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第9話 熱なき灯り

第9話 熱なき灯り


俺は前に出て食卓の上の肉料理の皿から、細身の肉切り刀を盗み取ると、

それを構えて会場を走った。

ろくに見えもしないくせに、それでも俺は走った。

おしゃべりに花を咲かせる固まりを裂いて、笑い声を裂いて。

俺は会場の端っこの子安どんとおっさんの間に割り込んだ。


「楽しそうじゃの、おいも寄せてくいやんせ」

「フライド丸!」


子安どんが俺に驚いた。


「君…!」


俺はうろたえるおっさんの首に包丁を寄せた。


「貴様…子安どんから離れえ、何べとべとべとべとくっついとっとか!

あいはおいが女…予定じゃけど、おいん女じゃっど!」

「やめろフライド丸! これは常務、うちの者が申し訳ございません、申し訳ございません…!」


それでも子安どんはおっさんを庇って、ぺこぺこと頭を下げるばかりだった。

俺はそんな彼女の姿をとても見ていられなかった。


「…もうやめや子安どん、そげん卑屈な真似すっとはもうやめや。

そげん事続かんし、自分が惨めなだけじゃっどね…もうええ加減にせえ!

ほんまは泣くほど嫌なくせして…!」


俺は包丁を捨て、子安どんの腕を引いて、彼女を引きずった。

でも彼女があまりにも激しく抵抗するので、俺は彼女を肩に担いで、

無理矢理強引に会場の外に連れ出し、

宿屋の前の庭のようになった広い場所で彼女を降ろした。

するとさっそく子安どんは俺を殴った。


「…もう仕事は来ない、今の連載も打ち切りだ。

仕事が無ければ金は無い、金も無くどうやって生活するつもりだ」


子安どんはぼろぼろと涙をこぼしながら、俺をびたんびたん殴り続けた。

俺は黙ってそれに甘んじた。


「…悪りかち思も、じゃどん謝る気いはなか。

子安どんは今んまんま、男に体ば売って仕事取り続けっとか?

見たとこ子安どんは今31ん、おっさんなおいよか年上やと思う、

こう言うのもあれじゃが、もうおばはんや。

こん先、どんどんどんどん若い子らかてようさん出て来るが。

いつまでもそう上手い事いかん、わかっちょっとか」


俺は子安どんに殴られながら言った。


「わかってる、そんなの自分が一番よくわかってる!

お前みたいなお殿様にのし上がろうとする者の気持ちがわかるか、

子供に金をたかる親から逃げようと、必死で生きる者の気持ちなどわかるか!

機械に徹してでも生きようとする者の気持ちなど、お前にわかってたまるか…!」


子安どんは地面に崩れ落ちて泣いた。

熱を持たぬ冷たい灯りの中、彼女は声をあげて泣いた。

俺は膝を折って彼女をすくうようにそっと抱き、

それからぎゅうと力を込めて抱きしめた。


「大丈夫じゃっど…子安どんは絵うまか、筋書き次第できっとすうぐまた売れっとよ。

悪りか親御さんが銭せびりに来てん、大丈夫やで、おいがおっと。

暮らしがきつかとなら、おいが働きっせえ子安どん食わしちゃっから大丈夫じゃっど。

大丈夫じゃっど、おいがついちょっ…おいは子安どんと一緒に生きっから…」


俺はこの冷たい光溢れる「ねお薩摩」で、子安どんと残りの人生を生きて死ぬ。

もし別の世界へ連れて行かれそうになっても、俺は断固拒否する。

たとえそれが母の待つ、懐かしく温かいふるさとであっても。

俺は死んで、新しく生まれた男なのだから。



鍵を開けて暗いままの家を、俺は子安どんを引きずりながら探るように歩く。

そうして彼女の部屋の扉を開け、ふとんをめくり、

彼女の体を寝台の上に横たえ、ふとんを掛けてやる。

そして声をひそめて「おやすみ」を言い、部屋を出ようとした。

すると子安どんの白い腕が伸びて、俺の首に絡んだ。


「行くな」

「…子安どん」


子安どんは腕を引き寄せた。

俺は彼女の胸に倒れ込んだ。

闇の中に生きた女の匂いがはっきりと形をなして強く香った。


「して欲しい、今夜は…今夜はお前が欲しい」


子安どんの手が首から下へ遊ぶ。

…俺の夢がすぐ目の前に転がっている。

俺だって男だ、したくない訳がない。

でもそれじゃ俺は他の男と同じ、ただのおもちゃだ。

ちゃんと愛し合って彼女を抱きたい。

俺は彼女の腕をほどいた。


「やめとき。おいは子安どんにちゃあんと愛されてしたかと…。

今してもうたら、おいは他ん男とおんなじ、ただんおもちゃじゃっど。

おいは人や、子安どんの事思もちょっひとりの男じゃっどね」

「…お前はおもちゃなどではない、私の家臣だ。

私の弱さを知る唯一の男だ、私が心を許した唯一の男だ。

抱いて欲しい、お願いだ。そうして肌に残る足跡を消して浄化して欲しい…」


俺は笑って首を横に振った。

でも、子安どんを抱きしめて唇を重ねた。



その晩ずっと、俺は子安どんを抱きしめていた。

抱きしめて、時折唇を寄せて、ただそれだけだった。

彼女に望まれる機会などもう二度と来ないかも知れないのに、

それでも俺は彼女をどうしても抱けなかった。

それでよかったんだと思う。


子安どんの予想通り、彼女の漫画は連載打ち切りが決まった。

彼女が家臣らを集めてその話をすると、皆一同に目を丸くして驚いた。


「打ち切りって…そんな、なんでまた急に」

「読者アンケートの結果だっていいし、人気だっていつも上位じゃないすか。

それなのに打ち切りって…」

「…みんなすまない、給料は必ず払う」


子安どんはみんなの前で深々と頭を下げた。

「お前が何かやらかすと全て私の責任となる」…あれはこの事だったのか。

家臣らには悪い事したな…。


「俺は最後まで手伝います、次の連載決まったらまた呼んでください」

「俺も先生に付いて行くっす、少女漫画で男のアシ雇ってくれるの成富先生のとこだけす。

ここ辞めたら、俺行くとこなくなるっすよ」

「そうですよ、俺らみんな少年誌や青年誌にいられなくなった訳ありなんです、

成富先生に漫画辞められたら、俺らみんな食ってけなくなります」


…すごく、すごく悪い事したな。

俺が何かしでかすと子安どんだけでなく、家臣らにも影響するのか。

俺は最低だ。

するとそこへ玄関の呼び鈴が、ぴんぽんと変わった音で鳴った。


「取り込み中だ、出て来いフライド丸」


俺は子安どんに命じられて、対応に出た。

玄関の扉を開けると、そこには背中の丸まった老女が立っていた。


「何ね貴様」

「金や、金! 早よ金出し!」


老女はいきなり金、金と連呼して喚いた。

あ…この女はまさか!


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