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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
10th Bout ~War begins~
224/955

ACT.1 Canon A.G 1 ~First round~ 01 公開計量

 それから月日は流れすぎ――九月の第二土曜日である。

《アトミック・ガールズ》あらため《カノン A.G》の九月大会は、明日の開催となる。その前日たるこの日は、イベントスペースangelaにて公開計量というものが実施されることになった。


 公開計量とはその名の通り、マスコミ陣やファンの前で前日計量を行うイベントとなる。これまでにも計量の現場にはマスコミ陣や放送局のスタッフなどが入っていたが、今回は大々的に見物客まで募り、その模様をリアルタイムで動画配信するのだという話であった。


 マスコミ陣を除いた見物客の人数は、およそ百名。こちらは《カノン A.G》の公式サイトで募集をかけて、かき集めたものらしい。入場料などは発生しないので、あっという間に定員は埋まったとのことであったが――パラス=アテナの企画したこの新たなイベントに、千駄ヶ谷などは大いに警戒心をかきたてられてしまっていた。


「本当にそれが無作為に選ばれた人々であるかどうか、知れたものではありません。ユーリ選手に対するブーイングや妨害行為などが発生する可能性は否めませんので、どうぞご油断なきように」


「はいはぁい。去年の頭まではブーイングなんてしょっちゅうでしたので、どうぞご心配なくぅ」


 そう言って、ユーリは呑気に笑っていたものであった。

 当日、千駄ヶ谷はどうしても他の仕事から抜けられず、同行することができなかったのだ。よって、ユーリの安全は瓜子が担うことになったわけであった。


(どうせマスコミ連中の中にも、敵陣の輩がまぎれこんでるんだろうしな。あいつらの好きにはさせないぞ)


 瓜子はそんな思いを胸に、イベント会場へと乗り込むことになった。

 計量は前日の朝と決められていたので、出発は早朝だ。

 付添人は一名ずつ認められており、それにはジョンと立松が名乗りをあげてくれた。瓜子もユーリもウェイト調整に不備はなかったので、正規コーチが同行する理由など微塵もなかったのだが――「マスコミ連中の盾になるには、俺らが最適だろ」と、そのように言ってくれたのである。


 タクシーで出発した瓜子とユーリは現場の手前で降車して、立松らと合流したのちに、いざ会場へと足を踏み入れる。

 マスコミ陣はすでに客席に入場しているようで、こちらも平穏に控え室へと向かうことができた。


「よ、お疲れさん」


 控え室では、小笠原選手を筆頭とする顔馴染みの面々が待ち受けていた。

 そのほとんどは、打倒チーム・フレアを誓った仲間たちである。この会場においても、赤コーナーと青コーナーで陣営が分けられているようであった。


「これで全員、そろったのかな。みんな無事にこの日を迎えられて、何よりだったね」


 そのように語る小笠原選手は、いくぶん頬がそげて鋭い顔立ちになっていた。小笠原選手はこのひと月ばかりで、見事に六キロの減量を成功させてみせたのである。

 もともと試合のたびに減量をしていた選手ならば――たとえば魅々香選手なども、試合で五キロ以上は落としているという話であったが、それは普段からそういう身体を作っているために、支障はないのだろう。しかし、無差別級とはいえ決して自堕落な生活は送っておらず、六十七キロでベストコンディションを保っていた小笠原選手がひと月で六キロもウェイトを落とすというのは、相当な負担であるはずであった。


「いよいよチーム・フレアとご対面だ。みんな、気合を入れていこう」


 控え室に参じた面々は、大きな声をあげることなく、ただ力強い表情で小笠原選手の言葉に応じていた。

 そんな中、ひとり苦笑を浮かべていたのは、ガイアMMA所属の亜藤選手である。


「そっちは気合が入ってるね。こっちはどうせエキシビションだから、気軽にやらせてもらうよ」


 彼女は今大会で、ベリーニャ選手とエキシビションのグラップリング・マッチを行うことになったのだ。

 亜藤選手は瓜子と同じ階級であるために、ベリーニャ選手とは二階級分の体重差となる。灰原選手と白井選手がオファーを蹴ったのち、小柴選手とイリア選手の試合が新たに設定されたが、それでもまだ一試合分の空席があったため、このエキシビションが企画されたのだろうと思われた。


「気軽が聞いて呆れるわ。あわよくばベリーニャを食うたろうちゅう鼻息がだだもれやんなぁ?」


 ねっとりとした囁き声が、瓜子の耳に注ぎ込まれてくる。

 そしてその次には、白くてしっとりとした腕が瓜子の首にからみついてきた。およそ二ヶ月ぶりの再会となる、京都の雅選手である。


「まあ二階級も違うたら、どれだけぶざまにやられても恥にはならへんし、ベリーニャと一戦まじえたちゅうだけで何かの自慢にはなるんかねぇ。せっこいご褒美もあったもんやわぁ」


「はあ……やっぱりこれも、優遇の一環なんすかね?」


「知らんけど、そうなんちゃう? 実際、本人はご満悦の面がまえやしねぇ」


 ガイアMMAもフィストからのれん分けしたジムであり、新生パラス=アテナから優遇されていると見なされていたのだ。

 そういった優遇を忌避してパイソンMMAウェストを離脱した雅選手は、その妖艶なる顔に毒蛇めいた微笑をたたえていた。


「ま、どないな人生を選ぶかは人それぞれやけどねぇ。あないな低能どもに尻尾ふる輩とは口きく気もせえへんわぁ」


「ええまあ、そうっすね。でも、亜藤選手に恨みはありませんし……こんな仲違いを起こさせる運営陣が、やっぱり一番腹立たしいっすよ」


「うふふ……気合の乗った、いいお顔やねぇ。瓜子ちゃんて、やっぱり好いたらしいわぁ」


 そうして雅選手が瓜子の鎖骨を撫でて鳥肌を発生させたとき、スタッフと思しき若者が控え室にひょこりと現れた。


「間もなくイベントの開始となりますので、待機スペースに集合をお願いいたします。そちらにも予備の体重計が準備してありますので、不安のある方はそちらで事前確認をどうぞ」


 付添人を含めて二十名ばかりに及ぶ人々が、ぞろぞろと待機スペースとやらに移動した。

 そちらはもう舞台のすぐ裏側であり、会場のざわめきがくっきりと伝わってくる。いかにもとってつけの衝立が置かれていたので、おそらくその向こう側には対戦相手の陣営が集結しているのだろう。


 ちなみに瓜子たちは、青コーナーの陣営となる。

 こちらには、正規王者であった雅選手にユーリ、暫定王者であった瓜子が控えているというのに、チーム・フレアの陣営に赤コーナーの座が与えられたのだ。「悔しかったら蹴落としてみろ」というのが、動画配信におけるタクミ選手の弁であった。


「計量は、第一試合の選手から順番に行われます。衣服は舞台の体重計に乗る前に脱いでください。すべての計量が終了した後、全選手にコメントをいただく手はずになっていますので、ご自分の計量が終わった後もこちらで待機をお願いします」


 スタッフの若者が、いくぶん緊張気味の顔でそのように説明してくれる。

 どれだけ運営の首脳部が腐り果てても、末端の人々はこれまで通り懸命に働いているのだ。瓜子には、それすらもが居たたまれなく感じられてしまった。


 そこに突如として、轟音のロックサウンドが響きわたる。

《カノン A.G》のための、新しいテーマソングである。作曲および演奏はかつてイリア選手とコラボライブを行った『ザ・フロイド』であり、その楽曲は数日前の動画配信でお披露目されていた。


『お待たせしましたァ! それでは《カノン A.G》九月大会の公開計量を開始いたしまァす!』


 と、男にしては甲高い声が、マイクで増幅されつつそのように告げてきた。

 彼は何とかいうラップチームのMCで、《カノン A.G》の新たなリングアナウンサーに抜擢されたのだ。あのマジシャンのような格好をした壮年のリングアナウンサーは、あえなく解雇と成り果ててしまったのだった。


 客席からは、それなりの歓声があげられている。

 瓜子はまったく見知らぬ相手であったが、彼ももちろん世間では人気を博した存在なのだろう。しかし、ラップを本業とするアーティストをリングアナウンサーに起用するというのは、まったく瓜子の趣味に合わない所業であった。


『まずは第一試合に出場する選手からァ! 青コーナー、天覇館竜ヶ崎支部所属、後藤田成美ィ!』


 お盆に合同稽古をともにした後藤田選手が、厳しい面持ちで舞台のほうに進み出ていく。

 このたびはアマチュア選手によるプレマッチも存在せず、そして、トップファイターたる後藤田選手が第一試合に設定されたのだった。


『続きましてェ、赤コーナー、フレア・ジム所属、ルイ=フレアァ!』


 後藤田選手とは比べ物にならない大歓声がわきたった。

 これが一色選手の本来の人気であるのか、あるいはサクラによる演出であるのか、瓜子に判ずるすべはない。

 ちなみにフレア・ジムというのは、所在も非公開の謎めいた存在である。一色選手はもともと栃木のムエタイジムに所属していたが、チーム・フレアに参入するにあたって上京してきたのだという話であった。


 待機スペースから舞台上の様子は見て取れないが、スタッフのアナウンスによって、両者が無事に計量をクリアしたことが告げられてくる。

 あとは舞台上で両選手が対面する姿を披露して、ひとまずは終了だ。

 後藤田選手がこちらに戻ってくるのと同時に、またリングアナウンサーの甲高い声が響きわたった。


『第二試合ィ! 青コーナー、天覇館川崎支部所属、前園彩ァ!』


 前園選手は感情を殺した面持ちで、舞台のほうに出ていった。

 待機スペースに戻ってきた後藤田選手は、これまでの試合で使っていたタンクトップとハーフスパッツの姿である。胸もとには、『天覇館』のロゴが雄々しくプリントされている。

 瓜子が思わず頬をゆるめてしまうと、後藤田選手はうろんげに眉をひそめた。


「なに? なんか可笑しかった?」


「いや、考えることは同じだなと思って」


 瓜子がTシャツの裾をめくって、ハーフトップにプリントされた『Pressman dojo』のロゴを開帳してみせると、後藤田選手もたちまち破顔した。


「やっぱそうだよね。こちとら、道場の看板を背負ってるんだしさ」


「ええ、同感っす」


「いっぽうあいつらは、公式の試合衣装を着込んでたよ。普通は適当なウェアか、せいぜい水着で済ませるもんなのにさ。あっちはあっちで《カノン A.G》やチーム・フレアの存在をアピールせずにはいられないんだろうね」


 瓜子たちがそんな言葉を交わしている間に、舞台では「イヌカイ・フレア」の名がコールされていた。

 いまだ高校生の彼女が序盤の試合というのは分相応であるが、対戦相手の前園選手は、やはりトップファイターだ。一色選手がそれよりも早い出順というのは、いまひとつ意図がわからなかったが――何にせよ、チーム・フレアや運営陣にとって、これがベストの試合順であるのだろう。


『第三試合ィ! 青コーナー、武魂会船橋支部所属、小柴あかりィ!』


 小柴選手も試合衣装の規制によって、「まじかる☆あかりん」のリングネームをわずか一試合で封印されることになってしまった。


『赤コーナー、カポエイラスクール・トロンコ所属、イリア=フレアァ!』


 イリア選手は、またおかしなアクションで入場してきたのだろう。会場内が、どっとわいている。


『第四試合ィ! 青コーナー、赤星道場所属、マリアァ!』


 マリア選手はいつもの調子で、跳ねるように舞台へと出ていく。

 瓜子が驚かされたのは、その次のコールであった。


『赤コーナー、犬飼格闘鍛錬場ドッグ・ジム所属、シャラ=フレアァ!』


「え?」と、小笠原選手も目を丸くした。


「今のって、犬飼京菜ってやつのジムだよね。沙羅はいつの間に、そこの所属になったの?」


「い、いえ。自分も初耳です」


 そんな風に答えてから、瓜子は「ただ……」とつけ加えた。


「以前にそのジムの話題になったとき、沙羅選手は興味を持ってたんすよね。あのお人は格闘系プロレスをルーツにするジムを巡って、キャッチ・レスリングってものを学んでたらしくて……ドッグ・ジムの大和源五郎ってお人も、そのスジでは有名人らしいです」


「ああ、そういう繋がりか。どうもそっち系の勢力には疎くってね。……それじゃあ大きいくくりでは、赤星道場やプレスマン道場と同ジャンルなわけか」


「はい。ただ、プレスマン道場の創始者であるレムさんは《レッド・キング》に参戦してただけで、キャッチ・レスリングがルーツではないですけどね」


 そんな風に答えながら、瓜子は混乱しっぱなしであった。

 沙羅選手はチーム・フレアに参入したばかりでなく、赤星道場を目の敵にする犬飼京菜とも手を組んでしまったのだ。それでプレスマン道場は赤星道場と懇意にしているのだから、瓜子やユーリにとっては二重の意味で対抗勢力に成り果ててしまったということであった。


(あたし、沙羅選手のことはけっこう好きだったんだけどなぁ……)


 瓜子がそうして思い悩んでいる間にも、計量は粛々と進められていく。

 第五試合は、ベリーニャ選手と亜藤選手によるエキシビション・マッチだ。こちらは体重制限もない試合であったが、ウェイトの記録とお披露目のために招集されたのだろう。


 第六試合は、魅々香選手とジジ選手だ。

 魅々香選手も、「天覇館」のロゴが入ったタンクトップ姿で戻ってくる。今のところ、亜藤選手を除く全選手がかつての試合衣装で計量に臨んでいた。


「ユーリもプレスマンのロゴが入ったコスチュームを持ってたら、それを着てきたのになぁ。せっかくプレスマンの所属になれたのに、ロゴ入りのコスチュームじゃ出場できないんだもんなぁ」


 ユーリがしょんぼりしていたので、瓜子は「なに言ってんすか」と笑いかけてみせた。


「試合衣装の規制が入ったのは、《カノン A.G》だけっすからね。いつか《NEXT》や《フィスト》の試合に出られれば、好きなものを着られますよ」


「あ、そっかぁ! そしたら、ロゴ入りのコスチュームを新調しよっと!」


 至極あっさりと、ユーリは機嫌を取り戻した。

 ちなみに本日のユーリは、オレンジ色をしたプレスマン道場の公式Tシャツを着込んでいる。何の工夫もないTシャツ一枚で外を出歩くことなど、普段のユーリには考えられない所業であったのだが、「せめてTシャツだけでもおそろいに!」というのが、ユーリの弁であった。


 それに、正式にプレスマン道場の所属となってウェアを着られるようになったことが、よほど嬉しかったのだろう。昨晩などはずいぶん長い時間、鏡の前でTシャツ姿を検分しており、ちょっと薄気味悪いぐらいにまにまと笑っていたものであった。


(ほんと、へこたれない人だよな)


 瓜子がしみじみと考えていると、自分の順番が巡ってきてしまった。


『第七試合、青コーナー、新宿プレスマン道場所属、猪狩瓜子ォ!』


 瓜子が舞台に出てみると、耳をつんざくような歓声が巻き起こった。

 ぎょっと立ちすくむ瓜子の耳に、「瓜子!」や「うりぼー!」の声援が飛び込んでくる。人数は百名ていどであっても会場が小さい分、その勢いは試合会場にも負けていなかった。


(……まあ、さすがに百人全員が敵陣のサクラってことはありえないか)


 瓜子はぺこりと頭を下げてから、体重計の前に進み出た。

 脱衣でもたつかないように、今日の服装はTシャツとジャージのボトムとサンダルだ。恐れ多いことに、脱いだ衣服は付添人たる立松が回収してくれた。


 黒とシルバーのハーフトップとキックトランクス――昨年のデビュー時から瓜子が着続けてきた、たった一着の試合衣装である。

 もはや《カノン A.G》では、この試合衣装を着ることも許されない。ならばせめて計量だけでもという思いで、瓜子はこの姿を選んだのだった。


 デジタル様式の体重計は、五十一・八キログラムの数値を示す。

 やはりここでも、おかしな細工がされることはなかった。ここまできたら、あちらも試合で瓜子たちを叩き潰そうという目論見であるのだろう。


 瓜子が引き下がると、メイ=ナイトメア選手の名がコールされた。

 メイ=ナイトメア選手はお馴染みのパーカー姿ではなく、チーム・フレアのウェア姿で登場する。さらにその下に着こんでいたのは、《カノン A.G》公認の試合衣装であった。


 きっとチーム・フレアの選手たちは、全員がこの試合衣装で計量に臨んでいるのだろう。彼女たちは赤と黒のカラーリングを独占しており、それがチーム・フレアたる証とされているのだ。

 一匹狼の気配が強かったメイ=ナイトメア選手が、そんな演出と取り決めに従っているというのは――瓜子の気持ちをまた複雑にさせてやまなかった。


『メイ=ナイトメア=フレア選手、五十一・九キログラムで、計量クリアです!』


 係の人間がそのように告げると、客席からは拍手と歓声が巻き起こった。

 そんな中、瓜子は舞台の中央でメイ=ナイトメア選手と対面させられる。


 瓜子はファイティングポーズを取ってみせたが、メイ=ナイトメア選手は棒立ちだ。

 しかしその目は爛々と輝きながら、瓜子を食い入るように見据えてくる。

 かつての調印式では――いや、試合直前の対面でも目の前の瓜子を見ようとしなかったメイ=ナイトメア選手が、今は真っ向から激情の渦巻く眼光を突きつけてきた。


 メイ=ナイトメア選手は、チームメイトになってほしいという願いを断った瓜子のことを、恨んでいるのだろうか。

 そして、このルールであれば絶対に瓜子に負けたりはしないと――それを証し立てようとしているのだろうか。


(試合が終わったら、おたがいに腹の内をぶちまけようよ)


 そんな思いを込めて、瓜子はメイ=ナイトメア選手の黒い瞳を見つめ続けた。

 そうして、瓜子たちの出番は終了である。


 間に雅選手とベアトゥリス選手をはさんで、ついにユーリの出番だ。

 ユーリはまったく気負う様子もなく、ひょこひょこと舞台のほうに出ていき――それと同時に、凄まじい勢いの歓声とブーイングが爆発した。


「ふん。やっぱり、こう来たか。どうせブーイングは、仕込みの客でしょ」


 小笠原選手は不敵に微笑みながら、そう言っていた。

 歓声とブーイングが混然一体となって、会場を揺るがしている。それが途中でさらなるうねりを見せたのは、ユーリが衣服を脱いでとっておきの水着姿を披露したためであろうと思われた。


『みなさん、お静かに! ……ユーリ選手、五十八・二キログラムで、計量クリアです!』


 もともと五十六キロ以下級で試合をしていたユーリは、減量を考えずにベストコンディションを目指した結果、その数値であった。

 それはともかくとして、歓声とブーイングはいっこうに収まらない。オルガ選手の名がコールされても、それは同様であった。


 そして――やがてブーイングが、歓声に圧されていく。

 次にオルガ選手の数値が読みあげられる頃には、「ユーリ!」のコールで会場が埋め尽くされてしまっていた。


 相手選手の計量中にこの騒ぎは、礼を失しているにもほどがあるだろう。

 しかしこれは、ユーリを貶めようと目論む輩の招いた事態であった。八百長疑惑だの熱愛疑惑だの、そんなもので自分たちはユーリの応援をやめたりはしない――と、そういう思いがこの歓声には込められているのだった。


 しばらくして、ユーリが「どひー!」と待機スペースに舞い戻ってくる。

 衣服はジョンが抱えており、ユーリはあられもない水着姿だ。その顔には、喜びと困惑の感情が等分に浮かべられていた。


「ブーイングは覚悟してたけど、この大歓声にはまいっちゃったにゃあ。オルガ選手を不愉快にさせてしまっただろうねぇ」


「しょうがないっすよ。ユーリさんに責任のある話じゃありません」


「うん……でもこの声援には、とても力づけられたのです」


 気恥ずかしそうに微笑んでから、ユーリはそそくさと衣服を着込んだ。

 そうして小笠原選手とタクミ選手の計量が終了したのち、すべての選手が舞台に集められる。

 誰もが身なりを整えていたが、チーム・フレアの選手たちは全員が赤と黒のウェア姿であった。二十名中の八名が、これ見よがしにチーム・フレアのロゴ入りウェアを纏っているのだ。


 タクミ選手、一色選手、オルガ選手、ベアトゥリス選手――

 沙羅選手、イリア選手、メイ=ナイトメア選手、犬飼京菜――


 犬飼京菜はアマ戦績三勝のルーキーであるが、それを補って余りある顔ぶれであろう。なおかつ、犬飼京菜もふてぶてしさではまったく他のメンバーに負けていなかった。


 ちなみにイリア選手は、ピエロのお面でもメイクでもなく、顔の前面だけを覆うレスラーマスクをかぶっている。《カノン A.G》の新たな規定で過度なメイクは禁止となったので、今後はこの姿で試合を行うと動画で発表されていたのだ。もちろんそのマスクもデザインはピエロであるので、さして印象は変わらなかった。


 大歓声の吹き荒れる中、報道陣はしきりにシャッターを切っている。

 その姿をしばし見守ってから、新たなリングアナウンサーたるラップチームの若者がまた甲高い声をほとばしらせた。


「それじゃあ出場する全選手に、ひと言ずつ熱い言葉を頂戴しまァす!」


 パラス=アテナへの反感など関係なく、瓜子はこの人物の声音がまったく好みではなかった。やたらとキーが高くて、巻き舌で、鼓膜をキンキンと刺激してくるのだ。それに、いかにもラッパーらしい小洒落た衣装も、瓜子の好みとは対極にあった。

 そんな瓜子の雑感はさておき、赤コーナー陣営からインタビューが進められていく。


『いよいよルイも、MMAファイターとしてデビューしちゃいまぁす。いきなりトップファイターの後藤田さんがお相手になっちゃいましたけど、チーム・フレアの一番槍として恥ずかしくない試合をお見せしますねぇ』


『……ドッグ・ジムが世界最高のジムだってことを証明する。明日は絶対に、KOか一本で勝ってみせるよ』


 一色選手と犬飼京菜の次はイリア選手であったため、そこは無言のパントマイムでやりすごされる。

 そしてその次は、沙羅選手だ。

 沙羅選手は瓜子もよく知るふてぶてしい笑顔で、マイクを受け取った。


『ウチもドッグ・ジムの一員になったからには、オーナーの意向に従わさせてもらうで。赤星の選手なんざドッグ・ジムの敵やないいうことを証明させてもらうわ。覚悟しとけや、メキシコ女』


 マリア選手はにこにこと笑いながら、沙羅選手の挑発的な言葉を聞いている。

 沙羅選手はひとつ肩をすくめてから、リングアナウンサーにマイクを返却した。

 次の順番であったベリーニャ選手は、通訳を介さずに短く語る。


『アトウ、スバラしいグラップラーです。アシタのシアイ、タノしみです』


 ベリーニャ選手は、現在のパラス=アテナにどのような思いを抱いているのか。その穏やかな面持ちから内心を察することは難しかった。

 お次はジジ選手であり、こちらはコーチ兼会長のマテュー・ドゥ・ブロイが通訳を果たす。


『七月大会では不甲斐ない試合を見せてしまったので、今回はその汚名を払拭できるように過酷なトレーニングを積んできました。応援、よろしくお願いいたします』


 本当にそんな殊勝な言葉を吐いていたのか、ジジ選手はタトゥーだらけの顔でへらへらと笑っている。マテュー氏も謹厳そのものの面持ちで、やはり内心は計り知れなかった。

 そして次なるは、メイ=ナイトメア選手だ。

 メイ=ナイトメア選手は炎のように両目を燃やしつつ、感情を殺した声で言い捨てた。


『このルールなら、僕が勝つ。ウリコ・イカリは自分の未熟さを思い知ることになるだろう』


 会場には、小さからぬブーイングがわいていた。

 やはり、わずか二ヶ月で再戦というのは、まったく普通の話ではないのだ。メイ=ナイトメア選手は運営とべったりのチーム・フレアに参入することで、早々にリベンジマッチの機会を得た――という反感を招いているのかもしれなかった。


 その次は、雅選手と対戦するベアトゥリス選手だ。

 背丈は低いが肉厚な体格で、狛犬のような顔立ちをしたベアトゥリス選手は、通訳の女性を介してそれなりの長さのコメントを発信した。


『かつての王者と対戦できると聞いて喜んでいたのに、それがあのようなロートルであったことを残念に思っています。明日は彼女の敗北によって、《アトミック・ガールズ》という興行の欺瞞と堕落が明らかになることになるでしょう』


 この傲岸なコメントには、さきほどよりも大きなブーイングが発生する。

 終盤に至って、ようやくチーム・フレアもヒールらしくなってきたようだった。


 そしてその次は、ユーリの対戦相手であるオルガ選手だ。

 公式サイトの配信動画でもほとんど口をきかない彼女が、この日は重々しい声音で長々と語らった。

 それはロシア語であったため、また通訳の女性によって訳される。


『わたしがチーム・フレアに参入したのは、ユーリ選手と対戦するためです。彼女はかつて、わたしの先輩であるリュドミラを下しましたが……あれこそ、《アトミック・ガールズ》という団体の薄汚い策謀です。リュドミラは膝を痛めて事実上引退していたのに、ベリーニャ選手との対戦を餌にされて、《アトミック・ガールズ》の無差別級トーナメントに参戦することになったのです』


 客席の人々は、いくぶん虚を突かれた様子で静かになっていた。

 その間に、通訳の女性は語り続ける。


『もちろん参戦を決めたのはリュドミラ本人であるのですから、わたしが文句をつけるいわれはありません。ですが、リュドミラに準備されていたのは、アイドルファイターの噛ませ犬という屈辱的な役割でした。そしてそれは、ユーリ選手自身の提案によるものと聞いています。リュドミラの膝がどれだけ深刻な状態であったかを知りながら、対戦相手に指名して、そしてその膝をあれほどに痛めつけてくれたユーリ選手に、わたしは怒りを禁じ得ません。リュドミラの尊厳とチーム・マルスの威信のために、明日はユーリ選手を叩き潰そうと思います』


 ユーリがリュドミラ選手を対戦相手に指名したなど、根も葉もないデタラメである。

 しかしオルガ選手は、そのデタラメを完全に信じてしまっているようだった。


 会場内にも、困惑のざわめきが生まれてしまっている。

 そんな中、マイクを受け取ったタクミ選手が意気揚々と語らい始めた。


『わたしもそこのアイドルちゃんには赤っ恥をかかされたけど、そいつは自分の慢心の結果だから、オルガに対戦の権利を譲ってあげたんだよ。旧運営の欺瞞の象徴が木っ端微塵になる日を、どうぞお楽しみにね』


 またブーイングが起きたが、その勢いは明らかに弱まっていた。

 タクミ選手は真っ赤に染めた髪をかきあげながら、にやりと笑う。


『で、わたしの相手は小笠原選手になったわけだけど……まさか、オファーを受けるなんてねえ。身長百七十八センチで六十一キロ以下級なんて、絞りすぎでしょ。そんな鶏ガラをKOしたって何の自慢にもならないから、とんだ貧乏くじだよ。新しい運営陣には、もうちょっと気のきいたマッチメイクを考えてほしいところだね』


「よういうわ」と、雅選手が咽喉で笑いながら言い捨てた。

 このたびのマッチメイクにはチーム・フレアの意向がぞんぶんに組み込まれているというのが、こちらの推測なのである。


『ま、腐っても無差別級のトップファイターだったんだから、少しは意地を見せてほしいところだよね。あんたが来栖選手に勝ってたのは体重だけだってことを証明してあげるよ』


 タクミ選手のそんな言葉で、赤コーナー側のインタビューは終了した。

 そうして青コーナー側のインタビューが開始されたわけだが――こちらは誰もが口数少なく、運営陣やチーム・フレアを非難する言葉を吐こうともしなかった。まずは試合で結果を示すというのが、こちらの共通認識であったのだ。


 瓜子も無難なコメントを残すに留めたが、客席からはまたけっこうな歓声を頂戴することになった。

 すると、次の順番であった雅選手が、にんまりと笑いながら語り始める。


『ここまでで、一番声援が大きいのんは瓜子ちゃんやんねぇ? こないにかわゆうてこないに強かったら、それも当然の話なんやろけどなぁ』


「な、何を口走ってるんですか? やめてくださいよ」


 瓜子が慌てて雅選手の腕を引っ張ると、会場からは笑い声がわきたった。


『ほぉら、瓜子ちゃんの一挙手一投足に、みんな夢中やわ。アトミックはグズグズんなってもうたけど、瓜子ちゃんの実力は本物やさかいなぁ。これからも、あんじょうおきばりやぁ』


「ひ、人のことよりご自分の意気込みを語ってくださいよ!」


『うち? だってうちは、あないな面白みのあらへんぽっと出の雑魚やさかい。意気込みなんて語りようもあらへんわぁ』


 それだけ言って、雅選手はマイクをリングアナウンサーに受け渡した。

 雅選手のトラッシュトークに、客席はそこそこわきたっている。

 そして、ユーリにマイクが手渡された瞬間――会場に、またブーイングが吹き荒れた。

 するとそれに対抗するように、大歓声と「ユーリ!」のコールまで巻き起こってしまう。

 ユーリはきょとんと小首を傾げてから、『あははぁ』と笑い声を響かせた。


『みなさん、お元気ですねぇ。明日も試合を頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたしまぁす』


 公式の場では余計なことを言わないようにと千駄ヶ谷に厳命されていたため、ユーリのコメントも至極あっさりしたものであった。

 そうしてユーリはぺこりとお辞儀をして、マイクを返そうと横を向き――

 それと同時に、雅選手が素早く身体をひねって革鞭のごときミドルキックを繰り出した。


 ピンヒールを履いた雅選手の鋭い爪先が、横を向いたユーリのおしりに突き刺さる。

 ユーリは「ぴにゃあ!」と悲鳴をあげて、前のめりに倒れ込み――その瞬間までユーリの頭が位置した空間に、何か白いものが横切った。


 客席の歓声とブーイングは、驚きのざわめきに変じている。

 そして舞台上には、強烈な臭気が漂っていた。


 ユーリのもとに屈み込みながら、瓜子は横合いを振り返る。

 舞台に設置された壁に、薄汚い暗緑色の粘液がこびりついていた。

 何か白い破片の入り混じったその粘液が、重力に負けてずるずると床に垂れ下がっていく。

 どうやらそれは、腐った生卵であるようだった。


『ははぁん。うちもこのピンク色の物体は腹立たしゅうてしゃあないけど、こないなもんを投げつけるやなんて陰湿の極みやねぇ』


 ユーリの手から落ちたマイクを拾いあげて、雅選手がそのように言いたてた。


『どこの誰やら知らんけど、見えとるやろぉ? この薄汚い色合いが、あんたの中身そのものやでぇ? そないな生ゴミが呼吸しとったら酸素の無駄遣いやさかい、さっさとゴミ捨て場にでも去ねやぁ』


 ユーリはおしりの痛みで涙目になりながら、妖艶に笑う雅選手を仰ぎ見た。


「あいちちち……み、雅選手、ユーリの大事なプレスマンTシャツを守ってくださり、感謝感激なのですぅ」


「やかましわ。一生、這いつくぼうとけ」


 肉声でそのように答えてから、雅選手は小笠原選手にマイクを受け渡した。

 小笠原選手は不敵に微笑みつつ、客席をにらみ据える。


『腐った卵を投げるほうと投げられるほうのどっちが悪いかなんて、小学生でもわかるよね。新しい運営陣が小学生に負けない知能を持ってることを祈るよ』


 小笠原選手はマイクをリングアナウンサーのほうに放り投げて、さっさときびすを返してしまった。

 まずは小柴選手がそれに続き、天覇館の三名も追従する。瓜子とユーリは雅選手に急かされて、それを追いかけることになった。


 インタビューは終了したのだから、イベントもこれにて終了である。

 が、閉会の挨拶はまだされていなかったので、客席は騒然としている。それをフォローするように、リングアナウンサーが慌てて閉会の挨拶らしき言葉を発していた。


 なんてしょうもない終わり方だろうと、瓜子は溜息をつくことになった。

 だけどこれが、新生パラス=アテナの選んだ道であるのだ。彼らの新しい門出には、腐った生卵の腐臭がお似合いなのだろうと思われた。

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