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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
7th Bout ~Each Battle~
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03 リベンジマッチ

 瓜子たちが控え室に戻ると、笑顔のユーリとジョンが待ってくれていた。

 ユーリなどは、もうとろけるような笑顔である。その手がぱたぱたと自分を差し招いていたので、瓜子はそちらに右耳を差し出してみせた。


「あのね、すっごくすっごくかっちょよかったよ! さっきまで涙が滝のようにあふれ出ちゃって、もう大変だったんだから! やっぱりユーリのハートを最上級に揺さぶってやまないのは、うり坊ちゃんのKO勝利なのだよ!」


 囁き声でわめきたてるという器用なスキルを発揮しながら、ユーリはそのように評してくれた。

 瓜子はまだあまり頭の回る状態ではなかったので、「ありがとうございます」というひと言にすべての感情を込めてみせる。


「……見事なKO勝利であったのです。二ラウンド目の中盤からは、完全に猪狩センパイが格上の風格であられたのです」


 と、ひとり笑顔を見せない愛音でさえ、そんな風に言ってくれた。

 瓜子はまだ、勝利の実感ができていない。ようやく最初のダウンを奪って、勝負はここから――というぐらいの感覚であったのである。


「つまりは、それだけ余力たっぷりってこったろ? だからバケモノじみてるって言ってんだよ」


 サキが再び、タオルで瓜子の頭をかき回してきた。


「ま、おめーのバケモノっぷりは、この目にしっかり焼きつけさせていただいたからな。いつか対戦する日まで、じっくり分析させてもらうことにするぜ」


「あは。サキさんに分析されるなんて、光栄の限りっすね」


「……とにかくこれで、おめーも黒船女の防波堤候補に成り上がったってわけだ」


 その黒船女は、今まさにモニター上で試合を開始しようとしていた。

 亜藤選手がグローブを差し出しても、それを無視して赤コーナーに下がっていく。本日も、メイ=ナイトメア選手は石のような無表情の中で、ただ双眸だけを野獣のように燃やしていた。


『ラウンドワン!』


 ゴングが鳴り、試合が開始される。

 亜藤選手はとりわけ腰の低いクラウチングスタイルで、メイ=ナイトメア選手は背筋をのばしたアップライトだ。


 メイ=ナイトメア選手の爆発力は前回の試合で示されていたので、亜藤選手は慎重に距離を測っている。

 と――メイ=ナイトメア選手が、ふいに大きく踏み込んだ。

 無造作にも見える右フックが、亜藤選手の左頬に叩きつけられる。


 亜藤選手は力なく後ずさり、メイ=ナイトメア選手がそれを追った。

 真っ直ぐ下がった亜藤選手は、そのまま自軍のコーナーに追い込まれてしまう。

 それと同時に、メイ=ナイトメア選手が両手の拳を振るい始めた。

 左右のフックの乱打である。前回の試合と同様に、相手のガードなど無視した速射砲のごときラッシュだ。


 ただし今回は、ボディブローやアッパーなども織り交ぜられていた。

 両方の足でマットを踏みしめ、上半身の動きだけで凄まじいスピードのパンチを繰り出していく。亜藤選手は頭を抱えて丸くなり、まったく反撃することもできなかった。


 時間だけが、刻々と過ぎていく。

 それが十秒近くに及んだとき、レフェリーがスタンディングダウンを宣告した。


 メイ=ナイトメア選手はぷいっと身体を背けて、ニュートラルコーナーに歩いていく。

 亜藤選手はそのまま力なくへたりこみ、そして立ち上がることができなかった。


『一ラウンド、二十六秒、メイ=ナイトメア選手のKO勝利です!』


 控え室が、騒然となっていた。

 観客席も、それは同様であっただろう。歓声というよりは、驚きの声が沸騰しているように感じられる。


「あっちもあっちで、十分にバケモノだな。ま、あのバケモノの分析は後回しだ」


 本来であれば、ユーリも入場口に向かっていなければならない時間であったのだ。控え室に飛び込んできたスタッフに急き立てられて、ユーリたちは慌ただしく出陣することになった。


「ユーリさん、頑張ってください!」


「うん! しっかり見守っててねー!」


 サキとジョンと愛音も消えて、瓜子の周囲はとたんに静かになる。

 しかし、控え室にたちこめた熱気と緊迫の気配に変わるところはなかった。


「まさか、亜藤選手が秒殺とはな……」

「あんな手打ちのパンチで、なんでKOできるんだよ?」

「質より量ってことなのかね。何にせよ、規格外だ」


 控え室は、そんなざわめきに満ちていた。

 立松は「ふん」と鼻息を噴きながら、パイプ椅子に座った瓜子のもとに屈み込んでくる。


「もしも本当にあの選手と試合を組まれたら、俺たちが入念に作戦を立ててやる。何も気にせず、今日の勝利を喜んどけ」


「押忍。自分としては、対戦が楽しみなぐらいっすよ」


 そして瓜子の意識は、速やかにモニターへと戻されていた。

 次の試合は、ベリーニャ選手の復帰戦なのである。


 漆黒の柔術衣で入場したベリーニャ選手は、リング上でそれを脱ぎ捨てる。普段通りの、黒いラッシュガードとハーフスパッツだ。

 それと相対する大村選手は、ベリーニャ選手よりもひと回りは大きな体格をしている。彼女は《アトミック・ガールズ》において、兵藤選手に次ぐ重量の選手であるのだった。


 ただし年齢は三十六歳で、来栖選手よりも年長者である。

 かつてはレスリングで好成績を残し、引退後は格闘技から離れていたが、三十路を超えてから意欲が再燃し、五年ほど前に《アトミック・ガールズ》でプロデビューを果たしたという、彼女はそういった経歴の持ち主であった。


 無差別級は選手数が少なかったため、デビュー当時は彼女もそれなりの試合数をこなしていた。来栖選手と小笠原選手には全敗で、兵藤選手や高橋選手にも負け越している。トップファイターには一歩及ばない、中堅選手といったポジションであろう。

 ただし、誰が相手でもそこそこの勝負をすることができる。打たれ強く、レスリング能力に長けているため、ほとんどの勝負は時間切れの判定負けであったのだ。


 よって、ベリーニャ選手の調整試合には、もっとも相応しい相手であったのかもしれないが――ベリーニャ選手は、この粘り強い大村選手をも一ラウンドでタップアウトさせていた。低空タックルによってテイクダウンを奪い、マウントポジションを奪取したのち、パウンドで背中を向けさせてチョークスリーパーを極めるという、MMAの教科書じみた試合運びである。


「こいつはまた、質の異なるバケモノさんだな。桃園さんも、えらい相手を目標にしたもんだ」


 そのように語る立松は、我がことのように闘志を覗かせていた。

 きっとユーリに対しても、分け隔てなく同門の選手であるという思いを抱いてくれているのだろう。瓜子にとっては、何よりありがたい話であった。


 ともあれ――今日の相手はベリーニャ選手ではなく、魅々香選手である。

 リングアナウンサーによってメインイベントの開始が告げられて、ユーリが再び花道に現れた。


「ふん。相変わらず、余裕しゃくしゃくの面がまえやな」


 と、懐かしい関西弁が背後から聞こえてくる。

 瓜子が振り返ると、小洒落た私服に着替えた沙羅選手がしれっとした顔でたたずんでいた。


「お帰りなさい。姿が見えないんで、帰っちゃったのかと思いました」


「ふん。この勝負を見届けずに、帰れるわけないやろ」


 沙羅選手のしなやかな指先が、瓜子の頭をぐしゃぐしゃにかき回してきた。


「ま、どっちが勝とうと、ウチは両方リベンジせなあかんけどな。まったく、難儀な話やで」


 少なくとも表面上は、沙羅選手も復調したようだった。

 だがやはり、モニターを見つめるその目はいつも以上に鋭いように思える。自分に勝った者同士の対戦を見届けるというのは、至極複雑な心境であるはずだった。


『本日のメインイベント、ミドル級王座挑戦者決定トーナメント、決勝戦、五十六キロ以下契約、五分三ラウンドを開始いたします!』


 決勝戦は、通常通りの三ラウンドだ。

 瓜子もまた、息を詰めてその様相を見守ることになった。


『青コーナー。百六十七センチ。五十五・八キログラム。フリー。無差別級王座決定トーナメント準優勝……ユーリ・ピーチ=ストーム!』


 先の試合と同じメタリックな色合いのコスチュームで、ユーリは楽しげに両手を振っている。これだけの休憩時間があれば、スタミナもすっかり回復しているはずであった。


『赤コーナー。百六十五センチ。五十六キログラム。天覇館東京本部所属……魅々香!』


 魅々香選手もまた、変わらぬ姿で礼をしている。

 こちらは沙羅選手の猛攻にさらされていたが、クリーンヒットはもらっていない。せいぜいガードした手足に多少のダメージが残されているていどであろう。


 およそ十ヶ月ぶりに、両者はリングで向かい合った。

 そして赤コーナー側のリング下には、来栖選手も控えている。そちらは八ヶ月前にユーリと対戦しており、その際には魅々香選手がセコンドについていたのだ。


 また、ユーリが連敗の泥沼から這い上がって以来、二度目の対戦を行うのは、この魅々香選手が初めてとなる。

 ユーリの怪物じみた力を体感した魅々香選手が、このリベンジマッチではどのような作戦を立ててきたのか。瓜子は、否応なく緊張することになってしまった。


『ラウンドワン!』


 そんな瓜子の思いもよそに、試合は粛々と開始される。

 大歓声の中、両者はリングの中央へと進み出た。やはりユーリは、アップライトのスタイルだ。


「まずはスタンドでリズムをつかみたいところだが……相手は、どう出てくるかな」


 立松も、押し殺した声でつぶやいている。

 その声に応じるように、魅々香選手がすうっと足を踏み出した。

 長い左腕が、弧を描いてユーリの横っ面を打つ。

 ユーリはすかさず左ローを返したが、相手はアウトサイドに踏み込んでいるため、当たりはしなかった。


 そして魅々香選手は、さらにワンツーを打ち込んでくる。

 それをガードしたユーリは、自らも右の拳を振るおうとしたようだったが――それよりも早く、魅々香選手が右のミドルを繰り出していた。


 右ストレートを出すさなかであったユーリは、まともにその右ミドルをくらってしまう。

 さらに魅々香選手は、左右のフックでたたみかけた。

 ユーリが後方に退くと、アウトサイドに踏み込んで、重そうな右ローを叩き込む。そしてさらに、ワンツーの追撃だ。


「ふん。ウチの試合とは、えらい違いやな」


 こらえかねたように、沙羅選手が言い捨てた。


「ま、相手によって作戦を変えるのは当たり前やろうけど……それにしたって、見事な豹変っぷりやないか」


 魅々香選手は、打撃でユーリを圧倒していた。

 パンチを主体に組み立てつつ、効果的に蹴り技も織り込んでいる。しかも、いまだにカウンターをくらっていない。まずは、作戦通りなのであろうと思われた。


 以前のユーリであれば、そろそろダウンでも奪われていたところだろう。

 しかしユーリも、この十ヶ月で大きな成長を遂げている。

 それを示すべく、ユーリが反撃に転じていた。


 まずはワンツーに左ミドルのコンビネーション。

 魅々香選手は大きくバックステップして、それらをすべて回避した。

 それを追いかけて、左ジャブから右フック。さらに、左ジャブから右のローだ。

 最初の左ジャブだけ右腕でブロックした魅々香選手は、後ろではなくアウトサイドにステップを踏んだ。

 そして、最後に右ローを放ったユーリの肩口に、右のミドルハイを叩きつける。

 さすがにユーリがぐらつくと、その顔面に左右のフックが繰り出された。

 ユーリは頭を抱え込み、なんとかそれをブロックする。

 歓声は、割れんばかりに高まっていた。


「このタコ坊主、真っ向から打撃でやりあうつもりか?」


 今度は、サイトーがつぶやいた。

 すると、沙羅選手が「ははん」と鼻を鳴らす。


「何もおかしな話ではないやろ。この白ブタを仕留めるには、まず打撃で削る必要があるんや。……言うほど簡単な話ではないはずやけどな」


 その簡単でないことを、魅々香選手はやってのけている。

 ユーリの無秩序なコンビネーションをも見切って、的確に自分の打撃を当てているのだ。


 そこでユーリが、アップライトからクラウチングに体勢を変化させた。

 これはおそらく、組み技を警戒してのことである。セコンド陣は、打撃の隙間から組み合いに持ち込まれることを警戒したようだった。


 ユーリはどちらのスタイルからでも、さまざまなコンビネーションを放つことができる。

 しかし、それらもすべてかわされてしまっていた。

 ひとたびユーリが動き出すと、魅々香選手は射程の外に逃げてしまうのだ。

 そうして攻撃の打ち終わりに、自分の攻撃を当てていく。手数はユーリのほうがまさっているのに、その攻撃はほとんど相手に触れることができなかった。


 ユーリの天敵とまで称されていたマリア選手よりも、魅々香選手は的確に打撃をヒットさせている。それはさきほどの瓜子と同じように、危険と背中合わせのポジションにしっかりと踏み止まり、自分の力を信じて拳を振るっている結果であるはずだった。


「お」と沙羅選手が声をあげる。

 ひさびさに、ユーリの左ミドルが相手のもとに届いたのだ。

 魅々香選手は、右腕でしっかりとガードしている。その腕を貫いて、胴体に衝撃が走るほどの破壊力であっただろう。


 しかし、魅々香選手の動きに変わりはない。

 自分から手を出して、ユーリのコンビネーションをすかしつつ、また自分の攻撃を当てていく。ユーリの有する怪物じみた破壊力を再認識させられても、彼女の覚悟は揺るがなかったようだった。


「完全にリズムをつかまれちまったな。かといって、打撃が届かないのにタックルを出しても潰されるだけだろうし……ジョンよ、どうする?」


 独り言のように、立松がつぶやいた。

 と――ユーリが固くガードを固めながら、真正面から魅々香選手に近づいた。

 魅々香選手が左ジャブで牽制しても、かまわず前進し続ける。距離を潰して、相手のリズムを乱そうとしているのか。あるいは、組み合いを誘っているのかもしれなかった。


 すると、魅々香選手は足を使って距離を取ってしまう。

 沙羅選手との試合でも披露した、なかなか軽やかなステップワークだ。

 そうしてユーリのアウトサイドに大きく回り込んでから、右のアウトローを叩きつける。


 どうやらこのラウンドは、徹底的にこの戦法を貫こうというかまえであるようだ。

 それでもユーリが愚直に距離を詰めようとした瞬間――魅々香選手の身体が、ふっと沈み込んだ。


 いきなりの、両足タックルである。

 ユーリはすかさず、右膝を振り上げていた。

 かつて魅々香選手を眼窩低骨折に追い込んだ、カウンターの膝蹴りだ。


 しかし、半秒遅かった。

 ユーリの右膝は振り上げられる途上で魅々香選手の胸もとをどしんと叩き、その浮いた右足もろとも相手の両腕に絡め取られていた。


 ユーリは背中から倒れ込み、魅々香選手はその上にのしかかる。

 ユーリの左手側から、魅々香選手が体重をあびせている格好の、サイドポジションだ。

 だが、魅々香選手は自ら左足をユーリの足の間に差し込んでいた。

 サイドポジションではなく、ハーフガードのポジションを望んだのだ。


 一般的に、サイドポジションやマウントポジションはトップキープが難しいと言われている。攻撃の幅が広がる代わりに、相手にエスケープやスイープを許すリスクがつきまとうのだ。

 いっぽうで、ハーフガードは攻撃の幅がせばまる代わりに、ポジションのキープは容易になる。ガードポジションまで戻されない限り、サブミッションの反撃をくらうリスクもない。まずポジションキープを重んずるならばハーフガードが最適であると、瓜子はユーリや立松からそのように教わっていた。


 その優位性を示すように、魅々香選手はがっしりとポジションを固めている。

 ユーリに腰を切らせないように、上半身はべったりと伏せて、横合いから小さなパウンドを振るっていた。


 ユーリは左腕で頭をガードしつつ、右腕で相手の腰を押そうとしている。

 そうしてわずかに重心がずれた瞬間、ユーリは爆発的な勢いで右側に腰を切った。


 先の試合の沖選手であれば、すぐさま自分も追いかけて、ポジションキープに徹したことだろう。

 しかし、魅々香選手はそうしなかった。

 不安定な体勢で半身を起こしつつ、ガードの解かれていたユーリの顔面に右の拳を叩き込む。それからユーリの右脇を差して、あらためてその上にのしかかった。


 ユーリは右腕を相手の咽喉もとに押し込んで、なんとか身体を離そうとする。

 その間も、逆の側からは魅々香選手のパウンドが振るわれていた。

 それはなんとか左腕でガードしつつ、右足の先を相手の股座に潜り込ませる。片足だけだが、フックガードの体勢だ。


 しかし、いつしか魅々香選手の両足は、ユーリの左足を絡め取っていた。

 ユーリがもう少し身体を右側にずらせればスイープを狙えそうなところであったが、その動きは右脇を差されることで防がれている。


 するとユーリは右足の先を引き抜いて、足の裏でマットを踏みしめた。きっとブリッジで、相手の重心を崩そうと考えたのだろう。

 それを察したのか、魅々香選手は少しだけ上体を浮かせた。

 それと同時に、ユーリがブリッジで身体をのけぞらせる。

 ユーリの上で魅々香選手の身体がバウンドしたが、その体勢が大きく崩れることはなかった。上体を浮かせて、ブリッジの勢いを上手く逃がしたのだ。


 ブリッジは不発に終わったが、密着状態からは解放された。ユーリは水を得た魚のように、ぐいぐいと腰を切っていく。左足を絡め取られて、右脇を差されているというのに、おかまいなしの躍動感であった。


 この勢いなら、不利な体勢から脱出できるはずだ。

 瓜子がそのように考えた瞬間、魅々香選手がまた身を伏せた。

 同時に、ユーリの躍動がびくりと停止する。

 何が起きたのか、瓜子には一瞬理解できなかった。魅々香選手の右腕はユーリの首裏に回されており、パウンドが振るわれた様子もない。


 すると、魅々香選手が奇妙な動きを見せた。

 またさきほどと同じぐらい上体を浮かせて、すぐさま身を伏せたのだ。

 ユーリは、苦しげに身をよじっている。明らかに、何らかのダメージを負った様子だ。


 そのとき、カメラのアングルが逆側に切り替えられた。

 ユーリの左手側からのアングルで、その苦しげな表情があらわにされる。首裏に軽く右腕を巻かれているだけで、何が苦しいのかはさっぱりわからない。


 その答えは、すぐに解き明かされた。

 魅々香選手が、同じ挙動を見せたのだ。

 上体をわずかに上げた魅々香選手は、身を伏せる際に自分の右肩をユーリの下顎に叩きつけていたのだった。


 MMAにおいてもそれほどポピュラーではない、肩パンチと呼ばれる技である。

 相手に密着した状態でも繰り出すことのできる希少な技でもあるが、しょせんは短い射程距離で肩をぶつけるだけのことなのだから、さしたるダメージを与えることはできない。もっと射程を確保することができるなら、殴ったほうがよほど効果的であるのだから、しょせんは嫌がらせの小技にすぎないのだ。


 だが、ユーリははっきりと痛そうな顔をしていた。

 それに、魅々香選手は男子選手のようにごつい肩をしている。それがユーリの華奢な下顎にぶつけられていくさまは、どこか鈍器で殴られているような凄惨さがあった。


 その攻撃が五回にも及んだとき、ユーリはこらえかねたように相手の身体を抱きすくめた。

 ついにユーリが脱出をあきらめて、守りを固めることになってしまったのだ。


 魅々香選手は無理にユーリの腕をほどこうとはせず、スキンヘッドでぐりぐりと顔面を圧迫する。

 ユーリの顔は、いっそう苦しげになってしまっていた。

 まるで、アナコンダに拘束された大型動物のようだ。

 しかしこれなら、膠着状態と見なされてブレイクになるのでは――と、瓜子がそんな風に考えたとき、ゴングが高らかに鳴らされた。


 ブレイクを待つまでもない。いつの間にか、ラウンドの終了時間であったのだ。

 ということは、最初から最後までユーリが攻め込まれたまま終わってしまったということであった。


「ふん……このタコ坊主は、立ち技でも寝技でも真っ向勝負で白ブタをねじふせよういう作戦らしいな」


 沙羅選手が、面白くもなさそうな声でそのように言い捨てた。


「正道にまさる邪道はないて、そんな覚悟を固めてるんや。……さて、邪道の極みたる白ブタは、どないにして対抗するつもりやろうな」


 瓜子には、何も答えることができなかった。

 魅々香選手の圧迫から解放されたユーリは、来栖選手やマリア選手と対戦したときよりも、さらに激しく消耗しているように感じられた。

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