねー! 両手に花って、こういうことかー!」
「お、久子ちゃんが羨ましいことしてるな! 俺も女に生まれつきたかったよー!」
「だったらそっちは、男同士で絡み合ってりゃいーじゃん! きっと楽しいよー!」
「こんなむさ苦しい連中と絡み合って、楽しいわけねえだろ!」
「それはこっちのセリフだよ! せめて目だけでも楽しませてもらうかー」
と、タツヤたちがぞろぞろと瓜子たちの正面に移動してくる。大人しいのは、千駄ヶ谷の隣をキープしている漆原ばかりである。
しかしもちろん、瓜子が彼らを拒む理由はなかった。ライブ観戦に向かったメンバーが舞い戻ってくるのが、待ち遠しいほどである。
ユーリと離ればなれになるまで、残りは数日。
しかし明日のイベントを終えれば、その後はまたユーリと二人で過ごすことができるのだ。
今はできるだけたくさんの人たちと、ユーリと過ごす時間を共有したい。そうしてこそ、ユーリにたくさんの思い出を作ってあげられるはずであった。