05 共同戦線
「ブラジル女……あの、ベアトゥリスとかいう選手が、雅さんにぶつけられたわけですか」
多賀崎選手の呆然とした言葉に「そう」と応じたのは、小笠原選手であった。
「ちなみにあのベアトゥリスってのも、ブラジルのプロモーションで六勝無敗の戦績をあげてる有力選手だった。ロシアのオルガと同様に、アトミックの選手を蹴散らすための秘密兵器なんだろうけど……それをいきなり王者だった雅さんにぶつけようってのは、どう考えても悪意を感じるよね」
「雅さんが、パイソンを辞めたから……裏切者として、粛清しようってこと?」
「少なくとも、優遇する理由はなくなったって考えてるんだろうね。だったらやっぱり猶予を与えずに試合をさせたほうが、あちらの勝算は高まるでしょ」
ノートパソコンの画面の中で、雅選手が『くくく』と忍び笑いをもらした。
『まったく、なめられたもんやなぁ。……それでそっちは、どないな感じなん? 昨日の夜から情報途絶えてるんで、詳しゅう教えてや』
「猪狩はメイ=ナイトメア、桃園はオルガ、小柴は灰原さんとの試合がオファーされてたよ。やっぱり全試合、天覇館と武魂会とプレスマン道場が絡んでたね」
『わっかりやすいやり口やなぁ。IQの低さがにじみ出とるわぁ』
二人のやりとりを聞きながら、瓜子も大急ぎで頭を整理してみた。
小笠原選手には、タクミ選手。
魅々香選手には、ジジ選手。
後藤田選手には、一色選手。
前園選手には、犬飼京菜。
白木選手には、イリア選手。
そして小柴選手には、灰原選手。
確かにこれまでに聞かされた対戦オファーには、いずれも天覇館と武魂会の選手が絡んでいた。唯一の例外が、パイソンMMAを離脱した雅選手とベアトゥリス選手の一戦であるわけだ。
「これで自分たちの試合も加えると、全部で九試合っすか。本選がこれまで通り十試合だとすると、もう一試合分オファーがかけられてるはずっすよね」
「ああ、それならついさっき判明しただわよ。赤星道場のマリアに、沙羅との対戦オファーが通達されてただわね」
「マリア選手と沙羅選手っすか? それは……どういう意図なんでしょう?」
「こればっかりは、不明だわね。《レッド・キング》はとっくにケージの試合場だし肘打ちもありのはずだから、マリアの側に不利はないだわよ。案外、あの沙羅ってのはガス抜きの役かもしれないだわね」
「ガス抜き?」
「いくらなんでもチーム・フレアが全勝してたら、お客のほうだって冷めるだわよ。ひとりやふたりは負けたほうが、興行だって盛り上がるだわね。そう考えれば、犬飼京菜ってのもアマ三戦のキャリアでいきなりトップファイターと対戦ってのは、なかなか荷が重いはずだわよ」
「つまり……他の連中の引き立て役ってことっすか」
瓜子の体内に、熱い怒りが渦巻いていく。
が、鞠山選手は平気な顔で肩をすくめていた。
「まあこの際、チーム・フレアの内情はどうでもいいだわよ。それより今は、あかりとウサ公についてだわね」
「ふん! そんな話は、もうおしまいだよ!」
と――灰原選手が、いきなり足もとのマットを拳で殴りつけた。
「こんなオファー、絶対に受けるもんか! 干したいなら勝手に干しやがれってんだ! こんなクソみたいな団体、こっちからお断りだよ!」
「灰原さん。わたしとの対戦オファーを、断ってしまうんですか?」
思い詰めた表情で、小柴選手が身を乗り出した。
「多賀崎さんが以前に言っていた通り、MMAは個人競技です。いくら仲良くしてたって、試合は別の話なんですから――」
「これが《NEXT》や《フィスト》だったら、誰が相手だって関係ないさ! あたしはね、あんな連中の言いなりになりたくないって言ってんの!」
灰原選手は、顔を真っ赤にして怒っていた。
「それにこれは、天覇や武魂会をぶっ潰そうって計画なんでしょ? だったら、個人競技でも何でもないじゃん! どうしてあたしが嫌いでもない武魂会を潰す協力をしなきゃいけないのさ! あたしはね、将棋の駒じゃないんだよ!」
「……わたいたちはそうだと確信してるけど、何も証拠のある話じゃないんだわよ?」
「なんだよー! いちいちあたしの意見に反対しないと気が済まないの? もういいよ! とにかくあたしは、あいつらが気に食わない! バニーの衣装だって着られないしね! あのクソみたいな運営陣が心を入れ替えない限り、あたしはもうアトミックには出場しないよ!」
灰原選手は豊かな胸の下で腕を組み、「ふん!」とそっぽを向いてしまった。
呆気に取られていた多賀崎選手も、「そうだね」と苦笑する。
「たとえ証拠のない話でも、今の運営陣はこれっぽっちも信用ならない。おかしな優遇はされてないって確信できるまで、あたしも離脱させてもらう。……まあ、あたしなんかには最初っからオファーなんて来ないかもしれないけどさ」
「五十六キロ以下級は人材不足なんだから、いずれはマコトにだって声がかかるはずだわよ」
「それは、つつしんでお断りさせてもらう。あたしは《フィスト》で実績を積んで、沖さんのベルトに挑戦させてもらおうと思うよ」
語り口調は穏やかであったが、多賀崎選手の顔には相応の覚悟が宿されていた。
そしてその目が、その場に居合わせた面々を見回していく。
「だから、アトミックの行く末はみなさんにお願いします。どうかチーム・フレアなんてのは返り討ちにして、運営陣の目を覚ましてやってください」
「うん。そっちはアタシたちに任せておいてよ」
小笠原選手が力強く答えると、鞠山選手がそちらに向きなおった。
「トキちゃん。本当にオファーを受けるつもりなんだわね? あとひと月で六キロの減量は、どう考えたって厳しいだわよ?」
「大丈夫だよ。秋代が相手なら、いいハンデさ。壁レスなんかは、春からずっと稽古を積んできてたしね」
小笠原選手は不敵に笑いつつ、瓜子とユーリのほうに視線を向けてくる。
「で、アンタたちもオファーを受けるんでしょ? はっきり言って、秋代よりもオルガやメイ=ナイトメアのほうが危ない相手だと思う。それに、ジジとやりあう美香さんだって、正念場だよね」
「はい。ですが、ジジ選手はずっとリベンジを願っていた相手でした。そのチャンスが早くに訪れたことを、幸運だと考えることにします」
ユーリに負けないぐらい可愛らしい声で、魅々香選手はそのように答えた。
すると――ずっと石像のように座していた来栖選手が、ついに口を開く。
「これは、雅と花子にしか打ち明けていなかった話なんだが……わたしはあの記者会見が行われてすぐに、スペシャルアドヴァイザーとして就任してほしいというオファーを受けていた」
「スペシャルアドヴァイザー?」
「ああ。おそらくは、名ばかりの役職だろう。自分で言うのも何だが、わたしは長らく《アトミック・ガールズ》の代表的存在であったので……わたしも現在の運営陣に賛同を示す立場であると、世間に示したかったのだろうと思う」
重々しい声音で、来栖選手はそのように言いつのった。
「たとえばあちらが発信する動画においても、秋代はやたらとわたしを持ち上げていたようだが……あれも、あいつの本心ではない。あいつは、わたしやアケミを毛嫌いしていたはずだからな」
「え? そうなんすか?」と、瓜子は思わず反問してしまった。
来栖選手は何を気にする風でもなく、「ああ」とうなずく。
「あいつはアトミックに在籍していた時代、いつもわたしやアケミの陰口を叩いていたと聞いている。アトミックから離脱して新団体を立ち上げたのも、わたしたちが団体の顔であることを疎んじてのことなのだろう。それが最近の動画ではやたらとわたしを持ち上げるので、気色悪いことこの上なかった。……あいつはきっとわたしを持ち上げることで、アトミックのファンたちの反感をやわらげようと画策しているのだろうと思う」
「ふん。すでに引退を表明した舞ちゃんだったら、いくら持ち上げてもあいつの損にはならないって寸法だわね。つくづく見下げ果てた品性だわよ」
「ああ。しかし、わたしがもしもその依頼を受けていたならば……天覇館に対しても、もう少しは扱いが変わっていたのだろうと思う」
「何を言ってるんですか」と眉を吊り上げたのは、後藤田選手であった。
「もしも来栖さんがそんな話を受けていたら、わたしは尊敬する先輩をひとり失っていましたよ」
「わたしもです。あんな連中におもねる必要はありません。チーム・フレアなんて、わたしたちが返り討ちにしてみせますよ」
同じく天覇館の前園選手も、そのように追従した。
包帯で表情のわかりにくい来栖選手は、そんな両名を見やりながら静かにうなずく。
「そう思って、わたしも謝罪の言葉は口にしなかった。わたしには、もはや試合で汚名をくつがえすことはできないが……全力で、君たちを支援させてもらいたく思う」
「はい! 来栖さんにそう言っていただけたら、百人力です!」
来栖選手はもう一度うなずいてから、瓜子たちのほうに視線を向けてきた。
「そして、君たちもだ。わたしはこれまで新宿プレスマン道場の人間とは交流を結んでいなかったし、それに……桃園に対しては、敵対心すら抱いていた。だから何も、偉そうなことは言えない立場だが――」
「いえいえぇ。それはユーリの不徳の為すところですのでぇ」
ユーリがあっけらかんと答えると、多くの人々がぎょっとした様子で身を引いた。まさかユーリが、そうまで気安い態度で来栖選手の言葉に応じるとは思わなかったのだろう。瓜子にしても、それは同感であった。
(これまでほとんど口をきいたこともないはずなのに、まったくどういう心臓だよ)
瓜子がそんな感慨を噛みしめている間に、来栖選手がさらに重々しい声を振り絞った。
「……しかし君は、いつしか本当の実力を身につけていた。最初の一年はお話にならなかったが、現時点では王者に相応しい力量だろう。その片鱗は去年の段階から示されており、わたし自身が君に敗北を喫していたというのに……自らの間違いを認めることができず、君への反感を捨て去ることのできなかった不明を、ここに詫びさせてもらいたく思う」
「そんな、とんでもないですぅ。来栖選手は、なんにも悪くないですよぉ」
「いや。それを詫びずに、話を続けることはできない」
来栖選手はマットに両方の拳をつき、深々と頭を下げた。
女帝が――ユーリに、頭を下げたのだ。
「これまでの非礼を、お詫びする。だから、どうか……他の皆と手を携えて、《アトミック・ガールズ》の今後をお願いしたい。わたしは、《アトミック・ガールズ》がこんな形で終わってしまうのは……どうしても我慢がならないんだ」
「ど、どうか頭をおあげくださぁい。ユーリはこれからも、一生懸命がんばりますからぁ」
そう言って、ユーリはふいにふにゃんと微笑んだ。
「それに、ユーリにとっても《アトミック・ガールズ》は大切な場所だったのですから、とうていこのままにはしておけないですよぉ。来栖選手たちが頑張って支えてきてくれた《アトミック・ガールズ》を楽しい場所に戻せるように、ユーリも微力を尽くす所存ですぅ」
「あんたは大物だね」と、小笠原選手が苦笑した。
そして、パソコンの画面上では雅選手が含み笑いをしている。
『言うとくけど、うちは選手としての力量なんて関係のう、あんたが気に食わへんさかいなぁ。今後も甘い顔をする気はあらへんでぇ?』
「はぁい。ユーリは人様から嫌われるのがスタンダードですので、どうぞお気遣いなくぅ」
『あぁあ、そのすっとぼけた顔を見とるだけで胸やけしそうやわぁ。誰か代わりに蹴り殺してくれへん?』
「桃園も大事な戦力だからね。雅さんも、ぐっとこらえてくださいよ」
そう言って、小笠原選手はあらためてその場の全員を見回してきた。
「それじゃあこれで、ひとまず話はおしまいだけど……この場にいる全員は打倒チーム・フレアのために共同戦線を張るってことで、異存はないかな?」
半数の人間が「押忍!」と応じ、もう半数は無言のままにうなずいた。
それを見届けて、小笠原選手はにこりと微笑む。
「じゃ、さっそく稽古を始めようか。舞さんのおかげで、盆の間はこちらの道場を使えることになったからさ。盆が明けるまでの四日間、みんな無理のない範囲でどうぞよろしく」
「けっきょくそうなるわけねー! トレーニングウェアを持ってこいとか言うから、嫌な予感はしてたんだよ!」
灰原選手がわめきたてると、鞠山選手が横目でそちらをにらんだ。
「そう言うあんたは、ひとり手ぶらだわよ。やる気のなさがだだもれだわね」
「だから、あたしはこれから仕事なんだってば! バニーちゃんに、盆も正月もないの!」
そんな風に言ってから、灰原選手はがりがりと頭をかき回した。
「……どうせあんたら、夜遅くまでやりあうつもりなんでしょ? 気が向いたら、仕事の後に顔を出してやるよ」
「灰原さんはオファーを蹴るのに、わたしたちの稽古を手伝ってくださるのですか?」
小柴選手の言葉に、灰原選手は「ふん!」とそっぽを向いた。
「試合がなくなるのは、あんただって一緒じゃん! あーあ、お盆ぐらいはゆっくりできると思ったのになぁ。これもぜーんぶ、あのクソッタレどものせいだね!」
「うん。チーム・フレアなんてのは殲滅して、アイツらに赤っ恥をかかせてやろうよ」
小笠原選手の口調は穏やかであったが、その目には熾烈な闘志が燃えていた。
そして周囲の人々も、おおよそは同じ様子である。瓜子自身、体内には新生パラス=アテナとチーム・フレアに対する憤懣が業火となって吹き荒れていた。