02 いざ戦場へ
数日後、《アトミック・ガールズ》の公式サイトにおいて、七月大会の詳細が――すなわち、四大タイトルマッチの詳細が公開されることになった。
無差別級は、ベリーニャ・ジルベルト vs 来栖舞。
ミドル級は、ジジ・B=アブリケル vs ユーリ・ピーチ=ストーム。
ライト級は、メイ=ナイトメア vs 猪狩瓜子。
バンタム級は、雅 vs 金井若菜。
以上のカードとなる。
他にも沙羅選手とマリア選手の対戦や、人気選手たる鞠山選手やオリビア選手の出場も決定していたが、この日ばかりは四大タイトルマッチに注目が集められることだろう。
また、ライト級の一戦は暫定王者決定戦であり、その勝者は十一月大会で正規王者のサキと統一戦を行うことが、内々で決定されている。
もしもそれまでにサキの負傷が癒えなかったならば、ついにタイトルは返上となり、暫定王者がそのまま正規王者に繰り上がってしまうのだ。
しかし、そんな行く末に思いを馳せても意味はない。
瓜子はまず、死力を尽くしてメイ=ナイトメア選手を打倒しなければならなかった。
メイ=ナイトメア選手の目的は、あくまでベリーニャ選手であるのだ。ベリーニャ選手と対戦したければ《アトミック・ガールズ》のライト級で結果を残すべしと、そのように唆されて、試合をこなしているのである。
そんな相手に、ライト級の王座を明け渡すわけにはいかない。
ライト級の選手であれば、誰もがそのように考えているはずだった。
なおかつ、ミドル級のほうでも同じような問題を抱えてしまっている。現王者のジジ選手は、もともとタイトルを返上して、無差別級への転向を願っていたのだ。その目的もまた、ベリーニャ選手との対戦であったのだった。
《アトミック・ガールズ》のタイトルなどに価値はないから、とにかくベリーニャ選手と対戦したい――そしてその首を手土産に、《アクセル・ファイト》への参戦を願いたい――ジジ選手はそのように考えているのだろうと、水面下では囁かれている。言ってみれば、ジジ選手もメイ=ナイトメア選手も同じ穴のムジナであるのだった。
彼女たちにとって、他の選手などは世界に羽ばたくための踏み台に過ぎないのだろう。
むろん、どのようなスタンスで試合に臨もうとも、それは個人の勝手である。
であれば、瓜子たちも自分の勝手な信念に基づいて、ジジ選手やメイ=ナイトメア選手を打ち倒す他なかった。
そうして瓜子は、気持ちも新たにトレーニングに打ち込むことになったわけだが――対戦の日は、二ヶ月後である。その前月たる六月には、愛音の参戦する《フィスト》のアマチュア大会や、《アクセル・ファイト》の日本大会、それに『NEXT・ROCK FESTIVAL』など、さまざまなイベントが盛りだくさんとなっている。
そしてさらに、瓜子にとっては憂鬱でならない雑事が目前に控えていたのだった。
◇
時は、五月の最終水曜日――瓜子はユーリと連れ立って、目黒の撮影スタジオを訪れていた。目的は、格闘技マガジンの女子選手特集増刊号に掲載されるグラビアを撮影するためとなる。
「にゅふふ。ついにこの日が来てしまったねぇ。ユーリはもう、期待で胸がぱんぱんなのです!」
「へえ。GカップからHカップに膨張したんすか?」
「おりょりょ。うり坊ちゃんは、まだご機嫌ななめなのだねぇ。まな板の上の鯉という格言をご存じでないのかにゃ?」
「ええ。びっちびちに跳ね回ってやるつもりっすよ」
しかし、そんな憎まれ口を叩いていても、この憂鬱な仕事が消滅するわけではない。瓜子は体内で躍動する羞恥心をなんとか抑えつけて、この数時間をやりすごさなくてはならないのだった。
「それじゃあ、いきましょうか……撮影現場は、このビルの二階らしいっすよ」
「うん! いざ出陣なりー!」
ユーリはまるで、試合の日のようなハイテンションであった。こればかりはどうにも理解できないのだが、ユーリは瓜子とともに撮影の業務に励むことが楽しくてならないようなのである。
そんなユーリとともにビルの玄関口をくぐり、エレベーターへと歩を進める。
すると、その手前のところでひとりたたずむ人影があった。
大きなバッグを小脇に抱えて、壁に掛けられた案内表示板を眺めている。背格好からして、若い女性であるようだ。瓜子たちが近づいていくと、その女性がふっとこちらを振り返ってきた。
「あ、こんにちはぁ。どうもお疲れ様ですぅ」
本日の撮影スタッフであろうか。まったく見知らぬ顔である。
セミロングの黒髪を頭の後ろで無造作にくくっており、のっぺりとした顔が額まで剥き出しにされている。眉が薄くて、目が細くて、鼻も口も主張が少ない。なかなかの長身だがひょろりとした体形で、無地の長袖Tシャツとくたびれたデニムを纏っており、素通りしていたらたちまち記憶から消えてしまいそうな、印象に残りにくい容姿をしていた。
「こんにちは。自分たちは二階のスタジオに呼ばれてるんすけど、そちらも関係者の方っすか?」
「ええ。どうやら、そうみたいですねぇ」
のんびりとした声で言って、その女性はほわんと微笑んだ。
「そっかぁ。ご挨拶させていただくのは初めてなんですよねぇ。ボクは、こういう者ですぅ」
その女性は後ろのポケットから革の手帳入れを取り出して、その中身を瓜子たちに一枚ずつ差し出してきた。
そこに記されていた文字を読みくだして、瓜子は愕然とする。
そこには流麗なるフォントで、『auguste代表 篠宮伊里亜』と記されていたのだ。
「え……あ、あなたはイリア選手だったんすか? それはその……ど、どうも失礼いたしました」
「はぁい。あれだけ濃密な時間を過ごしたお相手に初対面あつかいされて、ちょっぴり傷ついちゃいましたぁ」
ほわほわと笑いながら、その女性――カポエイラ使いたるイリア=アルマーダ選手はそのように言いたてた。
しかしどうしても、その柔和な顔に不気味なピエロの面相が重ならない。こんなひょろひょろの女性があれだけ激しい試合やダンスを披露していたなどとは、なかなか信じられないほどであった。
「で、今日の撮影は二階のスタジオだったんですねぇ。何階に集合だったか忘れちゃったんで、ここで誰かが通りかかるのを待ち伏せしてたんですよぉ」
「そ、そうでしたか。それなら、ご一緒しましょう」
ということで、瓜子たちは思わぬ道連れとともにエレベーターに乗り込むことになった。
エレベーターの扉が閉まると、イリア選手はユーリのほうに視線を転じる。
「ユーリさんって、『NEXT・ROCK FESTIVAL』にも出演されるんですよねぇ? 実はボクも、ダンサーとして出演するんですぅ」
「あ、はい。うかがっておりますぅ」
「大阪大会のユーリさんのライブも、拝見しましたよぉ。ユーリさん、お歌もステージングも素敵でしたねぇ。ボク、いっぺんでファンになっちゃいましたぁ。同じ日に競演できるなんて光栄ですぅ」
「いえいえ、ユーリなんてシロウト丸出しなので、お恥ずかしい限りですぅ」
なんだか二人の間延びした掛け合いを聞いていると、瓜子は眠たくなってしまいそうだった。
幸いなことに、目的地は二階であったので、すぐに到着する。
すると今度は、眠気など吹き飛ばしてしまうような面々が瓜子のもとに殺到してきた。
「来たね、このやろー! どうして電話したのに、出ないのさ!」
「まったくだわよ。そもそもメッセージアプリを使えないってのが、不便でしかたないんだわよ。とっととまともな端末に買い替えるんだわよ」
言うまでもなく、それは『極悪バニー』と『戦慄の魔法少女』であった。
かくしてライト級の『コスプレ三銃士』は、試合会場ならぬ撮影スタジオで集結する事態に相成ったわけである。
「そんでもって、なんであんたがピエロ女とつるんでるのさ! まさか、あたしらを裏切るつもり!?」
「まったくだわね。返答次第では、ただじゃおかないんだわよ」
「あ、いや、イリア選手とは下でばったり出くわしただけで……でも、リングの外では敵も味方もないでしょう?」
「ないわけないじゃん! あんたは肝心なとこで、ぽけーっとしてんだから!」
と、灰原選手がいきなり瓜子の肩を引き寄せて、イリア選手に眼光を飛ばした。
「あのね! こいつとは、同じ釜の飯を食った仲なんだから! 余計なちょっかいを出したら、承知しないよ!」
「ああ、そうだったのですかぁ。それは失礼いたしましたぁ。それじゃあみなさん、またのちほどぉ」
灰原選手の理不尽な物言いに腹を立てることもなく、イリア選手はほわほわと微笑みながら、どこへともなく立ち去ってしまった。
瓜子の肩に腕を回したまま、灰原選手は「ふん!」と盛大に鼻を鳴らす。
「まったく、胡散臭いやつだね! あんなやつが人気投票でトップテンに入るなんて、世の中どうかしてるよ!」
「それを言ったら、あんただって謎のランクインだわよ。ま、あんたたちはボーダーラインで下位争いをしてるのがお似合いだわね」
「なんだとー!」と、灰原選手が逆側の腕を振り上げる。
瓜子は「まあまあ」とそれをなだめてみせた。
「みなさん、お元気そうで何よりです。先日はご来場ありがとうございました」
合宿稽古に参加したメンバーは、のきなみ五月大会を観戦に来てくれたのだ。なおかつライト級の面々は、全員が瓜子を通してチケットを購入してくれたのだった。
なおかつこの両名に関しては、数日前から電話とメールの強襲をいただいている。用件はもちろん、七月大会の暫定王者決定戦に関してであった。
「まったく、デビューして一年目のぺーぺーがタイトルマッチとはね! 並み居る先輩方を差し置いて、いい根性してるじゃん!」
「いや、自分はオファーを受けただけっすから、根性は関係ないと思うっすよ」
「ふん。ただでさえ厄介な黒船女に、タイトルマッチの重圧までかぶさってくるんだわよ。よっぽど気持ちを引き締めないと、結果を出すのは難しいだわね」
「押忍。めいっぱい、気持ちは引き締めてるつもりっすよ」
試合の日には挨拶ぐらいしかできなかったので、こうしてじっくり語らえるのは合宿の最終日以来である。灰原選手からは何度も電話をもらっていたが、なかなか時間の都合がつかず、メールで謝罪の言葉を送り続けていたのだ。
「あー、ユーリ選手に猪狩選手じゃないですかー! どうもおひさしぶりですー!」
と、新たな刺客が接近してくる。
それはミドル級のトップスリー、『褐色の荒鷲』たるマリア選手であった。
この元気いっぱいの娘さんを苦手とするユーリは、身を引きながらふにゃふにゃと笑う。
「あ、どうもぉ。大阪大会以来でしたっけぇ? お元気そうで何よりですぅ」
「はい! 先日はトーナメントの優勝、おめでとうございました! やっぱりユーリ選手はお強いですねー! わたしも早く再戦させていただきたいですー!」
灰原選手や鞠山選手とは、すでに挨拶済みなのだろう。マリア選手にロックオンされたユーリは渾身の愛想笑いで対抗しつつ、視線で瓜子に助けを求めてきた。
「おひさしぶりっすね、マリア選手。赤星弥生子さんも、もういらっしゃってるんすか?」
ユーリの救援要請に応えるべく、瓜子は会話に割り込んでみせる。
マリア選手は瓜子のほうにくりんと向きなおってから、不思議そうに小首を傾げた。
「弥生子さんですかぁ? 今日はわたしひとりですよー」
「え? だけど……弥生子さんも、人気投票のトップテンに入ってましたよね?」
「はい! 弥生子さんは、さすがの人気ですよねー! 強いだけじゃなくってあんなに美人さんですから、当然の話なのでしょうけど!」
そんな風に言いながら、マリア選手はにっこりと微笑んだ。
「でも、今日の撮影には来てません。弥生子さんは、別撮りらしいですよー!」
「別撮り?」と、今度は瓜子が首を傾げることになった。
すると、無言でこのやりとりを聞いていた鞠山選手が「ふん」と鼻を鳴らす。
「大怪獣ジュニアと雅ちゃんと朱鷺子ちゃんは、水着の撮影にNGを出したんだわよ。ジュニアと朱鷺子ちゃんはトレーニング風景、雅ちゃんは和服のピンナップが掲載されるらしいだわね」
「ええええええっ! そんなの、ずるいじゃないっすか! どうして自分たちだけ、水着姿なんてさらさないといけないんです!?」
「どうしても何も、嫌ならNGを出すだけだわよ。あんたはさんざん水着姿をさらしておいて、何を今さら騒いでるんだわよ?」
「だって……女子格闘技界の未来のために必要なことだからって、上司とかが言い張るもんですから……」
「だったら、職務を全うするだわね。あんたの上司が、全面的に正しいんだわよ」
と、鞠山選手は眠たいカエルのような顔で、にんまりと笑った。
「さ、そろそろ撮影の時間だわね。女子格闘技界の未来のために、文字通り一肌ぬぐんだわよ」
そうして瓜子は、人生で四度目となる撮影地獄に立ち向かうこととなった。
その場にこれだけのメンバーが居揃っていることを心強いと思うべきか、あるいはいっそう恥ずかしいと思うべきか――瓜子には、もはや正常な判断をくだす力も残されていなかった。