第58話 子安どん解放戦
第58話 子安どん解放戦
子安どんの実家は大坂の中心部から離れ、生駒の山の麓近くの街にあった。
このあたりはぶどうを作る畑が多い。
家は山を背景にした淋しい町外れで、背後には背の高い草がぼうぼうと生い茂っていた。
家屋は小さく、みすぼらしく、長屋のように2軒の家がくっついていた。
それと同じ家が周囲に何軒も何軒もあって、きれいに並んでいた。
「被差別部落か…」
「大っきいの、何ねそれ」
「昔、卑しかった身分や職業の者が集まって暮らす集落だ。
俺みたいなヤクザは被差別部落出身者や在日朝鮮人の2世や3世が多い。
今でも差別があるから、どうしてもそうならざるを得ないところがある。
武将って言うほどだから、殿様育ちのお前にはまあわかるまい」
島津の大きいのはそう教えてくれた。
風が山から降りて来て、ぼうぼうの草むらをかき分けて行く。
揺れて舞う長い髪が彼の心を悲しく乱す。
「…宮城の海っぺりにある俺の実家周辺もこんな風に貧しくてね、
あそこの土地の子らと遊ぶなと言われたりして、みんな行くとこなくて、
だからみんな血縁な土地の者同士の近親婚も多くて、どんどん血が濃くなっていってね、
みんなどこかしらに障害があってね、体でも心でも。
それでもみんな、被差別部落じゃないて胸張って言うんだ。
お上の指定の有る無しの違いってだけじゃないかって、俺は思うね…」
島津の大きいのの故郷の話は初めて聞く。
そこには差別への怒りが感じられる。
俺は旧薩摩の島津の家を思い出した。
戦国の世界で俺の見た島津家もまた貧しかった。
貧しいくせに見栄はって、石高も粉飾の極みだった。
島津家の何が貧しいって、それは国ではなく心だった。
九州の端に追いやられているくせに、大坂発祥の大坂人と思い込んでいるし、
本当は行くとこないくせに、血統を守るとか言っちゃって、
良くないのに近親婚を繰り返すから、一族は変なのばっかだし。
もしも島津の大きいのが言う「被差別部落」が、戦国の世界にもあるならば、
俺は島津家を筆頭にあげたいね。
差別はだめって思うけど、島津の家だけは差別していいよ。
“こちら深川一家。現地到着、ただいま待機中”
“こちら大阪神龍幇、現地待機。指示を願う”
島津の大きいのの「すまーとふぉん」がぶりぶりと震えた。
文字で即時やりとりをする「あぷり」なる、目的ごとに作られた情報処理を行う機構の、
水色の表示画面に白い尻尾付きの角丸四角形に囲まれた文字が浮かび上がった。
「げーむ」の大会で優勝しても、結局買えなかったな。
あまりにも高額すぎて、山分けした賞金ごときでは全然足りなかったのだ。
島津の大きいのはそれに返信した。
“こちら島津本隊、これより突入する。総員戦闘準備し待機せよ”
「行くぞ、揚弘にフライド丸」
島津の大きいのは子安どんの実家の玄関に向かって、つかつかと歩き出した。
そして呼び鈴を押した。
この家の呼び鈴も変な音で、「びー」という蝉の鳴き声のような音がする。
「はーい」という返事がして、子安どんの悪いおかんが中から出てきた。
こうしてよく見ると、子安どんとはあんまり似ていないのだな。
「なんやのん、あんたら」
「留津さんのお母さんですね、私は島津幸弘と申します。
留津さんには日ごろから親しくさせていただいております。
このたび留津さんと結婚いたしましたので、ご報告とご挨拶に参上いたしました」
こうして敬語で話しているのを見ると、島津の大きいのも立派だな。
ぴっちりスーツを着込んで、これが「ねお薩摩隼人」なのだな。
普段は市場の特売で俺と、卵やら肉を取り合っているのに。
「ねお薩摩隼人」は勇猛果敢さの他に、礼儀正しさや人を思いやる心も求められるのだ。
俺なんかじゃとても「ねお薩摩隼人」にはなれっこない。
「結婚! あんた仕事何してんねや、金持ちか?」
「東京都内でマンションを所有して経営しております。
金ぐらいありますよ、いい大人ですから。
留津さんは私が幸せにします」
島津家はあの戦国の島津家とは比べ物にならないほど裕福だ。
いつ行っても贅沢なおやつが出て来る。
今日だって細長い鉄製の箱の運賃から何まで、全部出してくれたし。
「ほんま? ほなうち引き取ってくれるん?
金持ちなんやろ、服買うて旅行行かしてくれるん? パチンコしててもええん?
ホストも行き放題、高いシャンパンも入れ放題や!
当然うちの借金かて払てくれんのやろ?
留津もええ男見つけたわあ、これでうちも安泰や。
死ぬまで遊んで暮らしてけるわあ」
子安どんの悪いおかんはにやにやと喜んだ。
子安どんから搾り取った金はみんな、彼女の遊びに消えていたのか。
島津の大きいのとの出会いも店て言ってたな、何の店だか。
実家にいた頃の子安どんは、きっといかがわしい店に売られて働かされ、
その稼ぎも全て彼女に搾り取られていたんだろうな…。
「まさか。今日は留津さんとの縁切りのお願いに上がりました」
「嫌や! せっかくの金、誰が手放す言うねん!
留津みたいなちょと顔のきれいな娘飼うとったら、
それに寄って来る男からなんぼでも金引っ張れる! 留津はうちの金づるや!」
子安どんの悪いおかんは喚き散らした。
島津の大きいのは手でその口を塞いで、もう片方の手で頭を掴んだ。
「子供は金か? 俺も金か?」
子安どんの悪いおかんは暴れた。
ただの歳を取ったデブのおばはんだと思っていたが、思ったより力がある。
揚弘のようなチビはもちろん、島津の大きいのでもふっ飛ばされてしまった。
俺も必死で食らいついて、なんとか彼女を押さえつけようした。
「貴様…子安どんばやらしか店で働かっせえ、そん銭ばみいんな搾っ取っとが!
子安どんは人ぞ、おまんさんもんやなか!おまんさが遊ぶためん銭やなかと!
おいは戦う、子安どんば解放すっために!
おいは戦う、子安どんばおまんさから、悪りか家から解放すっために!」
いける…!
子安どんの悪いおかんは、山越えも出来ないあのデブ殿より軽い。
夜、あのデブ殿にのしかかられると逃げ出せなかった。
戦国の衆道で鍛え上げられた成果を見るがいい…!
「…っせえ!」
俺は子安どんの悪いおかんを跳ね飛ばした。
彼女はぎゃんと悲鳴をあげて、家の前のでこぼこした整備されていない路面に転がった。
俺は彼女の上に馬乗りになって、隠し持って来た刀を出して抜いた。
「おいはフライド丸、子おば銭やおもちゃんすっ家はおいが潰らかす!」
俺は子安どんの悪いおかんの首すれすれ、縮れた髪を突いた。
銭とおもちゃの違いはあれど、子安どんはずっと家に縛られて来た。
それは俺も同じ。
俺の心に暗い陰が甦って来て、子安どんの陰と重なった。
島津の夫婦、そして待機していた者たちが一斉にかけ寄って来て、
俺の上から子安どんの悪いおかんにのしかかった。
「な…! ヤクザか!」
島津の大きいのは人の固まりをぎゅうぎゅう押しながら、冷たい声で言った。
「俺は島津幸弘、『島津マンション』オーナー。
…兼、井上会総本部長、ならびに島津会会長」
「アホな、そない若いもんが、井上会なんてでかいとこの幹部になぞなれる訳あれへん!
嘘やろ! 嘘やのうたら金払い!」
「俺が払たるわ!」
揚弘が人の固まりの横から拳を突っ込んで、子安どんの悪いおかんを殴った。
「子安っさんいじめた代償、生活保護費遊びに使た代償、俺が拳で払たるわ!
ほんまに困てる人らに変わて、俺が報復で払たるわカス!」
「島津の兄さん、山本興行からのこいつの借金どうします? 2500万」
応援のヤクザが島津の大きいのに聞いた。
「体で返させろ」
「えー、これじゃ飛田の妖怪通りでも使ってもらえるかどうか…」
ヤクザたちの間からどっと笑い声がわいた。
「誰が飛田なんぞ行くかい! 嫌や!
なあ島津さんとやら…留津なんかよりうちにせえへん?
うちを嫁さんにして、囲ってえや…ほしたらうちも金持ちやあ」
「断る。俺の妻は、女は留っちゃんだけだ。あんたにやる金はない」
「留津め、逃げ出した挙げ句、うちをこんな目えにあわして…!」
この騒ぎに近隣の住民らがぼちぼちと出て、集まって来た。
「あんたら助けてえな! ヤーさん来とんねん! 襲われとんねん!」
「おばちゃん大丈夫か? 何もろてん、ええもんもろたか?」
「おばちゃんどこのヤーさんや? 金取れるんか?」
住民たちはどいつもこいつもガラの悪いやつらばっかだ。
しかもみんな会話がかみ合っていない。
子安どんの悪いおかんはにやりと笑った。
「ここをどこと思てる! ここは大阪美柏野、四つ沼部落や!
警察は来んで、ここは治外法権やからな! みんなかかりい!」




