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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
17th Bout ~Intense summer Ⅰ~
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07 思わぬ提案

 閉会式を終えてから、およそ四十五分後――

 瓜子たちは、都内某所の居酒屋の二階を占領していた。


 灰原選手が予約してくれた、本日の打ち上げ会場である。

 乾杯の役目を押しつけられた立松がその任務を達成すると、その場には試合会場にも負けない熱気があふれかえった。


 本日の打ち上げの参加者は、四十名以上にも及んでいた。

 新宿プレスマン道場、四ッ谷ライオット、天覇館東京本部、天覇ZERO、柔術道場ジャグアル、赤星道場、ドッグ・ジム――それだけの陣営の関係者が、のきなみ顔をそろえているのだ。

 それにもちろん、小笠原選手と小柴選手とオリビア選手も個人として参加していたし、オルガ選手とキリル氏までもが同席している。出場選手の関係者だけでこれほどの人数に及んだのは、これが初めてであるかもしれなかった。


「今日はタツヤくんたちが来れなくて残念だったねー! 今はツアー中で忙しいんだったっけ?」


「押忍。『ベイビー・アピール』の面々は、今ごろ宮城のはずっすね。『ワンド・ペイジ』もツアーではないですけど、関西のほうでライブだそうです」


 ユーリや瓜子が試合に臨んでいるさなか、『トライ・アングル』の面々も「本業」に勤しんでいるのだ。試合を観てもらえなかったのは残念な限りであるが、瓜子としては彼らがこちらに負けないぐらいの充実した時間を過ごせているように願うばかりであった。


「タツヤくんたちは、しょっちゅうこっちの試合を観にきてくれてたもんね! 今度お返しに、あたしらもベイビーとかワンドのライブを観にいってみようよ!」


「それはまあ、自分としてもそうしたいのは山々なんすけど……なかなかスケジュールが合わないんすよね」


「スケジュールって、みんなピンク頭がらみの仕事でしょ? だったらそいつが北米に行っちゃえば、うり坊のスケジュールはがら空きじゃん!」


 もりもりと食欲を満たしていたユーリは、耳を下げた大型犬のような風情でこちらに向きなおってきた。


「まったくもって、仰る通りでございますねぇ……ユーリが北米に旅立っている間、どうかうり坊ちゃんには楽しく人生を謳歌していただきたいのです……」


「そ、そんな悲しそうなお顔をしないでくださいよ。灰原選手、今のはあまりにデリカシーがないんじゃないっすか?」


「なんでだよー! あたしらは、置いてけぼりにされる側じゃん! こっちを寂しくさせるのが悪いんだよーだ!」


 灰原選手は子供のように大きな声をあげながら、瓜子にからみついてくる。ユーリは羨ましそうに眉を下げ、多賀崎選手は苦笑を浮かべることになった。


「まったく。最初の一杯で、もう酔っぱらったのかい? なんでもいいけど、猪狩を困らせるんじゃないよ」


「ふーんだ! マコっちゃんは、ピンク頭といちゃいちゃしてればいいでしょー? そっちは二ヶ月以上も、同じ場所で寝起きするんだからさー!」


「そりゃあ決勝戦まで勝ち残ったときの話でしょうよ。……まあ、そうなるように頑張るつもりだけどさ」


 ユーリたちが北米に出立するまで、残された期間はおよそひと月半である。灰原選手や多賀崎選手にも、じわじわと別れの実感がわいてきているのかもしれなかった。


 打ち上げの場は大変な賑わいであるため全容を把握することは不可能であるが、やはりそこかしこで『アクセル・ロード』の話題が持ち出されているように感じられる。この場には『アクセル・ロード』の出場選手が四名も居揃っており、それが各所に散っているため、そんな風に感じられるのかもしれなかった。


 ドッグ・ジムの面々は赤星道場の面々と語らっており、天覇館の面々はジャグアルの面々と語らっている。その中心に据えられているのが、沙羅選手や魅々香選手であるように見受けられるのだ。会話の内容までは聞こえてこないものの、両名はさまざまな相手から叱咤激励されているように見えてならなかった。


「ああ、やれやれ! どっちもこっちも大層な賑わいだね!」


 と、そちらの一団から離脱した大柄な人影が、どすどすと接近してくる。それはドッグ・ジムの面々とともに打ち上げに参加した、マキ・フレッシャー選手であった。


「あたしもこっちに混ぜてもらえるかい? そっちのおちびちゃんに、ちょいとご挨拶をさせてもらいたいんでね!」


 そんな風に言いながら、マキ・フレッシャー選手は力士のような顔で瓜子に笑いかけてきた。その肉厚な指先に握られているのは、ビールの大ジョッキだ。


「押忍。マキ選手も、お疲れ様でした。……あの、頭のダメージは大丈夫なんすか?」


「こんなもん、薄皮一枚めくれただけのことさ! ダメージだったら、ロシア女のほうが深いはずだよ!」


 そのロシア女たるオルガ選手は、メイの通訳で天覇館の関係者と語り合っている。あちらも額にガーゼを張っているだけで縫うほどの傷ではなかったものの、もちろん飲酒は控えているはずであった。


「MMAの選手ってのは、このていどでも酒を控えるらしいね! ま、そこのところはこっちの流儀でやらせていただくよ! あたしの本職は、あくまでプロレスラーなんだからね!」


「押忍。でも、無理はなさらないでくださいね。グローブ着用の攻撃は、素手よりダメージが内部に響くって話ですから」


「ご親切に、ありがとさん! ……沙羅に聞いてた通り、本当に普段は真面目な嬢ちゃんなんだねぇ」


 どかりとあぐらをかいたマキ・フレッシャー選手は、厚いまぶたに圧迫された小さな目で瓜子の姿をじろじろと検分してくる。まだ瓜子にからみついていた灰原選手は、それをうろんげににらみ返したようだった。


「で、うり坊に何の用事なの? まさか、プロレスにスカウトしようってんじゃないだろうね?」


「しないしない! さすがにプロレスでやりあうには、その嬢ちゃんは細っこすぎるよ! ま、見た目からは想像つかないぐらい、頑丈みたいだけどさ!」


 マキ・フレッシャー選手はガハハと笑って、ジョッキのビールを豪快にあおった。


「今日の試合も、楽しませてもらったよ! そのお礼が言いたくて、こうしてお邪魔させてもらったのさ! 嬢ちゃん……猪狩だったっけ? 猪狩サンは、大したもんだねぇ」


「ありがとうございます。でも、マキ選手もすごかったと思いますよ」


「あんなもん、ローを出されたら組みついて速攻でスープレックス! って作戦に狙いを定めてただけのことさ! たった一ヶ月ていどじゃ、あれこれ手を出す余裕もなかったんでね! ……あのロシア女も、のっぽ姉ちゃんに負けないぐらい強かったよ」


 そう言って、マキ・フレッシャー選手は瓜子とユーリの姿を見比べてきた。


「あんたたちは、大したもんだね。実のところ、あたしがこっちで本腰いれてみようと思ったのは、あんたたちのおかげなんだよ」


「え? どういうことっすか?」


「あたしは去年、のっぽ姉ちゃんに負けたのが悔しくってさ。どうにも腹が収まらなかったから、ガラにもなく過去の試合なんかを見返すことにしたんだよ。《アトミック・ガールズ》って興行の映像は、沙羅のやつがコンプリートしてたからね。それで……あんたたちの試合も、たまたま目に入っちまったのさ」


 見た目の豪快さはそのままに、マキ・フレッシャー選手はいくぶんあらたまった態度になっていた。


「最初に見たのは、のっぽ姉ちゃんが反則野郎に惨敗した興行だね。その興行で、猪狩サンはあっちの黒いおちびちゃん、白ブタちゃんはロシア女とやりあってたろ? その試合っぷりが、どうにも忘れられなくってさ」


「……あにょう、ユーリはユーリと申しますぅ」


「ああ、悪い悪い! つい沙羅の呼び方が移っちまった! ……それでさ、あたしはあんたたちの試合も残らず見返すことになったんだよ。のっぽ姉ちゃんが出てない興行の映像も借りて、ここ二年ぐらいの試合はおおかたチェックしたように思うよ。あんたたちと対戦する予定なんてありゃしないのに、どうにも我慢がきかなかったんだよねぇ」


 そうしてマキ・フレッシャー選手はジョッキのビールを飲み干して、にやりとふてぶてしく笑った。


「それであたしも、火がついちまったんだよ。正直言って、MMAなんてのは細かいルールが多くて、あたしの性分に合わないんだけどさ。でも、そんなルールの中でこんな物凄い試合をできるやつがいるのかって、心底から感心させられたんだよ。だから、まあ……あんたたちに、お礼を言っておきたくってね。あたしはあんたたちのおかげで、こんなに熱くなれたわけだからさ」


「押忍。そんな風に言っていただけるのは、光栄です」


 瓜子がそのように応じると、マキ・フレッシャー選手は「ふふん」と鼻を鳴らして立ち上がった。

 そうしてきびすを返しつつ、何か思い出したようにユーリを見下ろす。


「あと、お礼ついでに言っておくと、あんたの願いはもう半分がた達成されてるんじゃないかねぇ」


「ふにゅ? ユーリの願いでありますか?」


「ああ。あんたは人様に人生の楽しさを教えてやりたいんだって、涙ながらに語ってたろうよ。あたしはあんたのおかげでこれだけ熱くなれたんだから、あんただって本望だろう? その調子で、アメリカの連中をぎゃふんと言わせてやりな」


 そんな言葉を残して、マキ・フレッシャー選手はどすどすと立ち去っていった。

 ユーリは、ぽかんと目を丸くしており――そして、その目に本日何度目かの涙を浮かべることになった。


「えへへ。今のは、あまりに不意打ちであったのです」


「うん。でも、あのお人の言った通りだと思うよ。桃園や猪狩の試合ってのは、無茶苦茶に人の心を揺さぶってくれるからね」


 多賀崎選手は穏やかに笑いながら、そんな風に言ってくれた。


「あんたたちは今でも十分、人の人生を左右できるぐらいの存在だってことさ。あたしらも、それにくらいついていかないとね」


「ふふーん! こいつらの連勝記録を止めるのは、あたしたちだよ! あたしはうり坊からベルトをいただく予定だし、マコっちゃんだってピンク頭をぶっとばして『アクセル・ロード』の優勝を目指すんだからね!」


 そんな風に言いながら、灰原選手は肉感的な腕で瓜子の首を締めつけてきた。

 その息苦しさが、瓜子には心地好い。瓜子やユーリが望むのは、ケージで向かい合う強敵の存在であったのだった。


 その後も打ち上げの場は大いに盛り上がり、あちこちで交流が深められているようである。瓜子もひさびさに来栖舞や兵藤アケミと語らい、香田選手と初対面の挨拶をすることがかなった。

 そうして宴もたけなわというときに近づいてきたのは、赤星弥生子である。


「猪狩さん、桃園さん、お疲れ様。ちょっと話があるのだけれど、いいだろうか?」


「ええ、もちろんです。弥生子さんも、お疲れ様でした」


「うん」とうなずきつつ、赤星弥生子は膝を折る。彼女は酒をたしなまないため、その端麗な顔はいつも通りの沈着さをたたえていた。


「実は、二人に相談があるんだ。私の言葉に正当性があるかどうか、二人に意見をいただきたい」


「はい、何でしょう? 自分たちでよければ、いくらでもご相談に乗りますよ」


「ありがとう。実は……《アトミック・ガールズ》の有力選手に、合宿稽古への参加を呼びかけたく思っているんだ」


「合宿稽古?」と、瓜子は目を丸くすることになった。


「合宿稽古って、もしかして夏の合宿稽古のことっすか? 去年は自分たちも、とてもお世話になりましたけど……」


「うん。だけど今年は、単独で行う予定でいた。桃園さんたちは『アクセル・ロード』でナナやマリアと対戦する可能性があるし、アトム級の面々は暫定王者決定戦ですみれと対戦する可能性があるから、さすがに自重するべきかと思ったんだ」


「そうっすね。自分は赤星の門下生と対戦する予定もありませんけど、今は灰原選手や鞠山選手との合同稽古は控えるようにしています」


「そうだろう。でも、君たちがこの近年で飛躍的に実力をのばしたのは……やはり合同稽古の恩恵だと思うんだ」


 とても静かな空気を保持しながら、赤星弥生子の切れ長の目には鋭く凛々しい光が灯されていた。


「これは最近、ハルキたちから聞き及んだのだが……去年こちらの合宿稽古に参加した面々は、世間で『チーム・プレスマン』と称されていたそうだね」


「あ、はい。自分たちは出稽古でもしょっちゅうご一緒してましたからね。あとはまあ、例の《カノン A.G》の一件で結束が固まったっていう面もあると思います」


「うん。その技術交流が、君たちの潜在能力を開花させたのだろうと思う。『チーム・プレスマン』と称される選手たちは、今日の興行でも素晴らしい結果を残していたからね」


 そう言って、赤星弥生子は鋭い眼差しで会場を見渡した。


「猪狩さんや桃園さんは言うに及ばず、君たちと対戦したオリビアさんや鞠山さんも、トップファイターを相手取った小笠原さんや灰原さんも、格上の選手を相手取った邑崎さんや小柴さんも、もちろん格下の相手とやりあったサキさんも……そのほとんどは、ノーダメージで勝利を収めていた。ダメージを受けたのは、『チーム・プレスマン』同士で対戦した猪狩さんとオリビアさんだけだ。私の目から見ても、君たちの実力は飛びぬけているように思う。それはおそらく合同の稽古によって、実力者同士による切磋琢磨が相乗効果を生み出したのではないだろうか?」


「ええまあ、みなさんとの稽古がものすごく身になっていることは実感していますけど……でも、対戦の可能性がある選手には、手の内をさらすべきではないっすよね?」


「それは確かにその通りだが、最優先事項ではないように思う。私自身、同じ道場で稽古に励むナナやマリアと、年に一度は対戦しているわけだからね」


 そのように語りながら、赤星弥生子はぐっと膝を進めてきた。


「それに、もう一点。確かに桃園さんたちは、『アクセル・ロード』で対戦する可能性があるけれど……トーナメントの一回戦目は、日本陣営とシンガポール陣営で対戦することが、すでに決定されている。桃園さんたちがまず目指すべきは、全員がシンガポールの選手陣を打ち負かすことではないだろうか? おたがいの存在を敵視する前に、まずは最高のコンディションで一回戦目に臨むべきだと思うんだ」


「そのために……合宿稽古にお誘いくださってるわけですか?」


「うん。君たちはこのしばらく、出稽古などを取りやめていたんだろう? せっかくの技術交流で得た力が、それで鈍ったりはしていないかと……そんな危惧も、少なからず抱いている。本当に、差し出がましいことは百も承知なんだが……君たちは結束することでまたとない力を得られたんじゃないかと、そんな風に思えてならないんだ」


 そうして赤星弥生子は小さく息をつき、鋭い眼光をやわらげた。


「そしてそこには、ナナやマリアやすみれにも切磋琢磨の機会を与えたいという、自分本位な欲求も存在する。それについて非難されれば、厳粛な気持ちで受け止める所存だ」


「あ、いえ、そんな風に弥生子さんを責めるつもりなんて、これっぽっちもないっすよ。ていうか、自分たちがそんな風に考える人間だと思われるのは、心外です」


「すまない。私はどうにも卑屈な性分なもので、ついついいらぬ言い訳をしてしまうんだ。決して猪狩さんたちを信用していないわけではないので、それだけは誤解しないでもらいたい」


 赤星弥生子は瓜子に微笑みかけてから、また表情を引き締めた。


「私の考えは、以上となる。他の方々に声かけをする前に、私の言い分が的外れでないかどうか、猪狩さんたちの意見を聞きたかったんだ。『チーム・プレスマン』の中核を担っているのは、間違いなく猪狩さんと桃園さんだろうからね」


「そんな風に言っていただけるのは、恐縮ですけど……ユーリさんとしては、どうっすか? ここは『アクセル・ロード』に参加するユーリさんのお気持ちが重要であるように思います」


「うにゃ? ユーリとしてはもちろん、色んなお人とお稽古を積みたいところでありますし、それに……」


 と、ユーリは色っぽくもじもじとした。


「それにですね、あにょう……ここで卯月選手のお名前を出したら、弥生子殿のご不興を買ってしまうでしょうか?」


「いくら私があの粗忽者に穏やかならざる気持ちを抱いていても、名前を出されたぐらいで心を乱すことはないよ。あいつが、どうかしたのかな?」


「はいぃ。ユーリたちは合宿所にこもったら、卯月選手のコーチを受けるのですよね? でしたら、手の内を隠すもへったくれもないのではないかと……常々そのように考えておりました」


「なるほど」と、赤星弥生子はいくぶん意外そうに目を見開いた。


「確かに日本人選手の八名は、あいつのもとでトレーニングに励むのだったね。合宿所に入ってからトーナメント戦が開催されるまで、たしか十日ていどの期間が存在するのだったかな?」


「そうっすね。それまでは八人一緒に、それこそ合同でトレーニングするはずです」


「それなら確かに、手の内を隠すにも限度がある。少なくとも、二泊三日の合宿稽古を自重する理由はないようだ。これは、いささか盲点だったな」


 赤星弥生子は魅力的な微笑をうっすらとたたえつつ、瓜子のほうに向きなおってきた。


「であれば、『アクセル・ロード』に参加する選手に関しては、遠慮なく声をかけることができる。では、猪狩さんとしてはどうだろうか?」


「はい。自分としても、異存はありません。さすがに二ヶ月後の興行でぶつかる選手とは、合同稽古をつつしむべきだと思いますけど……今のところ、自分は天覇館の後藤田選手と対戦する予定なんすよね。だから、気にするべきはアトム級の方々だと思います」


「うん。それじゃあアトム級に関しては、トーナメントの対戦表が発表されてから再考していただくという条件で、声をかけてみるとしよう」


 と、赤星弥生子が腰を浮かせかけたので、瓜子は慌てて声をあげることになった。


「あ、ちょっとお待ちを! 赤星道場の合宿稽古って、いつ開かれる予定なんすか? もう宿なんかは、おさえてるんすよね?」


「うん。今年はお盆が週末に絡んでいる関係から、少し早めの開催になってしまったんだ。八月の第一日曜日を初日として、二泊三日の予定だね」


「ああ……そうすると、自分やユーリさんはスケジュール的に難しいかもしれません」


「そうなのかい?」と、赤星弥生子は眉を曇らせた。


「まあ、期日はすでに三週間後に迫っているから、予定が入っていても仕方のないところだけど……それはもう、動かしようのないスケジュールなのかな?」


「はい。二日目なんかはもともとオフで、三日目はどうにかずらせるかもしれませんけど……初日だけは、動かしようがないんです。ユーリさんは例の『トライ・アングル』っていうユニットで、ロックフェスに出場する予定なんすよ」


『トライ・アングル』は八月だけで、何とか三本のライブをねじこむことができたのだ。この予定だけは、何がどうあってもくつがえすことができないのだった。


「なるほど。では、二日目以降は参加できる可能性があるんだね?」


「はい。まだ断言はできませんけど、可能性はあると思います」


「わかった。ではそこまで含めて、声かけをさせていただこう。……きっと猪狩さんと桃園さんが参加しない限り、ほとんどの選手は首を縦に振らないだろうからね」


 そう言って、赤星弥生子は穏やかな微笑を復活させた。


「ではまず立松さんに相談をして、そちらの紹介でジムの関係者のもとを巡ることにするよ。『チーム・プレスマン』の関係者が勢ぞろいしている日なんて、今日を置いて他にはないだろうからね。どうもありがとう、猪狩さん、桃園さん」


「いえ。何かあったらご協力しますんで、遠慮なく声をかけてください」


「ありがとう」と繰り返して、赤星弥生子は立松のもとに向かっていった。

 そのすらりとした後ろ姿を見送ってから、瓜子は息をつく。


「ちょっとこれは、思わぬ提案でしたね。ユーリさんは、本当に大丈夫っすか?」


「うん、もちろぉん。最近は多賀崎選手たちとお手合わせできなくて、物寂しい限りだったからねぇ」


 そんな風に言いながら、ユーリはにぱっと笑った。


「それに、八月はなかなかのはぁどすけじゅうるで、遊びの予定も立てられなかったからねぇ。うり坊ちゃんとビーチでたわむれられたら、悦楽の極致でありますわん」


「……これはお遊びじゃなく、合同稽古のお誘いっすよ?」


「それはわかってるけどぉ、離ればなれになる前にひとつでも思い出を増やしておきたいのだよぉ」


 と、ユーリは甘えるように瓜子のTシャツの裾を引っ張ってくる。

 眉を吊り上げかけていた瓜子も、それで苦笑するしかなくなった。


「その物言いは、あまりに卑怯っすね。見損ないましたよ、ユーリさん」


「にゅふふ。うり坊ちゃんを攻略するためであれば、どのようにヒレツな真似にも手を染める覚悟であるのです」


 瓜子たちがそんな阿呆な会話を繰り広げている間も、周囲では酒宴が盛り上がっている。

 なおかつ瓜子は、両手の前腕と左脇腹が痛くてたまらなかったのだが――それでもやっぱり幸福で、満ち足りた気持ちであったのだった。

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