ACT.4 Summer's end(上) 01 出立
そして、その日がやってきた。
『ジャパンロックフェスティバル』の二日目――八月の最終土曜日である。
日本最大規模のロックフェスと名高い『ジャパンロックフェスティバル』は、三日にわたって繰り広げられる。過去の最大動員数は、三日間通算で十二万人を突破したそうだ。
ただし、『トライ・アングル』が出場した先日の『サマースピンフェスティバル』などは二日間で十五万人であるのだから、動員数はそちらのほうが上回っていることになる。それでも『ジャパンロックフェスティバル』のほうが国内最大規模と銘打たれるのは、その特殊な興行の形式に原因があった。
『ジャパンロックフェスティバル』は、新潟県の苗場にあるスキー場を会場としているのだ。
その広大なる敷地には六つのステージとさらにいくつかのブースが設置され、出演アーティストの総数は二百組以上にも及ぶのだという話であったのだった。
『トライ・アングル』が出場するのは最終日の日曜日であるが、二日目の本日は『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』が出演する。瓜子たち女子選手の一行はそれを観戦するために、土曜日の昼前から新潟を目指すことに相成ったわけであった。
そちらに参加を希望したのは、いつも通りと言えばいつも通りの面々――瓜子、ユーリ、サキ、愛音、メイ、灰原選手、多賀崎選手、小笠原選手、小柴選手、鞠山選手、オリビア選手という顔ぶれに、さらにもう一名、天覇館の高橋選手を加えた格好である。合宿稽古で交流を深めた結果、彼女も快く名乗りをあげてくれたのだった。
ちなみにこの中で最後まで参加を迷っていたのは、サキとなる。サキはもともとユーリの音楽活動に対して熱意はないというスタンスであったし、あけぼの愛児園の住み込みバイトというのはそこそこ薄給であったため、二泊三日の新潟旅行にライブ観戦というのはなかなかに痛手であったのだ。ユーリと瓜子などは関係者として無料で入場できるのであるが、二日間の通しチケットというのは三万円以上にも及ぶのであった。
それでもサキがさんざん渋りながらも参加を決めたのは、これが『アクセル・ロード』に出場するユーリたちの壮行会も兼ねているためであるのだろう。たとえどれだけぶっきらぼうであろうとも、サキはそれだけユーリの存在を気にかけてくれているのだ。よって、「おめーのせいで破産寸前だ」とサキがユーリのおしりをばしばしと蹴りまくる姿も、瓜子にとっては涙を誘発されるぐらい微笑ましく思えてならなかったのだった。
そんな一幕を経て、いざ当日――
集合場所は、毎度お馴染みプレスマン道場前である。高速道路に入りやすいという利点から、こちらはたびたび集合場所に指定されていた。
本日の運転役を担ってくれたのは、鞠山選手と高橋選手だ。
さすがに新潟までとなると、それほど運転に手馴れていない多賀崎選手も自信がないという話であったし、この人数では二台のワゴン車が必要であったのだ。それで、運転の得意な高橋選手がわざわざ天覇館からワゴン車を借りつけて、運転役まで志願してくれたのだった。
「こんな急な話で運転役までお願いすることになっちゃって、本当に申し訳ありません。……あの、高橋選手は無理をなさってないですよね?」
集合場所にて、瓜子がそのように呼びかけると、高橋選手は「無理って?」と笑った。
「あたしはこれから出稽古でお世話になる身だから、無理をしてご機嫌を取ろうとしてるとか? あんたたちがそんな水臭い人間じゃないことは、あたしだってもうわかってるつもりだよ」
「あ、いえ、決してそういうつもりではなかったんですけど……」
「あたしはこう見えて、けっこう音楽を聴くほうなんだよ。それに、合宿稽古でお披露目されたあんたたちの演奏が、最高だったからさ。それが決め手になった感じかな」
「いえいえ! 自分はあくまで、オマケのオマケですので! 『トライ・アングル』の数に入れられるのは、恐れ多くてならないっすよ!」
「でも、特典映像とかでも楽しそうにマラカスを振ってたじゃん。あれは男も女も心を奪われる可愛らしさだったねぇ」
「高橋選手まで、特装版を買っちゃったんすか……」
そうして瓜子が溜息をついていると、斜め下方から頭を小突かれた。
「何を出発前からいちゃついてるんだわよ。さっさと席順を決めるんだわよ」
「あ、鞠山選手。……あの、九月の試合は、どうぞよろしくお願いします」
瓜子と鞠山選手は、これからおよそ三週間後にタイトルマッチを行う予定であるのだ。そしてそれが決定してから顔をあわせるのは、これが初めてのことであった。
しかし鞠山選手はいつも通りのふてぶてしい笑顔で、「ふふん」と平たい鼻を鳴らす。ワッペンだらけのチューリップハットにごてごてと装飾のついたサングラス、それにサイケな花柄のワンピースに年季の入ったワインレッドのブーツという、鞠山選手らしい個性的ないでたちだ。
「試合が決まったからって、何もかしこまる必要はないんだわよ。まあ、あんたの王座も残り三週間だわね」
「いえいえ。そう簡単に、ベルトはお渡ししませんよ」
鞠山選手が平常通りであったため、瓜子も笑顔を返すことができた。
いっぽうそのかたわらでは、メイが鋭い目つきでオリビア選手の長身を見上げている。なんと、合宿稽古を終えてすぐ、両者の試合が組まれることになったのだ。
「メイは、どうしてワタシをにらむですかー? リングの外では、お友達でしょー?」
「リングじゃなく、ケージ。それに、僕、友達はいない」
「えー? ワタシはお友達のつもりですよー。それとも、仲間っていう言い方のほうがいいですかー?」
オリビア選手の朗らかさに根負けした様子で、メイは口もとをごにょごにょさせた。
そんなさなか、席順を決めるジャンケン大会の開催である。本日も、瓜子とユーリは最初からペアということで隣に座ることを許していただけた。
その結果、瓜子は高橋選手のワゴン車にお邪魔することになり、助手席はオリビア選手、中列が瓜子とユーリと愛音、後列が灰原選手と多賀崎選手という配置に落ち着いた。多賀崎選手が同じ車になるならと、灰原選手が中列を愛音に譲った格好である。
いっぽう鞠山選手のほうはサキ、メイ、小笠原選手、小柴選手という面々を助手席と中列に乗せ、後列には荷物を詰め込むことになった。何せ二泊三日であるから、荷物も相応の量であったのだ。
「それじゃあ、出発するだわよ。道子ちゃん、安全運転でかっとばすだわよ」
「ええ。お手柔らかに」
そうして十二名から成る一行は、二台のワゴン車で出発することになった。
苗場の会場まで、かかる時間は三時間ていどである。距離にすれば、およそ二百キロメートル。車でこれほどの移動をするのは、瓜子にとって去年の大阪遠征以来の話であった。
「いやー、わくわくするね! ドライバーさんには申し訳ないけど、時間がかかればかかるほど長旅って感じがして、テンション上がるんだー!」
「あたしもドライブは嫌いじゃないんで、申し訳ないことはないですよ。ただ、こいつは借り物なんで、飲み物なんかはこぼさないように気をつけてくださいね」
はしゃいだ声をあげる灰原選手に、高橋選手は落ち着いた声を返す。無差別級の実力選手で力士のように厳つい容姿をした高橋選手であるが、年齢はいまだ二十三歳であるのだ。サキやメイと同い年とは思えないほど、彼女は貫禄があった。
ただし、彼女が意外に気さくな人柄であることは、合宿稽古をともにすることで体感できていた。実直で、多少は人見知りする面もあるが、いったん気心が知れると大らかな一面も覗かせてくれる。そういうところは、多賀崎選手に通ずるものがあるように思えた。
「そういえば、ミッチーはプレスマンで出稽古するんじゃなかったっけ? まだそっちには、お邪魔してないの?」
「ミッチーって、あたしのことですか? 出稽古は、御堂さんが出立してからですよ。それまでは、あたしも稽古をつけてあげないといけないんで」
「あー、そっかそっか! でも、いーなー! 来月うり坊と対戦するのがあたしだったら、その後はまた出稽古に行けたのになー! どうしてあたしじゃなく、魔法老女が選ばれたんだろ!」
「それは何とも言えませんけど、次のチャレンジャーは灰原さんなんでしょうね。猪狩と鞠山さんのどっちが勝っても、灰原さんとの対戦は盛り上がるでしょうから」
「魔法老女に先を越されたら悔しいから、うり坊は絶対に勝ってよね! うり坊の連勝記録をストップさせるのは、あたしなんだから!」
灰原選手がそのように言いたてると、高橋選手はワゴン車を軽快に走らせながら笑い声をあげた。
「そんなにずけずけとものを言いながら仲良くできるなんて、すごいですね。あたしなんて、近日中に対戦の可能性がある相手とは口をきく気にもなりませんよ」
「えー? そんなこと言ってたら、誰とも仲良くなれないじゃん! ……まああたしも去年のゴールデンウィークまでは、よその連中と友達づきあいなんてしてなかったけどさ!」
「やっぱり去年のゴールデンウィークが、転機だったんですね。あたしはすっかり乗り遅れた心地です」
「別に、遅いも早いもないっしょ! メイっちょやオルガっちだって、つるむようになったのは今年になってからだしさ!」
そこで「でも」と声をあげたのは、多賀崎選手であった。
「よく考えると、今日のメンバーはほとんど去年のゴールデンウィークにご一緒した顔ぶれなんだね。そこに高橋とメイを加えた形になるわけだ」
「んー? それがどうかした?」
「いや。逆に言うと、最初の顔ぶれは全員参加してるんだよ。とことんつきあいのいい連中が、最初の段階で集まったってことだね」
確かに、魅々香選手も早い段階で合流していたが、こういう音楽がらみのイベントは不参加だ。来栖舞やジャグアルの面々も、また然りである。小笠原選手が療養で数ヶ月ほど不在であった以外は、初期メンバーがほとんどのイベントに参加しているような印象であった。
(《レッド・キング》の観戦とか、正月の初もうでとか……ああ、あたしのバースデーパーティーなんてのもあったっけ。オリビア選手も何かの都合で、欠席することはあったかもしれないけど……灰原選手や多賀崎選手、鞠山選手や小柴選手は、ほとんど皆勤賞のはずだよな)
それはつきあいがいいというよりも、絆が深いという証なのではないだろうか。
そんな風に考えると、瓜子は胸が温かくなってしかたがなかった。
「まあ今回は、『アクセル・ロード』の壮行会も兼ねてるからね! 明日の打ち上げはマコっちゃんも主役のひとりなんだから、覚悟しておいてよー?」
「覚悟って、なんの覚悟さ? 絡み酒だけは勘弁しておくれよ」
苦笑を含んだ声で言いながら、多賀崎選手は後ろから中列のシートを覗き込んできた。
「でも、出発の日ももう目前だね。桃園も、準備はばっちりかい?」
「はいはぁい。でも、キャリーケースひとつじゃ収まらなくって、けっきょく二つ目を新調することになっちゃいましたぁ」
「ええ? どうしてそんなに荷物がかさばるのさ? 日用品は完備してるって話なんだから、今日の荷物より少なくて済むぐらいじゃない?」
「いえいえ! 二十四時間、どのタイミングで撮影されるかもわからないので、お着換えだけでも大変な量なのです! ユーリもおうちではだらしない格好ですけれども、カメラの前ではアイドルとしての体裁を守らなくてはなりませんので!」
「あんな過酷そうな環境で、外づらまで取りつくろうってのか。まったく、大した根性だね」
そのように語る多賀崎選手の言葉に、ユーリを揶揄するような響きはない。『アクセル・ロード』に参加する八名の中で、ユーリがもっとも親睦を深めている相手は多賀崎選手であったのだ。
そして多賀崎選手にとってはユーリこそが最大のライバルであるはずだが、敵視しているような気配は微塵も見られない。多賀崎選手から感じられるのは、ともに日本人選手としての底力を見せようという、仲間意識のみである。そうでなければ、多賀崎選手がこのように大変な時期に、このように大がかりなイベントに参加するわけがなかったのだった。
ユーリと多賀崎選手が北米に出立するのは、今から六日後の金曜日である。
そんな二人の心に、ひとつでも多くの楽しい思い出を残せるように――瓜子としては、そんな思いで今日という日を迎えていたのだった。