0-3
ニュートリアムという組織の一番の特長は、国から独立した存在である、ということである。
そのため、ここ魔界のみならず、人間界にも支部は存在する。また所属する者達も、魔族や人間、獣族など、実に様々な種族が混在しており、依頼があれば何処の国にも自由に出入りすることができる。そのため、国境を越える依頼などが商人から入ることも多い。時には、国主や権力者からも依頼を請け負うことがある、一つの大きな団体である。
カイルはここステュクス領のニュートリアムのギルド長、通称ギルドマスター、略してギルマスと呼ばれる存在である。
その他ギルド内の業務を行う職員達と、実際に仕事を行うバランサーがいる。バランサーは、その腕前や実績に応じてランク付けがされており、特S級というランクを最高峰として、S級・A級・B級・C級・見習いと分かれる。
特S級ともなれば、世界中でも片手ほどの人数しか存在しておらず、いずれも伝説と呼ぶに相応しい者達ばかりだ。
カイルは長く息を吐き、背もたれに寄りかかった。
「この前話した依頼は当然覚えてるよな?」
「愚問だね」
「だよな。……じゃあ、今の状況が分かっただろ?」
とある依頼が秘密裏にニュートリアムへ回ってきた。
魔族の者のみ限定での依頼であり、しかも、ギルマスとS級までの者のみしか知らされていない依頼である。
その条件に該当する二人は、当然その中身を知っている。
むしろ、ギルマスであるカイルからその内容を伝えられたのだから、その質問はイエス以外の解はない。
「依頼は、貴族の赤子を見付け次第連れていくこと、そう難しいものではないだろう。何を悩む必要があるんだい?」
「おいおい。ただの赤ん坊じゃねーだろ。何しろ、人間との間の異種族間の子供だぞ?」
「それは依頼内容には無かっただろう。あくまでもそういう噂が流れているだけだよ」
秘密裏に言い渡された依頼は『娘に懸想した人間が赤子を連れ去った。赤子を取り返し、連れ戻して欲しい』というものだ。
その人間は妄想癖であり、自分の子供であると虚言を吐くかもしれないが、何としてでも奪い返して欲しい、そう念を押されての依頼であった。
そして、そのような話が事実無根であったとすれ、世間に知れ渡るのは大変遺憾であるため、一切の他言は禁ずるとした。
だが、それは表向きの理由であり、その人間との間の子供であろうという情報が入ってきた。
それをもたらした者が、調査に優れたとあるS級バランサーであるため、信憑性は極めて高い。
とは言え、それは依頼の外の話であり、特段の違法性がないため、依頼自体は継続されている。
「依頼内容には無くとも、それが恐らく真実だろうよ。人間と密会していたなんつー情報も手に入れてたみたいだしな」
「本当に、その手腕は素直に感嘆するよ。それともその二人の脇が甘いのかな?」
「まぁどっちにしても、だ……この赤ん坊は魔族と人間のハーフつーことになるだろーが」
「……そうだね、その情報を真実とするならば、そういうことになるだろうね」
「とすると? この赤ん坊を連れて行ったらどうなると思うよ?」
「まぁ、殺されるか奴隷にされるか……どう転んでも良くはならなさそうだね」
「だろ!」
我が意を得たりとばかりに、自身の太腿をパンと叩く。
そして、たててしまった音に慌てたように赤ん坊を見やるが、ふにゃふにゃ言いながら寝ている様子に、ホッと安堵をした。
そして、今更ながらに声のボリュームを小さくした。
「異種族間の子供つーのは、災いの子とされて、忌み嫌われちまうのが常だ。実際に災いを呼ぶのかどうなのか……まぁ俺なんかは迷信なんじゃねーか、って思っちまうけどな」
「それには同意する。けれど、依頼自体はニュートリアム全体で受けてしまった後だろう?」
「そうなんだよなー……ったく、ほいほい何でもかんでも受けやがって……」
「仕方ないだろう。違法性があるという証拠がない以上、断ることは不可能に近い……そもそも、異種族間の婚姻自体が魔界の方で禁じられているしね」
「あー……そういや、そんな過去の遺物的な法律があったか……」
腕を組んで、宙を睨む。
魔界の法律を遵守するならば、ニュートリアムの職務を全うするならば、この赤ん坊を連れて行くべきである。
赤ん坊の持つメダルには、依頼主の家紋が描かれており、十中八九、この子が依頼の探し人であろう。
……それは、分かっている。
「……けどなぁ……可哀想じゃねーか。産まれてきただけのガキにゃ何の罪もねぇつーのによ……」
誘拐された子供を探してくれ、ただそれだけの依頼であれば、喜んで連れて行くと言うのに。
今回は、状況が異なる。連れて行くのは、まるで不幸になれと言うかのようで、良心がチクリチクリと痛む。
「まぁ幸いなことにだな、この赤ん坊のことは、早朝誰もいない時間帯だったこともあって、俺とお前しか知らないんだ」
「うん、その台詞は人を巻き込んだ君が言うものではないね」
冷やかにカイルを見るが、彼は一切動じずに、身を乗り出した。
「ビオラはどう思う?」
「それを聞く必要はあるかい? カイルは既に結論を出しているように思うけれど」
「ははっ! まぁな! どう考えてもよ……やっぱり、ガキの首に縄を掛けるようなことはしたくねーのよ」
心底困り果て、悩みに悩んだが、やはりそんな真似は出来そうになかった。
うだうだと悩むことはあれど、彼は一度決めてしまえば、それを決して譲りはしない。ただひたすらに、その道を突き進む……そんな彼のことを嫌と言うほど知っているビオラは、やれやれと、肩を竦めた。
「それにしても、この手紙の主が誰かは知らないけれど……随分と自分勝手だね」
「ん? どういう意味だ?」
「この赤ん坊を守ってくれ、と言うのであれば、そもそも自分達との関わりを一切絶てば良いだろう。ご丁寧に自分達を指し示すものなんて持たせなければ良いのに」
チラッと赤ん坊に視線を向けたビオラに、カイルはその視線の先を理解した。
「あのメダルは、最早確実な証拠だからなー……」
「自分との繋がりを残すためか、自分の子供であることの証明書代わりか……何にせよ、子供にとっては迷惑極まりないね」
「まぁ、そう言うな。いつか会いたいつーことなんだろうし」
「自分の都合ばかりしか考えてないじゃないか。本当に赤ん坊が大事であるならば、その思いは殺すべきだよ」
その冷めた物言いに、カイルは苦笑を溢す。
ビオラのその想いは否定せずに、これからのことを話した。
「で、この赤ん坊なんだがな……流石に捨て子つーことにするのはマズイよな?」
「だろうね。この時期の捨て子だなんて、全て調べるに決まっている。捨てられてた、若しくは、見知らぬ人に託された、なんて話は、それが真実であれ、止めた方が良いね」
「だよなぁ……いっそ、ビオラが産んーー」
「馬鹿を言うな」
皆まで言わせずに冷たく切り捨てた。
駄目かー……なんて呟くカイルに、話にならんとばかりに面倒そうに付け足した。
「私は、この前まで別の依頼を受けていたんだ。色んな人物にも会っている。お腹も大きくなっていないというのに、赤ん坊がそんなすぐに産まれるわけがないだろう」
「……それもそうか。つーか、そもそもお前の子供なんて言ったら色々ヤバいことになるな…」
「……ん? どういう意味だ?」
「いや、こっちの話だ、気にするな」
気のせいか顔色が悪くなったカイルに怪訝そうに尋ねるが、ゆるゆると首を横に振られた。
疑問には思うものの、今はそれは脇に置いておくことにする。
「この赤ん坊を依頼とは無関係としておき、且つ、手元に置いて育てるというなら、方法は一つしかないよ」
「……お? 何か良い案があるのか?」
「君の子供として育てる、それ以外に無いね」
「…………はぁ!?」
たっぷりと間を空けてから、すっとんきょうな声を上げた。
「いやいやいや! 俺にそんな相手いねーんだぞ? お前と同じく無理だろ!?」
「馬鹿だね。私と君は、決定的に異なる部分があるだろう」
「あ? 決定的に……?」
「性別……待て、馬鹿にはしていない。最後まで聞きなよ……性別が異なるということは、だ。君の外見が変わることはない。そして、急に赤ん坊が現れた理由も然り。男性であるならば、一夜関係を持った相手から、突然責任を取れと押し付けられた……そんな三流小説のようなことが有ったとしても、全く無い話ではないだろう?」
「……あー……それは、まぁ……うーん……」
唸りながら頭を抱え込んだカイルに、更に追い討ちをかける。
「まぁ君は話のネタとして笑われるだろうし、決して名誉であるとは言えない。むしろ、不名誉とも言える。それとも、ギルドとしての業務を全うするかい? それなら、依頼料は入るし、不名誉なことにもならないけれど」
「いや……別に金に困ってるわけじゃねーからな。依頼は選ぶさ」
生活が困窮していれば、綺麗事など言っている余裕はない。たとえ、赤ん坊を殺すことになろうが、請け負っただろう。
しかし、幸いなことに、二人は生活に困っていない。だから、仕事を選ぶ余裕がある。もっと言えば、子供一人くらい育てる余力もある。
「それ以外に良い案もねーし……しょうがねぇ。そういうことにするか……悪いが、口裏合わせてくれ」
「分かった。そのくらいの協力はするよ」
「ついでに、ガキの面倒見るのも助けてくれよ」
「それは協力しかねる」
「何でだよ、そこは大人しく頷いとけよ」
軽口を叩き合いながらも、二人は簡単な設定を話し合い始めた。
自分達の立場を守りつつ、赤ん坊も守れるような、そんな設定を……。




