第75話 THE BLACK STYX
第75話 THE BLACK STYX
生と死の狭間…なるほど、覚えがあるはずだ。
俺は美濃の川からこの空間を漂って、子安どんや揚弘、島津の大きいの…、
みんなのいる「ねお薩摩」へと流れ着いた。
「フライド丸こと本名、島津豊久。
いくら逃げようが、名前を変えようが、別人になりすまそうが、全て無駄だ。
天界は人が必ず行くべきところ、避けられやしない」
「井伊どんまで…そげんショボか名でおいを呼ぶな!」
「ちょ、待ちや。フライド丸こと本名、島津豊久て…いつそないな事なったん?」
俺と井伊どんの「ぞんび」の会話に、揚弘が口を挟んだ。
揚弘は事情を知らないから、疑問に思うのも無理はない。
「初めてん打ち上げで酔いつぶれた時、麻酔で寝ちょる時、
おいは戦国が豊久さあん世界に迷い込んで、そいばよか事に豊久名乗て動いた。
『ぱーとたいむ豊久』じゃ、こいはそん罪ん報いぞ」
「天界の捜査力を、データベースをなめるな。
先も言ったが、指紋の一致、DNAの一致、スーパーインポーズ法による頭蓋骨一致。
それだけじゃない、身体的特徴、双方の足取り、裏付けのある第三者の証言…、
それらを照らし合わせ統合し、最終的に天界はお前を島津豊久と判断した」
電脳を大いに取り入れたほどだからな。
天界の技術力は本物だろう。
だが、俺は「ぱーとたいむ豊久」だ。
「ぱーとたいむ」は「ぱーとたいむ」、ほんの一時の島津豊久でしかない。
「貴様らの捜査はザルじゃっど、偽物ば本物と判断すっとか」
「ほざけ。本物は本物でしかない、本物は偽物にはなり得ない」
「偽物じゃ、おいが島津豊久やなか事はおいが一番良う知っちょる!」
俺は井伊どんの「ぞんび」に殴りかかった。
確かに命中しているのに、拳は彼の身体をすり抜けた。
やっぱだめか…。
「わかりきった事を…無駄だ、島津豊久」
「おいは豊久やなか!」
俺は子安どんの銃剣を十字にした。
そして井伊どんの身体に十字架を叩き付けた。
「なっ…!」
あれだけ叩き付けたのに、井伊どんの「ぞんび」の身体には痕ひとつなかった。
「死神は神ぞ、悪ではない。それに次ぐ死神補もまた神に属する」
井伊どんの「ぞんび」は宙に四角形を描いた。
天国の扉が浮かび上がり、それを開くと柄の長い大きな鎌が出てきた。
揚弘が目を丸くした。
「『デスサイズ』…!」
「稽古用だ、死神昇格試験には大鎌の実技もあるのでね…」
井伊どんの「ぞんび」はそう言うと、俺に斬り掛かってきた。
俺は必死でそれを避けたが、背中を少し斬られてしまった。
「フライド丸!」
揚弘がかけ寄って来る。
大丈夫、島津の大きいのがかけてくれた魔法はまだ効いている、
痛みはない、俺はどこまででも動ける。
すごい魔法だ、まるで戦うためにあるようだ。
島津の大きいのはきっと、これを見越して魔法をかけてくれたのだ。
井伊どんの「ぞんび」はそんな揚弘の腹を斬ろうとした。
「島津豊久! 俺が島津豊久! それでええやろ、井伊のゾンビ!
斬るんやったら俺を斬りい!」
揚弘は叫びながら両手を広げて目を閉じた。
「…俺は島津豊久、『ねお薩摩サイバーパンク』んツッコミ担当。
相方ん為命張るんは当然至極、絶好の捨てがまり日和や。
命懸けて笑いを取りに行く…それがお笑い芸人!」
「…見事」
井伊どんの「ぞんび」は笑って揚弘の腹を斬った。
揚弘の腹から赤い血が弧を描いて飛び散る。
「揚弘!」
「死にやしない、部外者は少々邪魔なのでご退場願っただけだ」
「殺し! 俺を殺し、井伊のゾンビ! なんで殺さん、俺殺して魂持ってったらええやん!
俺が島津豊久、それでまあるう収まるやん…!」
倒れた揚弘が血を流しながら叫び続ける。
握りしめるその拳は震えていた。
俺は揚弘の傍らに落ちた刀を拾い上げた。
「借りっど、揚弘」
その刀は革製の鞘に納まっていた。
変な刀で、包丁のように刀身の付け根がきゅっと細くなっていて、あごがある。
ずいぶん長いんだな、これじゃチビの揚弘にはなかなか抜けないはずだ。
「揚刀島津死神」、死神が自らの血を入れて作った刀と言う。
おやかたさあを斬った時、切り口が爛れた…。
魔力を持つとでも言うのだろうか。
井伊どんの「ぞんび」の鎌が俺に狙いを変更した。
俺はその刀を構えて立ち向かった。
見た所長いだけの、ごく普通の包丁だ。
「島津豊久、観念しろ!」
井伊どんの「ぞんび」は大鎌の先を下に向け、俺の足を刈り取ろうとした。
俺はその気配を読んで大きく飛び、井伊どんの鎌を避けた。
「やなこった…!」
「なら仕方あるまい」
井伊どんの身体が大鎌ごとだんだんと透け出して来た。
それと同時にさっきまで感じていた気配も消えてしまった。
息も体温もない。
しかもこの暗闇で俺のわずかな視力も完全に奪われた。
井伊どんの鎌が風になって俺の身体を斬っていく…。
風は俺の目の前までやって来た。
…斬られる!
俺は刀で受けようとした。
…ここは生と死の狭間、異世界だ。
異世界なら魔法も使えるかも知れない。
異世界には魔法が付き物、死神の魔法よ来い。
来い…!
その時、刀がどくんと脈を打った。
血が通い始めるように、刀身に赤が宿る。
「え…」
赤をいっぱいまで孕んだ刀身は弾け、ぐにゃりと溶けて金属から血液へと姿を変え、
飛沫をあげて大きく広がった。
「ちょっ…こげん時に!」
飛び散った血液は形をなし、ぱちぱちと油の跳ねるような音を立てて、
ふとんほどの大きさの茶色い草履のようになっていった。
そしてじゅわんと揚げ物の揚がる音と共に、ひとつの揚げ物として登場した。
揚弘は倒れたまま笑った。
「来たで…『グラン・つけ揚げ・ブークリエ』、死神の揚げ揚げな魔法や」




