ACT.4 死闘の余韻 01 疲労困憊
「瓜子ちゃん! ユーリちゃん! その有り様は、どうしたんだよ!」
瓜子とユーリがそんな言葉に迎えられたのは、《アトミック・ガールズ》一月大会の五日後、一月の第三金曜日のことであった。
その日は『トライ・アングル』の記念すべきファーストシングルのジャケットおよび特典ブックレットの撮影を執り行う予定であり、撮影スタジオにはユニットメンバーが勢ぞろいしていたわけであるが――瓜子とユーリの惨憺たる姿に、彼らが仰天してしまったわけであった。
まず右足を負傷をした瓜子は、いまだ松葉杖のお世話になっている。
そしてユーリは右目の上下に湿布を張られて、下顎にもまだ青痣が残されていたのだった。
「どうも、ご心配をおかけしてしまって申し訳ありません。自分なんかは右足以外は健康そのものなんで、どうぞご心配なく」
「ご心配なくって! そんなわけにいくかよ!」
タツヤとダイを筆頭に、メンバーたちが瓜子たちを取り囲む。西岡桔平もたいそう心配げな表情であったため、瓜子はいっそう申し訳なくなってしまった。
「この前の対抗戦は、アトミック陣営の全勝だったっていう記事を拝見してました。でも……猪狩さんたちは、そんなにダメージが深かったんですね」
「いえいえ、本当に大したことはないんすよ。もう一週間もすれば、松葉杖は必要なくなるだろうっていうお話でしたんで」
「それじゃあ試合から二週間は、まともに歩けないわけですか。十分に重傷ですよ」
そんな風に語る西岡桔平のかたわらから、リュウが眉尻を下げつつユーリの顔を覗き込んだ。
「ユーリちゃんのほうは、本当に大丈夫なのか? 目つきも、なんか虚ろじゃん」
「あははぁ。大丈夫ですぅ。今週いっぱいはお稽古も禁止されてしまったので、それだけが残念でならないのですけれど……ふわーあ」
ユーリが最後に大あくびをもらすと、リュウは眉を下げたまま苦笑した。
「もう昼だってのに、ずいぶん眠そうじゃん。まさかその身体で、他の仕事もこなしてきたとか? だとしたら、俺もちょっと黙ってられねえな」
「いえいえぇ。今日なんかは十二時間ぐらい寝ていたはずなのですけれど、眠っても眠ってもあくびが止まらないのですよねぇ」
死闘の日から五日間、ユーリは猛烈な勢いで睡眠と食事をむさぼっていた。それは限界ぎりぎりまで枯渇した生命力を取り戻そうとしているかのような様相であり、瓜子もひそかに心配していたのである。
しかしその甲斐あって、ユーリもずいぶん回復していた。相変わらず全身は青痣だらけであり、起きている間はあくびを連発しているが、こうして自力で問題なく歩けるようになったのである。でなければ、さすがに今日の仕事もキャンセルせざるを得なかったところであろう。
「でもさぁ、今日はジャケの撮影なんだぜぇ? そんなボロボロの姿じゃ、さすがに無理なんじゃねぇかなぁ?」
そんな声をあげたのは、他のメンバーほど焦った顔をしていない漆原であった。
そちらに向かって「いえ」と応じたのは、我らが千駄ヶ谷女史である。
「ユーリ選手はこれまでも試合の直後に撮影の仕事をやり遂げておりましたため、負傷を隠すメーキャップについても対策の手段が構築されております。みなさんにはご迷惑をおかけしないように取り計らいますので、どうぞよろしくお願いいたします」
「うーん、今日の千駄ヶ谷さんはいっそう冷血な魔女みたいに見えちまうなぁ。……瓜子ちゃんも、そんな足で撮影に参加するのかよ?」
タツヤがそのように問うてきたので、瓜子は嘆息をこらえながら「はい」と応じてみせた。
「自分なんかは、ユーリさんに比べたら何てことありませんので。……いっそ撮影が不可能なぐらい、顔だけボコボコにされてたらよかったんすけど……」
「何か仰いましたか、猪狩さん?」
「いえ、何も」
そんな一幕を経て、ユーリの陣営はメイク室に向かうこととなった。
すっかり影が薄くなってしまったが、本日も愛音が同行している。ユーリはずっと道場での稽古を休んでいたため、愛音はひさびさにユーリと会えた喜びと、その無惨な姿に対する悲しみで、ずいぶん情緒を乱されてしまっている様子であった。
そうしてメイク室に突撃すると、今度は「まあっ!」というひっくり返った声に迎えられる。本日のカメラマンである、トシ先生である。
「ユーリちゃん! その有り様は何なのよ! だから格闘技なんて、とっととやめちゃいなさいって言ったでしょ!」
「あははぁ。それだけはどうしても肯じられないユーリちゃんなのですよぉ」
トシ先生の左右では、メイク係や衣装係の女性陣が痛ましそうに眉をひそめている。そちらに向かって、千駄ヶ谷が冷徹なる眼差しを突きつけた。
「ユーリ選手の容態については、昨日通達した通りとなります。メイクについても衣装についても問題はありませんでしょうか?」
「は、はい。それじゃあまずは、着替えのほうをお願いいたします」
衣装係がハンガーに吊るされた本日の衣装を瓜子たちに手渡してくる。その布面積の小ささに、瓜子は今度こそ嘆息をこぼすことになった。
ユーリは鮮やかなローズピンク、瓜子はモノトーンのストライプ、愛音はやわらかいパステルグリーンと、色合いに違いはあれど、いずれもビキニの水着である。どうして一月の冬まっさかりにこのようなものを着用しなければならないのかと、瓜子はこの二年足らずで何度めかの無念を噛みしめることになった。
そうして着替えを終えた瓜子たちがドレッシングルームから出てくると、メイク室には再び悲嘆の声がわきあがる。湿布を取りのぞいたユーリは、その無惨な素顔を衆目にさらすことに相成ったのだった。
ユーリは右目の上下に、それぞれ直系五センチはあろうかという青痣をくっきりと刻みつけられてしまっている。下顎や胸もとや下腹などの内出血はずいぶん薄くなっていたが、目もとのそれだけはいまだにどす黒い青紫色をしていたのだった。
愛音などは試合の当日にもっと酷い有り様を目の当たりにしているはずであるが、それでも涙目になってぷるぷると震えてしまっている。そしてトシ先生は広くなりかけた額になよやかな指先をあてて、雄弁きわまりない溜息をついていた。
「本当に、神をも恐れぬ所業とはこのことね。……その痣、まさか痕が残ったりしないでしょうね?」
「さてさて、どうでしょう? ファイターとして生きると決めたからには、このかわゆいお顔を失うことも覚悟の上のユーリちゃんなのであります。……ふわーあ」
「ふわーあじゃないわよ! ……ああもう、大事なお胸にも痣が浮かんでるじゃない! ほら、さっさとメイクで隠して!」
ということで、まずは他なる箇所の青痣がファンデーションで隠蔽されることになった。
しかし、右目周りの青痣だけは、そんな細工も通用しないことだろう。これを隠蔽するには塗装レベルの厚塗りが必要となり、それではユーリのお肌の輝きをも殺すことになってしまうのだった。
そこで千駄ヶ谷が衣装係に準備させたのは、数々の帽子と眼帯や包帯、そして物販のタオルなどである。今日のユーリはそういった小道具で右の目もとを隠して撮影されることが、事前に決定されていたのだった。
「ファーストシングルの発売日から逆算すると、どうしても本日の撮影だけは延期できなかったのです。坂上塚先生には無用のお手間を取らせてしまいますが、何卒よろしくお願いいたします」
「そんなのは仕事の範疇だからどうでもいいけど、ユーリちゃんがあんなお顔にされるのは我慢ならないわよ! 瓜子ちゃんのお顔が無事だったのが、唯一の救いね!」
そんな瓜子は松葉杖のお世話になっているわけであるが、そちらはトシ先生にとって重要でない様子であった。ほっとしたような、ちょっぴり寂しいような、複雑な心境の瓜子である。
そうしてガウン姿の瓜子たちが撮影スタジオに舞い戻ると、その場は再び騒然となった。ユーリはテンガロンハットを頭に乗せていたが、その陰からむごたらしい傷痕が垣間見えていたのだ。
「本当にひでえなあ。こいつはみんな、大怪獣ジュニアの仕業なんだろ? なんか、腹の底からムカついてきちまったよ」
「あははぁ。そのおムカつきは、未熟なユーリにお向けくださいませぇ。弥生子殿への誹謗中傷は、ユーリが許さないのココロなのですよぉ」
ユーリはのほほんと笑っているばかりであったが、リュウは何かを察したように微笑んだ。
「そっか。ユーリちゃんに嫌われたくないから、このムカつきは収めとくわ。今日は一日、よろしくな」
「はぁい。よろしくお願いいたしまぁす」
ユーリのほうは、どうやら丸く収まった様子である。
いっぽう瓜子は、再びタツヤとダイに挟撃されてしまっていた。
「ガウン姿で松葉杖って、いっそう怪我人ぽくて痛々しいなぁ。絶対に無理しないでくれよ、瓜子ちゃん?」
「本当だよ。瓜子ちゃんの色気に頼らなくっても、絶対にこのシングルは売ってみせるからさ。……ああでも、瓜子ちゃんの水着姿を拝めないのは寂しいよなぁ」
「うん。いっそ水着姿で見学ってのはどうだろう? それなら俺たちも、やる気をキープできるしさ!」
「うんうん。写真は個人的にケータイで撮らせてもらえれば、それで十分だしな!」
「……あのですね。いたわりの心が煩悩に浸蝕されておりますよ」
瓜子が苦笑まじりにそう答えたとき、背後から「おい」と呼びかけられた。
瓜子が振り返ると、しかめっ面の山寺博人が立ちはだかっている。数ヶ月前の瓜子であったら、彼が何かに怒っているのではないかと誤解してしまいそうな面相であった。
「お前は別にメンバーでも何でもねえんだから、そんな無理して撮影なんざする必要ねえだろ? 危なっかしいから、怪我人は隅っこに引っ込んでろよ」
「はい。自分もそうしたい気持ちでいっぱいなんですよ。なんとか千駄ヶ谷さんを説得してくれませんか」
「わかった。あの人を黙らせたらいいんだな」
「わわ、今のは冗談っすよ! ヒロさんと千駄ヶ谷さんの一騎打ちなんて、想像しただけで胃袋が縮んじゃいます」
そうして瓜子は精一杯の思いを込めて、山寺博人に笑顔を届けることになった。
「自分は撮影の仕事そのものに気が進まないだけで、怪我のほうは問題ありません。……でもお願いですから、今日だけはおしりを蹴らないくださいね」
「蹴るかよ、馬鹿。今だって、後ろから頭を小突きたいのを必死でセーブしたんだぞ」
と、子供のように口をとがらせる山寺博人である。
これまた数ヶ月前の瓜子であれば、一気に心をかき乱されそうなぐらい無防備な表情であった。
「さあさあ、それじゃあお仕事を始めるわよ! 無駄口を叩いてないで、さっさとスタンバイしてちょうだい!」
そんな感じで、その日の撮影は開始された。
まずはユニットメンバーと水着娘が入り乱れる、フォトブックの撮影である。さすがに今回は瓜子と愛音がジャケットにまで出しゃばるわけにはいかなかったので、出番は特典用のグッズのみに限られていた。
ただし、ファーストシングルは『トライ・アングル・プロローグ』のライブDVDと同時発売される予定になっている。そちらの特装版にもシングルと同じボリュームのフォトブックが同梱されるため、瓜子たちの作業量は倍でもきかないぐらいであったのだった。
ユーリはさまざまな小道具で右の目もとを隠しつつ、いつも通りの豊麗なる肢体をさらしている。トシ先生が不審の声をあげたのは、撮影から三十分ていどが経過して、瓜子の羞恥心がいい具合に熟成した頃合いであった。
「なんか……今日のユーリちゃんは、普段と毛色の違う色っぽさよねぇ。弾けるような元気が薄らいでる分、けだるげな雰囲気っていうか……とっても官能的だわぁ」
「あははぁ。ユーリは眠たいだけなのですけれどねぇ」
「……ちょっと今日は趣向を変えてみようかしら。瓜子ちゃん、そこに座ってくれる? ぺたんとおしりをついて、片膝を立てて……そうそう、それで左足は横のほうにのばすの。身体は正面に向けたままね」
そんな風に注文をつけてから、トシ先生はキッとまなじりを吊り上げた。
「ああもう、ボーイズ諸君はフレームアウトしてちょうだい! ちょっとガールズだけで撮ってみたいから!」
「へーい」と応じつつ、タツヤたちはぞろぞろと退いていく。そうして彼らがトシ先生の背後に回り込み、こちらの正面に陣取ったものだから、瓜子はいっそうの羞恥を抱え込むことになってしまった。
「ちょっと瓜子ちゃん、足を閉じないの! 何もはみだしちゃいないから、がばーっと開いておきなさい!」
「だ、だったら男性陣を何とかしてくれませんかね?」
「いつまで経っても、覚悟の据わらないコねぇ。どうせこれが発売されたら、何万人っていう人間の目にさらされるのよ。……あ、それでユーリちゃんが、後ろから瓜子ちゃんにもたれかかってくれる? そうそう、瓜子ちゃんにおんぶする感じでね」
ふよふよとやわらかいユーリの肢体が、背後から瓜子にのしかかってくる。そのひさびさの感触にわけもなく動揺しながら、瓜子はユーリに囁きかけることになった。
「と、鳥肌は大丈夫っすか、ユーリさん? しんどいようだったら、早めに言ったほうがいいっすよ」
「ううん、だいじょうぶぅ。眠気がいい具合に気色悪さを緩和してくれるのですぅ。……うふふ、うり坊ちゃんのひさびさの温もりだぁ」
「あ、いいわね。そのまま瓜子ちゃんの頭に頬ずりしておいてちょうだい。それで右手は、瓜子ちゃんのおへそを撫でる感じで」
「ほ、本当に撫でないでください! くすぐったいっすよ!」
「ぎゃあぎゃあわめくんじゃないの。……あとは、愛音ちゃんね。瓜子ちゃんの左足を枕にして、腹ばいになってくれる? そうそう、それで右手は、瓜子ちゃんの内腿に指先を這わせる感じでね」
「だから、本当にさわらないでくださいってば!」
「ああほら、暴れるんじゃないの。適当に撮っていくから、みんな目線はこっちでね」
そうして瓜子は水着姿のユーリと愛音にからみつかれながら、さまざまな感情に耐えることになった。
何十回となくシャッターを切ったトシ先生は、モニターに映し出された画像を確認しながら「ふぅん」と息をつく。
「これがCDのオマケなんて、惜しい話ねぇ。これだったら、写真集の表紙を飾れる出来栄えよ」
同じものを目にした千駄ヶ谷は、「ごもっともですね」と低い声音でつぶやいた。
「ですが幸い、ライブDVDのフォトブックはA5サイズで作製されることになりました。表紙はユニットメンバーで収める他ありませんが、裏表紙などで採用できないものかどうか、会議で検討させていただきたく思います」
瓜子は内心で「勘弁してくれよ」と肩を落とすことになった。
そして、ユーリがいつまでも離れようとしないので、そのピンクの髪を軽く引っ張ってみせる。
「ユーリさん、撮影は終わってますよ。さっさと離れて体力回復してください」
しかし、ユーリは答えない。そして瓜子の耳には、すぴすぴという安らかな寝息が聞こえてきたのだった。
「あらぁ、ユーリちゃんは眠っちゃったのね。……あらあら、かわゆい寝顔じゃない。ちょっと愛音ちゃん、今度は横から瓜子ちゃんに抱きつきながら、眠ったふりをしてくれる?」
「猪狩センパイに抱きつくというのはまったく気が進まないのですが、ユーリ様の作品のためならばどのような犠牲も厭わないのです」
そうして瓜子は再び二人がかりで密着され、たいそう落ち着かない心地を抱え込むことになった。
眠ってしまったユーリは、牛のように重い。ただその重みとユーリの甘い香りが、撮影地獄に煩悶する瓜子の気持ちをひとときだけ和ませてくれた。
ユーリが嫌悪感の心配もなく他者に身を寄せられるのは、こうして眠っているときだけであるのだ。
いっそこのまま自分も眠ってしまえたら、どれだけ幸福な心地だろう――と、そんな感慨を抱きかけたところで、瓜子は内心で「しまった!」とほぞを噛むことになった。
そして、それと同時にトシ先生が「あら」と嬉しそうな声をこぼす。
「ひさびさに、瓜子ちゃんの自然な笑顔をいただいたわ。もう、普段からこういうお顔をできれば、ユーリちゃんと同じクラスのモデルになれるのにねぇ」
「じ、自分はモデルじゃないっすから。あの、その写真は没にしていただけないっすか?」
「無理ね。現段階でのベストショットだもの。これを没にしたかったら、同じぐらいの笑顔を振りまきなさいな」
無防備な笑顔を撮影されるというのは、水着姿ぐらい恥ずかしいものであるのだ。
かくして瓜子は倍増した羞恥心を抱え込みながら、その後の撮影地獄に立ち向かうことに相成ったのだった。