第60話 柵となる人
第60話 柵となる人
病院に着くと俺たちは受付で受付を済ませ、建物の上の階の一人用の病室に通された。
島津の大きいのが差額を払って取ってくれたのだった。
普通は患者と「どなー」が同じ病院に入る事はないとの事だったが、
俺の場合は「骨髄ばんく」を通しておらず、「血縁どなー」と同じ扱いだったので、
子安どんと同じ病院に入る事になった。
子安どんの部屋は俺がいる普通の病室ではなく、「無菌室」なる、
別の階の部屋だったから、顔を合わせる事はなかった。
「じゃあなフライド丸、がんばれよ」
荷物を片付けると、島津の大きいのはそう言って俺を抱きしめた。
前に嗅いだ花の髄の、生きた人の匂いがした。
…この香は子安どんと同じ物なのだ、俺はようやく気がついた。
彼は子安どんを本当にずっと密かに思い続けていたのだ。
「死んだら殺す」
「…アホか何ねそい、死人ば殺せっ訳なか」
「いやあ豊久ちゅう前例があるしい、わからんで? それより…」
揚弘はにっと笑って、手を伸ばして前に出した。
「フライド丸の採取成功とと子安っさんの移植成功を祈って」
「うん、そうだね…!」
島津の大きいのも手を伸ばして、揚弘の差し出した手の上に自分の手を重ねた。
「フライド丸も早く」
「おい? おいは赤ん他人ぞ、島津家のもんやなか」
「島津揚丸、お前は島津家の家族、血縁より家族らしい家族だ。
この島津家は揚弘と留っちゃん、他人の寄せ集めで成り立っている。
血縁は一切無視だ、まあ戸籍上はさしずめ『事実上の養子』て事になるけど…」
そうだ、子安どんは「子安」ではなく、「島津」になったのだった。
俺も「島津」になるのか…何とも皮肉な。
「えーまた名前変わんの、戦国ん武家やあるまいし。
…まあよか。おいも『島津』じゃ」
俺も手を伸ばして二人の手の上に重ね置いた。
揚弘が嬉しそうに言う。
「ほんじゃ! 島津家『ねお薩摩サイバーパンク』、がんばるで! ファイト!」
「応!」
島津の夫婦は帰って行き、部屋には俺だけになった。
しばらくぼんやりと窓の外を眺めていたら、中年の男性医師が2人入って来た。
俺の主治医になると言う人と、麻酔なる麻痺を発生させるための医師だった。
彼らは俺に挨拶をすると、翌日の説明をしてくれた。
明日は何時に迎えに来るとか、改めて手術の内容をもう一度おさらいとか、
そう言った話をし、点滴なる薬剤を体内に流し込むための管の、
先の針を刺す予定の手の甲に、局所的な予備麻酔の貼り薬を張ってもらい、
この日はそれで終わった。
食事は夜から断食となった。
麻酔で意識がなくなっても便が出て来ないように、腸をきれいにしておくためだった。
翌朝早くに看護人がやって来て、腸に残った便を出し切るために浣腸をした。
薬剤の入った、柔らかい容器の長く伸びた細い先端を肛門に挿入し、
中の薬剤を流し込んでしばらく待つと、便意が起こって残便が排泄される訳なのだが、
初めてのくせにあまりにも抵抗が無さ過ぎて、看護人に少々驚かれてしまった。
…俺は衆道のためのおもちゃだったからな。
浣腸ごときじゃびくともしない、たとえ人の拳が来たって何ら驚かない。
便所にこもって腹の中を空っぽにして、寝台の上でごろごろしていると、
看護人2名が部屋にやって来た。
「子安揚丸さん、そろそろ行きましょう」
2人の看護人は俺の寝ている寝台の足元の車止めを外し、寝台を押した。
俺は寝台ごと長い廊下を運ばれた。
手術を行う冷たい部屋で名前を何度か確認し、挨拶をして台の上に移る。
術衣なる、脱がせやすいように作られた、特殊な着物を脱がされて覆いをかけられる。
昨日の貼り薬を剥がして、点滴の針を刺し、麻酔の準備が始まる。
「子安さん、今日はがんばりましょう」
担当医が声をかけてくれた。
がんばる…そうか、これは戦なのだ。
美濃の山道が、電脳都市「ねお薩摩」の病院に変わっただけなのだ。
あの時は流れでいやいや戦っていたけれど、今は違う。
俺は自分から戦いを望んだ。
俺は戦う、子安どんを救う為に戦う。
自分の愛のために戦う、人の心のために戦う。
島津の退き口が俺を殺す戦いなら、この戦いは俺を生かす戦いだ。
この戦いを勝つ事で俺の愛は生きる、俺は子安どんの中に生きる。
東軍のやつらが大軍で押し寄せて来ても、俺は子安どんの柵になってくい止める。
それで死ぬのなら是非もなし。
「げーむ」とか、「島津の退き口」とか、しょうもないところでばっかり捨てがまって来たけれど、
今こそ捨てがまる時、今こそ命捨てて戦う時。
…命の懸けどころは今ぞ。
麻酔の準備は完了し、口に酸素なる空気を送る覆いが掛けられ、
点滴から麻酔の薬剤が流れ始める。
子安どんはどうしているかな、そんな事を思う間もなく、
俺の意識は消えて飛んで行った。
今日は10月22日だった。
気がつくと草むらの中だった。
起き上がってみると、どこかの農村らしかった。
田んぼの中に茅葺きの農家がぽつりぽつりと点在している。
「…だんなさま」
女の声がする。
俺は声のする方を向いた。
そこには戦国の農民の着物を着た、顔の濃い女が心配そうに俺を覗き込んでいた。
俺の見た戦国の夢に出てきたあの女である。
しかしなんと子安どんに似ているのだろう、まるでそっくり写し取ったようだ。
「あれ? おい…」
「今度はどちらへおいでですか? 清兵衛さん」
女は甘い笑顔で微笑んだ。
この世界の俺は清兵衛という名で、彼女の夫らしい。
「もうすぐ夕餉でございます、今日はだんなさまのお好きな栗ごはんですのよ」
「えっ…」
「さ、早くおいでなさいまし」
女は俺の袖を引いた。
気付けば俺は「ねお薩摩」の術衣なる着物から、戦国の着物になっている。
女に連れて行かれた家は大きく、門構えも立派でどこかの庄屋らしかった。
俺は座敷の上座に座らされ、使用人が夕餉の膳を運んで来た。
供されるまま夕餉を食べていると、奥の部屋から赤子の泣く声がして、
女がそれをあやしに行った。
俺もそれについて、奥の間へ入って行った。
奥の間には小さな寝具が敷かれ、そこに生まれたばかりの赤子が寝かされていた。
女の子のようである。
女は赤子を抱いてそっと揺らした。
「よしよし、泣かないの…おとうさまもいらっしゃるから」
「えっ、俺ん子?」
女は振り向いてまた微笑んだ。
「あら、もちろん。だんなさまと私のお子にござります。
おかしな清兵衛さんでございますこと…」
「ではそなたは…留津か? 子安留津」
「もちろんにございまする、本当におかしなだんなさまにございまする事…!」
なんという事なのだろう。
この世界は俺の見た戦国の夢の、子安どんが行って暮らした戦国の世界の、
その続きの世界なのだ。
そして今、俺の目の前にいる女は、あの時戦国へ行って暮らした子安どんなのだ。
この世界では俺と子安どんは夫婦なのだ。
ここは戦国、戸籍なんか要らないのだ。
俺は赤子の頬を指でそっと撫でた。
子安どんにも似てはいるが、俺に似ている…。
俺たちに子供がいたら、こういう子になるのだ。
「…名は何と言う」
それから俺は美濃の子安家当主として、子安どんと娘のだいと幸せに暮らした。
家族に愛されて、村人にも慕われて、とても幸せだった。
ここでは「フライド丸」と言っても通じず、頭おかしい人と笑われた。
時々「ねお薩摩」を思い出して、ひとり泣き笑いした。
子安の清兵衛どんはお侍さんだったから、戦でおかしくなったかわいそうな人、
村人は俺の事をそう噂したが、俺はそんなの気にしなかった。
夜は暗闇の中で白い塊になって、仄かに浮かび上がる。
蠢いて、転がって、上になって下になって。
息と息が混ざり合って、甘く痺れ、輝くような真白になってどろりと流れ出て、
愛が産声を上げて生まれる。
後ろから子安どんを抱いて、首筋の肌に唇を寄せて撫でていると、
子安どんはため息のような声を漏らした。
「…豊久さあ」




