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第51話 夢のまた夢

第51話 夢のまた夢


あの時、俺と揚弘は子安どんがなぜ病院にいるのか不思議に思った。

でも今、その謎がようやく解けた。

誰かの見舞いなどではない、子安どん自身が病院に通っていたのだ。

子安どんは時々ひとりでどこか出かけるな、時々だるそうにしているな、

そう思っていたけれど、あれはそう言う事だったのか。


「もしかして子安どん、子供出来たとね…?」


一瞬、俺は妊娠の可能性を考えた。

そういう関係がある以上、俺たちの間に子供が出来ても何らおかしくはない。


「子供…? そやったらどんだけ嬉しい事やろね。

お前との間に子供が出来たら、どんだけ嬉しく幸せな事やろね…!

もうおばさんやし、女らしさにもいまひとつ欠けるけど、私もひとりの女や、

愛する男に愛されて、結ばれて、子供も産んで、ずうっと一緒におりたい、

そう言う女の幸せの夢くらい見るわ…でも夢は夢や、夢のまた夢!」


子安どんの声に涙が混ざり、それは慟哭へと変わっていった。


「そやから私は病院なんか入りとうない、病院なんかで時間を浪費しとうない。

仕事したい、自分という存在をこの世に刻み付けて残したい。

お前のそばにおりたい、つかみかけた夢を今手放してたまるかあ。

命と幸せ、私は迷う事なく幸せを選ぶ、たとえそれで死んだとしてもや…!

今こそ命の捨て時、私には命懸けても守るものがあんねん、

そうやろフライド丸、捨てがまった事のあるもんならわかれ!」


わかれって言われても…。

そんなのわかりたくないよ。

他の誰が命を捨てる事を選んで、俺がそれに共感しても、

子安どんだけは例外だよ、そんなのわかりたくない、愛しているから。


「アホう、死んだらいかん…揚弘が言うちょる、愛ちゅもんはそばんおってこそと。

おいは子安どんにずうっとそばんおって欲しかと。

生き、おいんために生きい、子安どん亡うなったらおい生きっ意味なかと…!」



子安どんの体がどれだけ悪いか、何の病魔に冒されているかまではわからないが、

ただ、相当前から体を悪くしているらしいと言う事実はよくわかった。

それから少し経った締め切りの後、みんなが寝ている間に、

仕事部屋を片付けている時の事だった。

子安どんの机の一番下の大きい引き出しから、何か白い紙袋の端がはみ出していた。

俺はそれをちゃんとしまおうと、引き出しを開けた。

すると、引き出しの中にはでかい紙袋があり、その表面には「病院」の文字があった。

その紙袋の折られた口を開けてみると、中は薄く延ばした金属と、

透明の硬い膜に挟まれて10粒ごとに梱包された、橙色の平たい粒がたくさん入っていた。

梱包の裏側、薄く延ばした金属には「いまちにぶ」と書かれてある。


「薬…!」


それは大量の薬だった。

確かに袋の表面には「内服薬」と書かれてある…!

子安どんは俺に隠れて、こっそりこの薬を飲み続けていたのだ。

これだけたくさん薬があると言う事は、一日も欠く事が出来ないという事。

この薬が子安どんの命を握っていると言う事に他ならない。

「金がなければ生きていけない」、子安どんはこの薬のために銭が要ったのだ。


「何ちゅ事…何ちゅ事や、子安どん…!」


俺は慌てて薬の袋を引き出しに戻した。

そしてしゃがみ込み、泣いて震えた。


それからも子安どんは何事もないかのように仕事を続けていたが、

やっぱり辛いようで、だんだん横になる事が増えて来た。

熱も頻繁に出るようになって来た。

病院に行ったらと言っても聞かず、俺はどうしたらいいかわからず、

島津の大きいのに相談してみることにした。

島津の大きいのは子安どんの元彼だし、むかつくけど、あの人の他に頼れる人はいない。


「…島津の大きいのん、『いまちにぶ』て何ね?」


俺は市場で会った時に言ってみた。


「『イマチニブ』? 何だそりゃ」

「子安どんの飲んじょる薬や。子安どんどっか体悪っからしかと、

ずうっと隠しとっと、薬もこっそり飲んじょる。

最近横んなっ事増えた、熱も良う出す。

病院行きい言うてん、ちいとも聞きやせん…助けて」


俺は泣きそうな顔をして、島津の大きいのの袖を掴んだ。


「留っちゃんが? そんなに…?」

「頼むう、頼むう…!」


俺は島津の大きいのに泣いてすがった。

…彼の体からは生きた人の匂いが今日もした。

子安どんは俺には行くなと言うくせに、自分は行こうとしている。

生と死が交差しようとしている。


「泣くなフライド丸、俺が留っちゃん病院に連れてく。

殴ってでも、さらってでも連れて行く」


島津の大きいのは俺の肩を抱いて、力強く言った。

俺は取り乱しているのに、なんでそんな落ちついて心強くいられるのだろう。

やっぱりこの人には俺、勝てないよ…。



その晩子安どんが寝てから、俺は仕事部屋に忍び込み、

袋の表面に書かれてある内容を、島津の大きいのが貸してくれた「でじかめ」なる、

景色をそのまま記録する機械で写し取った。

…これもまた「ねお薩摩」の技術の粋か。

そして音を立てぬようにこっそり家を抜け出して、隣の島津家へと持って行った。


「…撮って来たど、大きいのん」

「フライド丸…これは大変だよ」


島津家では、島津の大きいのが血の気の引いた青い顔をして、

揚弘と薄型電脳小箱を覗き込んで震えていた。


「何ね?」

「『イマチニブ』、わかったよ…」


島津の大きいのは力が抜けたように言った。


「明日の朝一番で留っちゃんを病院に連れて行く、できれば今夜にもそうしたいけど…。

病院へは俺と揚弘で連れて行くから、フライド丸は着替えとか洗面用具とか、

入院の準備をして病院に来て欲しい…たぶん入院になると思うから」

「入院て…!」

「フライド丸、子安っさんはたぶん命の危険や、放っといたらあかん。

ここはちゃんと入院さしたらんと…!」


揚弘が俺を揺さぶった。


「じゃどん、子安どん入院なぞしたらもう出て来れんち言うちょった…。

子安どんの愛ちゅおなごん夢はもう叶わんとか…夢んまた夢んなっとか!」

「それでも入院さしたらな、死んだら何もないやろ!

言うたはずや、愛ちゅうんは生きてこそ、生きて一緒におってこそて…!」

「…俺もそう思うよ」


揚弘の腕の中で取り乱しながら泣く俺に、島津の大きいのが言った。


「本当にそう思うよ、懲役で離れ離れになったのが、別れのきっかけになったんだから…。

ましてや留っちゃんは親に恵まれなかった人だ、

あんな淋しい人を、愛を乞う人を、離したら別れが来るのも当たり前だよ…!」


…島津の大きいのは今でも、子安どんの手を離した事を悔いている。

揚弘と出会って、ちっとも大丈夫なんかじゃない。

島津の大きいのは急に話題を戻した。


「ネットで調べたよ、『イマチニブ』…抗がん剤だ」

「がん? がんて何ね?」

「お前の時代でもがんと言うかはわからんが、悪いできもの、つまり岩の事だ」

「岩…!」


戦国の世界でも、体に岩が出来ると死に至る。

その岩が子安どんの体に…!

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