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4話 訃報

 発泡スチロールが揺れ、タコといえども船酔いに似た感覚を覚える。


「おい、あんまり揺らすなよ」


「揺らしてないわよ。電車が揺れるの」


「この欠陥住宅が」


「あら、免震構造のマンションだって揺れるのよ。頭足りてないんじゃない? ごめんなさい。タコだったわね」


「…………」


 俺――白浜拓哉と会話しているのは、先程俺を2000円で身請けした女性である。彼女は『タコが喋る』という怪奇現象に全く動じず、俺と互角以上の舌戦を繰り広げている。



『次は月島、お出口は右側です』



「あら、月島ですって。もんじゃ屋さんに転売しようかしら」


「絶対余るだろ」


 彼女がふふっ、と馬鹿にしたように笑う。


「月島にもんじゃ屋さんが何店舗有ると思ってるの?」


「分かんね、35億ぐらい?」


「死ね。バカタコ」


 発泡スチロールの底がボカボカ叩かれる。くっしーさん、本当に人間は酷いです。悪魔です。


 しかしこの女に拾われて、不運だとは思っていない。寧ろタコになり果てた俺の相手をしてくれる事には感謝の念を禁じ得ない。


 しかしこの女、都営地下鉄のど真ん中の車両の、ど真ん中で独り言を言うような女である。相当に空気が読めないか……ストレスが溜まっているのだろう。


「アニマルセラピーって事か。ウィンウィンだな」


「何がウィンウィンよ。とっくに私が勝ってるでしょう? 大体貴方はアニマルか怪しいじゃない。巫山戯たこと言ってると煮詰めるわよ」


「あぁ、煮詰めてみろよ。俺は最後まで戦い続けるからな」


「圧力鍋で煮詰めるわよ」


 残念、圧力鍋で煮詰められたら抵抗の手段が無い。即詰みである。


 と、まぁこんな具合で、限界女子とタコ人間の都合10駅は進んでいった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 本郷三丁目で降りた女は、自宅に着くなり発泡スチロールの蓋を取って、土鍋の中に俺を放り込んだ。


「もう煮詰めるのか?」


「そうよ。海水で煮詰めてやるから、最後まで安らかな気持ちで死になさい」


「死因は、IHアイエイチクッキングヒーターによるボイルドか……締まらねぇな」


 それにしても……改めて見れば、綺麗な女性である。端正な顔の造りに均整なプロポーション、白い肌はシルクのように肌理きめ細やかだ。


 タコなのでピクリともしないが、人間だった頃に出会っていれば、緊張して一言も喋れなかっただろう。


 染めているのか地毛なのかは分からないが、くすんだ灰色の髪が背中に垂れており、目は綺麗な蒼色である。彼女は白ぶちの眼鏡を掛けていた。


「さ、行くわよ」


 彼女が土鍋に蓋をする。


 俺は視界を奪われ、土鍋の揺れに合わせて頭を揺らす。


 死を覚悟した俺だったが、眼前に現れたものは想定を超えていた。


「これは水槽アクアリウム?」


 驚いて上を見ると、彼女は微笑んで俺に告げる。


「食べきれないから飼う事にしたの。死にたくなったら、致死量の毒を入れてあげるから、いつでも言って頂戴」

 

 微笑む彼女を前にして、疑問を押さえきれない。


「どうして、そこまでしてくれるんだ?」


 すると彼女が目を閉じて得意気に口を開く。


「貴方、人間でしょう? 喋れるタコはまだ分かるけど、タコパとかクッキングヒーターは流石におかしいもの」


「まぁそうなんだけどな。死んだらタコになってた」


 言うと、彼女が小さく笑う。


「何よそれ、洒落になってないじゃない」


「あぁ、全然洒落になってない。だけど諦めも付くもんさ。生きてるだけマシって思えてくる」


「そんなものなの?」


「そんなもんだ」


 理性的なのね、彼女はそう言って微笑を浮かべる。


 ――理性的? そんなもんじゃない。俺は生き甲斐を無くしているんだ。心に在るのは諦観だけで、断じて判断などではない。


 理性的に割り切るという行為は、次が有るという前提の下に成立する。


 『割り切って次に行く』のだ。


 しかし俺に次は無い。サッカーのロスタイムのように、逆転のチャンスが有る局面ではない。言ってしまえば、生暖かい灰のようなものだ。


 そのまま惰性で喋り続ける。意外にも会話は弾み、瞬く間に時間が過ぎていく。このままのんびり寿命を迎えたいな……。



 そう思い始めた時だった。長閑のどかな時間が一瞬で終わりを迎える。


 彼女が携帯を見て泣き崩れたのだ。


「…………嘘、嘘よ。こんな事……」


 タコ目をひそめて、床に落ちた携帯の画面を覗くと、メールの文面にはこう書かれていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 各位    平成××年十月二十三日  

○○○○学会会長


 訃報


 ○○大学○○○○大学院○○○○○○院に在籍されていた白浜拓哉様が交通事故に因り十三日に早逝されました。


 ここに心から哀悼の意を表すとともに謹んでお知らせ申し上げます。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 余りの驚きに目が限界まで見開かれる。訃報がちょっと遅くないか? と一瞬思ったが、そんな事は取り敢えずどうでもいい。


 ――どういうこっちゃ?


 これを見て泣いているという事は、この女、俺に関係していた人間なのか?



 彼女の取り乱しようは凄かった。突然叫んだと思ったら、壁に手を突いて慟哭どうこくする。


 そして床に崩れ落ちて、今度は床を何度も叩く。叩いて、叩いて、叩いて、叩いて……。


 いつしか彼女の白い手には血が滲み、フローリングは涙に濡れていた。



 ――まさか九条緋真くじょうひさな


 そうとしか考えられない。学会を経由しての訃報、本郷三丁目の自宅、そしてアクアリウム……。


 ――こいつ、こんなに可愛かったんだな。


 一つ疑問なのは、会ったことも無い男の訃報で、ここまで大泣きするか? という事だ。俺と九条は一度も顔を合わせた事が無い。実績だって院生にしては卓越しているかもしれないが、もっと凄い研究員だって沢山いる。


 ――分からねぇな。そりゃ全く動じないよりかは、泣いてくれた方が人間冥利に尽きるが……。


 その時だった。ふと部屋奥に在るデスクトップPCに目を遣ると、見慣れたエメラルドグリーンのウェブページが開かれていて……。



 デスクトップに表示されるチャット画面……それは間違いなく、


―――――――――――――――――――――――――――――――

○○チャット

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10月13日

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♢お疲れ様です。執筆は終了しましたか(´・ω・`)?

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★お早うございます。もう少しで終わりそうです。いつもありがとうございます

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♢いえいえ、たっくんさんの研究をお手伝いするのは楽しいので(*´꒳`*)

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★やっぱり今度会いませんか? 俺ももうすぐ帰省するので東京行きますよ

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♢いえいえ、それに私も春から北海道に行くことになりましたから、そのときにお会いしましょう(`・ω・´)/

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★どちらですか?

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♢札幌です(*´꒳`*)

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『たっくん』さんが退出しました。

―――――――――――――――――――――――――――

♢お疲れ様でした(-ω-。)ヽ(・∀・`*) オツカレサマー

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『くっしー』さんが退出しました。

―――――――――――――――――――――――――――

『くっしー』さんが入室しました。

―――――――――――――――――――――――――――

♢たっくんさん? (´・ω・`)

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『くっしー』さんが退出しました。

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10月14日

―――――――――――――――――――――――――――

『くっしー』さんが入室しました。

―――――――――――――――――――――――――――

♢たっくんさん? (・ω・`寂)……

―――――――――――――――――――――――――――

『くっしー』さんが退出しました。

―――――――――――――――――――――――――――

10月15日

―――――――――――――――――――――――――――

『くっしー』さんが入室しました。

―――――――――――――――――――――――――――

♢たっくんさん? お忙しいなら生存の確認だけでも……寂しいですよ( ;∀;)

―――――――――――――――――――――――――――

『くっしー』さんが退出しました。

―――――――――――――――――――――――――――

10月17日

―――――――――――――――――――――――――――

『くっしー』さんが入室しました。

―――――――――――――――――――――――――――

♢たっくんさん? お返事だけでも……

―――――――――――――――――――――――――――

『くっしー』さんが退出しました。

―――――――――――――――――――――――――――

『くっしー』さんが入室しました。

―――――――――――――――――――――――――――

10月20日

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♢たっくんさん? もう一週間ですよ

―――――――――――――――――――――――――――

『くっしー』さんが退出しました。

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今日

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『くっしー』さんが入室しました。

―――――――――――――――――――――――――――

♢たっくんさん?

―――――――――――――――――――――――――――

『くっしー』さんが退出しました。

―――――――――――――――――――――――――――


 チャットルームには誰も居ません。


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