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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
18th Bout ~Intense summe Ⅱ~
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02 時の流れ

 荷物を置いた瓜子たちがバーベキュー設備の整った中庭まで出向いてみると、予想以上の大歓声で出迎えられることになった。

 その歓声は、ユーリを含む『トライ・アングル』の面々に向けられたものである。そしてやっぱりもっとも熱狂の度合いが高いのは、キッズクラスの門下生の保護者たちであるようであった。


「静粛に。……以前から告知していた通り、こちらの方々はあくまでプライベートの個人として今回の合宿に参加する。サインや写真撮影などは夜に特別に時間を設けていただけるとのことなので、それ以外の時間はむやみに騒ぎたてないように徹底してもらいたい」


 赤星弥生子が凛然とした言葉を投げかけると、とりあえず表面上の熱気は抑えられた。


 その場には、五十名近い人間が居並んでいる。赤星道場のコーチ陣と正規門下生が二十名ていど、キッズクラスの門下生が十名ていど、その保護者たちが同じく十名ていど――そして、先行した女子選手とその関係者が、七名だ。これに、十一名の女子選手と音楽関係者の八名が加わり、総勢は七十名近くにふくれあがるわけであった。


 とりあえずは、後から参じたメンバーがひとりずつ自己紹介していく。そして赤星道場の側は、ひとまずコーチ陣と特殊な立場にある人間だけがこちらに紹介されることになった。すなわち、大江山師範代と青田コーチ、サブトレーナーの二名、往年の覆面レスラーたるアギラ・アスール、その息子たるジュニアのグティ、メディカルトレーナーの是々柄、そして整体師の六丸である。


「門下生にも、あんたがたのファンは多いようでな。そいつらに教えてもらって、ミュージック・ビデオとかいう動画を拝見したことがあるよ。俺は音楽なんざ門外漢だが、あんたがたがただものじゃないってことは理解できたつもりだ」


 そんな風に申し述べたのは、赤ら顔の大男たる大江山軍造である。


「そっちの桃園さんなんかも、立派な歌手としか思えなかったしな。天は二物も三物も与えるもんだねぇ」


「いえいえ。ユーリなどは、みなさんのお力に引っ張られているだけですぅ」


「まあとにかく、俺たちは猪狩さんの人を見る目を信用して、あんたがたをお招きすることになった。こっちも失礼のないように取り計らうから、そっちも猪狩さんの信頼を裏切らないように、ひとつよろしくお願いするよ」


「ええ、もちろんです。猪狩さんが目を光らせていると思えば、誰も悪さなんてできないはずです」


「ちょ、ちょっと、キッペイさん。それはあまりに人聞きが悪いっすよ。それを言うなら、千駄ヶ谷さんのほうがよっぽど――あ、いや、なんでもありません」


 西岡桔平は虫も殺さぬ顔で微笑み、大江山軍造は豪快に笑った。


「それじゃあこっちは、朝食の続きに取りかかるか。そっちは腹ごしらえも済んでるんだろう? レクリエーションの時間まで、適当にくつろいでてくれ」


 そんな言葉を残して、大江山軍造は簡易テーブルのほうに戻っていった。バーベキューの設備が活用されるのは昼からで、今はテーブルに並べられた簡単な食事で腹を満たしているのだ。


 こちらは協議の末、ひとまず男性陣はそれぞれの寝室に引っ込むことにする。赤星道場の面々と交流を深める前に、ワンクッションを置いたほうがよかろうという判断だ。

 その間に、瓜子たちは挨拶回りである。するとやっぱり、熱意を抑え込んでいた保護者の面々が瓜子を取り囲んできたのだった。


「『トライ・アングル』のメンバーが勢ぞろいなんて、すごいですね! 家に戻ったら、旦那に自慢しちゃいます!」

「夜にはサインとかいただけるんですよね? 通販で買ってきたTシャツを持参したんです!」

「うちは娘も『トライ・アングル』のファンなんですよ! 今回はチケットが取れなくて残念がってました! 水曜日のニューシングルも特装版を予約済みです!」


 ユーリの音楽活動が保護者の面々に浸透しているのは、《レッド・キング》の観戦時でも知れていたことだ。しかしこの数ヶ月で、そちらの熱意はいよいよ高まっているようであった。

 瓜子はクッション役を担うべく、それらの熱意を満身で受け止める。そうして熱意を発散させておけば、のちのち当人たちと接する際には多少ながら沈静することだろう。

 そうしてひと通りの熱意を受け止めたのち、瓜子はひとつの事柄に思いあたった。


「あ、そうだ。……岡山さん、ちょっとこちらでお話をいいですか?」


 保護者のひとりを捕獲して、千駄ヶ谷のもとまで案内をする。千駄ヶ谷はお茶をふるまわれながら、真剣な面持ちで赤星弥生子と語らっているさなかであった。


「千駄ヶ谷さん。こちら、岡山さんです。去年、電話で何度もお話ししましたよね」


「あ、そうそう! わたしもずっと、ご挨拶をしなきゃって思ってたんです!」


 岡山という名を持つ女性も、千駄ヶ谷ににっこりと笑いかけた。

 千駄ヶ谷は納得した様子で首肯し、湯飲みをテーブルに戻す。


「昨年、《カノン A.G》の騒ぎの際にご協力いただいた、岡山さんですね。その節は、大変お世話になりました」


「とんでもない! あの騒ぎでは、あたしも頭にきちゃってたんで! お役に立てたことが嬉しくてしかたなかったですよー!」


 去年の合宿稽古の期間中、ユーリはとんでもないスキャンダル記事をでっちあげられることになった。それに反論するために、ちょっとしたブロガーであった岡山女史がユーリ名義のブログを管理する千駄ヶ谷と連携を取ることになったのだ。それで両名は電話でもって、あれこれ打ち合わせをした仲であったのだった。


「声から想像してましたけど、千駄ヶ谷さんってやっぱり美人さんですね! 猪狩さんもこんなに可愛いし、やっぱり類は友を呼ぶってことなんですかねー!」


 そうしてひとしきり騒いだのち、岡山女史は保護者と子供たちのもとに戻っていく。その背中を見送って、赤星弥生子がふっと息をついた。


「そういえば、去年はそんな騒ぎもありましたね。あの悪辣な男がその卑劣な行いに相応しい末路を辿ることになり、私も胸を撫でおろしていました」


「いまだ徳久一成は裁判のさなかとなりますが、あの男が逃れるすべはありませんでしょう。情報をご提供くださった赤星道場の方々にも、深く感謝しています」


「私たちは為すすべもなく、みなさんの奮闘を見守っていたに過ぎません。でも……思えばあの頃は、桃園さんも猪狩さんも大変な騒ぎの渦中にあったのですよね。それが今では何の憂いもなく合宿稽古に参加することができて……それも心より喜ばしく思っています」


 千駄ヶ谷に語りかけながら、赤星弥生子は瓜子のほうにやわらかい微笑を届けてくる。瓜子は何となく泣きたいような気分で、笑顔を返すことになった。


(そっか。あの頃はユーリさんも色んなスキャンダルをでっちあげられてて……この合宿稽古に参加するときも、あれはみんなデタラメなんですって根回しして、なんとか参加を認めてもらうことができたんだよな)


 それが今回は『トライ・アングル』ともども、大変な熱意で迎えられている。その状況の変化こそが、瓜子の胸を詰まらせているのだった。


 そんな思いを噛みしめながら、瓜子はユーリのもとに戻る。ユーリはサキや愛音とともに、先行していた女子選手の一団と語らっていた。


「来栖さんたちも、お疲れ様です。昨日の合同稽古は如何でしたか?」


「うん。言葉にならないほど有意義であったと思う。赤星弥生子さんというのは、指導者としても一流だな」


 来栖舞が落ち着いた面持ちで、そのように応じてきた。その左右に控えた魅々香選手と高橋選手は、真剣そのものの面持ちだ。そして兵藤アケミもまた、現役時代を思わせる迫力で身を乗り出してきた。


「それにやっぱり、赤星道場には有望な女子選手が居揃ってるね。さんざん迷ったけど、あたしらも参加させてもらって大正解だったよ。昨日一日だけで、真央は一年分の経験を詰めたんじゃないかな」


 真央とは、兵藤アケミの同門たる香田選手のことだ。純朴そうな童顔と筋骨隆々の体格をあわせもつ香田選手は恐縮しきった様子で身を縮めつつ、兵藤アケミの言葉にうなずいていた。


「それにやっぱり、オルガのやつもね。現役の間にぶつかれなかったのが悔しいぐらいだよ」


「ああ、本当にね」


 と、来栖舞と兵藤アケミが視線を見交わす。それはどこか、傷ついた狼と猛牛のようなたたずまいであった。


「もちろん朱鷺子なら、彼女を止められるだろうけど……かなうことなら、道子にもリベンジの機会をいただきたいものだ」


「ああ。あいつがロシアに帰る前に、真央ともやりあってもらいたいもんだよ」


 そういえば、来栖舞と兵藤アケミの直属の後輩である高橋選手と香田選手は、どちらも無差別級の選手であるのだ。高橋選手は低迷の時期が長く続き、香田選手はプロ昇格を認められたばかりの立場であったが――本来であれば、《アトミック・ガールズ》の代表格たる両雄の後継者には、彼女たちがもっとも相応しいはずであった。


「そして今日は、ついに桃園くんたちと稽古をともにすることができる。これは昨日以上の収穫になることだろう」


「違いないね。真央には、ちょいと荷が重いぐらいだ」


 そう言って、兵藤アケミは鋭く真っ直ぐな眼差しをユーリに向けた。


「まさかうちの秘蔵っ子が、あんたと稽古をともにするなんて、これまでは想像もつかなかったけど……こいつはあたしみたいに、あんたに難癖をつけることもなかった。どうかまっさらな気持ちで、稽古をつけてやっておくれよ」


「もちろんですぅ。ユーリは兵藤さんにも稽古をつけていただきたいですよぉ」


「はは。膝の調子がもうちょっとマシだったら、それも面白かったけどね」


 あの兵藤アケミが、ユーリと率直な言葉を交わし合っている。去年のゴールデンウィークにグラップリングのスパーをして、今年の春先に引退試合を行うことで、二人はそのように振る舞うことができるようになったのだ。そんな風に考えると、瓜子はまた涙ぐんでしまいそうだった。


(やだなぁ。これから猛稽古って日に、なんでこんなに感傷的になっちゃうんだろう)


 しかしそれこそが、常ならぬ相手と同じ時間、同じ行動を共有した結果であるのだろう。合宿稽古というものには、仲間意識を育む不思議な作用が存在するのだった。


 そうして瓜子たちが和やかに語らっていると、後方からけたたましい声が聞こえてくる。見てみると、小柴選手や多賀崎選手を間にはさんで、灰原選手とメイがにらみ合っていた。


「ちょっとちょっと、人様の庭先で、なんの騒ぎっすか?」


 瓜子が慌ててそちらに駆けつけると、灰原選手は「べっつにー」と肉づきのいい肩をすくめた。


「あたしはちょっとからかっただけなのに、メイっちょが何かムキになっちゃってさー。今さらそんな話を気にしてる人間はいないんだから、そんな気にすることないじゃん!」


「……それなら、口にしないでほしい」


 メイは爛々と黒い目を燃やしていたが、それは怒っているというよりも何かを悲しんでいるように見えた。


「いったい何のお話ですか? よかったら、自分にも聞かせてください」


「ほら、去年はこの合宿中に、《カノン A.G》の動画がぶち上げられたじゃん? チーム・フレアにメイっちょとオルガっちが加入! ってさ。それが今年は二人して合宿稽古に参加してるんだから、なーんか面白いよねーって言っただけだよ」


 灰原選手が言葉を重ねると、メイはますます悲しげな目つきになってしまう。しかし、メイの感情表現に慣れていない人間には、きっと怒っているように見えてしまうのだろう。まだ少し感傷的な気分を引きずっていた瓜子は、なんとか笑顔をこしらえながらメイの肩に手を置いてみせた。


「メイさんは《カノン A.G》の運営陣に加担したことを後悔してるんですから、あんまり触れられたくないんすよ。……でも、メイさん。灰原選手はその頃のことをまったく気にしてないから、こうやって気安く口にできるんです。決してメイさんを責めたりしてるわけじゃないんで、それだけはわかってあげてください」


「……わかってる。けど、口にしてほしくなかった」


 メイは頑是なく、そのように言い張った。

 瓜子はくすりと笑ってから、メイの身体を自分のほうに引き寄せる。


「メイさんは繊細なんですから、灰原選手はもう少し言葉に気をつけてくださいね。それでメイさんのほうは、もう少し灰原選手の豪快さに慣れてください。灰原選手が嫌味でそんなことを言うような人じゃないってことは、メイさんだってもうわかってるでしょう?」


「……子供扱いは、不満に思う」


「そーだよ! メイっちょにばっかり優しくするのは、ずるくない!?」


「でしたらお二人も、子供みたいな喧嘩をしないでくださいね。ようやく合宿稽古に合流できたんすから、最後まで仲良くやりましょうよ。……ね?」


 瓜子はまだ感傷的な気分であったが、今度は自然に笑顔を届けることができた。すると、メイは可愛らしく口もとをごにょごにょさせて、灰原選手は「ちぇっ」としかたなさそうに笑ってくれた。


 きっとメイや灰原選手も、慌ただしく流れ過ぎていったこの一年間の時間というものを噛みしめていたのだろう。ほっとしたように息をついている小柴選手も、苦笑を浮かべている多賀崎選手も――他の場所で談笑している人々も、それは同じことであるはずだ。そして、これだけ大勢の相手と同じ思いを共有しているのだという事実が、瓜子を感傷的な気分にさせているのだろうと思われてならなかったのだった。

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