04 真剣勝負
「ここからは、各自の希望に沿って稽古内容を決めていくぞ! ざっくり一時間ずつ分けて、三パターンの稽古を積むって寸法だな! そのつもりで、稽古の内容を考えてくれ!」
大江山軍造は心から楽しそうに笑いつつ、そのように言いつのった。
「まず簡単に、立ち技と寝技で分けさせてもらう! 最初に立ち技の稽古を希望する人間は、挙手!」
最初に数名の選手が手をあげ、それを見た別の人間が後から手をあげていく。稽古の内容そのものよりも、誰と一緒に稽古をしたいかで判断した人間も多いようだ。
それで立ち技の稽古を希望したのは、瓜子、ユーリ、サキ、愛音、メイ、小笠原選手、小柴選手、灰原選手、オルガ選手、青田ナナ、マリア選手、大江山すみれ――そして、赤星弥生子の十三名である。
「ふんふん。寝技の希望者は、六名だけってことか。それじゃあそっちは、鞠山さんに仕切ってもらえるかい?」
「承っただわよ。それじゃあみんな、きりきり移動だわよ」
鞠山選手、多賀崎選手、魅々香選手、オリビア選手、香田選手、高橋選手の六名が、離れた場所に移っていく。
「じゃ、こっちの面々の希望を聞かせてもらおうか。インファイト対策、アウトファイト対策、壁レスや組み合い、組み合いなしの立ち技――どういう稽古が、お望みだい?」
「私は人数調整の役割を担うので、それ以外のメンバーから意見をもらいたい」
と、ひとりウォームアップに励みながら、赤星弥生子がそのように言い添えた。彼女はずっと指導役を務めていたので、すっかり身体も冷えてしまったことだろう。
そんな中、面倒くさそうに発言したのはサキであった。
「アタシはテイクありのスパー。相手は誰でもかまわねーけど、同門の連中は飽き飽きしてるから、なるべく目新しい相手を蹴り倒してーな」
「ふん。お前さんは、同じ階級の相手でもかまわないんだっけか?」
「こっちはかまわねーけど、嫌がるヤツは多そうだなー」
多いどころか、同階級の三名たる愛音と小柴選手と大江山すみれは、全員が対戦を断っていた。それもサキばかりでなく、同階級の相手すべてとである。
「じゃ、その三人にまず希望を聞かせてもらおうか」
「愛音も普段お手合わせを願えないお相手と、テイクダウンありのスパーを所望するのです!」
「わ、わたしもその内容でかまいません。なるべくなら、アウトタイプの対策をさせていただきたいです」
「わたしは、本気のスパーをしたいです」
大江山すみれの発言に、その父親は「ほう」と笑い、赤星弥生子は眼光を鋭くした。
「本気のスパーとは、どのていどの?」
「本気中の本気です。防具はいくら着けてもかまいませんが、すべての技を解禁させてください。それで……ユーリさんや猪狩さんと対戦してみたいです」
今度は、数多くの人間がざわめくことになった。
その中から、灰原選手が勢いよく声をあげる。
「それって、稽古なの? なんか、ケンカを売ってるように思えるんだけど!」
「防具をつけて、寝技は禁止にするのですから、ケンカでも試合でもなく稽古であるはずです。ただ……ユーリさんや猪狩さんは《レッド・キング》に参戦することもなさそうですし、外部の興行では階級の違いから対戦のチャンスもなさそうなので、一度本気の勝負をさせてもらいたいんです」
灰原選手は肩をすくめつつ、「どーすんの?」と言いたげに赤星弥生子のほうを振り返った。赤星弥生子はウォームアップに励みつつ、鋭い眼差しで大江山すみれの笑顔を見据えている。
「……猪狩さんと桃園さんは、サキさんや邑崎さんの同門だ。そんな方々を相手に手の内をさらけだしてもかまわないと言うんだな?」
「はい。どうせ邑崎さんとは二回も対戦しているんですから、今さら不利にはならないと思います」
赤星弥生子はしばらく大江山すみれの笑顔をねめつけてから、瓜子とユーリのほうに向きなおってきた。
「すみれは、このように言っている。お二人の率直な気持ちを聞かせていただきたい」
「もちろん、ユーリはオッケーですよぉ。あの弥生子殿直伝のスタイルを堪能できるのでしたら、ワクワクの極致ですぅ」
呑気なユーリに溜息をつきつつ、瓜子も首肯してみせた。
「自分もかまいません。でも、なるべく短い時間に収めるべきだと思います」
「うん。三分一ラウンドずつでかまわないだろう。……六丸!」
と、赤星弥生子はふいに大きな声をあげた。
『トライ・アングル』の面々と一緒に見学をしていた六丸は、子犬のようにひょこひょこと近づいてくる。そしてその後には、是々柄も追従していた。
「すまないが、すみれのスパーの審判を頼みたい。誰も負傷しないように取り計らってくれ」
六丸はつぶらな瞳をぱちくりとさせてから、「承知しました」と微笑んだ。
「弥生子さんからそんなお願いをされるのは、初めてのことですね。審判なんて自信がないですけれど、死ぬ気で頑張ります」
「余計な言葉は吐かなくていい。……それじゃあそちらの三名は、防具の着用を。さきほどの一式と、さらにヘッドガードとボディプロテクターも装着してもらいたい」
「はいはぁい。テイクダウンありなら、オープンフィンガーグローブでありますねぇ」
そうして瓜子たちが防具を着用している間に、他のメンバーの稽古内容も決定された。おおよそは同じような内容を希望していたため、けっきょく二手に分かれてサーキットを行うことになったようだ。
「こちらは五名ずつのサーキットなので、三分四ラウンドで終了する。そののちに、そちらの三名もあらためて加わってもらいたい」
「はい。承知しました」
けっきょく赤星弥生子もそちらに参加して、瓜子たちのスパーは六丸に一任するようである。その潔さが、瓜子としては気になるところであった。
(なんだか、結果は見えてるって雰囲気だけど……弥生子さんは、どういう結果を想像してるんだろう)
もちろん瓜子としても、大江山すみれに後れを取るつもりはない。たとえ面妖な技の使い手であっても、彼女はプロ昇格を果たしたばかりの高校生であるのだ。それをライバルとするのは、後輩たる愛音の役割であるのだった。
(サキさんも、別に心配してないみたいだし……ここは、お二人の判断を信じよう)
瓜子はユーリと大江山すみれ、それに審判たる六丸とおまけの是々柄とともに、体育館のもっとも奥まった場所に移動する。すると、異変を察したらしい『トライ・アングル』の面々も壁伝いでこちらに追従してきた。
「それでは、スパーを始めます。さっきも言った通り、僕は審判の経験もない門外漢ですけれど、みなさんが怪我をしないように取り計らいますので、どうぞよろしくお願いいたします」
緊迫感のかけらもない面持ちで、六丸はそんな風に宣言した。少しくせのある髪を無造作にのばした、細身で小柄な少年のごとき若者である。そしてその隣では、瓶底のような眼鏡をかけたメディカルトレーナーの是々柄がわきわきと両手の指を動かしていた。
「万が一のときは、あたしが回復魔法のごときマッサージを施術するんで、心配はご無用っすよ。猪狩さんもユーリさんも、どうぞ安心して身をゆだねてほしいっす」
「是々柄さんは、相変わらずっすね。……自分とユーリさんの、どちらが先にお相手をしましょうか?」
「わたしはどちらでもかまいません」と、大江山すみれは内心の知れない笑みをこぼしている。瓜子はグローブの具合をチェックしつつ、背伸びをしてユーリに囁きかけた。
「それじゃあ、まずは自分がお相手をするんで、ユーリさんはじっくり検分してください。おたがい、怪我だけは気をつけましょう」
「はいはぁい。うり坊ちゃんと赤鬼ジュニアちゃんの本気スパーなんて、なんだかわくわくしちゃうねぇ」
呑気なユーリに苦笑を返してから、瓜子は大江山すみれの前に進み出た。
是々柄は脇に引っ込み、六丸が瓜子たちの間に飄然と立つ。壁際では、タツヤたちが期待に瞳を輝かせているようであった。
「さきほど弥生子さんから、スープレックスだけは禁止だと仰せつかりました。あと、テイクダウンは有効ですが、寝技には移行しないで、すぐに立って再開だそうです。時間は、三分一ラウンド。僕が危険だと判断したら、そこでスパーは終了とします。何かご質問はありますか?」
「ありません」
「では、さっそく開始しましょう。ぜーさん、時計はお願いしますね」
六丸は身を引いて、「始め」と宣告した。
「お願いします」と一礼して、グローブをタッチさせる。それと同時に、大江山すみれはすうっと後方に下がっていった。
愛音とほぼ同じ数値をした、長身で細身の少女だ。前の試合から変動がなければ、瓜子との身長差は八センチであった。
ただしウェイトは、瓜子のほうが五キロばかりも上回っているのだろう。先刻のスパーでも、彼女から感じられるのは愛音と同程度の力感であった。
(でも今回はヘッドガードにボディプロテクターまで着けてるから、ちょっとばっかり厄介だな)
瓜子から距離を取った大江山すみれは、両拳を腰のあたりにまで下げて、足をゆったりと前後に開いている。赤星弥生子直伝の、古武術スタイルだ。瓜子もついに、この奇怪なファイトスタイルを相手取る機会を得たわけであった。
防御の姿勢を取ろうとしないこのスタイルは、カウンター狙いに特化している。もっとも警戒するべきは、振り子のように繰り出されるアッパーと、前蹴りおよび三ヶ月蹴りであろう。しかも瓜子はリーチとコンパスで大きく負けているのだから、より厄介さが増すのだった。
(ただ、大江山さんは弥生子さんほどの域に達してないから、がむしゃらな突進やスピードフルな攻撃には弱いはずだ。邑崎さんだって最初の対戦では、完全に追い詰めることができたんだからな)
そのように判じた瓜子は、自分のもっとも得意とする形で攻め込むことにした。サイドステップを多用する、機動力重視の前進である。
瓜子はキックの時代から、たいていの相手に上背で負けていた。それで早い段階から、こういったステップワークを学ぶことになったのである。真っ直ぐに突っ込んでも遠い距離から攻撃を当てられてしまうため、左右に揺さぶりをかけるのを基本戦略としたのだ。
(古武術スタイルは、サイドからの攻撃にも弱いはずだ。あたしなんて、けっこう相性がいいほうなんじゃないのかな)
瓜子がぐいぐい近づいていくと、大江山すみれはすり足で下がっていく。ただし、そのたびに身体の角度を調整しており、瓜子にサイドを取られないように苦心していた。
しかし、まだ手慣らしの段階である瓜子と比べても、緩慢な動きである。
これならば、無理にギアを上げずとも、的確な攻撃を叩き込めそうなところであった。
(なんか、びっくりするぐらいプレッシャーを感じないな)
先刻のサーキットでは、瓜子もたびたびカウンターのプレッシャーを受けていた。彼女は通常のスタイルでも、背筋に寒気を覚えるようなカウンターの鋭さを有していたのである。
あれはこの古武術スタイルの応用であろうと思ったのに、今の彼女からは何の圧力も感じない。
それで瓜子が、いざ相手の間合いに踏み込もうとしたとき――何か、見えざる糸に後ろ髪を引かれるような感覚を覚えた。
瓜子は自分の感じたものの正体もわからぬまま、踏み込もうとした足を止める。
それと同時に、どんっと腹の真ん中に衝撃を受けた。
ボディプロテクターを装着しているので、痛みなどは感じない。ただ、正確にみぞおちを叩かれていたので、ほんの少しだけ呼吸が乱れた。
それは、大江山すみれの右足による前蹴りであった。
瓜子は腹に衝撃を受けてから、その事実を知覚することになったのだった。
(……なんだよ、今のは?)
瓜子は思わず、大股で後方に逃げてしまう。
すると大江山すみれは、すり足で前進してきた。
圧力も迫力も、何も感じない。
大江山すみれは防御の姿勢も取らないまま、ただ無造作に前進しているかのように見える。
しかし瓜子は、そのさまが薄気味悪く思えてならなかった。
(もしかして……これが、古武術スタイルの本領なのか?)
瓜子は攻撃をくらうまで、相手が攻撃したことにすら気づいていなかった。真正面にいる相手が前蹴りを出してきたことを、知覚することができなかったのだ。
その際の瓜子は、ちょうど相手の間合いに踏み込もうとした瞬間であった。そこで不可解な感覚にとらわれて足を止めていなければ、もっと深く攻撃をもらっていたはずであった。
(相手に圧力を感じなかったから、あたしは遠慮なく踏み込もうとした。その瞬間に、攻撃をくらったんだ。それが……あたしの隙だったってこと?)
瓜子は大きな勘違いをしていたのかもしれない。
大江山すみれは通常のスタイルでも、迫力のあるカウンターの気配を漂わせていたが――その迫力や気配を殺すことこそが、古武術スタイルの本領であるのかもしれなかった。
(だったらそれは、一瞬の隙を突いてくるサキさんに似たスタイルなのかもしれない)
瓜子はめまぐるしく頭を回転させながら、サイドステップもまじえて距離を取った。これに追いつくのは難しいと見て取ってか、大江山すみれは前進を止める。そうすると、スパーの開始時と何ら変わらない静謐なる立ち姿が再現された。
(……わかったよ。あなたは、本気のスパーを望んでるんだもんね)
瓜子は呼吸を整えて、サーキットの疲弊を抱えた肉体に活を入れた。
相手が高校生であるという侮りを捨てる。彼女には何の迫力も感じないが、サキやメイに匹敵する強敵だと思って、立ち向かうのだ。
瓜子は全力で足を使い、前進した。
左右に揺さぶりをかけながらの前進だ。やっていることは同じでも、今回の瓜子はギアを最大に上げていた。
大江山すみれはさきほどと同じように、すり足で後ずさる。
ぬかりなく角度の調整をするのも先刻と同様だが、今回は瓜子の機動力のレベルが違うため、完全には追いつけていない。それで瓜子は、望み通りのアウトサイドから相手の間合いに踏み込むことができた。
この角度であれば、相手はいかなる攻撃を打つこともできない。
よって大江山すみれは、そのまま後方に下がろうとした。
瓜子は(いける!)と、そこに追いすがろうとする。
その瞬間、またおかしな感覚に後ろ髪を引かれた。
瓜子は迷わず、急停止する。
その鼻先を、下から上に走り抜けていくものがあった。
大江山すみれの、右肘である。
アウトサイドを取られた彼女は、脇を開くようにして右肘を突き上げてきたのだった。
技の名前などつけようもない、無茶苦茶なフォームの攻撃である。
しかし瓜子が前進を止めていなければ、その肘に下顎を叩かれていたはずであった。
瓜子はぞくぞくと背筋を震わせながら、右の拳をスイングさせる。
大江山すみれが攻撃のために足を止めたので、いまだ間合いも詰まっている。それで瓜子の放ったボディフックは、相手の腹のど真ん中にクリーンヒットすることになった。
しかし今回は、ボディプロテクターまで装着している。
いかに打たれ弱い大江山すみれでも、この一発で倒れることはないだろう。
しかし、その細い身体はくの字に曲がりかけていた。
瓜子は右拳を引きながら、左拳を振りかぶる。
じわじわと下がってくる頭部を狙っての、左フックだ。
これは当たると、瓜子が確信しかけたとき――いきなり横合いから、予想外の衝撃に見舞われた。
瓜子は「わあっ!」と声をあげながら、簡易マットの上に倒れ込んでしまう。
そんな瓜子の胴体に、六丸がぎゅっとしがみついていた。
「ストップですストップです。すみません。声をかけても止められそうになかったので、身体で止めることになってしまいました」
瓜子にしがみついたまま、六丸がふにゃんと笑いかけてくる。
その向こう側で、大江山すみれは片方の膝をついていた。
そこに、是々柄の「しゅーりょーっす」というとぼけた声が響きわたる。あっという間に、三分という時間が過ぎてしまったようであった。
「いきなり押し倒してしまって、申し訳ありません。猪狩さんも、足をひねったりしていませんか?」
「はあ。自分は大丈夫ですけど……今のは、そんなに危険な場面でしたか?」
「はい。すみれちゃんはボディのダメージが深かったので、あそこで顔面に打撃をもらうのは危険だと判断しました」
ずいぶん過保護な裁定であるが、まあ六丸は赤星弥生子に怪我がないようにと厳命されていたので、それも致し方のないことなのだろう。マットに片膝をついていた大江山すみれは、やはり内心の知れない面持ちで瓜子に笑いかけてきた。
「どっちみち、わたしは反撃できる状態ではありませんでした。……今のわたしでは、猪狩さんの本気を引き出すこともできないみたいですね」
「いえ。自分は完全に本気でしたよ。だから、攻撃を当てることができたんです」
「いえ。試合中の猪狩さんは、こんなレベルではありませんでした」
それはもしかして、あの集中力の限界突破とでも言うべき状態のことを指しているのだろうか。であれば確かに、瓜子もその領域にまでは足を踏み入れていなかった。
「今の自分と猪狩さんの実力差を体感することができました。ありがとうございます、猪狩さん」
「いえ。お気が済んだんなら、何よりです」
瓜子は大江山すみれとともに起き上がり、スパーの礼儀として終了の挨拶を交わした。
そうしてユーリのもとに戻ると、そちらにはふにゃふにゃの笑顔が待ち受けている。
「うり坊ちゃん、とってもとってもかっちょよかったよぉ。『トライ・アングル』のみなさんも、必死に拍手や歓声をこらえてるみたいだねぇ」
「そうっすか。でもやっぱり、大江山さんのファイトスタイルは不気味でした。弥生子さんと対戦してるユーリさんなら、大丈夫だと思いますけど……油断だけはしないでくださいね」
「にゃはは。ユーリが油断なんて、恐れ多きことでありますよぉ」
そうして一分間のインターバルののち、ユーリと大江山すみれのスパーが始められることになった。
ユーリは普段と変わらぬ調子で、ひょいひょいと前後にステップを踏んでいる。とても軽妙な足取りであるが、片目で戦うユーリは目測が甘いため、今にもうかうかと相手の間合いに踏み込んでしまいそうで、心臓に悪かった。
が、ユーリは目測が甘いがゆえに、ステップが自然に不規則性を帯びている。思いも寄らないタイミングでうっかり間合いに踏み込まれるというのは、対戦相手にとっても嫌なものであるのだ。
なおかつユーリは自らの目測の甘さを自認しているため、気を抜くということがない。間合いの外であろうが内であろうが、ユーリはいつでも相手の攻撃を警戒しているのだ。普通はそのように気を張っていたら気力が削られてしまうものであるが、ユーリは精神面でもスタミナのお化けであるのだった。
そのせいなのかどうなのか、大江山すみれはまったくカウンターを出せずにいた。
ユーリの心に変動が見られないため、隙を突くことができないのだろうか。
そしてユーリは、体格で大江山すみれにまさっている。瓜子とは逆に、相手より七センチばかりも長身であるのだ。
よってユーリは、相手よりも遠い間合いから攻撃を当てることが可能であり――いきなり射出された三ヶ月蹴りが、見事に大江山すみれのレバーを撃ち抜いたのだった。
たとえボディプロテクターを装着していようとも、瓜子のボディフックで膝をついた大江山すみれがユーリの三ヶ月蹴りに耐えられるわけがない。大江山すみれは脇腹を抱えてうずくまり、六丸はすぐさまスパーの終了を宣告した。
「たぶん、残り時間でそのダメージは回復しないよ。だからここでやめておこうね、すみれちゃん」
「……はい。けっきょく手も足も出ませんでしたね」
わずかに震える声で応じつつ、それでも大江山すみれは内心の知れない微笑をたたえている。そしてマットにへたりこんだまま、心配そうな顔をしているユーリを見上げた。
「ユーリさん、ありがとうございました。……やっぱりわたしは、弥生子さんの足もとにも及びませんでしたか?」
「うにゅにゅ? えーとえーと……申し訳ないのですけれど、ユーリは誰かと誰かを比べるというのが、とても苦手なのです」
「そうですか。……まあ、この結果がすべてですよね」
大江山すみれは是々柄の手を借りて立ち上がり、スパー終了の挨拶を交わした。
そうして瓜子が近づいていくと、あらためて頭を下げてくる。
「猪狩さん、ユーリさん、ありがとうございました。やっぱりお二人は、わたしにとっての目標です。どうかわたしが人並みの力をつけるまで、引退したりしないでくださいね」
「それは何ともお答えしにくいですけど……大江山さんは、まず目前のトーナメントに集中するべきじゃないっすかね」
「はい。まずはそちらで優勝して、正規王者からベルトをいただき、肩書きだけでもお二人に並びたく思います」
それはつまり、サキや愛音にも打ち勝ってみせるという宣言に他ならなかった。
まあ、試合の場では死力を尽くすのが当然の話である。瓜子はサキの勝利を信じつつ、「健闘を祈ります」と答えるしかなかった。
そうして突如として行われた真剣勝負のスパーリングは、粛然と終了したわけであった。