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アトミック・ガールズ!  作者: EDA
6th Bout ~March Of Valkyrie~
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ACT.2 西国見聞録#2 01 開場

 その後、開場の一時間前から、ユーリは恒例のサイン会に励んでいた。

 このたびは早い時間から会場周辺のスペースを使用することが許されなかったため、ちょっと遅めの開催となったのである。


 そのために、開場はいささかゴタついたようだった。一時間ではすべてのファンをさばくことができず、普通に来場したお客たちもグッズ売り場に押しかけて、ユーリにサインをねだり始めたのである。

 きっとこういう混乱を避けるために、これまでは早い時間にサイン会を設定していたのだろう。結果として、客席が埋まるのに時間がかかってしまい、開会セレモニーは十五分押しということになってしまった。


『なんやら今日は、余興も盛りだくさんみたいやねぇ。たっぷり楽しんでいってやぁ』


 雅選手は、そんな言葉で選手代表の挨拶を締めくくっていた。

 さすがに内心をさらしはしないが、やはりユーリの存在を疎ましく感じているのだろうか。ユーリを嫌う筆頭格である無差別級の兵藤選手などは、真正面を見据えながら鬼のような形相に成り果てていた。


 もっともそれは、本日の試合に向けて闘志を燃やしているだけなのかもしれない。ずらりと並んだ出場選手の中で、兵藤選手と対になるポジションには、黒いトレーニングウェアに着替えたベリーニャ選手が泰然とした面持ちでたたずんでいた。


 そんなちょっとしたハプニングを踏まえつつ、試合の開始である。

 本日は、浜松大会よりもさらに豪華な内容となっていた。


 アマチュア選手による二試合のプレマッチは、通常通り。

 その後は、関西勢同士の試合が二試合。

 東西五番勝負の、先鋒戦から中堅戦までの三試合。

 ユーリ・ピーチ=ストームによる、ミニライブ。

 東西五番勝負の、副将戦と大将戦。

 瓜子とイリア選手の一戦。

 セミファイナルは、兵藤選手とベリーニャ選手のグラップリング・マッチ。

 メインイベントは、雅選手と外国人選手によるタイトルマッチ。


 以上の構成となっていた。

 ちなみに、灰原選手は五番勝負の次鋒戦、鞠山選手は副将戦である。


 この構成で瓜子が八試合目とは、光栄な限りであった。

 それはもちろん、派手なパフォーマンスで人気を博するイリア選手あってのことであるのだろうが――それにしたって、対戦相手に瓜子を選んでもらえたというのが、まず栄誉である。どれほど選手間の評判が悪かろうと、イリア選手はまぎれもなくトップファイターであり、ライト級の前王者であるのだ。これは最大の試練であり、最大のチャンスでもあるはずだった。


 そうして瓜子は闘志をたぎらせつつ、控え室のモニターでプレマッチの様子を観戦しながら、ユーリの帰りを待っていたわけであるが――そこでまた、ひとつのハプニングが生じることになった。ベリーニャ選手のセコンド兼通訳として同行していた舘脇なる人物が、何やら思い詰めた様子でサキに声をかけてきたのである。


「あの、申し訳ないのですが……ちょっとお時間をいただけますか? ベリーニャ選手とユーリ選手のことで、お耳に入れておきたいことがあるのですが……」


 サキは理由を問うこともなく、瓜子の肩をぽんとひとつ叩いてから、舘脇と一緒に控え室を出ていった。


「なんでしょう? そういえば、ベリーニャ選手の姿が見えないっすね」


「ウン、そうだねー。でも、ウリコはシアイにシュウチュウだよー?」


 ジョンはそのように笑っていたが、瓜子の集中は大きく削がれることになってしまった。

 控え室に戻ってきたとき、サキが恐ろしいまでの仏頂面になってしまっていたのだ。


「ど、どうしたんすか? いったいどういうお話だったんです?」


「あー……おめーはいいから、集中しとけ。牛には、アタシから話しておく」


「いやいやいや、ユーリさんとベリーニャ選手の話なんでしょう? それを隠されたら、さすがに集中できないっすよ」


 サキはがりがりと頭をかきむしってから、瓜子とジョンの顔を見比べた。


「……わかった。牛が戻ったら、一緒に聞かせてやる。その代わり、雑念をリングに持ち込むんじゃねーぞ?」


「押忍。ありがとうございます」


 ユーリが戻ったのは、プレマッチの一試合目が終了したタイミングであった。


「いやー、遅くなっちゃった! ちょっと駒形さんにつかまっちゃって、ライブの演出の再確認なんぞをさせられていたのだよ。すぐに着替えるから、そしたらセコンド業に一時復帰するね!」


「その前に、ちょいと話がある」


 この窮屈な控え室では内密な話をするのも難しかったので、瓜子たちもいったん廊下に出ることになった。

 奥のほうが廊下のどん詰まりであったので、そこまで移動してから、四人でぐっと顔を寄せ合う。


「さっき、舘脇とかいう柔術女にうざってー話を聞かされた。……牛はしばらく、ブラジル女に話しかけるなってよ」


「なんすか、それ? 理由を聞かせてくださいよ」


「だから、おめーは熱くなるなっての。牛も、でけー声を出すんじゃねーぞ?」


「うん。ユーリはそこそこ最悪の事態とかも想定してるから、きっと大丈夫だよ」


 そう言って、ユーリはそっとまぶたを閉ざした。

 サキはその顔をねめつけてから、感情を押し殺した声で語り始める。


「まずな、ブラジル女は今日の牛がどういう用事で大阪にまで出向いてきたか、そいつを把握してなかったんだとよ。ついさっき、牛が受け持った余興の内容を、パラス=アテナの連中に説明されたんだそうだ」


「……それで、どうしてユーリさんに話しかけるなって話になるんすか?」


「神聖なリングで歌を歌うなんざ、言語道断だ。この牛がそんな浅はかな人間だとは思わなかった。ちっとばっかりハラが収まらねーんで、しばらく声をかけるなってことだそうだ」


「なんすか、それ?」と、瓜子はまた熱くなってしまった。


「ベリーニャ選手だって、映画に出たり水着の写真を撮られたりしてたでしょう? ユーリさんはそういうベリーニャ選手に憧れて、プロファイターを目指したんすよ? それなのに、ユーリさんを一方的に馬鹿にするなんて――」


「そうだからこそ、ケジメをつけてほしかったんだとよ。あと、サイン会なんぞで興行のスタートに影響が出るってのも納得がいかねーそうだ。……早い話が、その牛を見損なったんだとよ」


 瓜子は、目が眩むほどの怒りを覚えてしまった。

 しかしユーリは「そっかぁ」と普段通りの声でつぶやく。


「うん、普通の選手はそう考えるよね。ユーリだって、リングの上でお歌なんかを披露するのは気が引けちゃうもん。ベル様が怒るのも当然さぁ」


「だけどユーリさんは、パラス=アテナの要請に応じただけじゃないっすか?」


「その要請を断らなかったら、同罪じゃない? ユーリだって、パラス=アテナのお人らに責任を押しつける気にはなれないからねぇ」


 そうしてユーリは、ぱちりと目を開いた。

 そのとろんと眠たげな目に、涙が浮かんだりはしていない。むしろそこには、びっくりするぐらい澄みわたった光が宿されていた。


「それで? ユーリがベル様にお声をかけなければ、それでいいのかにゃ?」


「ああ。いつかあっちの気が晴れたら声をかけるから、それまではどうぞご遠慮くださいませ、だとよ」


「うん、了解いたしました。……それじゃあユーリは、着替えてくるねぇ」


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! ユーリさんは、本当にそれでいいんすか?」


 控え室に戻りかけていたユーリは、穏やかな表情で「うん」とうなずいた。


「ユーリはベル様に嫌われる覚悟を固めてたから、だいじょーぶ! きっと道場でのあれやこれやも聞いた後で、今日のことがトドメになっちゃったんじゃないかにゃあ?」


「でも……自分は、納得いかないっすよ」


「いいんだってば! ユーリには、うり坊ちゃんがいるんだから!」


 そう言って、ユーリはにこりと微笑んだ。

 いつも通りの――いや、いつも以上に幸せそうな笑顔である。


「たぶんうり坊ちゃんがいなかったら、三日三晩は号泣だったと思うけど。自分でもびっくらこいちゃうぐらい、ユーリは大丈夫なのです! それよりも、まずはセコンドとしてのお仕事を果たさねばね!」


 サキが大きく左腕を振りかぶり、ユーリの大きなおしりをしたたかに引っぱたいた。

 ユーリは「うきゃー!」と雄叫びをあげ、涙目でサキをにらみつける。


「きゅ、急に何をするのさー! ユーリ、何か悪いことした!?」


「いや。おめーと出会って以来、こんな人間がましい言葉を聞かされたのは初めてだ。あんま言いたくねーけど、今日だけはほめてやる」


「では、何故に暴力を!?」


「よくわかんねーけど、激励だとでも思っとけ」


 そうしてサキは、瓜子に向きなおってきた。


「聞いたな、瓜? 人外の牛でさえ、人間様の道理をわきまえてんだ。怒るのも悩むのも、試合の後にしろ。……さっきも言ったけど、今日も旅館で雑魚寝なんだからよ。おめーの納得がいくまで、とことんつきあってやる」


「……押忍。まずは、試合に集中します」


 瓜子はすべての感情をねじ伏せて、そのように答えてみせた。

 もしもユーリが涙のひとつでもこぼしていたならば、ベリーニャ選手に直談判でもせずには収められなかっただろう。

 しかし、当のユーリがこれだけ気丈に振る舞っているのだから、瓜子が取り乱すことはできなかった。

 すべては、試合が終わってからのことだ。


「ウン。ナニかあったら、ボクもフォローするからねー。ソレじゃあ、ヒカえシツにモドろうかー」


 ジョンは、いつも通りの笑顔である。

 しかし、瓜子たち三名を見る瞳は、いつも以上に優しい気がした。まるで、娘を見守る父親のような眼差しだ。

 そうして瓜子は頼もしき仲間に囲まれながら、控え室に戻ることになった。


 瓜子たちが密談をしている間にプレマッチの二試合目も終わってしまったようで、画面上には大阪勢同士の試合が映し出されていた。

 ユーリは着替えの詰まったバッグを手にトイレへと消え、その代わりに灰原選手が近づいてくる。


「あんた、どこに行ってたのさ? あたしの試合を見逃したら、承知しないよ?」


「押忍。ここでじっくり観戦させていただきます」


「ふん! そんな上から目線も、今だけだよ! あたしは絶対、魔法老女より先にリベンジさせてもらうからね!」


 灰原選手はずっと突っかかるような態度であったが、しかし瓜子のことが本当に気に入らなければ、わざわざこうして自分から近づいてくることもないだろう。ベリーニャ選手の話を聞かされた後では、彼女のそうした振る舞いさえもが友好的なものに感じられてしまった。


 やがてユーリが戻ってきたが、その目が赤くなったりはしていない。ステージ衣装の上から白とピンクのジャージを着たユーリは、いつも通りの顔でにっこりと微笑んだ。


「お待たせー! ライブの前の試合になるまでは、ユーリのセコンドタイムだからね! お水のむ? マッサージする? ウォームアップする?」


「今のところは、大丈夫です。一緒に試合を観戦しましょう」


 モニターからは、いずれも熱い試合模様が届けられてきた。

 限界いっぱいまでお客を詰め込んでいるので、普段以上の熱気が感じられる。この中に、かつて瓜子にサインを求めてきた女の子もまじっているのかな――と、瓜子はそんな想念にとらわれるぐらい、気持ちを落ち着けることができた。


 関西勢の試合が終結したのちは、いよいよ東西五番勝負である。

 関東勢の先鋒は、鞠山選手の同門たる天覇ZEROの新人選手であったが――この試合は判定までもつれこみ、関西勢の勝利であった。やはり地元ということで、声援が力となっているのだろうか。


 次に行われた次鋒戦においても、関西勢に対する声援が凄かった。

 しかし、『極悪バニー』と化した灰原選手は、そんな歓声を弾き返すようにして、序盤から乱打戦を仕掛けていく。かつては瓜子がこの身をもって体感することになった、重いフックの嵐である。


「ふん。ちっとは脂肪が筋肉になってきたんじゃねーか?」


 サキはそのように言っていたが、このようなモニターでは判然としなかった。ただ、灰原選手の猛攻が凄まじいことは確かである。

 結果、灰原選手は初回で三度のダウンを奪い、見事にTKO勝利を飾っていた。

 地元選手ならぬ灰原選手にも、惜しみない拍手と歓声が送られる。


「うみゅう。なんのお仕事も果たさぬままに、この時間を迎えてしまった……そりでは再び、一時離脱いたしまする!」


「はい。気をつけてくださいね、ユーリさん」


「うん! たとえ大ブーイングをあびようとも、ユーリはお仕事を果たしてみせるよぉ」


 ユーリは朗らかなる笑みを残して、控え室を出ていった。

 ユーリの身は、スタッフや警備員がガードしてくれることになっている。瓜子としては、この場でユーリの安全とイベントの成功を祈ることしかできなかった。


(《NEXT》だって、音楽と格闘技の祭典なんてイベントを開いてるんだ。リングで歌を歌うぐらい、いいじゃないか)


 と、またベリーニャ選手への反感がわきおこってきてしまったので、それは慌てて呑み下す。ベリーニャ選手に文句を言うとしても、それは明日以降の話であった。


(なんだったら、道場にまで押しかけてやるからな。ベリーニャ選手がユーリさんを嫌うのは勝手だけど、誤解や勘違いだけは絶対に許さないぞ)


 そんな思いを最後の残り火として、瓜子はモニターを注視した。

 そこに、灰原選手が凱旋してくる。


「よう、ちゃんと観てたよね? きっちりKOでカタをつけてきたよ!」


「やかましいだわね。スリーダウンはKOじゃなくってTKOだわよ」


 壁に掛かった姿見で化粧なおしをしていた鞠山選手が、とがった声をぶつけてくる。レオタードに包まれた豊満なる胸をそらしながら、灰原選手は「へへーん!」と威張った。


「悔しかったら、あんたもダウンを奪ってみなよ! ま、あんなお粗末な立ち技じゃ、ひっくりかえっても無理だろうけどねー!」


「ふん。大振りフックしか能のないあんたに言われたくないだわよ。いつか対戦が決まったら、そのぶっとい足をぶっ壊してやるだわよ」


「やれるもんなら、やってみな!」


 ということで、熱き血を持つ両名は、再びおたがいのセコンド陣にお叱りを受けることになった。

 そしてモニターからは、歓声が巻き起こる。打撃で追い込まれていた関西勢の選手が起死回生のタックルを決めて、チョークスリーパーまでこぎつけたのである。

 地元の選手の逆転勝利に、会場はいっそう盛り上がる。

 灰原選手はくびれた腰に手をやって、「あーあ」と嘆息した。


「先鋒に続いて、中堅もやられちゃったよ。副将に大将、あとはあんたたち次第だよ!」


 鞠山選手は仏頂面で肩をすくめるばかりであったが、大将格の選手は「まかせておきな」と応じていた。それは灰原選手と同門である、ミドル級の多賀崎選手であったのだ。一月大会、瓜子と灰原選手がやりあった日に、沙羅選手に敗れていた選手である。彼女はミドル級のトップスリーに次ぐ実力者と見なされていた。


(でも、今はユーリさんがのしあがってきてるし、彼女も沙羅選手に負けちゃったしな)


 そうすると、番付では日本人選手の六番手ということになってしまう。トップファイター候補から、中堅以下に成り下がってしまうのだ。そういった背景もあってか、多賀崎選手はずいぶんと入れ込んでいる様子であった。


 ともあれ――前半戦の五試合は、これにて終了した。

 いよいよユーリの、オンステージである。


『それではこれより、本日のスペシャルイベント―ーユーリ・ピーチ=ストーム選手による、スペシャルライブをお届けいたします!』


 リングアナウンサーの宣告に歓声が巻き起こり、花道にスポットが当てられる。

 普段にも劣らぬ大歓声の中、ユーリは元気いっぱいに飛び出してきた。

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