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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
14th Bout ~Summit Showdown~
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04 オラ!ホロ

 鞠山選手に魔法少女カフェを追い出されたのは、午後の三時を少し回った頃合いであった。

 表の通りは、人で賑わっている。まだまだ寒さの厳しい時分であるが、今日も多くの人々が休日の昼下がりを満喫しているようだ。


「さて、これからどうしましょうね。こんな風に時間を持て余すのは、なんか新鮮な気分っすよ」


 ユーリは顔のダメージがひどいため、モデルの仕事も延期できるだけ延期している。もとより試合の直後はこういった事態も想定できるため、きちんと延期できるようにスケジュールを組んでいるのだ。ただしその分、来週からは今週の分まで過密な時間を過ごすことになるのだった。


「記念日に寝たきりだった分、ユーリさんのお好きなようにしてください。まあ、そこまで元気に遊べる体調ではないでしょうけど」


「うん。ユーリはうり坊ちゃんと一緒にいられるだけで、幸せいっぱいなのです」


 まだいくぶん眠たげな目つきをしながら、ユーリはそう言った。


「それじゃあ、どうします? 自分はユーリさんにおまかせしますよ」


「ほんとにぃ? それなら、ぜひお邪魔したいお店があるのですけれど……」


「へえ。なんのお店っすか?」


「おらっ! ほろっ!」


 瓜子はユーリが寝ぼけているのかと思ってしまったが、数秒ののちに理解した。


「あ、『オラ!ホロ』っすか。大吾さんのメキシコ料理店っすよね?」


「うん! ユーリはおなかがぺこぺこちゃんなのです!」


「ええ? こんな時間に、食べるんすか? ……でもまあユーリさんは、食べて寝た分だけ回復してる感じですもんね。わかりました。牛のように食べて、いっそうの回復に努めてください」


「にゃー。意地悪な相棒さんなのです!」


 そうして瓜子とユーリは雑踏の中でじゃれあいながら、目黒にある『オラ!ホロ』を目指すことになった。

『まりりんず・るーむ』の所在地である中野からであれば電車で二十分ていどの距離であるが、ユーリの体調を鑑みてタクシーを利用することにする。ユーリにとってもっともしんどいのは、人と触れ合う危険の高い満員電車であるのだ。


 そうして到着したのは、赤星大吾の所有する五階建てのビルである。

 本日は日曜日であるために、赤星道場も六丸の経営する整体院も休業だ。ただ、『オラ!ホロ』の看板は昼間からきらきらとネオンを輝かせていた。


「弥生子さんも、このビルに住んでるんですよね。食事の後に、挨拶でもしていきます?」


「えー? にゃんで?」


「いや、ユーリさんにとっても、弥生子さんは特別な存在なんでしょう?」


「にゅー。だけどユーリは、弥生子殿と試合をしたいだけなので……プライベートでお顔をあわせても、とりたててお胸は弾まないのです」


「そうっすか。よく弾みそうなお胸なのに」


「せくはらーせくはらー」


 そんなしょうもない言葉を交わしつつ、瓜子とユーリはエレベーターに乗り込んだ。これに乗るのは、去年の十月以来――屋上に引きこもった赤星弥生子のもとを目指したとき以来である。ユーリは赤星大吾のメキシコ料理をいたく気に入り、機会があれば来店したいと常々主張していたのであるが、けっきょく今日まで機会がなかったのだ。


 中途半端な時間であるためか、ウィンドウ越しに見える店内は閑散としていた。

 そうして店内に足を踏み入れると、どこか見覚えのある人物が「いらっしゃいませ!」と元気に声をあげてくる。おそらくは、《レッド・キング》十二月大会の打ち上げの場で料理を運んでいた若者であった。


(でもまあ、今日は料理を食べに来ただけだしな)


 瓜子はそのように考えて、何も言わずに着席したのだが――瓜子がキャスケットを外すなり、向こうのほうが「あっ!」と声をあげてきた。


「あの、格闘家の猪狩瓜子さんですよね? それじゃあそちらは、ユーリさんですか? うわぁ、光栄です!」


「え、あ、どうも……たしか、年末の打ち上げのときにお会いしましたよね」


「うわぁ、覚えててくれたんですか? ますます光栄です! ……あ、こちらの席だと人目についちゃいますね! よかったら、奥のボックス席にどうぞ!」


 その申し出自体はありがたかったので、瓜子たちは椅子を温める間もなく移動することになった。

 しかし、以前にお会いしたときとはずいぶん様子が異なっている。瓜子がそれをいぶかしく思っていると、その若者は照れ臭そうに説明してくれた。


「実はあのとき、すごく素敵な人たちだなあと思って、後から大吾さんに聞いてみたんです。そうしたら、有名な格闘家の方々だよって説明されて……ちょっとネットで調べたら、もうびっくりしちゃいました! 『ユーリ・トライ!』のDVDも、特装版を買ったんです!」


「そ、それはどうも……」


 瓜子は羞恥心で目眩を起こしそうだったが、幸いなことに若者はそれ以上言葉を重ねることなく、メニューを置いて立ち去っていった。

 そうしてユーリが瞳を輝かせながらメニューを閲覧していると、巨大な人影がのしのしと近づいてくる。言うまでもなく、それは店主の赤星大吾であった。


「やあ、猪狩さんにユーリさん。本当にうちなんかに来てくれたんだねぇ。今日はサービスさせてもらうよ」


「どうも、おひさしぶりです。きちんと代金はお支払いしますので、どうかお気遣いなく」


「いやいや。今日だけは、うちの流儀に従ってもらうよ。俺も何かお礼をしないと、収まりがつかないところだったからさ」


 そう言って、赤星大吾は温かな眼差しをユーリに向けた。


「ユーリさんは、弥生子を負かしてくれたそうだね。道場に戻ってきたあいつらに話を聞いたときには、ひっくり返るかと思ったよ。あいつはもう、俺みたいにどこかぶっ壊さない限り、誰にも負けられないんじゃないかと思ってたからさ」


「はあ。大事な娘さんを負かしてしまったユーリに、なにゆえお礼が必要なのでありましょう?」


「あいつは勝ったら勝っただけ、どんどん頑固になっていったからさ。なんとか誰かが負かしてくれることを心待ちにしてたんだよ」


 赤星大吾は娘の複雑な精神状態を、そんな言葉で表現していた。


「だから今日は、大サービスだ。よかったら、俺のスペシャルメニューを出してあげるよ。もちろん、お代はいらないからさ」


「いえいえ、本当にお気遣いなくぅ。こちらのお店は、これからもちょくちょくお邪魔したいと思っておりますのでぇ……」


「それなら、今日限りの大サービスだ! 次回からはきっちりお代をいただくから、今日だけは俺の顔を立てておくれよ」


 そう言って、赤星大吾はにっこりと微笑んだ。

 こんな真っ直ぐな笑顔を向けられたら、なかなか固辞できるものではない。かくしてユーリは、赤星大吾のスペシャルメニューとやらを無料で振る舞われることに相成ったのだった。


「あ、自分はドリンクだけでけっこうですので!」


「了解了解! それじゃあ、ちょっとだけ待っててな!」


 赤星大吾は、ひょこひょことした足取りで厨房に戻っていく。両方の膝を痛めているためか、彼は着ぐるみでも着ているような歩き方であるのだ。


「よくわかんないけど、得しちゃったねぇ。赤星大吾殿のご厚意は、余さず胃袋に収める所存であるのです」


 ユーリはあまり状況もわかっていない様子で、ふにゃんと笑っている。

 そして、さらなる来訪者が現れた。カラフルな制服に可愛らしいエプロンを装着し、そして左腕で松葉杖をついた、マリア選手である。


「猪狩選手! ユーリ選手! まさか、こちらでお会いできるとは思っていませんでした! ご来店ありがとうございます!」


「マ、マリア選手? こちらで働いてるんすか?」


「はい! 普段はホールがメインなんですけど、足がコレなので今日はキッチンの担当です! 大吾さんも立ちっぱなしはつらいので、うちのキッチンは座りながら作業できるんですよ!」


 瓜子は頭をかきながら、壁に立てかけた松葉杖を指し示してみせた。


「実は自分も、この有り様です。マリア選手のカーフキックは強烈でしたよ」


「あはは。それで自分まで足を壊してたら、世話ないですよねー!」


 マリア選手は試合直後から無邪気な顔を見せていたので、もちろん今日も無邪気そのものであった。


「お二人のために、腕によりをかけて料理を準備しますね! まあ、わたしなんかは大吾さんのお手伝いをするだけですけど! それじゃあ、失礼します!」


 と、マリア選手は案外あっさりと引き下がっていった。いまだにマリア選手に苦手意識を持っているユーリは、ほっと息をつく。


「マリア選手の制服姿、かわゆかったねぇ。それに、お料理もお上手だなんて、よくできた娘さんですわん」


「そういえば、マリア選手もお父さんがメキシカンなんですもんね。メキシコ料理店で働くにはぴったりなのかもしれません」


 そうしてようやく、その場には静けさがもたらされるかと思われたが――そうは問屋がおろさなかった。今度は店の入り口のほうから、赤星弥生子と六丸が駆けつけてきたのである。


「……おくつろぎのところ、失礼する。マリアから連絡をもらって、ご挨拶に出向かせていただいた」


 そのように語る赤星弥生子は、軽く息を切らしていた。なおかつ、シンプルなスウェットの上下にサンダルという姿であり、自室でくつろいでいたことは明白である。そして本日はサイドの髪が寝ぐせでピンとはねており、凛々しいお顔とのミスマッチがたいそう可愛らしかった。


「それであの……私のふつつかな父親が、何か余計なことを語らったりはしていなかっただろうか?」


「ええ、もちろん。少し挨拶をさせてもらいましたけど、何もおかしな話はなかったですよ」


「本当に?」と、赤星弥生子が詰め寄ってくる。そのしなやかな長身には、本日も青白い雷光めいたオーラが纏わりついてしまっていた。


「え、ええ。おかしな話はなかったと思いますけど……ですよね、ユーリさん?」


「はぁい。弥生子殿に勝ってくれてありがとうなどというお言葉をいただいたぐらいでありますねぇ」


 瓜子はひやりとしてしまったが、赤星弥生子の表情に変わりはなかった。その発言が許されるのなら、瓜子たちは本当におかしな話など聞いていないことになるのだろう。


「そうか。ぶしつけに問い質してしまって、申し訳なかった。あの父親は、目を離すと何をしでかすかわからないもので……」


「あはは。自分たちに対しては、いつでも礼儀正しいお人ですよ」


「外づらだけは、いいからな。まあ、現役選手であった頃はそれすらもが最悪であったわけだが」


 そんな風に語らいつつ、赤星弥生子は立ち去り難い様子でもじもじとしている。そうしていると、その身の気迫も見る見るやわらいで、彼女はいつになく普通の人間めいて見えた。


「あのぉ、もしもおひまでしたら、しばらくご一緒しませんかぁ?」


 と、ユーリがいきなりそのようなことを言い出したので、瓜子が一番驚かされてしまった。

 いっぽう赤星弥生子は、期待と困惑の入り混じった面持ちになっている。


「いや、しかし……私たちなどがご一緒したら、迷惑ではないだろうか?」


「迷惑だなんて、とんでもなぁい。……実はユーリは弥生子殿との試合で負ったダメージと疲れが著しく、食事中は会話もままならない状態なのですよねぇ。そうすると、うり坊ちゃんは長らく無聊をかこつことになってしまうので、かねがね好いたらしく思っている弥生子殿とおしゃべりに興じれたら、きっと至福の境地なのです」


 そうしてユーリはふにゃふにゃと笑いながら席を立ち、瓜子の隣に回り込んできた。

 赤星弥生子はしばらくもじもじしていたが、やがて意を決した様子で瓜子の向かいに着席する。するとその影のように控えていた六丸も、音もなく腰を下ろした。


「あれ? 弥生子さんがいらっしゃるなんて、珍しいですね!」


 と、ドリンクを運んできた若者が目を丸くする。


「それじゃあ、そちらにもドリンクをお持ちします。少々お待ちくださいね」


 瓜子とユーリの前にグラスを置いた若者は、すみやかに厨房へと舞い戻っていく。ユーリは「ふみゅ」と小首を傾げながら、そのグラスを上から覗き込んだ。


「これはいったい、何でせう? 牛乳のように真っ白でありますねぇ」


「それは、オチャタというメキシコのドリンクだそうです。料理に合うように、甘さは控えめにしているそうですよ」


 六丸がそのように説明すると、ユーリは「ほうほう!」と感心しながらグラスに口をつけた。


「うん、あまーい! でもでも、スパイシーな料理には合うかもです!」


「でしょう? 僕もオチャタは、大好きです」


 六丸は、邪気のない顔でにこにこと笑っている。元気いっぱいのマリア選手と異なり、ふわふわとしたやわらかい空気を持つ若者だ。

 そうして六丸が口をつぐむと、赤星弥生子があらたまった調子で語り始めた。


「桃園さんは、確かにずいぶんお疲れのようだ。それに、その顔は……何も大ごとにはならなかっただろうか?」


「はぁい。目にも骨にも異常はなかったので、あとは痣が消えるのを待つばかりでありますねぇ。一週間は安静にするように言われてしまったので、明日からお稽古を再開できるかと期待しているさなかでありますぅ」


「そうか。実のところ、私も今日までトレーニングを控えていた。医者からは特に何も言われていないのだが……かつてないほどに疲弊が溜まってしまっていたのでね」


 そう言って、赤星弥生子はぎこちなく微笑んだ。


「試合における負傷を謝罪するのは筋違いであるように思えるので、控えさせてもらうが……こうして二人そろって力ない姿を見せているのは、死力を振り絞った結果のように思えるので、なかなか悪くない気分だ」


「あははぁ。おたがいに大きな怪我がなかったのは何よりでありますねぇ。次に試合をできる日を楽しみにしておりますぅ」


「君はまず、精神力が怪物じみているな。でも、そんな風に言ってもらえることを光栄に思う」


 ユーリと赤星弥生子の間には、思いも寄らぬほど穏やかな空気がたちこめていた。

 まあ、それはおたがいにくたびれ果てているという影響も大きいのかもしれないが――何にせよ、瓜子は温かい気持ちで両者の語らいを見守ることができた。

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