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第62話 ドリフティン・ブルース

第62話 ドリフティン・ブルース


死んだ俺は水の中にいた。

流されて、流されて、俺の死体は豊久さあの世界を後にした。

遠くへ、遠くへ流されて、行く宛ての無い小さな浮舟になって、

つなぎ止める物は何も無い浮舟になって、俺は海を漂い彷徨った。

あの時もそうだった。

美濃の川から流されて、海を経由して「ねお薩摩」へとたどり着いた。

俺は無事に「ねお薩摩」へと流れ着けるだろうか。


あれから病院の待ち時間に、揚弘から「すまーとふぉん」を借りて、

浮舟について、「宇治十帖」について調べてみた。

確かに俺は浮舟だ、島津の勘違いデブの言う通りだった。

前の人生に悩んで入水したものの、生還してしまい、

流れ着いた先で前の名を捨て、別人として別の人生を生きている。



…誰かの手に水から揚げられ、口移しで息を吹き込まれる。

飲み込んだ水をぴゅうと吐いて、息を吹き返すと、

目の前に井伊どんの「ぞんび」がいた。


「大丈夫か、フライド丸」

「あれ…井伊どんの『ぞんび』…」


辺りに水はもうなく、香りある白い花に囲まれていた。

俺は天界へ引き揚げられたのだ。


「どこへ行くつもりだ」

「え…」

「お前は生でもない、死でもない、別の世界を漂っていた。

あのままずっと生死の狭間を漂っているつもりか」

「島津の勘違いデブは? いっつも一緒んおんのに…」


井伊どんの「ぞんび」は白い花畑の向こう、白い建物の方を向いた。


「あいつね…あれからお役目に志願したんだよ。

ここで異国の仏様との交流で覚えた英語を、今子供の仏様に教えてる」

「あん変な言葉を? へえ…あんデブがねえ、島津義弘んくせに」

「あれでも島津義弘だからな」


建物のそばに子供たちが輪になって座り、白い筒っぽを着たデブがその中央で、

楽しそうに英語とやらの授業をしていた。

井伊どんの「ぞんび」はそれを遠目に見ながら、俺に問いかけた。


「お前は? 死んだら天界で何したい?」

「さあね…でもやっぱい柵んなっと思う、

天界でん敵ん流れば食い止めっ柵んなっと思う…」

「死んでも戦かよ」


井伊どんの「ぞんび」はついて来いと言って、白い花畑を歩き出した。

俺も歩き出してついて行こうとしたが、溺れたばかりの身にはつらく、

すぐに息を切らせてへばって、白い花の中に崩れ落ちてしまった。

井伊どんの「ぞんび」はだらしねえなと笑い、俺をおぶってまた歩いた。


「…もう帰んなよ、お前にどういう事情があるのか、

なぜあの『ねお薩摩』へ行くことができたのか、俺にはわからないけれど、

お前は別の世で確かに生きている、まだ死に時じゃない。

天界のデータベースにお前の名は載っていないからな」

「…ふうん、そうなんや」


俺は井伊どんの「ぞんび」に背負われて、白い花畑の端までやって来た。


「ありがとう、井伊どんの『ぞんび』。おまんさは良か人やな…。

おい、戦国ば離れてよかて思も…でなきゃおまんさと話す事も無かかち思も。

おまんさとおいは敵やったから…」

「当たり前だ。俺は井伊直政、井伊だからいい奴だ。

てかやっぱりお前、西軍にいたんだ?」


俺はふふと笑ってごまかした。


「でも俺、いつかはお前の事迎えに行くよ。いつになるかわからないけれど。

その時はお前が嫌だって言おうが暴れようが、俺はお前を連れて行くよ、

いつか、天界のデータベースにお前の名が載ったその時…」

「来っなら来い、そん時は真っ向勝負しちゃる」


井伊どんの「ぞんび」もふふと笑った。

そして、ふと思い出したように言った。


「ところでさ、冬のコミケ期間にまた大会あるけど、お前も出るだろ?

お前の相方のあの小さいの、島津豊久も一緒に。義弘にも声かけとくよ」

「げっ、あんデブもか!」


噂をすれば、授業を終えた島津の勘違いデブが、勘違いをしながら近づいて来る。

俺は急いで花畑の縁を蹴って、空へと飛び込んだ。

今度は落ちながら空中を浮いて漂った。

落ちて醒めながら、俺は豊久さあの夢を見た。

戦国から分岐し、もう二度と合流する事のない歴史の夢を見た。



「…フライド丸!」


目を開けると、揚弘の泣き出しそうな顔がうっすらぼんやりと見えた。

揚弘は急いで看護人を呼び出す通信機の「ぼたん」を押した。

口には太い管が差込まれてあり、話す事はできない。

体のあちこちにも管が入っていて、体を動かす事も出来ない。


「お前麻酔のあと、なかなか起きへんで死にそうになっとったんやで…」


揚弘は俺の手を握って、泣きながらそう話してくれた。

しばらくして、看護人と医師が部屋にやって来て、いろいろ検査をし、

ようやく管が抜かれ、話す事が出来た。


「…おい、そげん良う寝とったんか?」

「寝ながら泣いとったで」

「夢ば見とった、豊久さあが夢…豊久さあが世界…」

「なんやそら」

「あのまま美濃んおったら、川ん入らんかったら豊久さあは…。

…そういや、移植! 子安どんどげんしたん!」


俺は思わず起き上がろうとした。

揚弘がまだ寝ときと俺を押さえつけた。


「成功したでフライド丸、お前のおかげや。

お前の骨髄、無事子安っさんに馴染みそうやで。

今、兄さんが子安っさんについとる。安心しい」

「…よかったあ」


俺は力が抜けたように笑うと、また眠くなって寝てしまった。

その翌々日、退院の許しが出て俺は退院した。

家に帰る前、子安どんの病室に立ち寄る事にした。


「ずいぶんのんびりカラオケしてたな、フライド丸よ」


子安どんは寝台の上で腕組みをして、恐い顔をしていた。


「から…? また『からおけ』! 誰が…」


子安どんに付き添っていた島津の大きいのが、ぺろりと舌を出した。


「くそ…おいそげん…」

「どこへ行っていた、この病人の生死の分け目と言うのに」

「…実はおいも入院ばしとっとよ、買いもん行きよったら、

百貨店が階段から落ちて腰痛めてもうてな。

子安どんが大事ん時おれんでごめん…」

「入院?」


子安どんはいぶかしんだ。

揚弘が手を挙げてそこに割り込んだ。


「はい! 俺が保険証貸したりました!」

「俺がデパートで動けなくなったフライド丸を、近くの病院まで運んだんだよ」


島津の大きいのも俺に話を合わせてくれた。

子安どんは眉間に皺を寄せて、心配そうな顔をした。


「…それは大変だったな、もう大丈夫なのか? 動いていいのか?」

「あ…まあ、まだちいと痛むけんど」

「お前は目が良く見えないから、あまり階段は使うな、エスカレーターも危ない。

なるべく『エレベータ』を使え、『えれべーた』だぞ」


子安どんは俺の頬を引っ張り、小さな子供に言い聞かせる母親のように、

口を酸っぱくして俺に「えれべーた」を教えた。

島津の大きいのはそれを複雑な顔で見て、すぐに目をそらせた。


揚弘はそのまま職場へ行ってしまった。

帰りの車は島津の大きいのと二人きりだった。


「…留っちゃんがすっかり良くなったら、俺は離婚されちゃうかなあ」


島津の大きいのはため息をついた。


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