第5話 LEFT DEAD 4 ALIVE
第5話 LEFT DEAD 4 ALIVE
「あ! おいん卵…」
すると、子安どんはぴちと四角く焼き上げられた自分の卵焼きの皿を取って、
俺の卵の皿があったところに置いた。
そして彼女は何事もなかったように、ぐちゃぐちゃの卵を食べ始めた。
俺はそんな彼女の姿を可愛く思い、同時に少しせつないような気持ちになった。
…俺はこの女の心に必ず報いる、彼女の役に立ちたい、彼女を守りたい。
俺は初めて子安どんを主君と認め、心から彼女に仕えたいと思った。
誰のためでもなく、俺自身のために。
朝食のあと子安どんはたんすを引っ掻き回して、俺でも着られそうな着物を探して来、
それを俺の胸に押し付けると、自分も支度をしに部屋へ消えていった。
そうして俺たちは連れ立って「ねお薩摩」の中心、灰色の森へと出かけた。
人ごみの中を俺は子安どんの腕に掴まり、もう片手を肩に乗せて歩いた。
ぼんやりとは見えるがこの国の人ごみは尋常ではなく、
子安どんとはぐれてしまいそうで怖かった。
まさかあの薩摩が京並みの繁栄を遂げたとは。
子安どんはまず俺を床屋へ連れて行った。
月代を剃ってまた髷を結うのは変だろ、月代を隠すために髪を七三…十二一にしろとか、
おいハゲやなかとか、そんな横に分けたら毛えが立つがとか、
しばらく髪型をどうするかぎゃあぎゃあ揉めていたが、
俺はそこで髷を落として伸び放題の月代と揃えるように、この国の民のように髪を短くし、
それと同時に髭を落とした。
髷を落とすという事は武家の者にとって恥ずべき事であり、
武士である事をやめる、それか俗世を捨てるという意味だったが、
不思議と抵抗はなかった。
子安どんがこの国は俺の新しく生まれて生きる国、そう言ってくれたからだ。
俺は武士という身分から離れ、修羅の世界を後にした。
この「ねお薩摩」という驚きの国が、これからの俺が生きる国なのだ。
それからは俺の着る物を探したり、子安どんが仕事で使う道具を見たりして、
牛の肉と野菜を、小麦の粉を練って綿のようにふんわりと焼いた物で挟んだ、
まだ見た事もない、だがこってりとして異様に旨い昼飯を、
「ねお薩摩」風の外観も内装もやたら四角い食堂で取り、
城の近くのなんでも揃っている、市のように巨大な商店で、
子安どんに食材の選び方、買い物の仕方を教わりながら、
夕食の材料を揃えて、昼過ぎに城へ戻った。
城に戻って材料を冷気の湧き出す戸棚にしまうと、
子安どんは仕事をすると言って、自分の部屋にこもってしまった。
冷気の湧き出す戸棚に冷たいお茶がしまってあるのを思い出し、
それを湯のみに汲んで持って行くと、彼女はうんうん唸りながら、
白い紙に木製の筆で、何やら大ざっぱな絵を書いていた。
「何をそんなじっと覗き込んでいる?」
子安どんが俺に気付いて顔を上げた。
そして、顔の近さに驚いた。
気付けば、彼女の描いている内容がよく見えなくて顔を近づけていた。
「あ、すまん…あんま良う見えんからつい」
俺はどきどきしながら慌てて顔を離した。
「お前、目が悪いのか…だから外でずっと私の腕を掴んでいたのか」
「うんにゃ。最初はちいとも見えんかったけんど…。
美濃の人らのおかげでちいとは見えっようになったと。
で、子安どん何描いちょっと?」
「ああ、これか…」
子安どんは描き上がった分を取って、俺に差し出した。
「仕事の絵の元になる絵だ、『ネーム』と言う。
これを見ながら本番の絵を描く」
よく見ると、人物のそばの尻尾のついた円形には文字が描き込んである。
文字があると、人物が喋っているように見える。
太線で割られた絵は右上から左上、左上から右中、右中から左中、
左中から右下、右下から左下へと連続して、話が続いて行く。
「こい、仕上がったらどうなっと?」
子安どんは背後の本棚から数冊の本を取り出して、俺の胸に押し付けた。
そして、俺の背中を押して部屋から追い出した。
「もうすぐ打ち合わせに人が来るから、お前は下がってそれでも読んでろ」
「そんなあ」
それから間もなく玄関の呼び鈴が鳴り、子安どんは客人を中へと招き入れた。
それからしばらく彼女の部屋からぼそぼそ話し声が続いた。
男の客人らしい。
俺は本もそっちのけで聞き耳を立てていた。
気になる、何話しとんじゃ。
二人で何しとんじゃ。
俺はふとお茶を出してみる事を思いついた。
台所に行って、冷気の沸き出す戸棚から冷たいお茶を出し、
食器のしまってある別の戸棚から新しい茶碗を2つ出して注ぐ。
そしてお盆を探し、それを乗せて子安どんの部屋に向かう。
話し声は止んで妙に静かだった。
「御免」
俺は部屋の前で一声かけ、扉を開けた。
すると部屋の中では素っ裸の子安どんが寝台の上で、客人の男の膝に乗り、
彼の腕に抱かれて尻をゆっくり、ねっとりと動かしていた。
子安どんは俺に気付き、とろりとした目で一瞥すると、また男の方を向いた。
「誰?」
「…気にするな、あれは預かってる親戚の者だ」
「ふうん?」
男と女はまた情事に耽り始めた。
俺は震える手でお茶の盆を床に置くと、息を殺して部屋を出た。
子安どんに男がいたなんて。
彼女が男とあんな事をしているなんて。
しかも俺なんかどうでもいいのだ。
俺はまだ一晩とちょっとしか一緒に過ごしていない新参者だし、
想い人などではなく、ただの家臣だし、
捨てた世には室もあったし、他人の事に口出しなど出来る立場じゃない。
しかし何と苦しい事なのだろう。
子安どんはそれからも打ち合わせだ何だと理由をつけ、
男を家に招き入れてはそいつに抱かれていた。
しかも相手の男は一人だけではなく、違う男を何人も取っ替え引っ替えしている。
戦国の武将ならば、正室の他に側室も何人か置いて、
子づくりに励むのも至極普通の事ではあるが、彼女は女人だ。
この「ねお薩摩」という国は男より女人が上なのだろうか。
「なぜ頬を赤らめる、お前は童貞か」
ある日の夕方、事を済ませて部屋から出てきた子安どんが、
部屋の外で聞き耳を立てていた俺に呆れて言った。
「誰が童貞じゃ、おなごくらい知っとっと。妻もおったし」
…ほとんど形だけだがな!
「あーはいはい、さすがお武家さんだ」
「…愚弄しおって、貴様は何じゃ貴様は。 なんであげんいろんな男と…」
「それが私の生きる道だ、邪魔するなフライド丸」
「生きる道て…娼婦じゃあるまいし」
「そうだけど?」
子安どんは真面目な顔をして聞き返した。