表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/10

1話 明け方の北海道は凍っていました

「ほぼ完成だな。これで奴を出し抜ける」


 大きく伸びをして溜息を吐くと、息が白くなっている事に気付く。どうやらストーブの自動停止機能が作動していたらしい。それだけ集中していたという事だ。


 机上きじょうの灯りを消して、カーテンを開けてみると、予想通り空が白んでいる。


「これは寝られないか……一限だもんな」


 白浜拓哉しらはまたくや24歳、職業大学院生――俺のプロフィールである。専攻は海洋生物学であり、札幌に在る国立大学に通うしがない院生パシリだ。


 そんな冴えない学生である俺だが、研究で確かな実績を残している。論文は有名誌に取り上げられ、被引用数も相当に多い。しかし学部生の講義に付き合わされ、入試の日には駆り出されるのだ。


 理系軽視の日本に居る限り、しょうがない事だとは思うが、こんな事をしているから有能な人間が流れていくのだとも思う。


「やっぱ東京に残るべきだったかなぁ。だけど、今はそれより――」


 本棚からファイルを取り出して捲っていく。ファイルには最新の研究を纏められている。今時論文など印刷する馬鹿は居ないし、俺も馬鹿ではない。


 しかし例外は常に存在し、俺の中の例外はこの女だ。


「……九条緋真くじょうひさな


 九条緋真22歳、この国の最高学府に通う才媛だ。彼女も又、俺と同じ海洋生物学分野で卓越した研究成果を出している。


 そして……来年から同じ大学院に所属する予定である。本当に腹立たしい奴だ。


 向こうが俺の事を意識していないというのが、尚の事腹立たしい。


「まぁ、これを発表したらどっちが上かはっきりするだろうからな」


 今朝執筆した論文は、学会に一波乱ひとはらん起こすこと間違いなしだ。


 九条緋真も俺の存在をはっきり意識するだろう。その時だった。


『お疲れ様です。執筆は終了しましたか(´・ω・`)?』


 パソコンのチャット画面に短文が表示される。よくある『いかチャット』だか『たこチャット』とかいうチャットだ。中学時代にソシャゲで利用していたもので、院に入って再び使い始めた。


『お早うございます。もう少しで終わりそうです。いつもありがとうございます』


『いえいえ、たっくんさんの研究をお手伝いするのは楽しいので(*´꒳`*)』


 チャットの向こうでキーボードを叩いているのは、このチャットのもう一人の住人である『くっしー』さんだ。


 俺とくっしーさんは、二人だけのwikiを設けている。元々は釣りの日記や海の写真などをSNSで見せ合っていたのだが、互いに専門的な話が出来ることが分かった後に、チャットとwikiを開設した。



 wikiの名前は『アクアリウム』――二人だけの水族館だ。



 ひょんなことから、俺の素性がバレてしまい、それ以来くっしーさんは俺の研究を手伝ってくれるようになった。


 北海道住みの俺には、閲覧したくても閲覧できない(取り寄せに時間が掛かる)文献が多い。その為、どうしてもくっしーさんに頼りきりになる。


『やっぱり今度会いませんか? 俺ももうすぐ帰省するので東京行きますよ』


『いえいえ、それに私も春から北海道に行くことになりましたから、そのときにお会いしましょう(`・ω・´)/」


 それを見て思わず肩が跳ねる。


「えっ、マジか。くっしーさん北海道に来るのかよ」


『どちらですか?』


『札幌です(*´꒳`*)』


 しかも滅茶苦茶近い。滅茶苦茶近い。重ねて……滅茶苦茶近い。


「よっしゃ! 始まった。俺の北海道ライフ始まったよ!」


 声を上げてガッツポーズする。くっしーさんと俺の趣味は丸被りである。一緒にフィールドワークして、凍えながらワカサギ釣って、話し込むことが出来る。


 ネットで会話していてこんなに面白いのだ。リアルで会ったら楽しいに決まっている!


 舞い上がった俺は、チャリの鍵を取ってドアを勢いよく開ける。近くのコンビニで朝飯を買おうとしたのだ。


 チャリに跨り、鍵を外す。暗証番号は『2357』で素数が4つ! チャリを押して凍える体に活を入れ、走り出してまたがる。動き始めた太陽によって影が長く伸びる。


 青空に抱かれて、鳥人間にでもなった気分になる。


 ――そうとも。俺は何処までだって行ける。


 九条緋真を出し抜いて、くっしーさんは北海道に来る。完徹一限なんて関係ない。


 軽いペダルを全力で漕ぐ。チャリは見る間に速度を増し、視界が景色を追い抜いていく。


「よっしゃ。ラ王とコーラで一杯――――」




 大通りに出たその時だった。


 クラクションの音が鳴り響き、目の前に大きなトラックが現れる。


「あっ、やべ」


 慌ててブレーキを踏むが、ブレーキが掛からない。瞬間、脳内で閃光が弾ける。


 吐いた息は白かった。ストーブを焚いていた。なんで秋なのにストーブ焚いてたんだっけ? そうだ寒波、今年最初の寒波が来るんだった……。今は5時過ぎか、凍ってても不思議じゃないな。


 下を見ると、薄く張った氷が爽やかすぎる空を映している。


 ――あぁ、うんざりするほど青い空だな。


 この日、俺――白浜拓哉は命を落とした。



 くっしーさん、そして九条緋真に会えないのが心残りだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ――『くっしーさんが入室しました』



『たっくんさん? (´・ω・`)』


『たっくんさん? (・ω・`寂)……』


『たっくんさん? お忙しいなら生存の確認だけでも……寂しいですよ( ;∀;)』


『たっくんさん? お返事だけでも……』


『たっくんさん? もう一週間ですよ』


『たっくんさん?』



 ――『くっしーさんが退出しました』



 チャットルームには誰も居ません。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ