「あんたさあ。視野狭すぎじゃない」
「やばい。完全に寝不足だ」
次の日の朝、眠い目をこすりながら堀岡芽衣は学校への通学路を歩いていた。私立桐国学園は最寄りの駅から一本道ではあるが地味に距離がある。この微妙に長い道のりは帰るときこそ友達と一緒で楽しいが登校時はどうしても面倒に感じてしまう。
(あれ、あの大きいボーズ頭は)
そんななか芽衣は通学中の学生の中に一際大きいシルエットを見つけた。それは少し離れていても見間違えることもなく、紛れもなく件の男である。
誠二を見つけた芽衣はつい咄嗟に人混みに紛れようか考えてしまう。
(て、なんで私が隠れなきゃならん。恥ずかしいこと何もないのに)
すぐさま考えを打ち消し、肩にかかっているスクールバッグの持ち手をぎゅっと握りしめた。
とはいえあえて誠二の目につくように歩くこともせず、少し距離を空けて後ろをついて行くように歩く。
遠目から見ても誠二は確かに迫力があった。芽衣も身長は165センチほどあり女子にしては大きい方ではある。しかし誠二はそんな芽衣からみてもとても大きく感じた。
(でもなぁ。なーんか覇気がない感じなんだよねえ)
芽衣は自分のうまく表現できない感覚に首をかしげてみる。自分の十数メートル前を歩く男はさながら堅牢な城のようにそびえ立っていたが、どこかもろい雰囲気も漂わせていた。
(てか、あれ?)
しばらく後ろを歩いて誠二を観察し、高校が見える頃になって芽衣はふとあることに気づく。
(何であいつと私が同じ時間に登校してるんだろ?野球部は毎日朝練あるはずなのに)
そんな時校門に着いていた。
「めっちゃ雨降ってるじゃん。どうしよう」
その日の放課後、芽衣が部活の練習を終えて帰ろうとすると予報外れの大雨が降っていた。
「折りたたみも持ってきてないしなー」
芽衣はわずかな希望を胸にスクールバッグの底をあさる。しかし当然のように折りたたみ傘は持ってきていない。
「トモは今日彼氏と帰るって先行っちゃったし、ユイは塾があるとか行ってたし……」
他にいくつか思い当たる知り合いも先に帰ってしまっているようで誰かに入れてもらうということは期待できそうになかった。
(今日は珍しく練習が長引いたからな~、クラスのみんなもほとんど帰っちゃってるだろうし。しょうがない、コンビニまでダッシュして傘でも……)
そう考えて雨の中に飛び込もうとした瞬間、雨の中駐輪場脇に腰掛けている人影が見えた。
(何やってんだろうな。俺)
坂本誠二はただ静かに雨に打たれていた。その日の練習では何をやってもうまくいかなかった。ボールを投げれば悪送球、バットを振れば打ち損じ、普段温厚な監督も珍しく誠二を名指しで注意した。もっとも注意されたのはそのプレーではなく煮え切らない心の部分であったことは当の本人が一番よく理解していた。
仲間の部員達はこぞって「気にするなよ」と笑って声を掛けてくれた。その心遣いがうれしくも痛かった。朝の自主練習に自分が初めて来なかったことに何か察するところもあったのだろう。そんな気の遣わせ方をしている自分がますます腹立たしく、情けなかった。
「ねえ、あんた」
誠二はその言葉にふと顔を上げる。
「私が言うのも何だし、気持ちは……よくわかんないけどさ。風邪引くよ。とりあえず屋根の下入ろう」
誠二は顔にかかっている水を手で払いその声の主を見やる。それはつい一週間ほど前に自分が告白した軽そうな女だった。
誠二は自分はまだしも、その子が雨に濡れながら横で立っているのも申し訳なく感じたのでその提案を受け入れることにした。
雨を避け、芽衣は既に濡れてしまった髪をタオルで拭く。少しでただけでこれだ。とてもコンビニまでダッシュする気にはならなかった。
「あのさ」
しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのは芽衣の方であった。どうせ出られないし、彼は濡れたままちょっとした段差に腰かけている。芽衣はこの何とも言えない沈黙に耐えられるほど忍耐強くなかった。
誠二が黙ったまま芽衣の方を向く。そのりりしくまっすぐな瞳は一種の迫力があった。
「そ、そんなに気にしなくてもいいんじゃないかな~、なんて」
芽衣はどこか歯切れが悪そうに言う。しかし誠二はただ黙ったまま芽衣を見ていた。
(う、こいつ反応しない)
芽衣はまた言葉に困りながら慌てて次の言葉を紡ぐ。
「いや、ほら。私なんかよりもずっと可愛い子はいるし、性格の良い子だっていくらでもいるんだし」
芽衣は自分で言って哀しく感じ始めてきた。そして徐々に謎の恥ずかしさが込み上げてくる。
(てかそもそもなんで勝手に告ってきたこいつに気遣ってるのよ)
芽衣はふつふつと怒りのようなものがこみ上げてきた。まだ誠二はこっちをまっすぐ見つめている。
「第一男のくせに振られたぐらいで……」
そこで誠二が口を開く。
「ひょっとしてお前、俺がお前に振られたから雨の中落ち込んでたとか思ってんのか?」
「へ?」
誠二の言葉に芽衣から少し情けない声がでる。
そのときの芽衣はずいぶんとらしくなかったのだろう。その様子を見て誠二はふと顔をそらし、肩が小刻みに震えていた。
「そうか、そうか。アタシって罪な女だなぁって……思って……来てくれたのか……プフ」
「あんた……もしかして笑ってない?」
「いや……ぜんぜん……ワラッテナイヨ……プフ」
ぷっつーんと芽衣の中で何かが切れた。
「じゃあこっち向きなさいよ!さっきまでみたいに私の方見てごらんなさいよー」
「プフッ、やめろ。乱暴はやめろって」
雨の音が響く中二人のじゃれあいは少しばかり続いた。
「いやぁ……すまん。まさかお前がこんなに純情で自信満々な奴だったとは」
「はあ、ふざけんなし。アタシの優しさ返してよ。アタシの時間も!」
誠二はまだ笑いが収まりきっておらず笑いをこらえながら芽衣を見ていた。その様子に芽衣はどこか腹の虫が治まらなかった。
「そりゃあねえ、私がふった男が雨の中で今にも死にそうな顔してたしぃ。慈悲深い私は声を掛けてあげたんです」
芽衣はすこし余裕ぶって切り返す。
「お前のことで……、死ぬわけねえだろ。第一、それは一週間も前のことだろ」
誠二はそれを半笑いのまま綺麗に打ち返す。芽衣は「たった一週間前じゃん!」言いたくなったが言ってしまったらそれはそれでなんか負けた気がするのでギリギリのところでとどめておいた。感謝されようとは思ってもいなかったが、いい行いをしようとしたら感謝どころかこけにされたため、芽衣はますます腹が立ってきた。
「じゃあ何だってあんな雨の中にいたのよ」
誠二は少し黙ったまま降り続ける雨をみつめた。そして「ふぅ」と軽く息を吐いてから口を開く。
「つまんねえ自分語りだけど聞くか?」
「……聞く」
芽衣は雨が弱まるタイミングを待つついでだと思い聞くことにする。
「俺さあ、好きな奴がいたんだ」
彼の様子から、それが自分でないことは芽衣にも分かった。
「中学の頃でさ、同じ中学で。野球が大好きな子でさ、俺のシニアの応援にもよく来てくれたんだ」
「シニア?」
「ああ、学校外の野球のクラブチームみたいなもの。学校の野球部じゃレベル低すぎてな」
誠二は芽衣がなんとなく理解したのをみて話を続ける。
「問題だったのは、シニアにいたチームのエースもそいつを好きになっちまったんだ」
芽衣は黙って聞く。
「俺たち三人はすぐに仲良くなった。そんで同じ野球の強豪校に行こうって約束してたんだ」
芽衣は誠二の声が少しずつ震えているのが分かった。
「だがセレクションに俺だけ落ちた」
誠二は一呼吸置いてから話を続ける。
「俺達二人は本気でプロを目指していた。そのためにはその強豪校へいくことは必須条件だった。だが俺はそれが叶わなかった。そうはいっても桐国も強豪校だ。二年間おれは必死になって努力してきた。だが……」
誠二はなんとかして言葉を絞り出す。
「この二年間、あいつとの差は開くばかりだ。結果も、実力も」
そこからしばらく沈黙が続いた。芽衣も何も言わず、誠二はただ唇を噛みしめていた。
「つい、この間のことだ。おれが日課の夜のランニングをしているときあいつの家の前を通った。そしたら俺が好きだった子とあいつが玄関前でキスしてたのを見ちまった」
誠二はあきらめたような口調で続ける。
「なんかの漫画みたいだろ。現実と違うのは俺はライバルにすらなれずにただ落ちぶれちまっていくばかりってことくらいだな。最もそこが一番問題なんだが」
すこし間をおいてから芽衣は持っていた疑問をぶつけることにした。
「じゃあさ、なんでウチに告白なんかしたりしたの?」
誠二もすこし間をおいて答える。
「さあな。その女を忘れたかったのと、野球から逃げたかったのと……。いや何よりすべて投げ捨てたかったのかもしれねえな。ウチのチームは基本的に恋愛禁止だ。そのルールをやぶって適当に軽い女と付き合って主将という立場からも、プロという夢からも逃げたかったのかもしれねえな」
「最っ低」
「ああ。最低最悪の馬鹿野郎だ」
誠二はそれだけ言うとまだ黙り込んでしまった。その表情は暗いというよりはもはやいろんな過程を通り越してすべて諦めたような感じだった。
芽衣はそんな彼を見ながら口を開く。
「てかさ、聞いてて思ったんだけどさ」
芽衣はここまで言ってこれ以上言うべきか躊躇った。偉そうだし、彼が納得する答えでもない。
しかし誠二が「どうぞ」とジェスチャーで促すと意を決して言うことにした。
「あんたさぁ。視野狭すぎじゃない」
「っ!?」
誠二はその言葉に少しだけ背筋を伸ばし、顔を上げ、芽衣の方を見つめる。表情が変わったのをみて芽衣は少しだけ満足気に話す。
「別にさぁ、プロになんなくたって死ぬわけじゃないじゃん。進学だって良いわけだし、別に大学からでもプロってなれるんでしょ?それに女だって別のもっと綺麗な人探せば良いじゃん。あんたの女を見る目がなかったかもしれないし」
「お前、そんな簡単に」
「それにさ、別にまだ全部終わったわけじゃないじゃん!プロになれなかったわけでも、勝負がついたわけでも」
芽衣はそこまで言って少し出過ぎたこと言ったかなとも感じが別に悪いとも思わなかった。
そもそも適当な気持ちで告白してきたこの男が不誠実なのだ。これぐらい問題ではない。そして何よりこの自分の率直な考えをぶつけないことままではいけない気もした。
誠二は少し考え込むように地面を見つめた。
再びしばらくの沈黙が続く。
「あとさ」
芽衣が先に口を開く。
「じゃあなんで今教えてくれたの。適当な気持ちで告りましたって。それも自分を責めたいから?それとも振られたことへの自分の言い訳?」
誠二は少し考えてから答える。
「何でだろうな。そういった気持ちも……楽になりたいって気持ちも少しはあったかもしれない。ただそんなことよりもお前に不誠実にし続けることが嫌だったからってのが一番かな」
「どうゆうこと?」
「お前、今わざわざ振った男のもとに気遣ってきてくれただろ?普通女子ってそういうことしないんじゃね?よく分かんねえけど気まずいしさ」
「まあ……確かにね」
芽衣が頷く。もっとも他の女子がどうするかは正直分からなかった。
「でも、お前は来た。なんていうか……その優しさっていうか誠実さに対してなあなあで済ますことがなんとなく悪い気がしてな」
誠二は少し照れくさそうに話す。
「ふーん、あんたもそういうこと言うんだ」
「……うっせ」
「あーあ。心配して損した。じゃあ私もう行くわ」
芽衣はそれだけ言って弱まり始めた雨の中に入ろうとした。
「待てよ」
誠二はそれをとめる。
「傘、ねえんだろ。俺の折りたたみを貸してやるよ。せめてもの謝罪だ。あとさ、」
誠二は傘を取り出しながら続ける。
「さっき俺、適当に軽い女とか言っちまったけど、悪かったな。やっぱりなんだかんだ俺は女を見る目はしっかりあったみたいだ」
誠二は折りたたみ傘を差し出しニカッと笑う。その表情は普段の迫力ある顔とは対照的に優しさ全開であった。
「……ありがと」
芽衣はそれを受け取り傘を差しながら駐輪場を出る。しかし数歩歩いたところでまた戻ってきた。
「はい、やっぱり悪いから返す」
それを聞いて誠二は呆れたように押し返す。
「前言撤回、やっぱお前ダメだわ」
「なんでよ」
「普通そういうときは男にかっこつけさせとくもんだろう。空気読め。空気」
「何よそれ。それになんかあんたに貸し作りたくないの」
「いーやだめだね。もう渡しちまったから、返品は不可だ」
「何でよ!」
「何でもだ」
そんなやりとりが何往復かつづくと学校の守衛さんが帰ってない生徒を注意しに来る。
「おーい!学生は早く帰りなさい」
両者はしょうがないという形で雨の中に歩みを進める。
「じゃあ、あんたも入れてあげるから。あんたが傘持ちなさい」
そう言って芽衣は誠二に傘を渡す。誠二は黙って受け取り傘を差す。
「ちょっと背高すぎよ。右肩ぬれてるんだけど」
「どうしようもねえだろ。文句を言うな、俺だってぬれてる」
降りしきる雨の中二人はそれぞれ半分ずつぬれながら駅までの短い帰り道についた。