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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
17th Bout ~Intense summer Ⅰ~
420/955

03 出番前

 そうして時刻は、午後の四時半に至り――『NEXT・ROCK FESTIVAL』は、『モンキーワンダー』と鞠山選手のライブステージによって開幕されることになった。


 昨年に劣らず、元気いっぱいのステージである。定岡美代子の澄んだ歌声と、鞠山選手の甲高いのに濁った歌声は、まったく正反対の声質であるがゆえに決して混ざり合うことなく、それでいて絶妙な調和を保っているように感じられてならなかった。


 それに、昨年はまったく見知らぬ存在であった『モンキーワンダー』であるが、現在ではすべてのメンバーと面識を得ている。奇抜なファッションとは裏腹に常識人であるヴォーカルの定岡美代子に、愛妻家で優男風の容姿をしたギターのトキ、真面目な大学生風の容姿でとてもやわらかい雰囲気を持つベースのハチベエ、そしてにこにこと笑みを絶やさないドラムの原口千夏――こうしてメンバーの名前や人柄までをもわきまえると、親近感も相まって、そのライブステージまでもがいっそう魅力的に思えるようだった。


 ただし、瓜子がそれを拝見したのは、『トライ・アングル』の楽屋のモニターだ。昨年はユーリ個人の付き人という身軽な立場であったため、二人で一緒に客席の通路から生演奏を拝見していたのであるが、本年はユーリもユニットのメンバーという立場であったし、他のメンバーを放って別行動を取る気持ちにもなれなかったため、こうして楽屋で大人しくしているわけであった。


(でも、他のみなさんがもっと元気だったら、全員で客席に繰り出すことになったのかもな)


 少なくとも、タツヤやダイであれば、そのように取り計らっていたことだろう。しかし彼らも本日ばかりは残量わずかな体力を温存するべく、ずっと楽屋に閉じこもっており――リュウを除く『ベイビー・アピール』の三名と山寺博人に至っては、夕食を終えたのちに再び眠りに落ちてしまったのだった。


「こっちの三人は、出番の十分前にでも起こせば問題ないはずだよ。山寺のほうは、大丈夫かい?」


 リュウがそのように呼びかけると、西岡桔平は難しげな面持ちで「どうでしょうね」と首をひねった。


「正直に言って、ヒロが本番前に居眠りをするなんて初めてのことなんです。今の内に起こしたほうがいいのか、ぎりぎりまで眠らせておいたほうがいいのか……ちょっと決めかねています」


「だったら、寝かせといてやりなよ。ステージに立てば、俺たちの爆音とユーリちゃんの歌声で、眠気も吹っ飛ぶだろうさ」


 そんな風に言いながら、リュウは大あくびをした。


「リュウさんこそ、大丈夫っすか? 仮眠が必要でしたら、遠慮なく休んでください」


「いや、俺は寝起きだと指が動かなくなるタイプなんでね。他の連中より、繊細にできてるんだよ」


 そう言って、リュウは眠たそうな顔で瓜子に笑いかけてきた。

 そしてその目が、瓜子の隣に控えたユーリへと移動される。ユーリはさきほどからのんびりとした面持ちで、モニター上で躍動する鞠山選手たちの姿を見守っていた。


「ユーリちゃんは、平常心だな。俺たちの体たらくに、不安になったりしないのかい?」


「ほえ? ユーリはお疲れであるみなさんの分まで、死力を尽くす所存であるのです! リハーサルの前に、キッペイ様ともそのようにお約束しましたので!」


「心強いねぇ。今日はいつも以上に、ユーリちゃんが勝利の女神に見えてくるよ」


「にゃっはっは。そのように大したものではないのです! 曲作りというものに参加できないユーリは、ライブで頑張るしか能がありませんので!」


 そのように語るユーリは、すでに戦闘服に着替えている。本日はショッキングピンクのハーフトップに、ペンキで荒っぽくペイントがされたダメージデニムのジャケットとショートパンツ、それに動きやすそうなデッキシューズという衣装であった。


 しばらくして、三十分の演奏時間を終えた『モンキーワンダー』と鞠山選手は花道を戻っていく。会場には、惜しみない拍手と歓声が吹き荒れていた。

 しかるのちに、格闘技部門の試合が開始される。第一試合は男子選手の一戦、第二試合はオリビア選手と《NEXT》を主戦場にする女子選手の一戦で、その後が『トライ・アングル』のファーストステージであった。


「さて。問題は、試合時間が予測不能ってところだよな。どっちも秒殺で終わっちまったら、俺たちの出番もあっという間だけど……さすがに、それはねえか」


「押忍。でも、オリビア選手は短期決着も多いですからね。今日の相手はかなりの実力者だって評判ですけど、相性しだいでは秒殺だってありえると思いますよ」


 瓜子がそのように答えると、リュウは「あはは」と愉快げに笑った。


「瓜子ちゃんに押忍って返事をされたのは、たぶん初めてだよな。やっぱりこういうイベントだと、選手モードになるのかな?」


「あ、いえ、決してそういうつもりではなかったんですけど……やだなぁ、そんなに笑わないでくださいよ」


「ごめんごめん。その恥ずかしそうな顔が、また可愛くってさ。あとでタツヤたちに自慢してやろう」


「そんなことしたら、痛い目を見るのはリュウさんっすよ」


 羞恥心をこらえながら、瓜子はそのように答えてみせる。

 それと同時に、モニターから歓声がわきたった。何かの打撃をもらったらしい片方の選手がダウンをして、そのままマウントポジションを取られたのだ。


「おっと、第一試合はあっさり終わっちまいそうだな。念のために、そろそろ起こしておくか。……瓜子ちゃん、またお願いできるかい?」


「はあ。また四人とも、自分が起こすんですか? ……ウルさんやヒロさんなんかは、ちょっと逆効果なんじゃないかと思うんすけど……」


 すると、楽屋の入り口付近に立ちはだかっていた千駄ヶ谷が、冷たく凍てついた声をあげた。


「では、漆原氏に関しては、私が承りましょう。他の方々は、猪狩さんにお願いいたします」


「は、はい。承知しました」


 まあ、山寺博人は誰に起こされても不機嫌の極みであるのだろう。漆原は、相手が千駄ヶ谷であれば多少は心を慰められるはずであった。


 モニター上では、レフェリーストップによって試合が終わってしまっている。それを尻目に、瓜子はまずタツヤの肩を揺さぶることにした。


「お休みのところ、申し訳ありません。そろそろ出番なんで、起きていただけますか?」


 タツヤは「うーん」とむずかるような声をあげてから、薄く開いた目で瓜子のほうを見やり、そして子供のような笑みを浮かべた。


「ああ、瓜子ちゃんに起こされるのって、最高の気分だなぁ……今度、目覚まし用に声を録音させてくれない?」


「それはちょっと、ご勘弁を願います」


 瓜子は苦笑しながら、すぐそばで丸くなっていたダイのほうに向きなおる。


「ダイさんも、お願いします。あと一試合で、出番ですので」


 ダイは「むぐう」とくぐもった声をあげてから、ハッとしたように目を見開いた。


「うわあ、びっくりした。俺、今まで瓜子ちゃんの夢を見てたんだよ。……これは夢じゃないよな?」


「はい。まごうことなき現実っすよ」


「あはは。夢でも現実でも瓜子ちゃんに会えるなんて、最高だな」


 タツヤもダイも寝起きであるためか、普段以上に無防備な顔をさらしてしまっている。まあ、ユーリやメイの愛くるしさとは比べるべくもなかったが――それでも、彼らの善良さが再確認できたような心地で、瓜子はとても安らかな心地であった。


(問題は、ヒロさんなんだよな)


 リハーサルの前に山寺博人を起こしたときは、寝ぼけた彼に怒鳴りつけられることになったのだ。西岡桔平の言っていた通り、彼は寝起きが最悪であったのだった。


(まあ、起きた後はあっちのほうが気まずそうにしてたから、むしろ申し訳ないぐらいなんだけど……ヒロさんとリマさんの夫婦生活って、ほんとに大変そうだよなぁ)


 そんな感慨を噛みしめながら、瓜子は楽屋の片隅で毛布にくるまっている山寺博人のもとを目指した。

 モニターでは、すでにオリビア選手が入場を始めている。白い空手衣を纏ったオリビア選手は、本日も柔和そのものの面持ちであった。


「失礼します。ヒロさん、起きていただけますか? もう間もなく、出番です」


 薄い毛布に包まれた山寺博人の肩を、軽く揺さぶる。ふだん取っ組み合っている人々とは比べるべくもない、痩せて骨ばった肩だ。

 山寺博人は何の応答もしないまま、毛布の中でいっそう小さくなってしまう。声を大きくするべきか、揺さぶりを大きくするべきか。しばし悩んだ末、瓜子はその両方をやや大きくすることにした。


「ヒロさん、おつらいでしょうけど、起きてください。もうすぐ出番なんで――」


 すると、毛布の一部が盛り上がり、そこから右の裏拳が射出された。

 瓜子は「うわ!」とのけぞって、その拳を鼻先にやりすごす。もう少し接近していたら、スウェーバックが間に合わずに鼻っ柱を叩かれていたところであった。


「ああ、びっくりした。……ヒロさん、寝ぼけてるんすか? 申し訳ないけど、起きてください」


 瓜子が拳の届かない角度から三たび肩を揺さぶると、山寺博人はやおら弾かれたような勢いで半身を起こした。

 そして、長い前髪の隙間から、鋭い視線を瓜子に突きつけてくる。


「おい……俺は今、何をした?」


「何もしてないっすよ。起きてくださって、よかったです」


「ごまかすなよ。俺、お前を殴ろうとしただろ?」


「大丈夫っすよ。これでもいちおう、本職ですので」


 瓜子が笑顔を返してみせると、山寺博人は両手で自分の頭をかきむしった。


「だから、寝てる俺に近づくなって言っただろうがよ……お前、俺に恨みでもあんのか?」


「どういう筋道でそういうお話になるのかはわからないですけど、ヒロさんを恨む理由なんてないっすよ。もうすぐ出番なんで、よろしくお願いします」


「……やる気を削がれた。もういっぺん寝る」


「ええ? 駄目っすよ! 八人そろってこその、『トライ・アングル』でしょう?」


 瓜子が慌てて声をあげると、山寺博人は笑うのをこらえるように口もとを歪めた。


「冗談だよ、馬鹿。……その間抜け面で、やる気が出た」


「……ヒロさんって、ほんとにいい性格をしてますよね」


 瓜子は山寺博人の憎たらしい顔をにらみつけてから、ユーリのもとに戻ることにした。

 モニターでは相手選手も入場して、選手の紹介が開始されている。空手衣を脱いだオリビア選手は、《アトミック・ガールズ》公式のタンクトップとファイトショーツだ。


「うり坊ちゃん、お帰りぃ。オリビア選手の試合は、ちょっぴりひさびさだねぇ」


「そうっすね。正直、楽しみにしてました」


 オリビア選手と対戦するのは、岡山のジムに所属するストライカーのベテランファイターである。宇留間選手や鬼沢選手と同様に、遠方の在住者であるために《アトミック・ガールズ》では招聘されていない選手だ。ただ、古きの時代には《NEXT》でくすぶっていたタクミ選手に勝利したこともある、掛け値なしの実力者であった。


(まあ、『アクセル・ロード』の候補にあげられるほどではなかったんだろうけど、それでも大した実績だよな)


 それにまた、《アクセル・ファイト》のスカウト陣の目だけが絶対に正しいというわけではないだろう。『アクセル・ロード』の候補者そのものにはまったく不満もなかったが、ただその番付には瓜子の意に沿わない部分も存在したのだった。


(沙羅選手と魅々香選手は半年ぐらいの期間で一勝一敗の戦績なのに、沙羅選手ばっかりやたらと上位だったもんな。それでいて、沙羅選手に負けた青田さんはそれより上位だったし……あれはきっと、保持してるタイトルの格式だとか、見た目の華やかさだとかも点数になってるんだろう。もちろんそういうのも、選手としての価値なんだろうけど……ただ実力だけで採点してるわけじゃないってことだ)


 であれば、この選手が『アクセル・ロード』にエントリーされた選手たちよりも高い実力を持っている可能性はある。

 瓜子はそんな風に考えながら、モニターを見据えていたわけであるが――試合は、呆気なく終了してしまった。両者は試合開始と同時にインファイトでやりあい、オリビア選手の強烈なボディブローをくらった相手選手が、そのままKO負けを喫してしまったのである。


 結果は、一ラウンド四十二秒の秒殺であった。

 リュウは面白くもなさそうに「あーあ」と声をあげる。


「十分どころの話じゃなかったな。おい、さっそくの出番になっちまったけど、腑抜けた音を出すんじゃねえぞ?」


「わかってるよ。それにしても、オリビアちゃんは強えなぁ」


「ああ。合宿稽古でも、すげえ強そうだったもんな。こりゃあ相手選手が気の毒だ」


 タツヤやダイはまだ寝ぼけた顔をしながら、そんな風に応じていた。

 いっぽう、漆原は――千駄ヶ谷のかたわらで、にこにこと笑っている。リハーサルの前、瓜子に起こされたときとは大違いであった。


「じゃ、出陣するかぁ。お前ら、気合を入れてけよぉ」


『ベイビー・アピール』の三名が、「おー」と気のない声をあげる。

 山寺博人は仏頂面でミネラルウォーターのペットボトルを傾けており、陣内征生はせわしなく目を泳がせている。そして、西岡桔平が落ち着いた顔で微笑んでいるのも、ユーリがにこにこと笑っているのも、いつも通りと言えばいつも通りであるのだが――それゆえに、メンバーの半数以上が睡眠不足であるというこの状況がどれだけ危機的なものであるのか、瓜子にはさっぱり見当もつかなかったのだった。

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