第80話 1980円の島津豊久
第80話 1980円の島津豊久
俺は箱の中に固定されたまま、覗き込む島津の大きいのに答えた。
「か…『からおけ』ん行ってもした」
「嘘言え、どこのカラオケがそんな人身売買など行う。
てかさ、なんでフライド丸が『島津豊久 ¥1,980』なんだ?」
それから島津の大きいのが商品の管理者に、自分が届けると言って、
待たせておいた車に俺を乗せた。
森の中は暗かったからわからなかったが、外は夜だった。
夜風に磯の香りがして、近くに黒い海がぼんやりと見えた。
「…ネットの人身売買闇サイトにね、お前が商品として載ってたんだよ。
島津豊久、1980円…国内の人身売買市場にしては破格の安さだ。
普通は傷物の成人男性でも、どこかしら抜ける臓器はあるし、
保険金殺人にも利用出来るから、2000円を切るとかそこまで安くはならない。
お前はワゴンセール品で、目立つからすぐに見つけたよ…」
島津の大きいのは車の中で、たばこをふかしながら言った。
彼が窓を開けると海風がどっと押し寄せて来て、青い煙をあっという間にかき消した。
「とりあえず注文しなきゃって思って、ポチろうとしたんだけど、
やっぱ目立つ商品だから、もう留っちゃんがめざとく見つけて買っていたよ」
「子安どんが…?」
俺を買ったのは子安どんだったのか。
「留っちゃんも「ねお薩摩」の人間、電脳の申し子だからね…。
電脳網の世界は一瞬の勝負なのさ…特にネットショッピングやネットオークションともなれば。
留っちゃんはその一瞬を制したのさ、やっぱ留っちゃんには勝てないね。
…まあいろんな意味で」
車は赤い糸をひいて、高架上の高速道路を滑らかに流れて行く。
川を渡ると、マンションの物干し台から日々見慣れた「ねお薩摩」の森が見える。
その繁栄は煌々と輝く電飾の冷たい灯りに照らされて、夜に浮かび上がっている。
戦国でも「あまぞん」の森でもない、俺はちゃんと希望通り「ねお薩摩」へと流されたのだ。
これが司法取引の結果だった。
俺は売られて、もう罰金は支払った。
あとはこの「ねお薩摩」に暮らすだけだ。
受刑者の島津豊久として、ただの男フライド丸として。
俺はこの夜、自分の中の島津豊久を、島津忠豊を、少しだけ許した。
島津の大きいのやおやかたさあの許す愛、俺はその強さを知っているから。
そしてそれがいつか必ず勝つと信じたから。
高台の公園の側を通り、揚弘と鉄製の細長い箱に乗った駅前を通り、
島津の大きいのと特売品を奪い合った「すうぱあ」の横を通る。
島津の勘違いデブが仕切りの上に寝ていた長椅子のある公園の前を通る。
そうして見慣れた石造りの城の玄関に出る。
「えれべーた」で最上階まで上がり、子安どんの待つ部屋の前まで帰って来た。
島津の大きいのが呼び鈴を鳴らして、中に声をかけた。
「こんばんはあ。ドゥエルヴ運輸ですう、お荷物をお届けに参りましたあ」
中から「はあい」という女の声がして、扉が開いた。
「なんだ、幸弘か」
「ご注文の品はこちら、島津豊久1980円。大特価ワゴンセール品でよろしいですか?」
島津の大きいのは子供みたいな冗談を言って、俺を子安どんに引き渡した。
「…フライド丸!」
「子安どん…! 子安どん…ただいま!」
俺と子安どんは玄関先で泣いて抱き合った。
俺はもうどこにも行かなくていいのだ。
ずっとここに、子安どんの側にいてもいいのだ。
俺はフライド丸、「ねお薩摩」のフライド丸として。
島津の大きいのが突然亡くなった。
その年の暮れだった。
明け方、仕事から帰って来たと思ったら急に倒れてしまい、
そのまま息を引き取ってしまった。
不摂生で脳の血管が破れてしまった事が死因となった。
天界の誰が大きいのを迎えに来たのか、誰も見ていない。
大きいのの遺体は臨終のあと、すぐ彼の兄さあに引き取られ火葬された。
火葬は兄さあの知り合いがいる、都内の私設火葬場で密かに行われた。
もちろん違法な火葬だった。
葬儀の祭壇には棺ではなく骨壺が安置されていた。
泣いて動揺している揚弘に代わり、葬儀を手伝う島津の大きいのの兄さんが、
ヤクザだからまあ仕方ないと、淋しく笑った。
「俺らヤクザはな、どうしても生活が乱れてしまうんだ。
だから抗争で戦死しなくても、早死には仕方ないのさ。
ヤクザの宿命、そんなとこかな…」
大きいのの兄さん、泰弘兄さあもまたヤクザだった。
大きな組織に所属している大きいのと違い、
陸奥の国の仙台という、伊達家のお膝元に自分の組を持っているのだとか。
地味な顔の大きいのとは違って、泰弘兄さあは華やかな顔の美しい人だった。
揚弘の女であるその妹御も、きっと美しい人なのだろう。
「フライド丸」
葬儀の後、島津家に戻ると泰弘兄さあは俺を呼んだ。
「揚弘も、留津さんも」
俺たち島津家の者は居間に集まった。
「生前の幸弘が俺に話していた事なんだけど…いいかな」
「幸弘が?」
子安どんは目を丸くした。
そういや島津の大きいのは、子安どんにあの事を話してあるのだろうか。
「幸弘が自分の死亡届は出さないでくれ、自分の戸籍をフライド丸にって、
フライド丸の事情を話してそう言っていたんだけど、俺は幸弘の遺言を守ろうと思う。
火葬許可証は出ないから、遺体はうちの知り合いに頼んでこっそり焼いたけど…」
泰弘兄さあは集まった全員の顔を順々に見た。
「だめかなみんな…幸弘がそこまで言う事だし、叶えてやりたいんだ。
幸弘は揚弘のためって言ってたけど、俺はそれだけじゃないと思う。
フライド丸は幸弘にとっても、自分の戸籍を与えたいと思うほど大事な人だったから、
そうなんじゃないかなて思うんだ」
「俺は賛成すんで」
揚弘は口を開いた。
「俺は兄さんの心に応えるで」
「留津さんは? 留津さんにはちょっとややこしい事になるけど…」
「私も…幸弘の遺言に賛成したい。フライド丸がこの先もここで暮らして行くには、
いずれ必ず戸籍が求められる、でも行方不明者のフライド丸が、
行政の保護を受けて新しく戸籍を作るのは難しいし、とても現実的ではない。
やはり幸弘の好意に甘えさせてもらうのが一番だと思うのだ、それに…」
子安どんはそう言うとうつむいて少し黙り込んでしまった。
でも顔を上げてはっきりと言った。
「…それに私も…私もフライド丸をきちんと夫として迎えたい。
フライド丸と結婚したい。幸弘には悪いけれど、私の愛する男はフライド丸しかいない。
好きな男と結ばれたいというのが女だ、そのためなら何だってしたい。
だからどうしてもフライド丸に戸籍が欲しい、それが罪であっても」
「子安どん…!」
子安どんが俺との結婚をちゃんと考えてくれていたなんて。
「決まりだ、フライド丸も異論はないな?」
泰弘兄さあは部屋の隅のかばんから、一通の封書を取り出した。
そして、それを俺に手渡した。
開いて中を見てみると、島津の大きいのの戸籍が記されてある謄本だった。
「フライド丸…今日からお前の氏名は島津幸弘、昭和54年12月20日生まれ、40歳。
本籍地、宮城県塩賀浜市東部町1-5-10…」
「おいはそげんおんじょんなっとか…」
俺は泰弘兄さあが諳んじる、大きいのの個人情報を聞きながらふっと少し笑った。
広げた戸籍謄本に涙の粒がぱたりぱたりと落ちて行く…。




