03 マッチアップ
瓜子の無念の思いが塗りこめられた『トライ・アングル』のミュージック・ビデオが動画サイトで配信され始めたのは、二月の第三月曜日であった。
ファーストシングルとライブDVDの発売日は、この一週間後となる。各メンバーが多忙であるために、『トライ・アングル』の活動というのは常に突貫工事であるのだ。今頃は、各工場でCDやDVDの製造作業が進められているのであろう。瓜子としては、印刷工場の光景だけは想像したくないところであった。
それで、ミュージック・ビデオの評判はというと――前回の『ハッピー☆ウェーブ』と『ホシノシタデ』を上回るほどの大好評であった。
何せ今回は、ユーリ個人ではなく三組合同のユニットであるのだ。ユーリひとりの魅力のみならず、『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』の魅力までもが掛け合わされるのだから、それも当然の話であろう。とにかく歌声と楽曲のクオリティ自体が過去最高の出来栄えであるのだから、その時点で成功は半ば約束されていたのだった。
もちろんユーリがこれまでにリリースしてきた三枚の楽曲も、決して悪い出来ではない。特に最新シングルは『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』が演奏を担当していたため、やはり過去の二曲よりも遥かにクオリティは増していたのである。
しかし今回はそれに加えて、作詞作曲までをもメンバーが担当している。さらに、振り絞るような歌唱を体得したユーリ自身のレベルアップも相まって、このたびの新曲にはこれまでと比較にならぬ魅力が備わっていたのだった。
そして、ミュージック・ビデオの映像そのものも――当然ながらというべきか、残念ながらというべきか、恐ろしいほどの反響を呼び込んでいた。
まだCDが発売されていない現在は、『ハダカノメガミ』と『ピース』をワンコーラスずつ繋げて、最後に告知映像をつけ加えた、いわゆるショートバージョンが公開されている。たとえワンコーラスでも新曲の素晴らしさを伝えるには十分であったし――そして、瓜子たちの水着姿もイメージ映像として随所に散りばめられていたのだった。
瓜子をもっとも暗澹たる心地にさせたのは、最後の告知映像である。
そちらではユーリと瓜子が水着でスパーをする映像がメインで使われて、『ライブDVDの特装版にはMVのメイキング映像を収録!』と大々的に告知されていたのである。
「ネットでも、すっごい評判だよー! ピンク頭とうり坊の夢の対戦! とか騒がれちゃってさー! ま、それより何より、水着の色っぽさが話題にされてたけどねー!」
そんな余計な情報をもたらしてくれるのは、毎度お馴染みの灰原選手である。
「ピンク頭はもうああいう生き物だから論外として、幼児体型のうり坊が同じぐらい色っぽいのが七不思議とか言われちゃってたもん! ま、胸や尻の大きさだけが色っぽさじゃないし、うり坊はなーんか妙ちくりんな色気があるもんねー!」
「う、うるさいっすよ。よかったら、次からは灰原選手が自分の代わりに出演してくれませんか?」
「へへーん! ピンク頭の代わりだったら、引き受けてやってもいいけどねー! あたしも全力でお肌をみがき中だから、いずれあのちょびひげカメラマンにぎゃふんと言わせてやるつもりだよー!」
そんな感じで、『トライ・アングル』は本格的なスタートを切るための基盤が着実に整えられつつあった。
今月中にはファーストシングルとライブDVDが発売され、来月にはレコ発ライブというものが控えている。そして、生演奏が可能である音楽番組にも出演を果たすべく、各関係者が売り込みに奮闘しているさなかである。
さらにユーリはライブに向けて持ち曲を増やすべく、またスタジオ練習が開始されている。今回の課題曲は『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』の持ち曲が一曲ずつで、どちらも山寺博人や漆原と交互に歌い合うデュエット方式が計画されていた。いったいどのような仕上がりになるのか、今から楽しみなところである。
なおかつ演奏陣のほうは、これまでの持ち曲に関して大幅なアレンジを施しているという話であったし――瓜子としては、ミュージシャンの華やかな音楽活動の裏側にどれだけの苦労が費やされているのかを、あらためて思い知らされた心地であった。
ともあれ、『トライ・アングル』のプロジェクトはのきなみ順調に進行されているように思われたが――そんな中、ひとつの懸念事項が取り沙汰されることになった。
「レコ発ライブの一発目って、ユーリちゃんたちの試合の一週間後なんだよねぇ。もしまたこの前の試合ぐらいボロボロにされてたら、ちっとばっかりマズくないかなぁ?」
全メンバーが集結しての打ち合わせの場でそのように発言したのは、漆原であった。
「撮影なんかは、メイクやら小道具やらで何とかなったみたいだけどさぁ。ライブは、そうもいかないじゃん? このユニットはただでさえライブの本数を絞ってるから、そこでしょぼいもんを見せたら致命的だと思うよぉ」
「私もその点には、小さからぬ懸念を抱いておりました。これまでのユーリ選手であれば、試合の一週間後にまでダメージを引きずるようなことはありませんでしたので、このようなスケジュールを組ませていただいたわけなのですが……」
「でもあれは、相手が大怪獣ジュニアだったからじゃないですかね」
穏やかな笑顔でそのように声をあげたのは、西岡桔平であった。
「ちょうどこの前、《アトミック・ガールズ》の一月大会が格闘技チャンネルで放映されたから、俺もようやく試合を拝見できたんですよ。あれはもう……とにかく、ものすごい試合でした。ユーリさんのベストバウトっていうだけじゃなく、格闘技の歴史に刻まれる名勝負だったと思います」
「ほんとほんと! 瓜子ちゃんもすごかったけど、今回はユーリちゃんの試合が際立ってたな! 俺、テレビの試合で鳥肌立ったのは初めてだよ!」
「うんうん! 格闘技マガジンでも、すっげえページを割かれてたしな! 《アクセル・ファイト》でヘビー級王座交代なんて事件がなかったら、絶対に表紙だったろうしよ!」
ダイとタツヤがそのように言葉を重ねると、千駄ヶ谷は冷徹なる目でユーリの顔を見据えた。
「負傷の度合いであれば、右拳の骨と右肘の靭帯を痛めた一昨年十一月のほうがより深刻であったはずです。しかし、あの際にも試合の一週間後にライブ活動を行うことは可能であったでしょう。先月、ユーリ選手がそれ以上に体調を崩されていたのは……やはり、赤星選手の際立った力量が原因であったのでしょうか?」
「はてさて? 赤星弥生子殿が特別な存在であられるのは厳然たる事実でありますが、来月に対戦する兵藤選手とて《アトミック・ガールズ》を長年支えてきた特別な存在であられますし……ユーリは常に死力を振り絞るのみでありますため、試合後の体調については予測も難しいのでありまする」
「ま、ライブの会場はもうおさえちまったんだから、今さら後戻りはできねえよなぁ。……ただ、ユーリちゃんが万全の体勢で挑めないなら、赤字覚悟で公演を延期するしかないと思うぜぇ?」
不健康に痩せた顔で朗らかに笑いつつ、漆原はそう言った。
「ていうか、俺自身がそんな情けねえライブはしたくねえもん。しょぼいライブで評判を落とすよりは、いったん大赤字を抱えてでも次につなげたほうが利口っしょ」
「……私も、そのように思案しておりました。もしもメンバーの方々に異論がなければ、私が全力で他なる運営陣を説得する心づもりでありましたが……いかがなものでしょう?」
異論を申し立てる者は、いなかった。ユニットメンバーの八人全員が、不出来なライブを披露するよりも大赤字を抱えるという道を選択したのである。
「ユーリひとりのせいで皆々様にまで楽しくない思いをさせてしまうのは、あまりに申し訳ありませんので……いざとなったら、ユーリが大赤字を背負う覚悟であったのですが……」
「おっと、軽はずみな発言は差し控えたほうがいいぜ、ユーリちゃん。三千人規模のライブ会場のキャンセル代なんて、きっとユーリちゃんが想像してる以上の額なんだからな」
と、リュウが不敵な笑顔でそう言った。
「それに、ユーリちゃんと組むって決めたのも、この日程でゴーサインを出したのも、この場にいる全員の判断なんだ。それでユーリちゃんがひとりで責任をひっかぶるなんて、俺たちのメンツを丸潰しにしちまうよ」
「あうう。ユーリはこの世の道理をわきまえておりませぬため、どうかご容赦を願いたく思うのです」
「だったら、一緒に苦労を背負おうぜ。八人がかりなら、どうってことねえさ」
「そうですよ。それに俺たちには、大勢の頼もしいスタッフたちもついてくれていますからね」
西岡桔平のそんな言葉には、それぞれのマネージャーたちが冷や汗を流しながら引きつった微笑みをたたえていた。
そんな感じで、『トライ・アングル』は予測不能の不安を抱え込みつつ、そのおかげでまた結束が固まったようだった。
◇
いっぽう、本業のほうである。
『トライ・アングル』のミュージック・ビデオが公開された頃には、すでに《アトミック・ガールズ》の三月大会まで一ヶ月を切っている。調整期間までは残すところ二週間足らずで、出場選手にとっては最後の追い込み期間に差し掛かっていた。
そしてこの時期に至れば、さすがにすべての試合の内容が決定されている。それで小柴選手と多賀崎選手も対戦相手が確定したため、プレスマン道場の稽古場にはいっそうの熱気があふれかえることに相成ったのだった。
「沖と対戦するマコっちゃんも、大一番だね! マリアとオリビアに続いて沖をぶっ倒せば、もう名実ともにトップファイターなんだからさ!」
「ま、沖さんには二回も土をつけられてるからね。三度目の正直って言葉を体現してみせるつもりだよ」
質実な気性で知られる多賀崎選手も、今回ばかりは熱い言葉で内なる闘志を表面化させていた。去年の七月にマリア選手を打ち倒し、長きの時間を経ての復帰戦でオリビア選手を下した多賀崎選手は、かつての日本人ナンバーワン選手であった沖選手との対戦にまでこぎつけることがかなったのだ。
ただし沖選手は去年の五月以降、ユーリと沙羅選手に連敗している。そしてナンバーツーの格付けであった魅々香選手にかつての絶対王者ジジ選手の打倒を先んじられて、ずいぶん格を落としてしまっていた。
そんな沖選手に、多賀崎選手をぶつけようというのは――下り調子のトップファイターに上り調子の中堅選手をぶつけようという、きわめてシビアなマッチメイクである。そしてこれは、現王者である沙羅選手に敗れた両選手の一戦でもあったのだった。
これに勝利した選手は、きっと沙羅選手とのリベンジマッチおよびタイトルマッチに一歩近づくのであろう。多賀崎選手も沖選手も《アトミック・ガールズ》においては地味な存在と目されていたが、それでもタイトル戦線を見据えた大一番であることに疑いはなかった。
「それに、コッシーもね! ヒロ・イワイ道場の奥村っていったら、中堅格のトップクラスじゃん! こいつに勝ったら、トップファイター入りも夢じゃないっしょ!」
「はい。まさかいきなり奥村さんと対戦させていただけるとは、思ってもいませんでした」
小柴選手は、きりりとした面持ちでそのように応じていた。
奥村選手はかなりの実力者であったが、中堅の壁たる鞠山選手の牙城を崩すことがかなわず、灰原選手の言うようなポジションに長らく腰を据えている。荒い打撃と巧みな寝技を売りにする、鞠山選手と似たタイプのファイターでもあった。
「案外、奥山に勝てたら魔法老女との師弟対決が待ちかまえてるのかもね! なーんか、一歩先をいかれちゃった感じだなー!」
「そ、そんなことはないと思いますけど……でもとにかく、悔いの残らないように全力を尽くします」
そんな感じで、プレスマン道場の稽古場は大いにわきたっていた。
そして、それに負けない熱気を渦巻かせていたのは、瓜子たちが日曜祭日にだけお世話になっている、横浜のドッグ・ジムである。沙羅選手には試合のオファーもなかったようであるが、犬飼京菜には若手のトップファイターたる金井選手を当てられることになったのだ。
「金井いうたら、パラス=アテナがトチ狂う前の四大タイトルマッチで雅はんに挑戦した娘っ子やろ? つまりは雅はんに負けたもん同士の対戦いうこっちゃね」
沙羅選手は人の悪い笑顔で、そのように言いたてていた。
「こないなマッチメイクが組まれたいうことは、若手のトップファイターの中でどっちをプッシュしてくか見定めよう魂胆やろねぇ。しょせんアマやった赤鬼ジュニアなんぞとは実績がちゃうし、これまた京菜はんは正念場やね」
「お前な、自分にオファーがなかったからって、お嬢を煽るなよ。どうしてそう、人を食ったような言葉でしか激励できねえんだ?」
大和源五郎が苦笑まじりに掣肘すると、沙羅選手は「ははん」と鼻を鳴らした。
「今のアトミックに外国人選手を呼ぶ財力はないいう話やから、ウチが手空きになるんは仕方ないんちゃう? もうこの階級の日本人選手に敵はあらへんし、白ブタはんとの二階級王座統一戦でもぶちあげへん限りは、試合の組みようもないやろ」
「ふん。魅々香選手とは一勝一敗だし、青鬼ジュニアとも完全決着をつけるんだって息巻いてたろうがよ」
「そんなん、前回と前々回にやりおうた相手なんやから、リベンジマッチはまだまだ先やろ。いっそロシアの新鋭とでもやりあいたかったところやね」
「オルガ選手のお相手は、無差別級の大村選手でしたもんね。まずは頑丈さで知られる大村選手とぶつけて、オルガ選手の実力を見定めようって考えなんじゃないっすかね」
大村選手は、かつてベリーニャ選手の調整試合にも駆り出された実力者だ。実績には乏しいが外国人選手に負けないパワーとタフネスさを有しているため、こういう際には重宝されるのであろう。
また、その他にはイリア選手と亜藤選手、後藤田選手とラニ・アカカ選手という好カードが組まれている。ハワイのラニ・アカカ選手は《フィスト》に参戦する男子選手のセコンドとして来日するため、また滞在中に試合を組んでもらえないかと自らパラス=アテナに打診してきたのだという話であった。
これらのマッチメイクが、駒形氏の悩みに悩み抜いた結論であるのであろう。
見事に興行を成功させて、格闘技チャンネルにおける放映を継続してもらえるかどうか――あとは、出場選手たちの頑張りにかかっているのだった。