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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
9th Bout ~Flare of the Rebellion~
209/955

05 自由稽古

 四時間ほどの稽古を終えた後は、一時間ていどの自由時間をはさんだのちに、夕食である。

 夕食は、まごうことなきバーベキューであった。大量の肉に、大量の野菜、そして大量の魚介物と、大量の白米だ。

 なおかつ副菜として、昼食の残りのメキシコ料理も準備されている。それを見越して、昼にも食べきれないほどの料理が準備されていたようだった。


「さあ、動いた分は、じゃんじゃん食べてな! 俺みたいに太る心配はないだろうからさ!」


 その場の取り仕切り役は、やはり赤星大吾である。たとえバーベキューでも食材は切っておかねばならないし、それを皿に並べるだけでもひと仕事であろう。赤星大吾はまたひげもじゃの顔を汗まみれにしながら、楽しそうに立ち働いていた。


「あの親父は左膝をぶっ壊しながら現役生活を続けて、最後には逆の膝もぶっ壊して引退に追い込まれることになったんだ。あのぶっとい足は、アタシなんざとは比較にもならねーゴテゴテのニーブレスで固められてるはずだなー」


 赤星大吾の心尽くしをいただきながら、サキはそのように語らっていた。


「で、引退当時はまともに歩くことも難しかったみてーだけど……そいつをあの六の字が、あそこまで回復させたんだとよ」


「それはすごい話っすね。あのお人は、ユーリさんの目のことも真っ先に気づいてましたし……六丸さんって、いったい何者なんでしょう?」


「何者って、整体師だろ。それ以上は、勘ぐる必要もねーや」


 そんな風に言いながら、サキはもりもりと食欲を満たしているユーリの頭を引っぱたいた。


「加減ってもんを知らねーのか、この牛は。おめーも夜の稽古に参加するつもりなんだろうがよ?」


「間に一時間の食休みがあるって話だから、大丈夫だよぉ。一時間もあれば、これしきの食事は消化してみせるのです!」


 稽古の後にもコーチ陣や瓜子との間に語らいの時間を持ったユーリは、完全に復調していた。

 ただ、その目はいまだに赤いままである。瓜子たちに対する申し訳なさと、それを許してもらえたありがたさで、ユーリはかつてないほどの涙をこぼすことになってしまったのだった。


「この後にまた二時間も稽古をつけてもらえるなんて、夢のような地獄のようなって感じっすね。邑崎さんも、身体のほうは大丈夫っすか?」


「なんですか? 猪狩センパイは、愛音のスタミナをご心配されているのですか? 灰原選手があのように元気なのですから、愛音が先に力尽きる道理はないのです!」


 灰原選手は多賀崎選手を引き連れて、誰彼かまわず交流を結んでいた。小笠原選手やオリビア選手は単独で、あちこちの輪に潜り込んでいる。鞠山選手は人見知りである魅々香選手の面倒を見ており、プレスマンの四名と同席しているのは小柴選手ただひとりであった。


「……小柴選手、おなかのほうは大丈夫ですかぁ? あのときは、ユーリも無我夢中だったもので……本当に申し訳ないですぅ」


 と、やおらユーリが反省の意を表すると、小柴選手は「大丈夫ですよ」と善良無比なる微笑を浮かべた。


「防具を着けてるのにあんなぶざまな姿をさらしてしまって、こちらのほうこそ不甲斐ないばかりです。だけど、桃園さんの三日月蹴りは本当に強烈でしたよ。もともとミドルキックはお得意なんですから、磨き抜く甲斐はあると思います」


「防具もなしにクリーンヒットしたら、レバーが木っ端微塵になりそうだなー。対戦相手は、ご愁傷様だ」


 サキが何気なく軽口を叩くと、小柴選手はしゅんとしょげた顔をした。


「対戦相手……いつになったら決まるのでしょうね。わたしは前回に出場したばかりなので、オファーがかかるとは限らないですけど……なんだか、落ち着きません」


「できることなら、チーム・フレアの連中とやりあいたいところっすよね。自分らの階級だと一色選手ってことになりますけど、小柴選手はご存じでしたか?」


「はい。別の支部の門下生が、《G・フォース》で当たってるはずです。あの選手はとにかくステップワークが巧みで、つかまえるのが大変らしいですよ」


「自分らも、アウトタイプの対策が必要ってことっすね。……邑崎さん、ご協力をお願いしますね」


「言われるまでもないのです! 一色選手とやらに恨みはありませんが、チーム・フレアなどに関わったのが運のつきなのです!」


 夜間の稽古に向けて、誰しも意気は揚々であるようだ。

 そして瓜子も、それは同じことであった。これだけの女子選手が集結しているだけでも有意義であるし、赤星道場の見慣れない選手も加えた男女混合の稽古も刺激的であった。


(それに次の稽古では、いよいよ赤星弥生子さんとも手合わせできるはずだしな)


 来栖選手の影として、日本人女子選手の裏番長と称されていた、赤星弥生子――男子選手を相手に連戦連勝という信じ難い戦績を持つ、生ける伝説のごとき赤星弥生子と、ついにスパーをすることがかなうのだ。かつてはベリーニャ選手をも打ち負かしたという彼女の実力がどれほどのものなのか、鞠山選手でなくとも気にかかるところであった。


(で、父親は赤星大吾さんで、お兄さんが卯月選手なんだもんな。その時点で、もう普通じゃないよ)


 そんな想念を胸に、瓜子はよく焼けたスペアリブにかじりつくことにした。


                 ◇


 腹六分目の夕食を終えて、小一時間の食休みを取り、いよいよ夜間の自由稽古である。

 この時間、キッズクラスの門下生とその保護者たちは、思い思いに過ごしている。そしてそれを除く四十名強の人間は、余さず体育館に集合したようだった。


「では、夜の部の稽古を開始する。この時間は道場の自由稽古と同じように、各々で課題に取り組んでもらいたい。指南役の人間は居揃っているのでそちらと相談しながら、有意義な時間を過ごせるように」


 赤星弥生子の挨拶によって、自由稽古が開始された。

 人数が多いので、やはり女子選手は女子選手で寄り集まって、ウォームアップに取り組む。ただし、青田ナナだけはこちらに加わらず、男子選手の輪に入っていた。


「さて。それじゃあ、お手合わせを願うだわよ」


 と、真っ先に声をあげたのは鞠山選手である。

 赤星弥生子は、普段通りの研ぎ澄まされた眼光でそちらを見返した。


「それはまったくかまわないが……君はどうして、私に執着しているのだろう?」


「わたいはただ、あんたの実力に興味があるだけだわよ。あんたの門下生みたいに馬鹿げた真似はしないから、心配はご無用なんだわよ」


「耳が痛いな。それでは皆も、それぞれの課題に取り組んでもらいたい」


「いや」と声をあげたのは、小笠原選手であった。


「この場にいる人間は、おおよそ花さんと同じ気持ちなんだよね。よければ、この一戦は見学させてもらえる? それでもって、アタシはのちのち立ち技のスパーでお相手を願いたいところだね」


「……見学が自分の糧になるという判断なら、好きにするといい」


 赤星弥生子は悠揚せまらず、マットの上で鞠山選手と向かい合った。

 彼女はユーリよりもわずかに長身であり、鞠山選手との身長差は二十センチ以上にも及ぶ。ただし、このていどの体格差でめげる鞠山選手ではなかった。


「コーチのお人らが誰も来ないので、僕がタイムウォッチャーの役目をおあずかりしますねぇ」


 と、いつの間にかこちらの輪に加わっていた六丸が、タイムウォッチをかざしながらそのように言いたてた。


「では、始め」


 膝立ちになった両者が、まずは尋常に組み手争いを始める。

 しかし、鞠山選手がその腕をかいくぐって相手の胴体に組みつくと、そこから先は目を奪われるような攻防が体現された。


 赤星弥生子は容易に体勢を崩さず、体格差を活かして鞠山選手にのしかかる。

 鞠山選手はその圧迫をもすりぬけて、するりと相手のサイドに回った。

 そうして相手の膝を蹴るように押しやり、背中からマットに押し倒す。先に有利なポジションを確保したのは、鞠山選手であった。


 しかし赤星弥生子も尋常ならぬ反応速度で腰を切り、相手の右足を両足でつかまえる。

 さらに何度も腰を切って、相手に重心の安定を与えず、ついにはガードポジションを確保した。


 どちらも、素晴らしい身のこなしだ。

 なんだか、ユーリと鞠山選手のスパーを見ているかのようである。

 そして――それはやっぱり、ユーリと卯月選手のスパーをも想起させてやまなかった。


 赤星弥生子が目まぐるしく動くために、鞠山選手もなかなかポジションをキープできない。

 そうして一分ほどが経過した頃、ついに赤星弥生子がスイープで上を取り返した。

 すると今度は鞠山選手が敏捷に動き、自分に有利な形を作っていく。鞠山選手は下からでも極めを狙える確かな柔術の技術を有していた。


 瓜子の隣では、ユーリがうずうずと身を揺すっている。

 ユーリ自身は、女子同士のこういった攻防を目にしたことがないのだろう。鞠山選手と互角にやりあえるのは、瓜子の周囲でユーリただひとりであるのだ。


 そうして、タイムアップ寸前――

 鞠山選手が下から相手の右足をすくい、魔法のようにアキレス腱固めの形を完成させた。

 赤星弥生子は身をよじり、なんとか脱出しようと試みる。

 が、それよりも早く、鞠山選手が次の技に移行した。

 今度は、膝十字固めである。

 身体の小さな鞠山選手ならではの、身の毛がよだつような俊敏さだ。赤星弥生子の右足は真っ直ぐにのばされ、その手が鞠山選手の足をタップするのとほとんど同時に、六丸が「時間でぇす」という間の抜けた声をあげた。


「すごいですー! 弥生子さんが、一本を取られちゃいましたー!」


 マリア選手が、無邪気な声をほとばしらせる。

 マットに半身を起こした赤星弥生子は、普段通りの張り詰めた面持ちで鞠山選手に両腕を差し出した。


「ありがとうございました」


「ありがとうございました。……だわよ」


 鞠山選手は、探るように相手を見据えている。

 そちらに向かって、赤星弥生子はひとつうなずいた。


「君の技量には、感服させられた。……そちらには、失望させてしまっただろうか?」


「あんたはストライカーって話だから、失望まではしてないだわよ」


「いや。私はストライカーを名乗った覚えはないし、すべての技術をまんべんなく体得するべきだと思っている。もっと寝技の修練を積まなければな」


 すると、ユーリが「あのー!」と馬鹿でかい声を張り上げた。


「ユーリもその、一本お手合わせを願えないでしょうか? できることなら、一本と言わず何本でも!」


「とりあえず、一本ということにしておこう。……ようやく君の力量を体感できるわけだな」


 ユーリと赤星弥生子の、寝技勝負である。

 鞠山選手と互角に近い勝負ができるユーリならば、決して恥ずかしい結果にはならないだろう。瓜子はそのように念じて、観戦を継続したのだが――両者はさきほどにも劣らぬ熱戦を展開したあげく、タイムアップの十秒前に、ユーリが一本を取ることに相成った。


「こら、わたいの記録を塗り替えるんじゃないだわよ! あんたもどうしてわたいより未熟なピンク頭にタップするだわよ!」


「桃園さんは、腕力が凄まじい。日本人の女子選手でこれほどの腕力を持つ人間を見たのは、初めてだ」


 ユーリと握手を交わしながら、赤星弥生子はそう言った。


「そして、寝技の技術も素晴らしかった。……君はマリアより若いと聞いているのだが、格闘技の歴はどれぐらいなのだろう?」


「えっとぉ、お稽古を始めたのは三年半ぐらい前からですぅ」


「三年半」と、赤星弥生子は低い声で繰り返した。

 その手は、まだユーリの白い手を握りしめている。


「……私は、才能という言葉をあまり好いていない。もちろん人間にはそれぞれ才能というものが秘められているのだろうが……それを開花させるには、けっきょく努力が必要なはずだ。寝技に関しては、その傾向も顕著だろうと考えている」


「はにゃ? それはいったいどういう……?」


「これだけの努力を重ねてきた君に、敬意を表したい。君は、素晴らしいファイターだ」


 赤星弥生子に手を握られたまま、ユーリは「えへへ」と気恥ずかしそうに微笑んだ。


「赤星弥生子さんにそんなお言葉をかけられたら、恐縮の至りですぅ。……あの、あとでまたスパーをおつきあい願えますかぁ?」


「もちろんだ。こちらこそ、お願いしたく思っている」


 ようやくユーリの手を離した赤星弥生子は、輪になった瓜子たちを見回してきた。


「それで、君たちはいつまで見学しているのだろう? 見取り稽古もけっこうだが、せっかく温めた身体が冷えてしまわないだろうか?」


 赤星弥生子に呆れられない内に、瓜子たちも稽古を開始することにした。

 が、けっきょく誰もが赤星弥生子との手合わせを願っているのだ。さしあたっては、総当たりで寝技のスパーが始められることになった。


 この顔ぶれで行われるサーキットの過酷さは、瓜子も午後の練習ですでに思い知らされている。

 相変わらず、瓜子が互角以上の勝負をできるのは、灰原選手と小柴選手ぐらいであるのだ。赤星道場の面々と魅々香選手が増えても、その構図に変化はなかった。


 やはり大江山すみれは、瓜子以上の技術を持っている。ただし彼女は腕力が足りていないので、二分のスパーであれば一本か二本を取られるていどの力量差であった。

 マリア選手は、ポジションキープが巧みである。上を取られると、まずひっくり返すことはかなわない。ただし、技の数が少ないために、時間いっぱい逃げ切ることは難しくなかった。

 それよりも厄介なのは、魅々香選手となる。何せ彼女は、柔術も茶帯の腕前であるのだ。ポジションキープの技術はマリア選手と同程度で、いざとなれば思いも寄らない攻撃を仕掛けてくる。しかも腕力にも秀でているので、ミドル級の中ではユーリの次に難敵であった。


 そして、赤星弥生子であるが――やはり瓜子ていどでは、まったく歯が立つものではなかった。ユーリほど重みは感じないし、鞠山選手ほど変幻自在ではないのだが、とにかくあらゆる面において技術が高く、つけいる隙がなかった。


 後から聞いた話によると、ユーリと鞠山選手の他にタップを奪えた人間はおらず、魅々香選手や多賀崎選手もタップを奪われてしまったとのことである。この場に集まった女子選手の中では、赤星弥生子がナンバースリーの実力であるという結論に落ち着いたようだった。


「お、こっちも盛り上がってるみたいだな。弥生子ちゃん、アトミックの選手たちはどうだったよ?」


 ちょうどサーキットが一巡したタイミングで、立松がこちらにやってきた。

 水分補給をしていた赤星弥生子は、凛然とした面持ちでそちらを振り返る。


「桃園さんと鞠山さんには、まったくかないませんでした。……ところで立松さん、稽古中は――」


「ああ、悪い悪い。で、他はどんな塩梅だったんだ?」


 立松を指南役として迎えて、各々の反省点を浮き彫りにするミーティングが執り行われた。

 その後はしばらくグループで分かれて、個別の稽古を積む時間が取られる。幸か不幸か、瓜子は鞠山選手と同じグループとなって、さんざんタップを奪われることに相成った。


「うり坊はトキちゃんやオリビアに力負けしてるけど、寝技の技術そのものは負けてないんだわよ。相手が油断してる内に、もっともっと寝技を磨いておくべきだわね」


「相手って、誰のことっすか?」


「対戦相手に成り得る、すべての人間だわよ。あんたはずっとスタンドで勝ち続けてきたから、グラウンドはザルと思われてるフシがあるだわよ。わたいやハワイのラニなんかにはグラウンドで圧倒されてたから、まあ当然のことだわね」


「ああ、確かにな」と、立松も身を乗り出してくる。


「だけど、お前さんの技術はそこまで馬鹿にしたもんじゃない。鞠山さんやラニ選手なんてのは、まあ相手が悪かったんだよ。それ以外の連中なら、グラウンドでも互角以上の勝負ができるはずだ」


「それはさすがに買いかぶりじゃないっすか? トップファイターを相手にサブミッションを極められる自信なんて、これっぽっちもないんすけど」


 立松と鞠山選手は顔を見合わせて、同時に溜息をついた。


「誰があんたにサブミッションを求めてるんだわよ」


「お前さんの持ち味は、その石みたいな拳だろ。ついでにルール改正で、肘打ちが解禁されるんだからな。グラウンドで上を取れたら、いくらでも圧倒できるだろ」


「肘と同じぐらい硬いゲンコツで殴られるだけで、相手はパニックだわよ。あんたは自分の化け物っぷりを、もっと自覚するべきだわね」


「お前さんの課題は、三つ。自分から組み合いを仕掛けて上を取ること。下になったら上を取り返すこと。そして、上になったときのパウンドと肘打ちの練習だ。今日からは、限定スパーを中心にすることにしよう」


 そうして瓜子に準備されたのは、タックルと組み合いの猛練習、および下の状態から上を取り返す限定スパーである。

 これまた幸か不幸か、この場には瓜子よりも重量のある選手がいそろっている。ミドル級の精鋭や小笠原選手を相手に上を取り返すサーキットなどは、血の涙が流れるほど過酷でありがたい鍛錬と相成った。


 そんな地獄のひとときを小一時間ばかりも過ごしたのち、ついに立ち技のスパーに移行される。指南役も、立松から青田コーチに変更された。

 青田コーチは、ムエタイからMMAに転向したキャリアであるという。赤星道場ではレスリングを学び、のちには柔術をも体得したとのことで、どのような部門でも指南役を果たせるのだという話であった。空手がルーツである大江山軍造も、また然りである。


「だけどけっきょく、俺たちのルーツは立ち技とレスリングで、柔術は柔術家を打倒するために学んだようなものだからな。今でも外部から柔術のコーチを呼んでるぐらいだし、本領は立ち技とレスリング流のグラップリングと思ってもらっていい」


 自分の娘が女子選手の輪から外れたことに、いったいどのような思いを抱いているのか。そんなことは毛ほども表に出さないまま、青田コーチはそのように語らっていた。


 ともあれ、まずは総当たりのサーキットである。

 そこで初めて対戦した赤星弥生子の手応えは――意外なことに、並であった。

 いや、これを並といっては、語弊があるだろうか。けっきょく瓜子は有効打を当てることがかなわず、時間いっぱいとなってしまったのだ。


 しかしまた、瓜子が有効打をもらうこともなかった。赤星弥生子はカウンターが巧みであり、その左フックや右アッパーなどはぞっとするような鋭さを持っていたものの、なんとか回避することがかなったのだった。


「それは、あんたがそれだけの実力ってことでしょー! あたしなんて、二分で二回もダウンをくらっちゃったんだから!」


「無能なウサ公はともかく、あの頑丈なオリビアだってダウンをくらってただわよ。二分のスパーでダウンをもらわなかったのは、うり坊とトキちゃんの二人だけだわね」


「いやー、ダウンはくらわなかったけど、クリーンヒットで左フックをくらっちゃったよ。防具がなかったら、やばかったかもね」


 ミーティングの時間、そんな言葉がこっそりと交わされることになった。


「そんでもって、こっちは一発もクリーンヒットできなかった。猪狩は、どう?」


「はい、自分もです。カウンターが鋭すぎて、二分間じゃ突破できなかったんすよね」


「うん。アタシはウェイトで勝ってるから、思い切って突撃できたんだけどね。それでも、駄目だった。これでグラップリングなんかは勝負にもならないんだから……試合だったら、かなり厳しいことになるだろうね」


 そう言って、小笠原選手は鞠山選手に笑いかけた。


「つまり、赤星弥生子はアタシと互角かそれ以上ってことだよ。ってことは、舞さんやアケミさんとも同レベルってことなんだから、裏番長の名に相応な実力なんじゃない?」


「……そうだわね。アトミックでもトップクラスの実力だってことは認めるだわよ」


 鞠山選手の眠たげな目に、ぎらりとした光が灯る。


「それであいつは、まだ二つの武器を隠してるんだわよ。それでこの結果ってことは……まあ、化け物の部類に認定しても差し支えないだわね」


「二つの武器? って、なんのこと?」


「得体の知れない古武術と、大怪獣タイムだわよ。それを駆使して、初めて男子選手と対等にやりあえるわけだわね」


 瓜子は、ぎょっと身を引くことになった。


「大怪獣タイムって、卯月選手のアレっすよね? 赤星弥生子さんも、やっぱりあんな風に動けるんすか?」


「ネットのレビューでは、そういうことになってるんだわよ。いざとなったら三十秒だけ無茶苦茶な身体能力を発揮できるなんて、もはや人外の域だわね。でも、父親と兄上様がそうなんだから、妹が同類でも不思議ではないだわよ」


 しかし、卯月選手はその突拍子もない個性を除くと、正統派のMMAファイターだ。

 大江山すみれが見せていた、あの古武術めいた奇妙なファイトスタイル――あれと同じものを体得しているという赤星弥生子が、さらに無茶苦茶な身体能力を発揮したら、いったいどのような結果となるのか。

 瓜子には、想像することすら難しかった。

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