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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
17th Bout ~Intense summer Ⅰ~
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02 ケイオス

 メイの部屋で『アクセル・ロード』の告知映像を拝見した日から、二日後――七月の第一火曜日である。

『トライ・アングル』のセカンドシングルのレコーディングは、その日に決行されることに相成った。


 瓜子はユーリや千駄ヶ谷とともに、前回と同じレコーディングスタジオに参じる。集合時間は、午前の十時だ。今回も録音されるのは『burst open』と新曲の二曲のみであったが、もちろんスタジオは不測の事態に備えて夜まで押さえられている。とりわけ今回は『ベイビー・アピール』の予定が過密であったため、この日にレコーディングが間に合わなかったならば八月の発売予定日を延期する事態に陥ってしまうのだった。


「今回の新曲も、とっても素敵な出来栄えですものねぇ。ユーリはわくわくしちゃいますぅ」


 と、本日もユーリは緊張感と無縁な顔で笑っている。

 ユーリもこの一週間は撮影の仕事の合間をぬって、三回も個人レッスンのスタジオをねじ込まれることになったのだ。逆に言うと、わずか三回の練習で本番のレコーディングに臨まなければならないわけであるが――歌詞が完成したのが先々週の土曜日となる十日前、『NEXT・ROCK FESTIVAL』の前日であったのだから、こればかりは致し方がなかった。


 ユーリが受け取ったデモテープは、瓜子ももちろん拝聴している。漆原が突発的に作りあげたこちらの新曲は、意外なことにミドルテンポで、歌のメロディもゆったりとしたラインが基調になっていた。漆原が練りあげたメロディラインに山寺博人が練りあげた歌詞であるのだから、それはもちろん素晴らしい出来映えであったのだが――正直なところ、瓜子はこれまでに『トライ・アングル』が作りあげてきた楽曲ほどのインパクトは受けていなかった。


(でもまあそれは、完成された曲の印象が上乗せされたせいなんだろうな。デモテープの段階で完成された曲のインパクトを超えてたら、そっちのほうがおかしいよ)


 ユーリが受け取ったデモテープには、以前に漆原が作製した打ち込みのバックサウンドと山寺博人の仮歌のみが収められていたのだ。山寺博人と漆原が担当するというコーラスのパートは省略されていたし、何より山寺博人の歌声とデジタルなバックサウンドがいかにもミスマッチで、それがいっそう楽曲の持ち味を殺しているのだろうと思われた。


(だから現段階では、お蔵入りになった『YU』のほうが好印象なんだけど……ジンさんやキッペイさんだって、こっちの新曲のデモテープを聴いたときにはすごく盛り上がってたもんな。『トライ・アングル』のメンバーが演奏したら、きっと見違えるぐらいカッコよくなるんだろう)


 瓜子はそんな期待を胸に、ユーリたちとともにレコーディングスタジオへと踏み入った。

 スタッフの案内で通路を進むと、すでに他のメンバーやローディーたちが楽器の搬入を始めている。そして、こちらの接近に気づいたタツヤやダイたちがとびっきりの笑顔で出迎えてくれたのだった。


「よう! 瓜子ちゃんにユーリちゃんに千駄ヶ谷さん、ひさしぶり!」

「って言っても、一週間とちょっとぶりかぁ。でも、会えるのを楽しみにしてたよ!」


 九日前の『NEXT・ROCK FESTIVAL』ではこちらの両名もずっとぐったりしていたので、瓜子は思わず安堵の息をついてしまった。


「みなさん、お疲れ様です。一昨日は広島でライブだったって聞いてましたけど、お元気そうっすね」


「もちろん! 間に一日でも入りゃあ、どうってことねえよ!」

「そうそう! 昨日は一日、寝て過ごしたからな! 大事なレコーディングに備えて、酒も我慢したしよ!」


 すると、スタジオから漆原がひょこりと顔を覗かせた。


「ああ、これで全員そろったかぁ。ユーリちゃん、新曲のほうはバッチリかぁい?」


「はいっ! ユーリなりに死力を尽くしたのです! ただ、みなさんのご期待に沿えるかどうかは、まったく見当がつかないのですけれども!」


「少なくとも、指定されたメロディの通りに歌うことには不備がないはずだと、レッスンを担当してくださった御方からはそのようにお墨付きをいただいています」


 千駄ヶ谷がそのように言葉を添えると、漆原は痩せた顔でにんまり微笑んだ。


「それなら後は、俺たちの演奏がユーリちゃんの本気を引き出せるかどうかだなぁ。ただあの曲はコーラスが入りまくるから、それに惑わされないようにお願いするよぉ」


 そういえば、ユーリは最初のデモテープを試聴した際、漆原の歌声が混然一体となってさっぱりわけがわからないとこぼしていたのだ。それで最新のデモテープにおいては、コーラスのパートが省略されたわけであった。


「でさ、あの曲って俺たちにとってもけっこう小難しい構成になってるから、ちょっと肩慣らしが必要なんだよなぁ。プロデューサーにはオッケーをもらったから、最初に何曲か肩慣らしの曲をつきあってもらえるぅ?」


「了解なのです! 色んな曲を歌えるなら、ユーリも嬉しい限りなのです!」


「あはは。ユーリちゃんも、気合が入ってるみたいだねぇ。じゃ、俺も準備をしてくるんで、ちょっと待っててねぇ」


 漆原がレコーディングブースに戻っていくと、通路には瓜子たちだけが残された。

 その間にミキシングブースにお邪魔して、プロデューサーやスタッフたちにご挨拶をする。プロデューサーを務めてくれるのは、ファーストシングルと同じ人物であった。デビュー当時から『ベイビー・アピール』の作品を担当しているという、いつも仏頂面をした髭面の男性だ。


「新曲のデモは、しっかり聴かせてもらったけどな。あんな曲を一発録りで仕上げるなんざ、正気の沙汰じゃねえよ。どうしても、そっちのお嬢ちゃんはバラ録りできねえのかい?」


「はい。少なくとも、ヴォーカルの爆発力は著しく損なわれるかと思われます」


「まったく、難儀な嬢ちゃんだな。そんな甘やかしてると、大成できねえぞ」


 プロデューサーはきわめて厳しい態度であったが、それはユーリを一人前のシンガーと認めた上での発言であるのだろう。ユーリにとっての歌というのは、副業の中でも最後に加えられたオマケのようなものであったのだが――それが今では元来のモデル業をも跳び越えて、本業の格闘技よりも評判を呼んでいるぐらいであったのだった。


(まあ、ユーリさんが連敗記録を樹立してた時代も、アイドルとしてのほうが有名だったけどさ)


 しかしその後、ユーリはファイターとしても確かな実力を示すことで、いっそうの名を馳せることができた。そうして世間に名が轟いたタイミングで音楽活動のほうでも評判を呼び、絶大な人気を獲得するに至ったのである。それで、ファイターとしてよりもシンガーとしてのほうが有名であろうと思えるのは――単純に、格闘技業界と音楽業界の市場規模の違いが原因なのであろうと思われた。


(でも、ユーリさんは『アクセル・ロード』に参加することが発表された。日本国内の評判に変わりはなくても、世界規模の目線で言ったらファイターとしての知名度のほうが上回るはずだ)


 そんな風に考えると、瓜子はひそかに昂揚してならなかった。

『アクセル・ロード』の開催は二ヶ月後であり、現在は告知動画が発表されたに過ぎない。しかし、そちらの再生回数は、わずか三日ていどで『トライ・アングル』のミュージック・ビデオの再生回数を上回っているのである。《アクセル・ファイト》というのは世界規模で展開しているイベントであるのだから、それだけの人々が今回の『アクセル・ロード』にも注目しているというわけであった。


『よし、こっちも大体オッケーだな。ユーリちゃんも、こっちに来てもらえるかい?』


 しばらくして、リュウがマイク越しにそのような言葉を伝えてきた。

 ユーリは「はいはぁい」と聞こえもしない返事を返しつつ、瓜子ににこりと笑いかけてから、ドアの向こうに消えていった。


 ミキシングブースとレコーディングブースは、ガラスの壁で隔てられている。八名のメンバーがずらりと並んだそのさまは、ライブステージさながらだ。

 ドラムセットにはダイが陣取っており、西岡桔平はパーカッションのセットの裏に控えている。その足もとにカホンが置かれているのも、ライブのときと同様だ。


『それじゃあ、まずは腕慣らしなぁ。ユーリちゃん、なんかリクエストはあるかぁい?』


『ユーリはみなさんのご要望に従うのみであるのです! でもでも、どうか「ホシノシタデ」と「ネムレヌヨルニ」だけはご勘弁願いたいのです!』


『あはは。その二曲は八人がかりのアレンジがないんだから、最初っから候補に入ってねぇよぉ。じゃ、景気よく「ハダカノメガミ」にしとくかぁ。演奏しながら微調整するんで、ミキシングのほうはよろしくなぁ』


「わかっとるわ!」と、プロデューサーがマイクを使ってがなり声を返す。

 そしてその目が、かたわらのミキシング係をじろりとにらみつけた。


「おい。ひとつ残らず録音しとけよ。あとで何に使えるかもわからんからな」


「了解です」と、ミキシング係は何かのスイッチをオンにした。

 そんな中、なんの前置きもなく『ハダカノメガミ』が披露される。

 プロデューサーやミキシング係はヘッドホンでそのサウンドを確認しているため、ミキシングブースには小さなスピーカーから控えめの音が鳴らされるばかりである。しかし、そのていどの音量でも、『トライ・アングル』が普段通りの迫力であることは十二分に聞き取れた。


(腕慣らしでこれなんだから、すごいよな。あたしも大音量で聴きたいぐらいだよ)


 ライブ前の音合わせとは異なり、彼らは一発目から本気を出しているようであった。時刻はいまだ午前の十時半ていどだというのに、ものすごいテンションだ。低血圧の山寺博人も、黒髪を振り乱してギターをかき鳴らしていた。


 ただやはり、ところどころで演奏の手を止めて、アンプやエフェクターの調節をするメンバーも見受けられる。それに、漆原や山寺博人は、普段のライブでは歌わない箇所でコーラスを入れていた。おそらくは、咽喉を慣らすために発声しているのだろう。ユーリはそういった変化を面白がっている様子で、とても楽しげに歌っていた。


 さらに、『ハッピー☆ウェーブ』に『境界線』、『アルファロメオ』に『fly around』と、次々に曲がお披露目される。それでもう、『NEXT・ROCK FESTIVAL』のファーストステージで演奏した五曲をすべて披露した形であった。


『よし。だいぶ身体もあったまってきたみたいだなぁ。そろそろ本番に行ってみるかぁ?』


 漆原がそのように声をあげると、『ベイビー・アピール』の面々がそれぞれ右腕を上げた。そちらはマイクがないので聞き取れなかったが、またいつもの調子で「おー」と気合のない声を返したのだろう。三人の口がその形に丸く開かれるのが、瓜子の気持ちをそこはかとなく和ませてくれた。


『じゃ、やるかぁ。ほんとは完成版の演奏をユーリちゃんに聴かせるべきなんだろうけど、ぶっつけでかまわねぇよなぁ?』


 ユーリは『はーい!』と元気いっぱいに答えていたが、プロデューサーが慌てて「待て待て!」と割り込んだ。


「そいつは、なんの話なんだ? 俺が渡されたあのデモテープは、完成版じゃないってのか?」


『いやぁ、そいつが完成版だよぉ。でも、ユーリちゃんには最初に作った打ち込みのデモしか渡してないってことさぁ』


「なんでだよ! 今からでも聴かせてやりゃあいいだろうが!」


『それじゃあ、つまんねぇじゃん。ユーリちゃんは、初期衝動がすげぇんだからさぁ』


 そんな風に言ってから、漆原はユーリに向きなおった。


『あ、そうそう。前に渡した仮歌のデモより、前奏や間奏のパートが長くなってるんだけど……ま、そのへんは適当に合わせてくれよなぁ』


『了解であります!』とユーリは敬礼をして、こちらのブースではプロデューサーががっくりと脱力した。


「まったく、話にならんな。……夜までスタジオを押さえておいて正解だったぜ」


 プロデューサーはそのように仰っていたが、瓜子はさほど心配していなかった。ユーリは遥かなる昔日に、『ワンド・ペイジ』がいきなり間奏を長く変更した際にも、しっかり対応できていたのだ。音楽的素養というものをまったく備えていないユーリであるが、不測の事態に対する対応力というものはずば抜けているのだった。


『じゃ、始めるぜぇ』


 漆原の合図で、ダイがバスドラとハイハットを鳴らし始めた。

 そしてそこに、西岡桔平がカホンの音色を、リュウがハウリングの音色を重ねる。カホンとハウリングの彩りを除けば、ユーリが受け取ったデモ音源と同じイントロの始まりであった。


 が――それからすぐに、瓜子は驚かされることになった。

 単調で機械的なリズムにあわせて、漆原が念仏のような声を響かせ始めたのだ。

 それは漆原が得意とする、ラップ調の歌唱であった。


(そっか。ユーリさんの受け取ったデモテープはコーラスが省略されてたから、この歌声も入ってなかったんだ)


 しかし、その念仏めいた歌声が重ねられただけで、瓜子がこの曲に抱いていた印象は一変してしまった。あまり派手なところのないミドルテンポのゆったりとした曲が、一気にダークな雰囲気を帯びたのである。


 そして――その後にも、この新曲にはさまざまなアレンジが施されていた。

 漆原がこの曲の原型を完成させたのは音楽番組に出演した頃であったから、もう三ヶ月以上も経過している。その期間で、ユーリを除くメンバーたちはこれほどまでに新たな彩りを加えていたのだった。


 さらに驚くべきは、コーラスのパートである。

 こちらの曲には、かつてなかったほどコーラスのパートが分厚く織り込まれていたのである。

 いや――これはもはやコーラスというよりも、ユーリと漆原と山寺博人が三人がかりでヴォーカルを務めているといったほうが相応しいのではないだろうか。

 これらのパートがすべて漆原ひとりの声で歌われていたのなら、最初のデモテープを試聴した際のユーリが混乱するのも当然の話であった。


 それらのコーラスと重厚な演奏に背中を押されて、ユーリは歌声を振り絞っている。

 個人レッスンではゆったりのんびり歌っていたユーリが、『ピース』にも負けない熱と迫力を発揮していた。

 ユーリは歌詞の内容ばかりでなく、演奏の如何によっても感情を引きずり出されていたのだ。瓜子はこの場で、その事実を思うさま体感することになった。


 そうして六分以上にも及ぶ長い曲が終わりを迎え――気づけば瓜子は、滂沱たる涙をこぼしてしまっていた。

 ミキシングブースにはごく小さな音しか出されていなかったのに、それでも瓜子は涙腺を壊されてしまったのである。

 そしてプロデューサーもまた、真っ黒なサングラスを額のほうに押し上げて、目もとを両手で覆ってしまっていた。


『ああ、けっこういい感じだったなぁ。このテイクをそのまま使っちまってもいいんじゃねぇのぉ?』


 漆原がのほほんとした声をあげると、プロデューサーは目もとを隠したまま「やかましいわ!」とがなりたてた。


「こんな曲、一回で把握できるわけなかろうが! とっととテイクツーの準備をしろ!」


『今までだって、テイクワンが採用されてたろぉ? まったく、学習しねぇなぁ』


 漆原はそんな風に言いたてていたし、他のメンバーもおおよそ満足そうな顔をしていた。ユーリなどは、『えへへ』と笑いながらハンカチで涙をぬぐっている。


 何にせよ、今日のレコーディングが夜までかかることはないだろう。

 千駄ヶ谷も、セカンドシングルの発売日を延期する恐れはないと見て取ったのか、ひとり無言のままうなずいていた。


 かくして、『トライ・アングル』はこの日に新たな楽曲を完成させることがかなったわけである。

『burst open』とともに両A面シングルとして発売されるその曲は、『ケイオス』というタイトルであった。

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