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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
11th Bout ~Burning Up~
272/955

06 オンステージ

 瓜子たちはあらためて、撮影スタジオに踏み込むことになった。

 リングアナウンサーたる若者との遭遇ですっかり毒気を抜かれてしまった瓜子は、ドレッシングルームを出たときの勢いも失って、とぼとぼと入室する。そうしてその場に『ワンド・ペイジ』のメンバーたちの姿を見出した瓜子は、もう貧血を起こしそうな心地で身を縮めることになってしまった。


「お待たせしました。本日は、何卒よろしくお願いいたします」


 足取りの鈍くなった瓜子を追い抜かした千駄ヶ谷が、慇懃にして冷徹なる挨拶の言葉を発する。『ワンド・ペイジ』の三名は常と変わらぬ様子であったが、そのすぐそばに控えていた『ベイビー・アピール』の面々がさっそく冷やかしの声をあげてきた。


「うひょー! あのガウンの下に悩殺水着が隠されてるかと思うだけで、テンションが上がっちまうな!」


「それも三人いっぺんだもんなあ。この仕事、引き受けて本当によかったなあ」


 すると、カメラのセッティングをしていたトシ先生が「まるで動物園ね」と言い捨てた。


「言っとくけど、動物写真は専門外よ? マネージャーさん、コレは本当にアタシを引っ張り出すような仕事なのかしら?」


「もちろんです。彼らも被写体としては最高の素材であることを保証いたします」


 そんな風に答えてから、千駄ヶ谷は横目で『ベイビー・アピール』の面々をねめつけた。


「ですが、『ベイビー・アピール』の方々の入り時間は一時間後であったはずです。何か連絡の行き違いでもありましたでしょうか?」


「そりゃあユーリちゃんたちの水着姿なんて、一秒でも長く見てたいに決まってるじゃん! 邪魔しないから、勘弁してよ!」


「坂上塚先生のお心を乱している時点で、すでに邪魔な存在に成り下がってしまっているのですが……撮影中は決して声をあげないようにお願いいたします」


『ベイビー・アピール』も大事な仕事仲間であるはずなのに、千駄ヶ谷は一切の容赦を加えなかった。これしきのことで彼らが機嫌を損ねることはないと見なしているのだろう。これもある意味では、信頼関係の一種なのだろうか。


「『ワンド・ペイジ』の方々は、以前にも坂上塚先生と仕事をされたことがあるというお話でしたね」


 千駄ヶ谷がそのように水を向けると、トシ先生はたちまち「そうそう!」と目を輝かせた。


「このコたちこそ、素材としては一級品よ! 普段はぼへーっとしてるけど、ファインダーを通すと光り輝いて見えるのよねぇ。このコたちなら、ユーリちゃんとの共演も納得だわ!」


「どうもその節はお世話になりました」と頭を下げた西岡桔平が、瓜子に笑顔を向けてくる。


「猪狩さんたちが坂上塚さんと懇意にしてるとは驚きでした。俺たちの四枚目のアルバムのジャケは、坂上塚さんが撮影してくれたんですよ」


「えっ、マジっすか!? ジャケがあんまりカッコイイもんだから、自分はついつい通常版と特装版を両方買っちゃったんすよ!」


 と、思わず本音を爆発させてしまい、瓜子は赤面する。


「あ、いや、失礼しました。……トシ先生って、すごい人だったんすね」


「アンタ、アタシを何だと思ってたのよ? アンタのことだって、さんざんかわゆく撮ってあげたでしょ!」


「いえ、自分の写真なんて冷静に見られないっすから……でも、ユーリさんの写真だったらトシ先生の作品が最高ですもんね」


「あらウレし。瓜子ちゃんって、憎まれ口もほめ言葉も本音まるだしだから、こっちの胸をかき乱すわよねぇ。瓜子ちゃんとつきあう殿方は引っ張り回されて大変だわこりゃ」


 そうしてあっさりとご機嫌を取り戻したトシ先生は、ついにカメラのセッティングを完了させてしまったのだった。


「じゃ、始めるわよ。衣装の色味を確認したいから、全員そっちに並んでもらえる?」


 この際の全員とは、瓜子たち三名と『ワンド・ペイジ』のメンバーだ。『ベイビー・アピール』との撮影では、また別の水着に着替えさせられてしまうのだった。


 瓜子は深く深呼吸して、押し寄せる羞恥心を丹田のあたりにねじ伏せてから、ガウンの紐を解いてみせた。


 ユーリは、鮮やかなローズピンクのホルターネック・ビキニ 。

 愛音は、可愛らしいペパーミントグリーンのフリンジ・ビキニ。

 そして瓜子は、モノクロツートンのタイサイド・ビキニである。


 たちまち歓声をあげそうになった『ベイビー・アピール』の面々は、千駄ヶ谷の眼光で押し黙る。

 それを心からありがたく思いつつ、瓜子はユーリの長身に隠れて『ワンド・ペイジ』のほうに向かった。


「ちょっとちょっと、横一列じゃファインダーに収まんないわよ。女の子は前列で、しゃがみなさい」


 トシ先生の無慈悲な命令に従って、瓜子は前列に進み出た。目を伏せて、決して『ワンド・ペイジ』のほうを見ないように心がけつつ――それでも彼らに無防備な背中をさらすだけで、瓜子は息が止まりそうだった。


 本日も、別の映像班が横からビデオカメラを回している。あわよくばオフショット映像を特装版に加えようという目論見であるのだ。千駄ヶ谷を筆頭とするプロジェクトメンバーは、かくも貪欲なのだった。


「うん、問題ないわね。それじゃあ女の子たちの撮影を先に済ませちゃうから、キミたちは適当にくつろいでてちょうだい。三十分はかからないはずよ」


「了解しました。それじゃあこっちも準備を進めておきます」


『ワンド・ペイジ』の面々がスタジオの奥のほうに移動を始めたので、瓜子は突きつけられていた銃口から解放されたような心地であった。

 それからしばらくは、馴染みたくないのにお馴染みの撮影作業である。セットに準備されていた小道具を使いつつ、トシ先生の指示でさまざまなポーズを取らされる。瓜子にとっては、自我を仮死状態にしなければとうていやりとげられないひとときであった。


 唯一の幸いというべきは、ここ最近で笑顔を要求されなくなったことである。

 瓜子がこれまでに撮影されてきた作り笑いのショットは、おおよそトシ先生本人の手によってボツにされてしまっていたのだ。


「もう瓜子ちゃんは、ギャップ狙いのクール路線でいくしかないわね。笑顔は隠し撮りさせてもらうから、好きなだけすまし顔をしてなさい」


 以前には、そんな言葉もいただいていたのだった。

 そんな風に言われると、瓜子はいっさい笑えないような心境であったのだが――しかし撮影の合間にはユーリが何かとちょっかいをかけてくるので、ついつい無意識の内に笑みをこぼしてしまうのだ。そうしてそんな無防備な表情を写真に収められて満天下にさらされるというのは、また別種の羞恥心をかきたてられるものであった。


「ま、こんなもんね。愛音ちゃんも、なかなかモデルが板についてきたじゃない」


「ありがとうございます! 坂上塚センセイにそのように言っていただけるのは、光栄の限りであるのです!」


「お肌のケアも怠ってないようね。天賦の美肌を持つユーリちゃんたちとトリオってのは大変なお役目だろうけど、ま、頑張りなさい」


「はいなのです! なんの苦労もなくユーリ様の横に立っている猪狩センパイには、決して負けないのです!」


「いえ、とっとと負かしてユーリさんとのコンビ結成を目指してください……」


「えー、やだやだ! うり坊ちゃんもずっと一緒がいいよぅ」


 そんな益体もない言葉を交わしながら、一同は奥側のセットに移動した。

 ついに『ワンド・ペイジ』との撮影で、瓜子は胃が縮む思いである。

 しかしその場には、瓜子の羞恥心を暫時眠らせられるぐらいの小道具が準備されていたのだった。


「お疲れ様です。猪狩さんたちの小道具は、そちらに準備されてますよ」


 笑顔で瓜子たちを迎えた西岡桔平は、四角い木の箱に座っている。しかしそれがただの箱でないことを、瓜子は知っていた。それは西岡桔平がアコースティックの演奏で時おり使用する、カホンという楽器であったのだ。

 本当に椅子と見まごうサイズの箱で、演者はそれにまたがったまま、手の平で前面の板を叩くのである。『ワンド・ペイジ』のライブ映像で初めてその演奏を目にしたときは、こんな楽器もこの世に存在するのだなあと感心させられた瓜子であった。


 そして山寺博人は愛用のアコースティックギターを、陣内征生は巨大なウッドベースを抱えている。どちらも電気を通さない、真なる意味でのアコースティック形態である。彼らがこの形態で演奏を行う際は、ステージに集音マイクがセッティングされていたのだった。


「あの、こちらはどのように扱えばいいのです?」


 と、西岡桔平が指し示した道具箱を覗き込んでいた愛音が、トシ先生へと疑問をぶつけた。そちらには、なんとマラカスとタンバリンが収納されていたのだ。


「演奏の場にアンタたちも加わってる画が欲しいっていう依頼だったのよ。愛音ちゃんはマラカス、瓜子ちゃんはタンバリンね」


「それは決定事項なのです? 愛音はタンバリンのほうが可愛くて好みなのです」


「色味を水着に合わせてるのよ。マラカスも可愛いから、頑張って振りなさい」


 瓜子はいまだ状況を把握できないまま、タンバリンを取り上げた。


「じ、自分たちがワンドの演奏の中にまぎれこむんすか? あまりに恐れ多いんすけど……」


「撮影のためのポーズなんだから、そんなに気張ることないわよ。タンバリンやマラカスなんて、小学生だってどうにかできるでしょ」


「いやいや、タンバリンもマラカスも、真面目にこなそうとするとなかなか難しいものですよ」


 と、善良さの塊である西岡桔平がそんな風に発言した。


「でもまあこの際は、適当にリズムを合わせるだけで問題ありません。俺たちも適当に曲を流しますから、猪狩さんたちも適当なところで入ってください」


「ではでは、ユーリはどうするべきでしょう?」


「ユーリさんは、お歌です。適当に楽しめばいいっていうコンセプトらしいですよ」


「ふにゅにゅ」とおかしな声をあげながら、ユーリは千駄ヶ谷を振り返った。

 おそらくこの企画の発案者なのであろう千駄ヶ谷は、いつもの冷徹な眼差しでユーリを見返す。


「西岡氏の仰る通り、こちらはユーリ選手の楽しげにしている表情を撮影するのが目的ですので、カメラではなく歌に集中していただきたく思います」


「はぁい。よくわかんないけど、やってみまぁす」


 ユーリはあっさり納得していたが、瓜子はまだまだ惑乱の極致であった。こともあろうに『ワンド・ペイジ』と演奏をご一緒するなんて、恐れ多いを通りこして恐怖を感じるほどである。

 すると、西岡桔平がまた善良なる笑顔を瓜子に向けてきた。


「猪狩さん。このカホンっていう楽器はペルーで生まれたらしいんですけど、もともとは太鼓の演奏を禁じられた奴隷が木の箱を太鼓代わりにしたっていうのが発祥らしいですよ。……何か、聞き覚えのある逸話じゃないですか?」


「え? え? そ、そうっすね。……たしか、カポエイラっていうのも奴隷制度の時代に生まれたって聞いた覚えがありますけど……」


「そう。あくまで俗説ですけど、奴隷たちがダンスに見せかけてトレーニングした格闘技だって話ですよね。腕を鎖でつながれてたから、足技が発展したんだとか何だとか。まあ、真実がどうかはわかりませんけれど……でも、自分が演奏するカホンとカポエイラにそんな共通点があるって知ったときは、思わず興奮しちゃいました」


 きっと西岡桔平は、固く強張った瓜子の心を解きほぐそうとしてくれているのだろう。彼のそんな優しさこそが、瓜子の心をわずかばかりに和ませてくれた。

 そんな言葉を交わしている間にセッティングが終了したらしく、トシ先生が「よし」とひょろ長い身体を起こす。


「じゃ、撮影を開始するわよ。ユーリちゃんはみんなの真ん中で、瓜子ちゃんと愛音ちゃんは楽器を持ったコたちの左右に散ってちょうだい」


 愛音がさっさと陣内征生のほうに向かってしまったので、瓜子は声をかけるタイミングを失してしまった。逆の端に待ちかまえるのは、よりにもよって山寺博人なのである。

 しかし今さら場所の交代を願い出たら、余計に恥をかくだけのように思えてしまう。瓜子はなるべく小さくなりながら、スツールに座った山寺博人のかたわらに控えることになった。


「ああ、違う違う。こう、ユーリちゃんを囲うみたいに、扇状になるのよ。瓜子ちゃんと愛音ちゃんは、ななめ前に二歩進んでちょうだい」


 瓜子は羞恥心を押し殺しつつ、トシ先生の指示に従った。

 すると次の瞬間、瓜子の臀部に思わぬ衝撃が走り抜けた。

 思わず転倒しかけた瓜子が、意味もわからぬまま後方を振り返ると――山寺博人が、のばしていた右足を引っ込めるところであった。


「お前、視界に入るなよ。邪魔だから」


「じゃ、邪魔って何すか? ていうか、いきなり蹴るなんてひどいじゃないっすか!」


「だから、近づくなって。お前、恥じらいとかないのかよ?」


 瓜子が言葉を失っていると、大人しく見学をしていた『ベイビー・アピール』の約二名、ダイとタツヤが突進してきた。


「お前、いま瓜子ちゃんのおしりを蹴ったろ! このスケベ野郎!」


「そうだそうだ! ドサクサまぎれでおしりにさわるなんて、俺たちでもやらねえぞ!」


「お、おしりを連呼しないでください!」


 すると、氷雪のオーラを纏った千駄ヶ谷もひたひたと接近してきた。


「みなさん、静粛に。……山寺氏、猪狩さんが何か不始末でも?」


「不始末ってか、目障り。演奏に集中できねえよ」


「それでは、猪狩さんと邑崎さんの立ち位置を交代させましょうか?」


「ああ、そうしてくれ」


 山寺博人がぶっきらぼうに答えると、一瞬きょとんとしたダイとタツヤがげらげらと笑い始めた。


「なんだお前、瓜子ちゃんの水着姿に悩殺されただけかよ!」

「それで演奏に集中できねえって、思春期かよ!」


「だからって、瓜子ちゃんのおしりを蹴ったことはチャラにならねえからな!」

「おう! パワハラとセクハラのコンボだぞ!」


 するとカホンから立ち上がった西岡桔平が、それなりの強さで山寺博人の頭を引っぱたいた。


「お前な、失礼にもほどがあるぞ。自分の未熟さを棚にあげて女性を足蹴にするとか、どういう了見だよ?」


 西岡桔平は決して声を荒らげたりはしなかったが、その眼差しと声音には常にない厳しさがたたえられていた。ダイとタツヤが、思わず押し黙るほどである。


「猪狩さんと親交を深めるのはけっこうだけどな、親しき中にも礼儀ありっていうだろうが? 邪魔だの目障りだの言われた相手の気持ちを考えろ。俺が猪狩さんなら、お前を張り飛ばして帰ってるところだぞ」


「あ、あの、もうそのへんで……」


 瓜子がようよう取りなすと、西岡桔平は数秒ほど山寺博人の姿を見下ろしてから、瓜子に笑顔を向けてきた。


「本当にすみません。こんなやつ、見限ってくださってけっこうですよ。……でも、俺とジンのことは嫌わないでくださいね」


「い、いえ、誰のことも嫌いになったりしないですけど……」


 すると、瓜子の語尾にかぶせる格好で、山寺博人が「ごめん」とつぶやいた。

 惑乱しきっていた瓜子の心が、そのひと言で速やかに収まっていく。


「はい、許しました。それじゃあ、撮影を続けましょう。自分と邑崎さんが、立ち位置をチェンジっすね」


「そのままでいい。ちゃんとやる」


 山寺博人は長い前髪で目もとを隠したまま、どこかすねたような表情である。

 なんて子供じみた人だろうと、瓜子は内心で苦笑することになった。


(でもあたしは、そんなお顔にクラクラしたりしないですよ。メイさんや弥生子さんのほうが、百倍は可愛いですから)


 そこでユーリの名をあげられないのは、人間の質の違いであろう。ユーリの場合はおおよそ、すねても小憎たらしさのほうがまさってしまうのだ。


「では、撮影を再開いたしましょう。坂上塚先生も、準備はよろしいですね?」


「こっちはずっとあくびをこらえてたわよ。モデル同士の仲違いは、控え室で済ませてちょうだい」


 トシ先生は何の感慨を抱いた様子もなく、ひょろひょろとした肩をすくめている。

 そしてユーリがとても心配そうな顔をしていたので、瓜子はそちらに笑顔を届けることにした。ユーリは安堵の息をつくと、ふにゃんとした笑顔を返してくる。そういう笑顔は、すねたメイや赤星弥生子に負けないぐらい可愛らしかった。


「それでは、演奏をお願いいたします」


 千駄ヶ谷の言葉に従い、山寺博人がアコースティックギターで哀切なる旋律を奏でた。

 それが『ネムレヌヨルニ』のイントロであることに気づいたユーリが、「きゃー!」と悲鳴をあげる。


「間違えた」


 山寺博人は何食わぬ顔で、軽妙なるシャッフルのリズムでリフを刻む。

 疾走感に満ちあふれた、『リ☆ボーン』のイントロである。

 苦笑を浮かべた西岡桔平はカホンを打ち鳴らし、陣内征生はちんまりとした指先で優美なフレーズを紡ぐ。


 アコースティックの形態であるために、またこれまでとは趣の異なるアレンジであった。

 そして、三種の楽器の生演奏が、剥き出しである瓜子の肌を揺らしてくる。アコースティックギターやウッドベースというのは生音でもこれほどよく響く楽器なのかと、瓜子はある種の感動を覚えるほどであった。


 いくぶん迷うような面持ちでリズムを取っていたユーリも、じょじょに瞳を輝かせていく。

 そうしてイントロが終わるなり、ユーリは遠慮のない声量で『リ☆ボーン』を熱唱した。


 マイクは準備されていなかったため、ぴんと立てた右手の小指をマイクに見立てて、明るく力強い歌声をほとばしらせながら、くるりとターンを切る。本当に、撮影のことなど忘れてしまったかのようだ。


 しかし確かに、『ワンド・ペイジ』の演奏は心地好い。また、山寺博人などは手をのばせば届きそうな距離でギターをかき鳴らしているのだ。うつむき加減で演奏に没頭する彼の姿は、絢爛なステージで観るのと変わらぬ魅力と切迫した雰囲気をかもし出していた。


(やっぱりあなたは音楽に入れ込んでるときが、一番格好いいですよ)


 瓜子がそんな感慨にとらわれかけたとき、ユーリが目の前にぴょんと跳びはねてきた。

 そうして歌は止めないまま、笑顔で瓜子の手もとを指し示してくる。そういえば瓜子は歌と演奏に聞きほれて、自分の役割を忘れてしまっていたのだった。


 向かいの位置では、愛音が顔の高さにあげた二本のマラカスを振っている。

 それを見習って、瓜子もタンバリンを叩いてみせた。

 しかしユーリは満足そうに笑いつつ、まだ瓜子のそばを離れようとしない。その間もしきりにステップを踏んでいるので、瓜子の前で右に左に行き交っている格好だ。


 なんとなくユーリの意図を読み取った瓜子は、自分もその場で小さくステップを踏んでみせた。

 無理に身体を動かす必要はない。この素敵な歌と演奏のリズムに乗ればいいのだ。


 ユーリはぐっとサムズアップすると、今度は愛音のほうに近づいていった。

 その間も、トシ先生のカメラと映像班のビデオカメラは、ユーリの姿を追っている。きっとそのファインダーには瓜子の姿もちらちらと映りこんでしまっているのだろうが――瓜子はもう、それも気にしないことにした。


 瓜子は今、ユーリと『ワンド・ペイジ』のステージにご一緒させてもらっているのである。

 それがどれだけ物凄いことか、真面目に考えたら貧血を起こしてしまいそうだったので、瓜子は何も考えないことにした。そんな気持ちでこの時間を無駄にするのは、あまりにもったいないように思えてしまったのだ。


 西岡桔平は心地よさそうに、陣内征生は陶然とした様子で、それぞれの楽器を鳴らしている。

 つい先刻の気まずい空気が、嘘のようである。

 そうして瓜子は夢の中をふわふわ漂うような気持ちで、撮影地獄の前半戦を終えることになったのだった。

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