03 後半戦
『ピース』の熱唱を終えたユーリは、滂沱たる涙を物販グッズのタオルハンカチでぬぐいながら『えへへ』という笑い声を響かせた。
『やっぱり「砂の雨」と「ピース」のコンビネーションは、尋常でない涙を要求してくるのです。まだまだライブは続きますので、水分補給させていただきますねぇ』
大歓声の中、ユーリはくぴくぴとスポーツドリンクを口にする。
するとその隙間を埋めるべく、漆原が自分のマイクに近づいた。
『それじゃあその間に、告知をさせてもらうぜぇ。まず、今週の水曜日はセカンドシングルがリリースされるから、よろしくなぁ』
漆原も人気者であるため、ユーリに負けない歓声が浴びせかけられる。その間に、西岡桔平とダイがポジションをチェンジして、それぞれの楽器のセッティングに勤しんでいた。
『それでもって、来週の土曜日は「高田馬場 Departure」で単独ライブだけど……チケットは速攻で完売しちまったみたいだなぁ。まあ、三百人ぽっちのキャパじゃ、それも当たり前だけどさぁ』
歓声に、ブーイングめいたものが入り混じる。これだけの人気を博した『トライ・アングル』が単独ライブを一回しか行わず、しかも会場が小規模のライブハウスだということで、世間には大層な不平不満が渦巻いているというもっぱらの噂であったのだった。
『今回は急な話だったから、そこしかハコを押さえられなかったんだよぉ。ベイビーは全国ツアーの真っ最中だし、ユーリちゃんは北米行きが迫ってるし、ワンドのメンバーもなんやかんやで忙しいみたいだからさぁ。でも、年末だか年明けだかまで日を空けるのはつまんねえから、こうしてサマスピにもお邪魔することになったんだよぉ』
『そうそう! なんでもポジティブに考えないとな! 八月に三回も俺たちのライブを観られるチャンスがあるんだから、ラッキーだろ? シングルだって、最高の出来だしな!』
いち早くチューニングを終えたタツヤがそのように言葉を添えて、ブーイングを消滅させた。
そして、西岡桔平がひそやかにパーカッションを鳴らし始める。そちらは大して配置をいじる必要もないので、ドラムセットのセッティングをするダイよりは苦労も少ないのだ。
『で、今月の最終日曜日は、ジャパンロックフェスに参戦だ! 新潟はちっと遠いけど、気合を入れて観に来てくれよ! 初日には、ベイビーとワンドも出演するからよ!』
タツヤの言葉に、いっそうの歓声がわきおこる。瓜子でも小耳にはさんだことのあるそのロックフェスは、国内で最大規模のイベントであるそうなのだ。
そうしてタツヤたちが語らう中、ジャケットを脱ぎ捨てた山寺博人がエレアコギターを奏で始める。それにあわせて、陣内征生もアップライトベースに弓を走らせて、流麗な音色を現出させた。
『おっと、俺たちもジャケットを脱がせてもらおうかな! ユーリちゃん、あとはよろしくお願いするよ!』
『はいはぁい。それでは、のんびり始めましょう。ぷかぷか楽しい、「ジェリーフィッシュ」でぇす』
ユーリの呑気さにつられたように、温かい拍手と歓声が届けられた。
西岡桔平も定められたフレーズでパーカッションを鳴らし、『ワンド・ペイジ』の三名によって『ジェリーフィッシュ』アコースティックバージョンの演奏が開始される。しかし、すでにジャケットを脱いで待機していたリュウも、すぐさま空間系のエフェクターを駆使したギターサウンドで楽曲にさらなる浮遊感を与えてくれた。
ダイがセッティングをする時間を稼ぐための、特別な演出である。このバージョンをお披露目するのも、ずいぶんひさびさであるはずであった。
ユーリは甘ったるさを強調した歌声で、波間を漂うクラゲの歌をふにゃふにゃと歌いあげる。
周りの演奏が爆音でないために、ユーリの歌声も声量が抑えられて、そのぶん繊細な歌い回しがあらわになっていた。ユーリは決して、迫力一辺倒の歌い手ではないのである。
そうして最初のサビに入ると、漆原とタツヤも演奏に加わる。そして深海に沈んだクラゲも重い水圧に悩まされるため、ユーリの歌声にも力感が加えられた。
ダイは調子を確かめるように、時おりタムやバスドラを鳴らす。ドラムセットというのは、よほど各人でセッティングが異なっているのだろう。ダイはスネアやバスドラペダルというものを自分のものに交換し、タムの数を増やして、シンバル類の高さや角度を調整しないといけないため、セッティングだけで数分の時間がかかってしまうのだった。
その時間は、ダイを除く七名による『ジェリーフィッシュ』が観客たちの心を満たしてくれる。
そうして最後のサビに入る頃にはダイのセッティングも完了し、その力強い演奏によってエンディングの盛り上がりに貢献するのだった。
『どうもありがとうございましたぁ。ではでは、後半戦の開始でございまぁす』
ユーリの言葉に、甲高さと重々しさの同居したハウリングが重ねられる。
『ベイビー・アピール』が主体となる後半戦の一曲目は、ミドルテンポの妖艶なる曲、『アルファロメオ』であった。
ダークでヘビーなイントロが奏でられる中、ユーリはしゃなりしゃなりと漆原のほうに近づくと、その頭からダークレッドの中折れハットを取り上げて、自分の頭にかぶせた。もちろん打ち合わせ通りの演出である。
そうしてユーリはマイクスタンドに絡みつくように肢体をよじらせながら、悪女の顔で『アルファロメオ』を歌いあげた。
『ジェリーフィッシュ』との落差から、ユーリの妖艶さがいっそう際立っているようだ。
シャツとジャケットの隙間から覗く肢体の色香も、格段に濃密さを増したかのようである。
『トライ・アングル』の楽曲というものは、ユーリのさまざまな内面をあらわにする。その中で、『アルファロメオ』で見せる一面というのは、もっとも芝居がかっているはずであったが――とうてい芝居とは思えぬほど、ユーリは魔性の女じみて見えた。
そうして『アルファロメオ』が終了すると、その重苦しい雰囲気を粉砕するようにけばけばしい音色が炸裂する。
後半戦の二曲目は、『トライ・アングル』の持ち曲の中でもっともアップテンポな『境界線』であった。
観客たちは夢から覚めたように、歓声を振り絞っている。
瓜子は曲順を把握していたし、全曲を続けて練習する通しリハというものも拝見していたのに、やっぱり心臓を殴られたような衝撃であった。
『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』はまったく異なる音楽性のバンドであるが、ただひとつ、静から動へのダイナミズムを重んじるという点は共通している。そしてそれは楽曲内のメリハリばかりでなく、曲順においても発揮される要素であるのだった。
そうして『境界線』で観客たちの激情を煽ったのちは、ダークな雰囲気を有する『fly around』で再び頭を抑え込む。
観客たちにしてみれば、上へ下へと絶え間なく気持ちを揺さぶられているような心地であろう。一時間という短いステージでは、その上下運動がいっそう顕著になってしまうのだった。
(でも……次の曲は、どっちに分類されるんだろうな)
瓜子がそんな風に考える中、『fly around』も終了した。
次の楽曲は、ライブで初のお目見えとなる『ケイオス』である。
こちらも『burst open』と同様に、すでに告知用のミュージック・ビデオが公開されている。よって、ダイが打ち込みのリズムマシーンを思わせる無機的なリズムを刻み始めると、客席には大きなどよめきがわきおこった。
ネット音痴の瓜子はこれも風聞で聞き及んだのみであるのだが、『ケイオス』に関してはSNSにおいて大きな反響が巻き起こっていたようであるのだ。
それも、他の楽曲のように好意的な反響ばかりではなく、否定的な意見も多かったのだと聞いている。
それは何故かというと――この曲は生演奏で再現することが難しいのではないか、という意見が持ち上がっていたようであるのだ。
それぐらい、『ケイオス』というのは入り組んだ構成をしている。楽曲のアレンジも音作りも、これまでの『トライ・アングル』とは一線を画した存在であるのだった。
しかし瓜子は、すでにレコーディングの現場で『ケイオス』が演奏されるさまを見届けている。
電脳世界で騒いでいる人々は、ミュージック・ビデオで流される楽曲が同時演奏の一発録りであるという事実を知らぬまま騒いでいるのだった。
『まだセカンドなのに、ちょっと凝りすぎ』
『ライブバンドは、ライブでの完成度を重視してほしい』
『ライブでこの曲をやったら、スカスカになりそう』
などなど、ずいぶん批判めいたコメントがあげられているらしい。
しかし『トライ・アングル』の運営陣は、それらのコメントに対してノーコメントを貫いていた。『トライ・アングル』のメンバーたちが、そうしてほしいと要請したためである。
「そんなもんにいちいち反応するより、ステージを観せたほうが手っ取り早いだろぉ? あれは一発録りでございますなんて、わざわざネタバレしてやる必要はねえさぁ」
漆原のそんな言葉に、メンバーの思いは集約されているようであった。
そんな『ケイオス』が、ついにステージで披露されるのだ。
『トライ・アングル』の力量を信じつつ、瓜子も手に汗を握る心地であった。
ダイの無機的なリズムに、西岡桔平のパーカッションとリュウのギターのハウリングが重ねられる。
そして、エフェクトでいくぶん加工していっそうデジタルに聴こえる漆原の、念仏めいたラップ歌唱が重ねられた。
陣内征生は弓で幻想的な旋律を奏で、山寺博人はエレアコギターで同じフレーズをリフレインさせる。
さらに、リュウと漆原がエレキギターで妖しいリフをハモらせ――そこに、ユーリが歌声を響かせた。
ゆったりとした、すべてを包み込むような歌声である。
ただ、そこに感情らしい感情は込められていない。序盤の歌詞は無味乾燥な世界の描写であるため、感情の込めようもなかったのだった。
ドラムのリズムは単調であるし、この時点でタツヤのベースはまだ一音も鳴らされていない。そして三本のギターも音圧を抑えて淡々とフレーズを奏でているため、とにかく無機的のひと言に尽きた。
ただそこに、ざわざわと胸を騒がせる要因があるとすれば――西岡桔平のパーカッションと、陣内征生のアップライトベースであった。そちらの両名の奏でる人間くさい温かみのようなものが、無機的な世界の不協和音のように感じられるのだった。
なんだかひどく、聴く人間の不安を煽るような出だしである。
そしてそれこそが、作曲者たる漆原の意図によるものであったのだった。
Aメロはたっぷりと尺が取られているため、ユーリもまたゆったりとした歌声を無機的に繰り返しているように感じられる。
そのふた回し目で、漆原のラップ歌唱がかぶせられた。
漆原は一定の抑揚だけをつけた念仏のような歌声で、ユーリは間延びして聞こえるほどのなだらかな歌声だ。
そんな二人の歌声が重ねられたことで、いっそうの不安感が演出されていく。
そしてそれを後押しするように、ドラムとギターの音圧がじわじわと上げられていった。ただ、低音を支えるタツヤのベースが不在であるためか、ひどく空々しい盛り上がりだ。
その虚ろな盛り上がりが最高潮に達したとき、ふいにすべての音が消失し――突如として、ダイがスネアを連打した。
時間は短いが、猛烈なドラムソロである。そして四小節の区切りで、すべてのプレイヤーが重く激しい演奏を重ねて、そこに山寺博人が切迫感に満ちたシャウトを響かせた。
曲はそのままBメロに突入し、山寺博人が単独でそれを歌いあげる。
ユーリは深くうつむいて、山寺博人のしゃがれた歌声と重く激しい演奏の音色に身をひたしていた。
山寺博人が歌いあげているのは、無味乾燥な世界に対する怒りと苛立ちだ。
そこで微睡んでいる人間たちを叱咤し、殴打するような迫力であった。
そして演奏の激しさを保持したまま、楽曲はサビへとなだれこむ。
ユーリは一転して力強い歌声を振り絞り、漆原はデジタルな歌声でハモりのコーラスを重ねた。
優美であったアップライトベースの音色はヒステリックな音色に変じ、ダイのドラムもシンプルながら凄まじい音圧を保っている。タツヤも重低音のベースでもって、ダイのリズムをしっかりと支えていた。
山寺博人の怒りに呼応して、ユーリも怒りの激情をあらわにしている。
他の楽曲では、『カルデラ』に近い激情の発露だ。
どうして世界はこのように味気ないのかと、ユーリは渾身の力で不満をあらわにしていたのだった。
そんな怒りを引きずったまま、楽曲はAメロに舞い戻る。
しかしユーリは、怒ったままだ。初回と同じゆったりとしたメロディラインを辿りながら、ユーリの歌声は激情に満ちみちていた。
それがふた回し目に入ると、こちらは初回と同じく無機的な漆原のラップが重ねられる。それはまるで悪戯なピエロが怒れるユーリをからかっているかのようで――それでいっそう、ユーリの歌声には激情があふれかえるのだった。
演奏も初回とは打って変わって、激しいアレンジになっている。山寺博人はエレアコギターをおもいきりかき鳴らしていたし、タツヤもベースを鳴らしていた。根底にあるのは初回と同じく単調なリズムとフレーズであるのだが、音圧とわずかなアレンジによって、印象ががらりと変わっているのだった。
そして今度はドラムソロではなく、陣内征生の超絶的な速弾きフレーズをはさみ、Bメロに移行する。
山寺博人は初回と同じラインで主旋律を歌いあげ、ユーリがそこに歌詞のないコーラスを重ねた。Aメロと同じくゆったりとしたメロディでありながら、苦悶にあえぐ悲鳴めいたコーラスである。さらに演奏も激しさを増しているため、曲タイトルを示すように混沌とした様相になっていた。
そうしてうねりをあげながら、サビに突入する。
ユーリはさらなる怒りを振り絞り、漆原は抑揚のない歌声でハモりのコーラスを受け持つ。無味乾燥な世界は激しい怒りに大きく揺れ動きながら、それでもまだまだ崩壊の兆しも見せていなかった。
そうして初回の倍の長さで、二番のサビが終了すると――すべての楽器が最後の一音を長くのばして、ゆっくりフェードアウトしていく。
その隙にパーカッションのセットから離れた西岡桔平が、手前側に置かれていたカホンの上にまたがった。
そして、四角い椅子にしか見えないカホンの前面を優しく叩いていく。
最初は聴こえなかったその音色が、他なる音色のフェードアウトによってゆっくりと浮かびあがっていき――そこに陣内征生が、しとしとと降りそぼる雨粒のようにはかなげな旋律を重ねた。
さきほどまでの激しさが嘘のように、幽玄な空気が生まれていく。
しばらくして、山寺博人も音量を抑えたエレアコギターで切々としたアルペジオの音色を重ねた。
そして――ユーリがぼそぼそと何事かを囁き始める。
漆原がイントロの段階で唱えていた、ラップのパートだ。歌詞もまったく同一で、内容らしい内容はない。あえて言うならば、虚無的な世界で茫洋と生きる人々を至極詩的な言い回しによって皮肉っているのだろう。
ただユーリは抑揚もなく囁き続けながら、語尾を尻上がりにしていた。
それで、同じ歌詞でありながら、疑問形のように聞こえる内容になっているのだ。
このパートにも、長い尺が取られている。
ユーリは執拗に、囁き声でこの世界の在りように疑問を呈し続け――そこにいつしか、リュウの底ごもるようなハウリングが重ねられた。
陣内征生のアップライトベースも驟雨の予兆を思わせるようにじわじわと音圧をあげていき、ダイはひそやかにシンバルを震わせる。
漆原は電子音のようなギターサウンドで茶化すようにトリッキーなフレーズを弾き始め、そして自らも念仏のような歌声をかぶせた。
ユーリと漆原は同じ言葉を紡いでいるのに、片方はこの世界のくだらなさを説き、もう片方はそれに疑念を呈している格好だ。
そうして聴く者の不安をかきたてながら、演奏も少しずつ音圧を上げていき――そこでいきなり、最後のサビに突入した。
ユーリは解き放たれたかのように、サビのメロディを歌いあげる。
しかし漆原はハモりのコーラスではなく、単調なラップ歌唱のままだ。
そして山寺博人は、Bメロのメロディを歌いあげていた。
音楽の素養のない瓜子にはまったく計り知れなかったが、この曲はBメロとサビを同時に歌っても成立するようなコード進行で構成されているという話であったのだった。
ゆったりと大きく上下するユーリの歌声と、荒々しくアクセントのきいた山寺博人の歌声と、ひたすら抑揚なく継続する漆原の歌声が、混然一体となって絡み合う。
そして、ユーリが歌うのは救いを求める声であり、山寺博人が歌うのは怒りの言葉であり、漆原が歌うのはそれらを茶化す道化師の戯れ言だ。
歌声も、歌詞も、演奏も、すべてが複雑にもつれあい、音色によって幾何学模様を描いている。
瓜子としては、メイの猛ラッシュにさらされているような心地だ。
漆原がこの楽曲に求めていたのは「混沌」であり、山寺博人がそれに相応しい歌詞をつけた。そしてユーリはその混沌の一因として、自らに与えられた歌詞とメロディを世界に叩きつけているのだった。
やがて、ユーリと山寺博人の迫力に気圧されたかのように、漆原の歌声がフェードアウトしていく。
そしてユーリが混沌の内にささやかな希望を見出すと、山寺博人は怒りを浄化されたかのようにフェードアウトしていった。
そしてそれを追いかけるように、混沌としていた演奏がひとつの流れに収束していく。
ダイは躍動感にあふれたリズムを刻み、西岡桔平もカホンの軽やかな音色をそこに重ね、陣内征生は涙を誘発するほど美しい旋律を奏でる。
タツヤはシンプルなフレーズで低音を支え、山寺博人は力強くエレアコギターをかき鳴らし、リュウと漆原は派手派手しくも真っ直ぐなギターサウンドを躍らせ――そんな中で、ユーリは小さな希望を追いかける、痛切な歌を歌いあげた。
そして最後には、漆原と山寺博人も同じ歌詞とメロディを歌いあげる。
ゆったりとしていて、力強い、人の心に真正面からぶつかってくるような歌声である。その中核を担っているのはユーリであり、山寺博人のしゃがれた歌声がそこにダイナミズムを与え、漆原のデジタルな歌声が土台を支えているようであった。
そこで初めて、ユーリは透明な涙をこぼし、瓜子もそれに触発される。
客席の人々も、同じ思いであったのではないだろうか。
舞台袖からは、客席の様子をうかがうこともできなかったが――ただ瓜子は、楽曲の終了と同時に凄まじい歓声があがるのを聞き取ることができた。
『ありがとうございまぁす! 本日が初お披露目となる、新曲の「ケイオス」でしたぁ! 発売日は今度の水曜日ですので、よろしくお願いいたしまぁす!』
涙を乱暴にぬぐいながら、ユーリは笑顔でそのように言いたてた。歓声がものすごいので、それに対抗するための大声だ。
『ではでは、最後の曲でありますよぉ! 心残りのないように、めいっぱい楽しんでいってくださぁい! 最後の曲、「ハダカノメガミ」でぇす!』
『ピース』とともにファーストシングルとして絶大な人気を博した『ハダカノメガミ』が、会場の熱気をいっそうの勢いでシェイクする。
そうして『トライ・アングル』の八月第一弾のライブは、これまでで最高の盛り上がりの中で幕を閉じていったのだった。