02 対面
狂ったようにサンドバッグを蹴り続けていた犬飼京菜が動きを止めるのを待って、瓜子とユーリはあらためて来訪の挨拶をすることになった。
三名のコーチと二名の門下生、そして道場主の犬飼京菜が横並びとなって、瓜子たちと相対する。まったく今さらの話であるが、統一感がない上にひとりひとりが強烈な個性を有するドッグ・ジムの面々であった。
道場主の犬飼京菜は高校三年生の世代で、身長は百四十二センチ、体重は四十キロ前後。くせのある茶色の髪を大きなひとつの三つ編みにまとめて、右肩に垂らしている。ぎょろりと大きい目には反抗的な輝きが宿され、眉がつり上がり、口をへの字に結んでいるのがデフォルトであった。
コーチ陣の最年長は、大和源五郎。さすがに胴体はずんぐりとしていたが、それでもレスラーらしく頑健そうな体格をした初老の男性だ。土佐犬にそっくりの強面であるが、ドッグ・ジムの関係者ではもっとも口数が多く、それなりに社交的な人柄なのではないかと瓜子は踏んでいた。
コーチ陣の二人目は、ダニー・リー。それなりに長身で研ぎ澄まされた体格をした、年齢不詳の男性である。ぼさぼさの蓬髪で、骨ばった顔立ちをしており、切れ長の目にはいつも冷徹な光がたたえられている。彼はアメリカン空手とジークンドーの使い手で、サキのファイトスタイルは彼の影響が強いのであろうと思われた。
コーチ陣の末席は、マー・シーダム。いつでも穏やかに微笑んでいる、二十代半ばの青年だ。いかにもタイ人らしく、浅黒い肌とくりくりとした黒い目をしており、表情も物腰もやわらかい。コーチ陣の中ではもっとも印象の薄い人物であるが、彼は友人のリンと雰囲気がそっくりであったため、瓜子は最初から好感を抱いていた。
そうして沙羅選手を割愛すると、最後に残るのは大柄な若者だ。
彼の素性は、沙羅選手の口から説明されることになった。
「くら坊は、ドッグ・ジムの一般門下生や。こないなガタイやけど、まだ十七歳の高校三年生でな。気弱な性根を鍛えなおすために、入門したんやて」
「は、は、始めまして。榊山蔵人と申します」
名前からして、なかなか個性的な人物である。
しかし、高校生とは意外に過ぎた。彼は頭ひとつ半も小さな犬飼京菜と、同世代の少年であったのである。
身長は百九十センチ近くもあり、体格も相応にがっしりしているため、とうてい高校生とは思えない。おそらくは、卯月選手よりも大柄なぐらいであるのだ。
ただ、長めにのばした前髪から覗くその顔は、ごつごつと厳つい顔立ちながら、どこか高校生らしい純朴さも備え持っていた。いや、昨今の高校生としては、むしろ幼げに見えるぐらいであろうか。陣内征生ばりに目を泳がせて、理由もなく口をすぼめているのが、いかにも気弱げだ。その立派な体格にはあまりにそぐわない仕草であり、ついつい「しっかりしなよ」と励ましたくなるような風情であった。
(……こっちの勝手なイメージなんだろうけど、なんだかみんな犬っぽく見えちゃうな)
犬飼京菜はポメラニアンで、大和源五郎は土佐犬。ダニー・リーはドーベルマンで、マー・シーダムはコリー。そして榊山蔵人は、セントバーナードだ。
(沙羅選手は……無理やりだけど、シェパードあたりかな。まあそんなこと言ったら、ユーリさんはゴールデンリトリバーっぽいけどさ)
ともあれ、個性的な面々であることに疑いはない。
なおかつ、その方向性がバラバラであるために、彼らが寄り集まってひとつのグループを形成していることが、なんとも奇妙に感じられるのだった。
(このお人らに比べたら、赤星道場のほうがまだ統一感もあるよな。プレスマン道場だって、そうかもしれない。まだつきあいが浅いから、こんなに奇妙な感じがするのかなあ)
瓜子がそんな想念にふけっていると、肩にかけたタオルで顔の汗をぬぐいながら、犬飼京菜が「で?」と声をあげた。
「プレスマンの門下生が、うちに何の用事があるってのさ? うちを潰すために、スパイでもしようっての?」
耳にキンキンと響く、甲高い声だ。それもまた、吠えたてるポメラニアンを連想させてやまなかった。
「そんな物騒なことは考えてないっすよ。そもそも自分たちがドッグ・ジムと敵対する理由はないでしょう?」
「ふん。あんたたちは、赤星道場とつるんでるじゃん。だったら立派に、敵対関係ってこったね」
はからずも、あちらの側から重要な部分に切り込んできた。
瓜子は左ジャブで距離を測る感覚で、そろりと応じてみせる。
「犬飼さんが赤星のお人らと揉めてる場面は、自分たちも目撃しましたよ。でも別に、あちらはドッグ・ジムのお人らに敵意なんて向けてないっすよね?」
「ふん。あっちは負け犬の遠吠えなんて気にもかけてないって言いたいわけ? そりゃあアル中でくたばった三流ファイターの娘なんて、気にかける甲斐もないだろうね!」
犬飼京菜はいよいよ狂暴な目つきになりながら、瓜子をにらみ据えてくる。
すると、沙羅選手がにやにやと笑いながら、いきなりパンッと手を打ち鳴らした。
「不毛な舌戦やね。京菜はん、こいつらかてあんたの親父はんと赤星道場の確執には無関係のはずやろ。もうちょい有意義な会話を楽しんだらええんとちゃう?」
「……有意義な会話って、何さ?」
「たとえば、アトミックの一月大会やね。白ブタのユーリはん、自分はその大会で赤星弥生子はんと当たる聞いたけど、それはマジなんか?」
「はぁい。何日か前に、正式にオファーをいただくことができましたぁ」
ユーリがにこにこと笑いながら答えると、犬飼京菜はまたぎらりと大きな目を光らせた。
「ほんなら、うり坊はマリアと当たるわけやな。で、ウチは青鬼ジュニアで、京菜はんは赤鬼ジュニアや。せやったら、ドッグ・ジムとプレスマンの精鋭が赤星の連中を迎え撃つ格好やんか。赤星道場にひとあわ吹かせるチャンスなんとちゃう?」
「……こんなやつ、赤星弥生子にかなうわけないじゃん。どうせ一ラウンドでKO負けだよ」
「おやおや、白ブタちゃんも見くびられたもんやね。この白ブタちゃんは来栖選手だけやなく、ウチにも勝ったことがあるぐらいなんやで? その時点で、雑魚ではないやろ」
犬飼京菜はぎらつく目を半分まぶたで隠しながら、ユーリと沙羅選手の姿を見比べた。
「……こいつって、八百長で勝ってきたアイドルファイターなんじゃないの? そんなやつにあんたが負けたとか、初耳なんだけど?」
「情報が古いで、京菜はん。この前の週刊誌で、八百長なんざあらへんかったて暴露されてたやん。ウチかて、そんなふざけた申し出をOKするわけないしなぁ。この白ブタちゃんは、人は見かけに寄らないいう格言を具現化したような存在なんよ」
そんな風に応じながら、沙羅選手は引き締まった腰に両手をあてた。
「ていうか、この前のマイクパフォーマンスでウチが白ブタちゃんに負けたいう話も語らったはずやけどな。雅はんに負けたショックで、記憶が飛んでしもうたのん?」
「うるさいな! あんたの長話なんて、いちいち聞いてられるわけないじゃん!」
と、犬飼京菜は地団駄を踏む。試合会場でもよく見せていた、短慮な気性の発露である。が、沙羅選手は平気な顔で笑っていた。
「とにかくな、この白ブタちゃんはウチがターゲットにした強敵のひとりなんよ。相手が赤星弥生子はんでも、そうそう簡単には負けへん思うで?」
「……だったら、何だっての? 赤星弥生子を最後に倒すのは、あたしだよ」
「それはウチも、おんなじこっちゃ。裏番長の赤星弥生子はんは、みんなのターゲットいうわけやね」
そう言って、沙羅選手はいっそう楽しそうに、ふてぶてしく微笑んだ。
「で、最初に挑戦権を得たのは、シャクにさわることにこの白ブタちゃんなわけや。その実力を知っておきたい思わへん?」
「……そいつの実力を知って、どうなるってのさ?」
「せやから、赤星弥生子はんの本当の実力をうかがい知る目安になるやんか。なんせ赤星弥生子はんは、数年ぶりに外部の女子選手とやりあうわけやからね。白ブタちゃんの実力を把握しておけば、赤星弥生子はんとの試合内容で、あちらさんの実力も測定できるいう寸法や」
そんな風に語りながら、沙羅選手はユーリを横目でねめつけた。
「ウチは自分との対戦を希望してたんやけどな。王者同士の対戦はしばらく見合わせるて、新しい運営陣に言われてもうたんや。せやったら、今の内に肌を合わせても手の内をさらすことにはならへんやろ」
「はぁい。ユーリは手の内とかそういうことにこだわりはないですよぉ」
ユーリはうきうきとした調子で、そんな風に答えた。
その姿に、大和源五郎がうろんげな声をあげる。
「それにしても、あんたは楽しそうだな。何がそんなに楽しいんだい?」
「はぁい。今日は日曜日でプレスマン道場がお休みだから、他のお人とお稽古できるのが嬉しいんですぅ。沙羅選手がすっごく強いことは身にしみていますので、なおさらですねぇ」
「ふぅん」とうなったきり、大和源五郎は押し黙ってしまう。
その代わりに、沙羅選手がまた発言した。
「そないなわけで、こいつらをジムに呼び寄せたいうわけやね。京菜はんかて、いつも同じ顔ぶれじゃ飽きるやろ? このデコボココンビがとびきり刺激的いうのは、ウチが保証したるで」
「あんたの保証なんて、アテになんないけど。……あたしの邪魔をしたら、その場で叩き出すからね」
犬飼京菜はぷいっとそっぽを向くと、そのままリングに向かって歩き始めた。
「すっかり身体が冷えちゃったよ。ダニー、立ち技のスパーだよ」
「承知した」と、ダニー・リーがひたひたと犬飼京菜を追いかける。
沙羅選手はひとつ肩をすくめると、瓜子たちに向かってにっと笑いかけてきた。
「ボスのお許しをいただけたから、せいぜい汗を流してもらおか。更衣室は、こっちやで」
「押忍。突然の出稽古を許していただき、感謝しています」
瓜子は大和源五郎たちに向かって、頭を下げておいた。
大和源五郎はどういった心境であるのか、小虫でも払うように手を振っている。マー・シーダムは穏やかに微笑みながら瓜子たちを見やっており、榊山蔵人はまだ目を泳がせていた。
瓜子とユーリは沙羅選手の案内で、更衣室に足を踏み入れる。
自身も入室した沙羅選手は、古びたドアをぴしゃんと閉めてから、また白い歯をこぼした。
「なんとか作戦成功やね。京菜はんはあちこち逆鱗だらけやから、冷や汗もんやったわ」
「はあ。沙羅選手は、そうまでして自分たちと稽古したかったんすか?」
「なに言うとんねん。ドッグ・ジムの面々と親睦を深めたい言うたんは、自分やろ? 自分らの実力を思い知ったら、京菜はんもスルーできなくなるはずやで」
そう言って、沙羅選手はユーリに次ぐぐらい立派な胸の下で腕を組んだ。
「ま、赤星弥生子はんがらみの話も、ウチの本音やけどな。《レッド・キング》の試合はのきなみチェックしたんやけど、相手が野郎やと今ひとつピンときいへんねん。白ブタには試金石として善戦したあげく爆散してもらえたら理想的やね」
「あははぁ。ユーリは全力で頑張るだけですぅ」
「……そないにへらへら笑いながら、大怪獣ジュニアまで食いかねないのが憎たらしいところやな。ま、最後にはウチが全員おいしくいただくんやから、何がどうでもかまへんけど」
そう言って、沙羅選手は瓜子の顔を覗き込んできた。
「あとはまあ、うり坊ともいっぺん手合わせしてみたかったんよ。ここ最近、自分も化け物の領域に踏み込んできたみたいやしなぁ」
「沙羅選手にまで化け物よばわりされるのは、光栄っすね。沙羅選手こそ、トップスリーを連続で撃破して絶好調じゃないっすか」
「言うても、あいつらは人間の部類やからな。うちも早う、化け物退治に挑んでみたいもんやで。……ちなみに、京菜はんは化け物の卵やからな。この前は年の功で雅はんにやられてもうたけど、甘く見とったら痛い目を見るで?」
そんな風に語る沙羅選手は、どこか誇らしげであるように思えた。
沙羅選手はこれまでフリーで活動してきたが、ドッグ・ジムには正式に籍を置いているのだ。彼女がMMAファイターとして腰を据える場所を見いだせたのなら、それは瓜子としても喜ばしい限りであった。