第82話 薩摩隼人
第82話 薩摩隼人
富久は島津富久(ふく)、俺と子安どんの娘だ。
あれから子安どんに子供が出来たのがわかったけれど、子安どんは年齢も高かったし、
病歴もあって丈夫な方とは言えないから、お産はそれはそれは大変なものだった。
子安どんは富久のために命を捨てがまる勢いで張った。
正直子供の命か、母体の命か、究極の選択が迫っていた。
「今こそ命捨てがまる時…島津家の存亡は娘ひとりに懸かっている…、
今こそ命の捨てどころぞ…!」
子安どんは陣痛の中で顔を歪め、そう叫んでいた。
…どこの退き口だよ、どこの豊久だよ、俺は呆れていた。
そんな子安どんの顔に一瞬、島津豊久の面影が重なった。
そうか…子安どんは子安家の始祖にして子孫、そしてもう一人の始祖は島津豊久。
子安どんは島津豊久の子孫なのだ。
俺はうろたえて、ただ泣いているだけだった。
俺が「ねお薩摩隼人」になれる日はまだまだ遠いらしい。
そんな俺とは対照的に、子安どんは現実でもゲームでも捨てがまり経験値MAXの猛者。
捨てがまりながらもちゃんと生き残った。
しかも俺に娘という贈り物まで。
本当に見事な女だ、さすが顔の濃い隼人の女。
「富久」という名前は子安どんが考えてつけた。
おばさん、おばあさんになってもいい名前だし、「ふくちゃん」と呼び名が可愛いと。
俺は「富久」が「とみひさ」という島津家にありそうな名前に見えて、最初難色を示したが、
いざ産まれて命名してみると、「富久」という名前はすごくしっくり来た。
俺はすぐに富久を好きになり、めろめろになって溺愛した。
戦国では子供を設けない事で、家の滅亡を願ったというのに、
今はこの島津家が永遠に続く事を願っている、俺も変わったもんだ。
「おとん、おかんのアニメ始まるで。見やんと」
「お、もうそんな時間か。ぴしい正座して見やんとな、俺らこれで飯食うとんのやで」
子安どんに富久と夕飯食べて来ると連絡をして、
ファミレスで夕食中、富久は俺のスマートフォンをねだった。
俺はテレビ視聴アプリを立ち上げて、チャンネルを合わせた。
子安どんのあの、画面も作風も真っ黒々な漫画「おいは揚丸」は、
それからも連載が続いており、単行本の数も増えてテレビアニメにもなった。
今度新しいOVAが出るとかで、子安どんと担当の津軽どんや家臣らは準備に追われていた。
テレビアニメは夕方の、子供が見る時間帯の放送だったから、
原作と違って、流血シーンや性的なシーンは大分マイルドに配慮してある。
今度のOVAは原作以上に、絶対血みどろの真っ黒々にするつもりだろ、あいつら。
アニメのくせに「スクリーントーン節約術」とか、「トーン貼るならベタを塗れ」とか言ってさ。
テレビアニメとOVAの激しい落差はすっかり名物だ。
揚丸のモデル、おかげで俺はそう行く先々で騒がれるようになった。
「揚丸ておとんがモデルやんなあ、おとんもこない変な言葉しゃべっとたん?
おとんも刀で悪の島津と戦うたん? 命捨てがまったのん?」
「わっぜえわっぜえ戦うたど、命ばわっぜえ捨てがもうたど。
おいはフライド丸…揚丸がモデルじゃっど」
富久はどんどん成長していく。
最近ではちょっとませた事も言うようになった。
娘は父親に似た男を求めるという。
富久もいつか俺に似た男を、その先の、島津豊久に似た男を探すのだろうか。
その年の夏、揚弘から結婚式の招待状が届いた。
事前にゲームのパーティで、彼女と再会出来たと言っていた。
彼女は死んだのでもなく再誕したのでもなく、再生したのだとも。
だから天界のデータベースにも載っていなかったのだ。
そして死から再生までの間なら、どこにもいないのも当然だ。
俺と子安どんの夫婦は10月、保護司である島津の勘違いデブに旅行を申請し、
娘の富久を新納どんに預けて揚弘の結婚式に出かけた。
行き先は鹿児島だった。
あれから揚弘には実の父親が見つかり、その父親が鹿児島に住んでいたからだった。
父親の死後も、揚弘はずっと鹿児島にいるのだとか。
鹿児島の空港で出迎えてくれた揚弘は、ずっと大人になっていた。
ちょうど出会った頃の俺と同じ年頃だった。
「まいるど関西弁」から関西弁になった俺とは逆に、
揚弘のきれいだった関西弁は訛って、時々「わっぜえ」とか「じゃっど」などの、
「まいるど関西弁」が口から出て来るようになっていた。
揚弘の家は商店街の中にある揚げ物屋だった。
父親の遺した揚げ物屋だとかで、揚弘はそこで毎日揚げ物をしているようで、
彼の身体からは油の匂いがしていた。
揚弘の彼女とも式の前日に会った。
揚弘の続けている剣術を通して再会したとの話だった。
目のくりくりした可愛らしい人で、大きいのや泰弘兄さんの妹だけあって、
島津家の者らしい顔立ちをしていた。
とりわけ大きいのと似ており、俺と子安どんは亡くなった人を思い出して少し泣いた。
「ちょと行ってみたいとこがあんねん」
結婚式からの帰り、俺は子安どんに言った。
俺たちは飛行機の行き先を名古屋に変更して、切符を取り直して宿を取り、
新納どんにも電話をして、名古屋から電車に乗った。
「…美濃へ、大垣へ行くのだな、フライド丸」
「留っちゃんの家は大垣の出えやて、前言うとったやろ」
俺は結婚してから、子安どんの事を「留っちゃん」と呼ぶようになった。
…島津の大きいのがそうしていたのと同じように。
大垣に着いたのはもう日が傾き始めた頃だった。
駅前からタクシーに乗る。
タクシーは街を離れ、どんどん山へ近づいて行く。
「どこへ行くんだフライド丸」
「ついでやし、なみえばあちゃんのお墓探そ? あの時の続きや」
「まさか。父は大垣も探したけれど、墓は見つからなかった」
「でもまだ探してへんとこあんのやろ?」
「そりゃまあ…全部という訳には行かぬ」
タクシーは「薩摩カイコウズ街道」なる、山間を通る道に入る。
街道沿いにやたら焼肉店の多い道だ。
なぜこの街道の名前に「薩摩」がつくのか、俺は知っている。
「薩摩」の由来となったあの時代の、まさにあの時、俺はそこにいた。
肥えて山越えも出来ない主君を逃がそうと、敵前に立ちはだかっていた。
あの時、俺は確かに薩摩隼人だった。
「本当にここでいいんですか…何もない山の中ですよ?」
タクシーの運転手はいぶかしんだ。
俺は構わないと言って精算し、子安どんを連れて車を降りた。
暗くなった空には雲が重そうに垂れ下がっていた。
雨が来るだろうか。
「なんでこんな山中で降りるんだ? 帰りの車見つからないぞ、どうするんだ」
「どうしても行っときたいねん…どげんしてん見ときたか」
俺は脇の小道へと通りをそれた。
坂道を少し行くと、道ばたに看板と旗が立っていた。
「島津の旗…何だここは」
「…ここは烏頭坂じゃっど、島津が退き口ん舞台ぞ」
そこはあの山道だった。
俺たちは階段になった小道を登り、高速道路との間に挟まれた林の中へと入った。
いっそう暗い闇の中に石碑の白みが灯りとなって浮き上がった。
「…あったど」
「墓…誰のだ?」
俺はかばんの中から折りたたみ式のシャベルを取り出して組み立て、
石碑の元を堀り始めた。
「ちょっ…フライド丸!」
「大垣にまだ調べてなか墓あっとよ、ここじゃっど!
なみえばあちゃんが墓なかは他人が墓んなっちょるからじゃっど…!」




