第61話 燃えるトイ・ボーイ
第61話 燃えるトイ・ボーイ
「今、何と…?」
「あ…!」
子安どんはうろたえてふとんの中に潜り込んでしまった。
今、子安どんは確かに「豊久さあ」と言った。
俺といるのに、俺といるのに。
この世界は俺の世界ではなく、豊久さあのために用意された、
「ねお薩摩」ほど遠くはない、ほんの少し先の世界だったのだ。
この世界の子安どんは俺の女などではなく、豊久さあの女なのだ。
子安の清兵衛さあは俺ではなく、豊久さあがなるはずだったのだ…!
この世界は豊久さあの世界、俺は豊久さあなのだ。
俺は朝を待って家を飛び出した。
もうここにはいられない。
山道を走っていると、前方に落ち武者狩りのお出ましだ。
こんな朝早くからご苦労なこった…!
俺は家から持ち出した、豊久さあの物と思われる刀を構え、
落ち武者狩りの集団に飛び込んで行った。
死んでもいい、この世界は俺のいるべきところではない。
豊久さあめ、こんな世界を俺に見せやがって。
「殺しい! おいばうっ殺しい!」
「ははは、やっぱりだ! 子安の清兵衛どんだ、やっぱり狂ってやがる!
お前、元お武家さんらしいじゃないか…お前取っ捕まえてお上に差し出したら、
すごい褒美たんまりもらえそうだな…」
落ち武者狩りの頭は舌なめずりしながら、俺を値踏みした。
「何欲しかね、銭か? 命か?」
「命は要らぬ、生け捕りじゃ。生け捕りの方が価値が高いからのう!」
「…断る! おいはこいから死にん行っと、ショボん豊久さあに復讐ばしに行っと!
貴様らがおいば殺さんなら、おいが貴様ら殺す!」
俺はゆらんと揺れた。
揺れて駆け出し、敵中を舞って斬った。
…死体の花が咲く。
「おいはフライド…島津中務大輔侍従豊久、恨みはみいんなショボん豊久さあに…!」
俺はそのまま駆け抜け、先を進んだ。
みんななすりつけてやる、豊久さあになすりつけてやる。
俺が犯す罪という重い重い濡れ衣を、汚名を着せてやる。
悪事をみんななすりつけて、二度と出て来れんようにしてやる。
豊久さあなんか存在もしなかった事にしてやる。
…憎い、俺は豊久さあが憎い。
豊久さあを殺して俺も死ぬ…!
俺は村を見つけ、田畑を荒らし、そこの民家に押し入って銭を盗んだ。
そして村人を女子供まで残らず殺し、火を点けた。
豊久さあの名を何度も何度もくりかえし、くりかえし名乗りながら。
村や役所への襲撃を繰り返し、俺は京に入った。
朝廷に出入りする身分ある者を殺して装束を奪うと、適当な内容の文を出し、
豊久さあのふりをして、御所に参内した。
御所は初めてじゃない、俺は挨拶もそこそこに人の目を盗んで、
奥の下人らの領域に入ると油を奪い、それを頭からかぶって自分に火を点けた。
…燃える、燃える。
俺は自分の身体を燃料に燃えさかり、火の玉になった。
心が憎しみに凝り固まって、熱さや痛さはもう感じない。
火の玉はそのまま廊下を渡り、天皇や公家のいるところへと転がって行く。
御所のあちこちに火をなすり付けながら、豊久さあに罪をなすり付けながら。
「こっちへ来るでない!」
人々が俺を避けて逃げ出す。
近衛の兵どもが俺を追いかける。
俺はそれを斬りながらお上の御前に出て、御簾を巻き上げた。
「何者じゃ! 下がりゃ!」
「豊久殿、お上の御前にござるぞ! 無礼な!」
「…おいは島津中務大輔侍従豊久、おいはおいば殺す!
悪っかけんど、巻き添えんなってくいや!」
俺は燃えながら天皇の首を跳ねた。
返り血がじいと言って炎に吸い込まれていった。
俺はまた宮中を転がり、手にしている油の小さい壺の中身を口に含み、
噴き出して追っ手に吹きかけ、火をなすり付けて焼き殺した。
そして庭に出て、燃えさかりながら池の中へと飛び込んだ。
水に沈みながら、朝廷に火が回って燃えてゆくのを見た…。
気がつくと暗がりで誰か男の腕の中にいた。
雅やかなくゆりが闇にいっそう香る。
…この香りはおやかたさあか。
あの軍事演習で俺が義弘を殺した事によって、島津家はおやかたさあの代が続いたのか。
義弘が亡くなった事で、おやかたさあが豊久さあを引き受けたのか。
おやかたさあは俺を抱いて、豊久、豊久と、豊久さあの名前を何度も呼んだ。
きれいな言葉の優しい声だった。
「…おいは人ぞ、おもちゃやなか」
俺が反発するとおやかたさあは笑顔でうんうんと頷いて、俺の頬を撫でた。
島津の大きいのに少し似ているなと思った。
「よくぞ生きて帰って来てくれた…嬉しいよ。
もしもお前が何の武功もなく、敵前逃亡して帰って来たとしても、
お前が生きて帰って来てくれるだけで、私は嬉しく思う。
例えその気持ちが罪に値しても嬉しく思う、私たちは家族なのだから…」
島津の勘違いデブもおやかたさあと同じ事を言っていたな…。
もし俺が元いた世界に戻っても、俺の帰還を喜ぶ人はちゃんといたのだ。
彼らはきっと俺を無条件で許した、それが家族の愛なのだから。
俺は涙をおやかたさあの顔の上に、ぱたりぱたりと落とした。
そして嗚咽を殺して泣いた。
「ごめん…おやかたさあ、ごめん…おいはおまんさん豊久やなかと。
おいは島津のおもちゃやなか、生きた人間ぞ、
おいはフライド丸、電脳都市『ねお薩摩』んフライド丸ぞ…」
おやかたさあは黙って泣く俺を抱きしめた。
俺は豊久さあじゃないのに、別の男なのに。
おやかたさあは別の男を抱きながら、豊久さあに語りかけた。
「いつでも帰っておいでフライド丸…別の世の暮らしに飽きたら、戻りたくなったら、
いつでもここに帰っておいで、私はずっと待ってるよ。
お前は永遠にこの島津家のおもちゃなのだから」
フライド丸…。
豊久さあじゃない、おやかたさあは俺に話しかけているのだ。
おやかたさあはたぶん、俺の全てを見通してわかっている…。
その上で俺に語りかけてくれているのだ。
おやかたさあはそっと目を閉じて続けた。
「…おもちゃはね、ただ愛されるためだけにあるのだよ。
お前はみんなに愛されて、愛されて、ずっと可愛がられて、
永遠に愛され続けるためにいるのだよ…」
俺はおもちゃ、愛される男。
俺は声を解き放ち、はばかる事なく大声をあげて泣いた。
翌朝、俺はおやかたさあが目覚める前に起き、
彼の脇差しを拝借して自分の腹を割いた。
…行かなくては。
これ以上ここに、豊久さあの世界にとどまっていてはいけない。
帰らねば、俺は帰らねば。
おいはフライド丸、「ねお薩摩」へ。




