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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
18th Bout ~Intense summe Ⅱ~
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06 夏の夜の饗宴(下)

 その後も瓜子は、満たされた気持ちで打ち上げの場を楽しむことができた。

 ユーリはぴったりと瓜子のそばに寄り添っていたが、他は入れ代わり立ち代わりで顔ぶれが移ろっていく。この場には七十名近くも参加者がいたために、誰もがさまざまな相手と交流を求めていたのだった。


 レオポン選手や竹原選手といった赤星道場の門下生たちも、邪心のない笑顔で瓜子たちに挨拶をしてくれた。

 キッズクラスの門下生やその保護者たちも、『トライ・アングル』への熱意を前面に押し出しつつ、昨年以上の勢いでユーリと瓜子をもてはやしてくれた。

 グティはいまだユーリに強い執着を抱いている様子であったが、マリア選手が常にかたわらにひっついていたため、なんとか節度のある距離感を保ってくれていた。


 また、『トライ・アングル』の面々や今年が初参加となる女子選手たちも、赤星道場の関係者や他なる女子選手たちと順当に交流が深められている様子である。特に西岡桔平や『ベイビー・アピール』の面々などは社交的な人柄であるため、初対面の相手とも難なく打ち解けられるようであった。


 来栖舞や兵藤アケミなどは、やはり赤星道場のコーチ陣や実力選手と語らう時間が長いようだ。そういえば、レオポン選手はかつて出稽古で来栖舞と手合わせをしたことがあるはずであった。

 また、多賀崎選手や高橋選手といった顔ぶれも、積極的にコーチ陣と語らっている様子である。そちらはただ交流を深めるというだけでなく、有効な助言などを求めてのことなのだろうと思われた。


「……ちょっといいか?」


 と、ふいにこちらに近づいてきた山寺博人が、瓜子の隣に腰を下ろした。


「まず最初に、俺はあいつのことを馬鹿女って呼ぶ。お前も何か、適当な呼び方をつけてくれ」


「あいつって、リマさ――あ、いや、昼前にビーチでお会いした、あのお人のことっすか?」


「他に誰がいるんだよ」と、山寺博人は持参した紙コップのドリンクをすすった。


「あの馬鹿女は無事に帰ったって、さっき連絡が入ってた。いちおう、お前にも伝えておく」


「あ、そうっすか。自分もちょっと、気にかかってたんすよ。わざわざお手間を取らせて、すみません」


「……手間を取らせたのは、こっちのほうだろうがよ」


 そんな風に言いながら、山寺博人は前髪に隠された目で瓜子とユーリを見比べたようだった。


「……俺と馬鹿女の関係は、まだ相棒に話してないのか?」


「はい。特に必要はないかなと思って。……ユーリさんも、細かいことにはこだわらないお人ですので」


 瓜子がそのように答えると、山寺博人はいつもの調子で自分の頭をかき回した。


「……いつでもいいから、そいつを説明しといてくれ。もちろん、他の人間には絶対に秘密だぞ」


「え? どうしてっすか? ユーリさんは、こういうお話を詮索するお人じゃないっすよ?」


「そっちがどうだろうと、こっちのほうが落ち着かねえんだよ。……お前らは、二十四時間べったりへばりついてるような関係なんだろ? それなのに、どうして隠し事なんてできるんだよ?」


「いや別に、隠し事をしてるつもりではなくって……必要のない話はしなくていいっていうスタンスなんすよね」


 同意を求めるためにユーリのほうを振り返ると、「うみゅ」と無垢なる笑顔を返された。


「ユーリに話す必要のあるお話であれば、うり坊ちゃんはきっと隠さず話してくれるのです。ユーリはそのように信じておりますので、すべての判断はうり坊ちゃんにおまかせしているのです」


「……つくづくお前らは、常識が通用しないんだな」


 山寺博人は、妙にしみじみとした様子で溜息をついた。


「だけどな、俺は常識人だから、お前らの流儀についていけねえんだよ。俺と馬鹿女の関係がお前らの間の秘密ごとになってるって状況が、落ち着かなくてたまらねえんだ。だからお前は、事情を話せ。そっちのお前も、興味がなくても聞いておけ」


「あ、今、ユーリさんのこともお前って言いましたね。それって、初めてのことじゃないっすか? ……痛ッ!」


 瓜子はテーブルの下で、山寺博人にむこうずねを蹴られてしまった。


「こっちが大真面目で語ってるときに、茶々を入れてんじゃねえよ。ほんとにお前は、俺をムカつかせる天才だな」


「す、すみません。でも自分にとっては、そっちも大ごとだったんすよ。ヒロさんがユーリさんのことをあんたって呼ぶのは、なんか……よそよそしく感じて、寂しかったんです」


 山寺博人はテーブルに突っ伏し、再び自分の頭をかき回した。


「わかった。もういい。とにかく、俺の言い分は理解できたか?」


「はい、承知しました。今は誰の耳があるかわからないんで、ユーリさんと二人きりになるチャンスがあったらお話ししておきますね」


 瓜子がそのように答えると、会話が終わって沈黙が訪れた。

 山寺博人はテーブルにだらしなく頬杖をついて、コップの中身をちびちびと舐める。その沈黙が十秒ぐらいを突破したところで、瓜子は気まずさに耐えかねることになった。


「えーと……今日はヒロさんも、お疲れ様でした。MMAの体験スクールは、如何でしたか?」


「……なんだよ、その取って付けたような雑談は?」


「あ、いや、そういえば稽古の後はきちんとご挨拶もしてなかったなと思って……MMAスクールのご感想も聞いておきたかったですしね」


 瓜子はそのように言いつのったが、山寺博人は口をつぐんでしまった。

 そしてさきほどよりも長い沈黙を保ってから、ようやく発言する。


「……明日は間違いなく筋肉痛だ。一週間以内にライブがあったら、やばかったな」


「そうっすか。まあきっと、普段は使わない筋肉を酷使することになったでしょうからね。でも、ヒロさんもさすがの体力だと思いましたよ」


「……五時間もぶっ続けであんなハードな稽古をする人間に言われても、嫌味にしか聞こえねえな」


「いえいえ。自分たちは、これが本職ですから。まあユーリさんは、副業のほうでもすごいっすけど」


 すると、また山寺博人の目が瓜子とユーリを見比べたようだった。


「そっちのそいつは、苦労が表に出ないタイプなんだよ。ていうか……本人が、苦労を苦労と思ってないんだろうな。だから、格闘技でも音楽でも化け物じみて見えるし……普通のやつには、手の届かない存在だと思われちまうんだろうな」


「え? なんのお話っすか?」


「お前とそいつの違いだよ。お前は人間くさいから、普通の人間には身近に感じられる。音楽で言うと、俺らやベイビーみたいにインディーズからの下積みで這いあがった雑草バンドみたいなもんだろう。でも、そっちのそいつは……いきなりビルボードでトップを飾る外タレみたいなもんで、周囲の人間には生まれついてのスターだとしか認識されないんだろうな」


 山寺博人は相変わらずの仏頂面であったが、その声音はいつになく穏やかであるように感じられた。


「だけどまあ、人に対する影響力ってもんに変わりはない。いや、影響力の質が違うだけで、大きさに変わりはないって言うべきなのかな。天性のスターも、叩き上げのスターも、業界を活性化させるにはどっちも必要なはずだ。……お前らみたいな選手が同じ時代に活躍するってのは、奇跡みたいな偶然なんだろうと思うぜ」


 そんな言葉を言い終えるなり、山寺博人はふいに身を起こした。


「ま、酔っ払いの無責任なうわ言だ。ただの思いつきをべらべらと垂れ流しただけだから、適当に聞き流しておけよ。……それじゃあ、また後でな」


 そんな別れの挨拶も、山寺博人らしからぬものであったことだろう。

 そうして瓜子が落ち着かない気持ちでいると、ユーリがふにゃんと笑いかけてきた。


「よくわかんにゃいけど、ユーリはヒロ様に激励されたような心地であるのです。もしかしたら、ヒロ様は七月大会の模様を格闘技チャンネルで観てくれたのかなぁ?」


「ああ、七月大会もちょっと前に放映されたんでしたっけ。……なるほど、そういうことっすか」


 七月大会でエキシビションマッチを終えた後、ユーリは涙ながらの言葉を会場の人々に伝えていた。自分はベリーニャ選手のように、MMAの楽しさを多くの人々に伝えたい――と。

 そして今日、瓜子は自分に憧れてMMAを始めたいと願う少年と出会うことになった。そのさまも、山寺博人はその目で見届けていたのだった。


(確かにこれは、激励されたような気分だなぁ。普段は不愛想なくせに、いきなりこっちのど真ん中に踏み込んでくるなんて……やっぱり、ずるいお人だ)


 瓜子がそんな風に考えたとき、「よう」と別の人影が近づいてきた。少し前にも歓談していた、レオポン選手だ。このたびは、単身による来訪であった。


「ようやく瓜子ちゃんの隣が空いたな。ナンパはしねえから、もういっぺん挨拶をさせてもらえるかい?」


「はい。ナンパしないなら、かまわないっすよ」


 瓜子が笑顔で応じると、レオポン選手も朗らかに笑った。

 そしてユーリが、こっそり瓜子の耳もとに口を寄せてくる。


「ヒロ様とレオポン選手のコンビネーションでふっと思いついたのですけれど、うり坊ちゃんが好いたらしく思う殿方って、みなさん頭がもしゃもしゃ――にゅわー!」


 瓜子がおもいきりピンク色の頭をかき回してあげたため、ユーリは世にも幸福そうな雄叫びをあげることになった。

 その後は、レオポン選手をまじえて再びの歓談である。レオポン選手も、心から打ち上げの賑わいを楽しんでいる様子であった。


「それにしても、ユーリちゃんたちが『アクセル・ロード』に招かれるとはね。最初に話を聞かされたときは、俺もたまげちまったよ」


 レオポン選手がそのように言い出したのは、ひとしきり本日の稽古について語らったのちのことであった。


「アクセルの運営陣はこれまで日本の女子選手をひとりもスカウトしてこなかったのに、いきなり『アクセル・ロード』に大抜擢だもんなぁ。しかも北米で番組が放映されるなんて、異例中の異例だと思うよ」


「はい。それはアトミックのルール改正がきっかけなんじゃないかって、そういう意見が多いみたいっすね」


「ああ、確かにな。日本じゃやっぱりアトミックが女子選手の中心だったけど、ダウン制度やら肘打ち禁止やらのルールが、スカウト陣に二の足を踏ませてたのかもしれねえな」


「ええ。そう考えたら、《カノン A.G》の騒ぎも悪いことばかりじゃなかったってことっすね」


「……瓜子ちゃんは、本心でそう思ってるのかい?」


 陽気な表情を保持しつつ、レオポン選手が少しだけ真剣な眼差しになった。

 しかし瓜子は言葉の意図がわからなかったので、「はい?」と小首を傾げるばかりである。


「いや、《カノン A.G》の運営陣が強引にルール改正したおかげで、アトミックも《アクセル・ファイト》に選手を輩出する道が開けた。でも、そのせいで、瓜子ちゃんとユーリちゃんは離ればなれになっちまうわけだろ? アトミックが昔のままだったら、こんな騒ぎにはなってなかったんだろうからさ」


「ああ、そういう意味っすか。……そりゃあ一生離ればなれとかいう話だったら、自分たちも笑ってられないっすけどね。三ヶ月やそこらの別行動で、泣き言は言えません。自分もユーリさんも、きっちり覚悟を固めてるつもりっすよ」


「そっか」と、レオポン選手は眼差しをやわらげた。


「二人の覚悟を軽んじるようなことを言っちまって、ごめんな。俺自身、二人が離ればなれで過ごすってのが心配でしかたなかったからさ。なんか二人は、すっかり一心同体って雰囲気だもんなぁ」


「面と向かってそんな風に言われると、挨拶に困るっすね。でも……自分たちは、大丈夫っすよ」


 そうして瓜子がユーリのほうを振り返ると、そちらにはふにゃんとした笑顔が待ち受けていた。

 まったくもって、いつも通りの笑顔であったが――その瞳には、果てしなく優しい光がたたえられている。だから瓜子は、(大丈夫だ)という思いを再確認することができた。


「おー、ハルキくんじゃん! なになに? 性懲りもなく、うり坊のことを口説こうとしてんの?」


 と、赤いドリンクのプラコップを携えた灰原選手が、いきなり横合いから瓜子にしなだれかかってくる。レオポン選手は笑いながら、自分のコップをそちらのコップに触れさせた。


「人聞きが悪いにもほどがあるッスね。ていうか、俺が瓜子ちゃんを口説こうとしたことなんて、一度もないはずッスよ。……俺は口説こうとする寸前で、撤退することになりましたからね」


「やっぱ、口説こうとしてた時期があったんだー? ハルキくんはやたらとうり坊に優しいから、そうだろうと思ってたんだよねー!」


「悪いお酒っすね」と、瓜子は灰原選手の鼻をつまんでみせた。灰原選手は「むがが」とうめいてから、瓜子の手を振り払う。


「いいから、あたしにもかまってよー! うり坊とピンク頭は、最初の席から一歩も動いてないじゃん!」


「色んな方々が挨拶に来てくれるんで、席を移動する必要を感じなかったんすよ。現にこうして、灰原選手も来てくれましたしね」


「あっそー! それじゃあ、盛り上がろっかー!」


 しばらく見ない間に、灰原選手はすっかり出来上がってしまっているようであった。その手につかんだ赤いドリンクも、どうやらビールをトマトジュースで割ったレッド・アイのようである。


「灰原選手は、いつも以上にハイテンションみたいっすね。……何かおつらいことでもあったんすか?」


「はー? 文脈がムチャクチャじゃない? うり坊のほうこそ、酔っぱらってんの?」


「いえ。なんかちょっと、ヤケクソっぽい感じだなと思って。自分の気のせいなら、それでいいんすけどね」


 瓜子がそのように言いたてると、灰原選手は一瞬きょとんとしてから、いきなり肉感的な腕で瓜子の身を抱きすくめてきた。


「別にヤケクソではないけどさ! もうすぐマコっちゃんとお別れかーって考えると、お酒が進んじゃうんだよ! それなのに、マコっちゃんは『アクセル・ロード』に夢中だしさ!」


「でも、多賀崎選手のお邪魔はしないで、こっちに突撃してきたわけっすね。灰原選手のそういうところは、自分も尊敬してますよ」


 瓜子が笑いながら灰原選手の肩をタップすると、年長の友人は「むー!」とうなりながらいっそうの怪力で胴体を締めつけてきた。それをユーリが羨ましそうに見つめているのも、毎度のことである。そしてレオポン選手は、心から楽しそうに笑っていた。


「灰原さんも、情が深いッスね。うちの女子連中なんかはみんな頑丈なんで、ナナの北米進出をひたすら大喜びしてるッスよ」


「ふーんだ! あたしはうり坊と遊びまくるからいいもんねー! さびしくなんかないもーん!」


「多賀崎選手たちの出発まで、まだ四週間近くもありますよ。それに月末には、新潟の打ち上げも待ってるじゃないっすか」


 瓜子がそのように答えると、レオポン選手が「え?」の驚きの声をあげた。


「新潟って、なんの話だい? 誰かが地方大会にでも出場するのかな?」


「いえいえ。『トライ・アングル』のライブっすよ。ジャパンロックフェスっていうイベントに出場するんです」


「ああ、アレかぁ。でも、灰原さんたちも観に行くんスか? 新潟まで遠征なんて、すごい気合ッスね」


「だってそれが、マコっちゃんとじっくり遊べる最後のチャンスだもん! 新潟まで二泊三日のお泊まり旅行! 羨ましいっしょー?」


 瓜子に抱きついたまま、灰原選手はけらけらと笑う。やはり灰原選手は、情緒がまったく定まっていないようであった。


「まあそんなわけで、他の女子選手の方々もたくさん来てくれることになったんすよ。それで『トライ・アングル』の方々のご厚意で、ライブの打ち上げと『アクセル・ロード』の壮行会を兼ねることになったんすよね」


「ああ、ジャパンフェスは月の終わりの週末だったっけ? それじゃあ、北米に出立する数日前ってことか。そんな大事な時期に新潟でライブなんて、ユーリちゃんはタフだなぁ」


「はぁい。ユーリにとっても、心待ちにしているイベントですのでぇ」


 そのように語るユーリは、やっぱりやわらかい眼差しだ。

『トライ・アングル』のライブと、懇意にしている人々とのお泊まり旅行。その両方を、ユーリは心待ちにしているのだった。


(ユーリさんや多賀崎選手にとっては、本当に大変なスケジュールだけど……でも、メンタル面を充実させるのも、ファイターにとっては大事なはずさ)


 瓜子がそのように考えたとき、遠くのほうでわあっと歓声があげられた。

 そちらに目をやった瓜子は、思わず言葉を失ってしまう。いつの間にか中庭の片隅に集結していた『トライ・アングル』の面々が、それぞれ楽器を抱え持っていたのである。


「静粛に! ……これから『トライ・アングル』の方々が、余興の演奏を披露してくれるそうだ。この辺りには民家もないので近所の迷惑になることはないかと思うが、節度をもって楽しんでいただきたい」


 どこからか、赤星弥生子のそんな言葉が聞こえてくる。

 そうして瓜子が呆然としていると、白いブラウスにタイトスカートというリゾートらしからぬ格好をした千駄ヶ谷が音もなく接近してきたのだった。


「ユーリ選手、猪狩さん、あちらに合流をお願いいたします」


「よ、余興の演奏ってどういうことっすか? こんなお話は、うかがってないっすよ?」


「はい。お二人は秘密ごとを抱えるのが苦手であるように思えましたため、他の方々が内密に話を進めていたのです。もちろん赤星道場の方々にも事前に許可をいただいていますので、ご心配なく」


 瓜子は再び言葉を失うことになったが、ユーリは瞳をきらめかせていた。


「ではでは、この場でお歌を歌わせていただけるのですね? わぁい、嬉しいサプライズですぅ」


 それは、周囲の人々の台詞であったことだろう。赤星弥生子がどれほどたしなめようとも、そこにはライブ会場のような歓声がわきたってしまっていた。


 とりあえず、瓜子とユーリは千駄ヶ谷の先導のもとに、『トライ・アングル』のもとを目指す。するとそちらでは、半数ぐらいのメンバーがとびっきりの笑顔で出迎えてくれた。


「急な話でごめんな、ユーリちゃんに瓜子ちゃん! でも、まさか反対はしないだろ?」

「急ごしらえのセッティングなんでどんな演奏になるかわかんねえけど、ま、そこはユーリちゃんの爆発力を頼らせていただくよ!」


 その場には、数々の楽器がセッティングされている。山寺博人や漆原などはアコースティックギターを抱えていたが、リュウやタツヤや陣内征生はそれぞれの楽器を小さなアンプに繋いでいたのだった。

 もちろんドラムセットまでは持ち込めないため、西岡桔平はカホンにまたがり、ダイはコンガを試し打ちしている。そして、肉食ウサギの形相で頬を火照らせた愛音が、瓜子にマラカスを差し出してきた。


「愛音はタンバリンをお預かりするのです。猪狩センパイには、こちらをお願いするのです」


「じ、自分たちも参加するんすか? 邑崎さんも、このことをご存じだったんすか?」


「いえ。さっきお話を聞かされたのです。でも、『トライ・アングル』の演奏に参加できるのでしたら、こんな光栄なお話はないのです」


 瓜子や愛音も特典映像のために、こういった楽器でセッションに加わるのが定番になっている。しかしそれはあくまで撮影用の演奏であり、このように大勢のギャラリーの前で披露するのは初めてのことであった。


「ちょ、ちょっと自分には荷が重いっすよ。こんなたくさんの人たちの前で、本職の方々に割り込むなんて……」


「これまで販売された特典映像は、何万人という方々の目にさらされているのです。今さら尻込みする理由はないのです。……まあ、猪狩センパイが参加するかどうかは、愛音の知ったことではないのです」


 すると、瓜子のこめかみの髪がひと房、きゅっと引っ張られた。もちろんそのような真似をするのは、ピンク色の頭をした大事な相棒である。


「うり坊ちゃんも参加してくれたら、ユーリの思い出はいっそう美しく彩られるのです。切に、切に参加をお願いしたく思うのです」


 ユーリはおどけた口調であったが、その瞳には混じり気のない真情がたたえられていた。

 瓜子はふっと息をつき、愛音の手からマラカスを受け取る。すると、アコースティックギターをつま弾いていた山寺博人が不愛想な声を届けてきた。


「エレキの連中も、こっちに合わせたボリュームだからな。雑音鳴らして邪魔するんじゃねえぞ」


「そ、そんなプレッシャーかけないでくださいよ」


「ふん。今度はこっちが仕切る番だからな。昼間に威張りくさってた分、根性を見せてみろよ」


 そんな風に言いながら、山寺博人は口もとを歪めて微笑んだ。

 悪党のごとき笑みであるのに、彼は滅多に笑わないものだから、たいそう貴重で魅力的に思えてしまう。それにきっと、先刻の「また後でな」という挨拶は、この事態を見越してのものであったのだ。なんて卑怯な人だろうと、瓜子は苦笑を返すことになった。


「それじゃあ、どうする? バラード系のほうが合わせやすいけど、一発目は景気のいい曲をかましてえよな」

「俺は何でもかまわねえよ! どうせボンゴをぶったたくだけだしな!」

「ここはやっぱり、ユーリちゃんの歌いたい曲じゃねえかなぁ」


 そんな言葉が交わされて、ユーリのほうに視線が向けられてくる。

 マイク代わりのスプーンをつかみ取ったユーリは、天使のような笑顔でそれに答えた。


「ユーリもお胸がはちきれそうなので、元気な曲を歌いたいです! 『ハダカノメガミ』などいかがでしょう?」


「おお、いきなりハイレベルの要求だな! でもまあ我らが歌姫のご所望には、全力で応えてやらないとな」


 そうして満天の星の下、『ハダカノメガミ』のイントロが奏でられ――ユーリの力強い歌声が響きわたった。

 覚束ない手つきでマラカスを振りながら、瓜子はまだ夢見心地である。中庭に渦巻く盛大な歓声が、いっそう瓜子の非現実感をかきたてるようだった。


 そうして突如として決行された『トライ・アングル』の特別ステージは、三十分以上も繰り広げられ――その場に居合わせたすべての人々の胸に、忘れがたい思い出を刻みつけたのだった。

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