介護初日
俺は思い出す。自分の初日を。自分の数奇な介護業界人生を改めて考える。正直まともな人間じゃなかった俺は田舎の工業高校を卒業して最初に就職したところをたったの1年で辞めて、そこからは真面目に履歴書を書いたらどんな企業でも敬遠される人間となった。それだけ職を変えた。社会が厳しいこともあるが大半は自業自得だった。そして一念発起、ヘルパー2級を取って、何度も脱走しかけた10数年、今は一応通信とはいえ大学を卒業して社福、介福、福祉の教員免許を持つ人間になるまで人生を立て直した。俺みたいなドクズは多分福祉業界がなければ今頃、流されるままにオレオレ詐欺をするような会社に入ってた気がする。なんのかんの言っても、やりがいは全くないが年に1回は感動する業界にいることが長続きの秘訣である。そもそも仕事はやりがいなんかいらない。続けることができるかどうかである。俺はそれが福祉業界だった。楽しくはないが、ヘラヘラしながらやってますよ。
俺の介護初日は有料だった。中途入社の俺は当然現在の制服が用意されず、前の人が来てた前に採用されていた制服を着て職場に来て、名札とかもないから認知が激しい利用者に罵倒された1日だった。「初日だから今日は見てて」と言うなか、認知が入って暴言を吐くどころか唾も吐く利用者からは馬鹿だの、クズだの言われオロオロする1日だった。介護童貞を卒業した今は、そんな利用者がいたらニッコリ営業スマイルで「僕も一応小学校はギリギリ卒業しました!」と元気よく言えるレベルにはなったが、最初は思い悩んだ。そこからあっという間。俺は遮二無二なるしかなかった。アホだけど、みんな俺を助けてくれて介護福祉士のテキストを惜しげもなくくれた。「自分の時代だからもう今の時代は通用しないけど、役に立つなら使って」と言われ、これは真面目にやらんといかんと思い、勉強した。結果は合格。職場じゃヘラヘラしたが、合格して賞状を貰い家じゃ号泣した。今となれば介護福祉士の試験なんかクソ簡単で、クソ簡単だから対したウリにならんけど多分これ以上の感動をするのは無理だ。それぐらい感動した。涙で脱水症状になるぐらいに。そこからは時の流れに身を任せるまま。主事のためにロフォス翔南に行った。全国の福祉系で働く人間と出会い、大学で福祉を学びたいと思い、通信で入学した。夜勤明け眠い目をこすりながらテストを受けた。社会福祉士に合格して始めて大学に行った意味を見いだせた。福祉の教員免許、中学の社会科、高等学校の地理歴史、公民科の教員免許まで取った。正直三十代の教育実習生は、二十代前半の大半の教育実習生に比べ、潜在能力は圧倒的に劣っているが、なんやかんやで社会を泳ぎ切った自負があった。とはいえ人にものを教えることなんてできないと思ったからね。教員採用試験なんか受かる気がしない。ただ一か月も満たない機関とは言え「先生」と呼ばれた日々を懐かしく思う。それはあのボロクソ言われて、「俺の何がいけなかったんだ」と寝ずに考えたあの介護初日が俺にはあったからだ。あの初日がなければおれは福祉なんかを何年も続けるとは思わんかった。今でも時折辞めてえなこんなとことは思うが実際に辞めてない。そういうのが大事なのだ。中年になってそう思う。
さてここからはあけすけタイム。ここまでの説明で気づいた人もいると思われるが、俺と伴太くんは割と似ている。とかく仕事を続けられないダメ人間。最初から介護や福祉をやるために学業をしていた人間ではなく流れてここにしか居場所がなくなった人間。だから伴太くんの半生は俺の自戒でもあるのだ。一応俺は二十代でこの業界に入ったが、ズブの新人が40代どころか60代もいるこの業界。伴太は若い部類である。しかしその初日は壮絶であった。
「ヴぁああああああああああ あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ だぁだぁだぁ」叫び声と言うか、獣のような雄たけびが部屋一面にこだました。ご存じグループホームきさらぎB組の様子である。ここで熱い咆哮を上げているのは要介護5の佐々木さんだ。佐々木さんは元気なころは手芸が趣味で手作りの草鞋を創り、職員を驚かしていた人だが、要介護度が重くなり現在では独語(認知が入ると、独り言が多くなる。大体は念仏のようなもん)が、でっかい叫び声をあげるようになり、当然他の利用者とトラブルになりやすくなる。食事も介助がないとできないし、一時期は拒否もあり三食エンシュア(高カロリーの飲み物のようなやつ)で無理やり体重を維持していた。きさらぎは複合施設で2階に有料があるために看護師が24時間常駐する強みがあるが、それ以外は他のグループホーム以下の設備しかなく、レクとかやっても、本人は何も悪意はないが他人とトラブルを起こしやすい佐々木さんはベテラン介護職員でも流れ作業、ライン作業のように入浴介助や排せつ介助、食事介助を行うようになってしまう。これは後でも言うが食事介助を初心者にやらす施設が多いが、本来なら危険である。餅とかでなくても咀嚼が下手になり喉に食べ物を詰まらすようになる要介護5の人間に、職歴ゼロの職員が初日で食介をやらす施設が多い。「食介はゆっくりやらないでね。〇〇さんが疲れちゃうから」という教えの元、めっちゃ焦って食べ物を詰め込ませる職員も少なくない。こんな話を読んでくださる業界従事者の方、ずぶの新人はとりあえず排せつ介助だけをやらせてください。別に新人が汚い仕事をさせろと言うわけじゃないんです。まず福祉とはこれが現実だ。それでも続けられそうなら頑張れという教えじゃないと続かないと思う。
佐々木さんは意思疎通とかはできないし、表情もいつも頭を抱えているから見えにくい。そうでなくてもいつも苦悶の表情であり、新人にとってはどう対応していいか分からない。排せつも二人介助であり、なんでこんな人がグループホームにいるんだよぉバカヤロー!と大体の新人は思う。しかし日本の介護保険の限界である。諦めて仕事しろ。
伴太くんもそりゃどうすりゃいいか迷った。一応全員の名前ぐらいは覚えようと頑張ったがぶっちゃけ佐々木さんの叫び声のせいで全く集中できない。なんか陰洗はワンケアワンボトルとか言われてメモとっても全く身に入らないのだ。佐々木さん以外でもクセが強い利用者が多いきらさぎB組である。昔先輩から「ここは動物園だよ。飼育員はどんな動物にも対応しないといかんから大変だよ。」と言われたことがある。俺はそこまで思わんが(たまに原始人に文明教えるほうが楽だなとは思うことがある)、大半の介護職員は段々とすさんでいくのだ。素浪人みたいな伴太くんは、そりゃ戸惑うわけだ。こんなもん初任者研修ぐらいじゃ誰も教えてくれないし。経験がものを言う。介護業界1日目の伴太くんはそりゃわけわからん状態だ。
わけわからん状態で一日が終わった。帰りにケアマネから、裏の畑でとれたジャガイモをくれた。これから夏になる季節である。