光輝く夢の時間
「はぁ……」
吐く息が白い。私は自分の吐いた息の白さをしばらく眺めた。隣では友達のめぐみとともよが「寒いね~」などと言って肩を寄せ合っている。
キラキラと輝くパーク内の照明の中で、お母さんに抱っこされて安心しきったように眠る子供が前を通り過ぎた。逆側からは同世代だろうか、女子の集団が黄色い声をあげながら歩いてきた。私の横には制服姿のカップルが寒さなど感じていないかのように幸福そうに笑っている。私はその輝きの一部になれないまま、周囲の様子をぼーっと眺めていた。
何故こんな気持ちになってしまったのだろう。昨夜までは今日のことを心から楽しみにしていた。みんないるとは言え、池田とテーマパークに来ることができるなんて思ってもみなかった。どんな服を着ていこう、たくさん話ができるだろうか。そう思うと夜も眠れないくらいだった。
それなのに蓋を開けてみれば私は池田に、
「七瀬なんかと一緒に乗りたくねーよ!」
と、隣同士でアトラクションに乗ることを拒否され、今日一度もまともに話すらできていない。いつも喧嘩腰の池田だけれど、今日はそれがより一層棘のあるものになっていた。
やっぱり私の想いは叶わないのだろうか。池田が他の女子にはしないのに私にちょっかいをかけてきた時に「もしかして……」などと期待を持ったこともあったが、それはすべて私の思い込みだったのだろう。そう思うと寒さがより一層身体に染みて私は身震いをした。
ふわっと何かが私の身体にかかる感覚がして、私は顔だけ後ろを振り返った。
「薄着しすぎだろ、お前」
そこにいたのは種崎くん、黒坂くんと共に飲み物を買いに行った池田だった。今日はもう話すことはないだろう、と思っていたので、突然話しかけられた事実を理解しきれずに私は固まってしまった。
池田は私のことなんか見もせずに、しかし私の横にしっかりと立った。私の肩にかけられたものを見ると、このテーマパークで売られているブランケットだった。
「11月だぞ?いくら昼間暖かいからって上着着てこないとか馬鹿だろ」
池田は普段学校でするように私に突っかかってきた。普段の私ならそれに反論して言い合いになるのが常だが、どうもそうはできなかった。
「これ、どうしたの?」
「あ?」
池田は私をチラッと見下ろしてから、
「売ってた」
と、言ってまた前を向いてしまった。
「お土産屋さんで、でしょ?それは知ってるけど、買ったの?」
「……あぁ」
池田は手に持っていたホットの飲み物を飲んだ。
「あっち!」
大げさにそう言って騒いだ。しかし、私はこのブランケットのことが気になって反応する気持ちになれなかった。
「あの、お金……」
「いいよ、別に」
池田は素っ気なくそう言った。このブランケットはなかなかの値段がしたはずだ。私はどうしたらいいかわからないまま、ブランケットを前でぎゅっと合わせた。やわらかい手触り。そして、温かい。
「ありがとう……」
素直にそうお礼を言うと、池田は心から驚いた顔をした。
「お前、お礼なんて言えたんだな?頭でも打ったか?」
「そんなんじゃないから」
私はようやくいつものように池田に突っかかることができた。
ふと横を見るとさっきまで隣にいたはずのめぐみとともよ、それに種崎くんと黒坂くんの姿までなかった。
「あれ、みんなは?」
「さぁな、別にどうでもいいだろ」
池田はその話をしたくないのだろうか、どうでも良さそうにそう言った。もうすぐ夜のパレードが始まる。それを池田と二人で見ることができる───
そう思うと私もこのままでいいかと思ってしまう。そして、二人きりという事実を意識すると途端に胸がドキドキしてくる。私は前で合わせたブランケットをぎゅっと握りしめた。
私はこの夜のテーマパークのパレードが大好きだ。キラキラして本当に夢の中にいるみたいだ。
しかし、同時に悲しくもあった。このパレードが終わると帰る時間が近づいているということになる。夢のような一日が終わってしまう。子供の時は悲しくて泣いてしまったくらいだ。今では泣くことはないが、それでも寂しい思いに駆られる。
今だって、せっかく池田と話すことができたのに、その時間は儚く過ぎ去ってしまうのだろう。
「まだ寒いか?」
ぼーっとそんなことを考えていると、いつの間にか池田が顔を覗き込んできていて二つの意味でドキッとした。私が「大丈夫」と言う前に、
「ほら、飲めよ。ココア」
と、言って池田がさっきまで飲んでいたカップを差し出された。カップを受け取ると、持っているだけで温かみが伝わってくる。指先が痺れた。
これを飲んだら間接キスになる───
池田を盗み見ると、そんなこと微塵も気にしていないようにポケットに手を突っ込んで前をぼーっと見ていた。こんなに気にしているのは私だけ、なんだろうか。
胸をドキドキさせながらカップにそーっと口をつけて飲んだ。温かくて舌先も痺れる。とても甘かった。
その瞬間、パーク内の照明が落ちて大きな音楽が流れ始めた。
「始まるか」
池田が少し瞳を輝かせて呟いた。
しばらくして遠くにキラキラと光りを放つ台車、フロートが見えてきた。
「綺麗……」
私は池田の存在を忘れて呟いた。キラキラと色とりどりに輝くフロートにキャラクターが乗って手を振っている。私はそれに向けて手を振り、池田も、
「すげー」
と、こぼすほど楽しんでいるようだった。
パレードも半分が過ぎ、人が通るためにフロートの列に空白ができた。そこで私は久しぶりに池田に話しかけた。
「すごいね!綺麗だね!」
「あぁ、思ったよりすげーわ」
池田も興奮した様子で答えてくれた。
「それにしてもお前」
突然、池田の両手で私の両頬を挟んできた。
「顔冷たっ!鼻赤いぞ」
恥ずかしさのあまり顔を逸したいのに、顔を挟まれているためにそれもできない。温かい池田の手と至近距離で見る顔に私の心臓は痛いくらい速く鼓動を打っていた。
「俺も寒いし……よし」
両手が離れたと思ったら池田が私の視界から消えた。私の後ろに回った池田は、私の肩にかかったブランケットを取り払った。私の肩に寒い風が当たった。
「ちょっと……」
文句を言いかけると同時に、もっと温かいものが私の身体を包んだ。
「これで温かい、だろ」
池田の声が耳元で聞こえて私は一気に耳まで熱くなるのを感じた。池田はブランケットを自分にかけて、その身体で私を包んだのだった。後ろから抱き締められている格好だ。
信じられない状況に私の頭と心臓はパンク寸前だった。身体も固くなっている。背中を通して私の心臓の音が池田に伝わってしまいそう。しかし、離れたいとはどうしても思えなかった。池田の身体はとても温かく、安心できるぬくもりだった。
「ほら、次来たぞ」
池田の声で前を見ると、目の前に次のフロートが現れていた。綺麗だと思うのに、さっきまでと違って全然それは頭に入ってこない。後ろのぬくもりばかりに気を取られてしまっていた。
「今日、ごめんな」
顔が見えないからだろうか、池田の声が普段よりも大人びて聞こえて、私の心はきゅーっと締め付けられた。
「アトラクション、本当はお前と一緒に乗りたかったんだけど、その、お前が剛と仲良く喋ってるからさ」
「黒坂くん?そ、そんなことなかった、けど」
目の前をキラキラ輝くものが流れていく。
「俺にはそう見えたんだよ。お前、俺にはかわいくないことばっかり言うくせに、他のやつにはあんなに素直でさ。それ見てたら、お前が誰か別の人のこと好きだったらどうしよう、と思って」
その言葉の意味を私はぼんやりとした頭で考えた。期待してもいいのか、それとも期待したら裏切られてしまうだろうか。
池田が後ろから私を抱きしめる力を少し強めた。初めはぎこちなかったそれが、今ではぴったりと身体が密着している。温かいのにドキドキして震えた。
気がつくとパレードはもうフィナーレ。遠くに最後のフロートが見えてきた。今日という日が終わってしまう。それを突きつけられる最後のフロートの姿を私はしっかりと記憶していた。
「七瀬」
池田の低い声に私の身体は震えた。池田の声はこんなに大人っぽいものだっただろうか。寒かったはずなのに顔はすっかり火照ってしまっている。
「俺と付き合ってよ」
私は思わず前で抱き締めている池田の手を握った。ドキドキして息をするのも苦しい。
「うん」
聞こえないといけないと思い、首も縦に振った。池田は何も言わなかったが、私の手を握ってより力を入れた。
目の前を最後のフロートが通り過ぎる。周りの人達は感想を言い合ったり、名残惜しそうに最後のフロートを写真に収めたりしていた。
通り過ぎるとすぐに夢の時間が終わる。周りは余韻に浸ることも忘れたかのように一気に現実に戻ってどんどんその場を離れていく。その場で固まる私達を邪魔そうに何人かの人が見ていった。
「よし、行くか」
池田の身体が離れた。温かかった背中に冷たい風が吹いて少し寒い。夢の時間が終わってしまった。
「もうちょっといいだろ?何か乗ってから帰ろうぜ」
池田は私に再びブランケットをかけると、私の手を取った。
「みんなは?」
「あいつらはいいんだよ。もう別行動」
池田はそう言って私にはにかんだ笑顔を向けた。
「何乗る?」
「じゃあ……ジェットコースター」
「よし、行こうぜ!」
池田が急に走り出す。
「ちょ、ちょっと」
「ほら、空いてる内に並ぶぞ!」
強引に引っ張っていく池田の背中。パーク内の照明が当たって輝いていた。
「あ、あと冬休みにもまた来ようぜ、今度は二人で!」
池田が楽しそうに振り返った。夢の時間は続いていく。私も笑顔を浮かべた。
「うん!」
私達もキラキラと輝くパークの中の光に溶けていった。
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